第3話 こんこ様は言い伝え
『ねぇ、おにーちゃん! おにーちゃんってば!』
『どうしたクフクフ。何だか嬉しそうじゃんか』
『だってね、だってね、とってもいいゆめみたんだもん!』
『おお、そっかそっか! で、どんな夢なんだ? お兄ちゃんに聞かせてくれよ』
『うん! えっと、たしか、こんこ様がね……』
「う、ぐ……」
クフリートは目を覚ますと、朝のルーティーンである、窓の外を見た。
今日も吹雪だ。そういう時期だと分かってはいても、あの美しい銀世界を見られないのは少し寂しい。
生まれつき病を持つクフリートは、一度たりとも外に出たことがない。
いや、もしかしたら忘れているだけで、一度は行ったことがあるのかもしれないが、思い出に残っていないのなら意味などない。
ーー変な夢、見たな。
それは、幼い頃のクフリートと、リューノモがお喋りをする夢。
幼い頃のクフリートは、妄想を、夢を、言い伝えを誰よりも信じていた。
朝起きれば、窓の外を見る前に、リューノモに色々な夢や妄想を話すのがルーティーンだった。
リューノモは馬鹿にすることも笑うこともなく、むしろ興味津々に聞いてくれた。
それが嬉しかったから、クフリートは飽きずに毎日毎日リューノモに話した。
ーーでも、夢は、妄想は、現実にはならない。
病が治り、銀世界に足を踏み出したいという夢は叶わない。
ゆきだるまが動いて、一緒に遊んでくれる……そんな妄想はありえない。
「妄想だと思っていたことが、現実になり得ることだってあるのよ?」
ーー意味わかんない。
クフリートは本棚から本を取り出すと、ベッドに座って白い息を吐く。
「白い……そういえば、白狐は……」
クフリートがきょろきょろと見回すと、本棚の上ですやすやと眠る白狐を見つけた。
「………………」
クフリートは本をベッドに置くと、白狐の近くによって、じーっと観察する。
ーー触ったらもふもふしてるんだろうなぁ……。寝顔可愛いなぁ……。
「って、僕は何を考えているんだ……」
クフリートはペチペチと頬を叩いて、ため息を吐いた。
ーー一緒に暮らすって言っても仲良くするわけじゃないんだ。あくまで文字通り……文字通り……。
クフリートは白狐から目をそらそうとしたが、どうやらもふもふには適わないのか凝視してしまう。
「かわいい……じゃなくて、もふもふしたい……じゃなくて、本でも読もう、うん」
クフリートは何事も無かったかのようにそそくさとベッドに寝ると、絵本をペラペラとめくる。
ーーって、この絵本、昨日と同じじゃないか……。
クフリートがため息をついていると、ドアがガチャッと開いた。
「おーい、クフクフこんころりー!」
「お、お兄ちゃん!?」
クフリートは兄の大きな声に驚き、絵本をささっと毛布の下に隠す。
余談だが、こんころりーはこんこの国の挨拶である。朝昼夜変わらず、言葉は変わらない。
ーーど、どどど、どうしよう。というかタイミングが悪いっ!
何せこの絵本は、リューノモの部屋から勝手に持ってきた絵本なのだ。
リューノモはこの絵本が大好きで、以前も「涙腺崩壊するわ」と言いながら泣いて飛びついてきた。
アレのどこに涙腺崩壊されるのかクフリートにはいまいちよく分からない。
クフリートの焦り具合に、リューノモは不思議そうに首を傾げる。それから、本棚の上で気持ちよさそうに眠る白狐を見た。
「こんこ様かわいいな」
「それは言い伝えだよ。この子は白狐だ」
リューノモは「そういや、そうだったなぁ」と笑うこともなく言った。
「それで、クフクフ、お兄ちゃんに朝の挨拶はしてくれないのか?」
「こんころりー」
「おう、こんころりー」
リューノモは嬉しそうに頬を緩めると、ドアを開ける。
「もう行くの?」
「あぁ、母さんが手伝えってうるさいからな」
「…………」
落ち込むクフリートに、リューノモはドアを開けたまま、クフリートの頭をぽんぽんと撫でる。
「お前はいつまで経ってもお兄ちゃん離れしないな」
「ごめん……」
リューノモはゆっくり首を振った。
「謝ってほしいわけじゃねえよ。お兄ちゃん的には嬉しすぎて発狂したい」
「白狐が起きるからやめて」
クフリートの言に、リューノモは「そうだな」と納得すると、撫でるのをやめる。
「こんこ様……じゃなかった。白狐を守れるのはお前だけだ。頑張れよ」
リューノモは手をヒラヒラと振って、ドアを閉めた。
……直後に「いっだああああ! 足ぶつけたあぁぁぁ!」と悲鳴をあげたが、まぁ些細なことである。
ーーさて、どうしようかな。
クフリートは部屋を見渡して白い息を吐く。
クフリートの部屋はそこまで広くないのだが、家具が少ないからか不思議と広く見える。
クフリートの部屋の家具……というより、この国の家具には、必ず毛布がかけられている。
こんこの国の真夜中はとても寒い。標高が高い地域ほど、家具が氷漬けにされる可能性が高くなるので、必ず魔力が付与してある毛布をかけなければならいのだ。
ーーそれなら家具に直接かければいいのになぁ。
なんてぼけーっと考えていると、白狐が「こんこん!」と鳴きながらクフリートの前に来た。
くりくりとした丸く青い瞳に、クフリートの心は鷲掴み……。
ーーいやいやいや。と、とにかく、この子と仲良く……。
クフリートはパパンのパン! とリズムよく頬を叩く。
ーー仲良くしてどうするんだ。あくまで一緒にいるだけだ。吹雪が終わったらすぐに外に出してやる……。
「ここーん!」
「…………」
白狐はその場でグルングルンと回ってはしゃいでいる。
その姿が、何だかとても可愛くて、愛らしくて……。
「可愛くもない! 愛らしくもないー!」
クフリートが急に叫んだので、白狐はビクッと驚いて、涙目でこちらを見る。
「あ、えっと……ごめん」
白狐とは絶対に仲良くしない。けれど、だからといって謝ることすらしないのはおかしな話である。
クフリートは壁に寄りかかると、ぽりぽりと頬をかいた。
「いいか、僕は君のことをこんこ様だとは思わないし、仲良くなりたいとも思わない。仕方がなく一緒に暮らすだけだから」
「こん?」
白狐はよく分からないとでも言いたげに首を傾げた。
ーーやっぱりモンスターと交流するのは無理だよ……。
クフリートは、外に出たことがないためモンスターに会ったことがない。
家族も家にモンスターを迎え入れようと思わないから、本で知識を貯めるしかなかった。
要するに、クフリートがモンスターをこの目で見るのは、昨日が初めてだったのだ。
「君のことは白狐って呼ぶからね。……そんなに呼ぶことないと思うけど」
「こんこん!」
白狐は嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねて、しっぽを床に擦り付けた。
「おい、何やってるんだ。掃除はしてくれているけど、綺麗な……じゃなかった。可愛い……じゃなくて……あーもう!」
普通に尻尾と言えばいいのに……。
そうこうしている間にも、白狐は床を擦り続けながら走り回った。
「こら、危ないよ」
クフリートがそう言っても、白狐は続けている。
「こん!」
満足したのか、白狐はクフリートの所へ戻って鳴いた。
「全く、なにをやって……」
クフリートが呆れつつ床を見ると……そこには、ゆきだるまが描かれていた。
てっきりインクか何かで描いたのかと思い触ってみたが、どうやら粉雪のようだ。
「これ……白狐がやったの?」
「こん!」
白狐は満面の笑みで大きく頷いた。
「ゆきだるま、か……」
クフリートはゆきだるまを見たことがなかった。
以前、他国で働いている父親が帰ってきた時、ゆきだるまを持ってきたが、クラルに怒られて外に出されたせいで見られなかった。
絵本で見たゆきだるまに比べると、少々かくかくしていたが、それでも嬉しかった。
クフリートは白狐の前にしゃがむと、頬を薄く染めて言った。
「ほんと、白狐ってよくわかんない。……でも、ありがとね」
「こん! こん!」
白狐は声を弾ませて嬉しそうに鳴いたのだった。
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