約束
「幸野満咲!?」
ナリは思わず声を上げてしまった。零も鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。その名前が今出てくるとは思いもしなかった。
「幸野満咲?その人、誰?」
参華が後ろを向いて聞いた。
「私の……山門有の同級生で、この前会ったんだにゃ。その時に、山風町は大変なことが起きているって言われて……その後に、この事件が起きたんだにゃ」
「は?怪しすぎるだろそいつ」
亥李が不可解そうに言った。ナリは立花に近付き、尋ねた。
「立花。約束って……なんのことにゃ?それに、満咲が探してた人って……」
立花はナリをじろじろと見ると、何かに納得したように「ああ」と呟いた。そして言った。
「あんた……どこかで見たような顔してんなと思ったら、思い出したっす。よく掲示板とか電信柱とかで見た顔だ。先輩の同級生だったんでしょ?だったら分かんないっすか?」
「……いや……確かに満咲とは同じクラスだったけど、だからと言って分かるわけでは……」
ナリが言うと、立花は笑った。
「はは、まあそうっすよね。先輩は何も言わずに力を貸してくれたから、なんであの人を探しているのか知らないんすけど……訳ありなのは分かったっすよ。すぐにピンと来た」
「ピンと来た……?ねえ、さっきから一体誰のことを言ってるんだにゃ?」
立花は周りを見回してから、言った。
「教えない。誰にも言わないっていう約束で、力を借りたっすからね。自分で時の回廊を開いたんだから、約束は果たすっす」
ナリは話を聞いていて、なんとなく愛から聞いていた話と違うような気がした。愛を見たが、愛は不安そうな顔をしていただけで、気にも留めていないようだった。
「自分の力……?ベルが開けたんじゃなかったのかにゃ?」
ナリが聞くと、立花は真顔で「は?」と呟いた。ナリが驚くと、立花はそのまま続けた。
「ベル?鐘がどうやって時の回廊を開くんすか。そんなシロモノ持ってないっすよ」
「い、いや、ベルは人の名前だにゃ!鬼宿しのベル!ね、知ってるでしょ!?」
「え?いや、知らないっすけど」
ナリはそれを聞いて、零達の方へ顔を向けた。
「ねえ、皆だって知ってるでしょ!?ねえ、零!」
零はその必死なナリの声を聞いても、何も思い出さないようだった。
「いや……知らない、そんな名前の奴」
「知ってるって!さっき一緒に戦ったにゃんか!一緒に「鬼」と同化したベルを、倒して……!」
ナリが叫んだ。だが、零は不思議そうな顔をして言った。
「いや……何言ってんだ?ナリ。俺達が戦っていたのは、最初からこいつだけだろ?」
零が立花を指さした。肝が冷えた気がした。
「さ……参華!参華は愛と、二人で、立花と戦ってたでしょ!?ねえ、そうだったよにゃ!ねえ!!」
「ナリ……痛みで忘れてしまったの?あなただって倒したじゃない。決着は私が付けたけど、皆で立花を倒したことには変わりないわよ」
「そーだよ、ナリ。立花ってば、結構速くて疲れたんだもん」
詩乃が横から口を挟んだ。
「違うにゃ……速かったのも、詩乃が疲れた原因も、全部ベルが……」
「なあナリ、頭打ったならもっと早く言えよな?そういうのが戦闘に響くんだぜ」
亥李が呆れた調子で言った。愛も頷き、「大丈夫?ナリちゃん」と聞いてきた。
ナリは愛に揺すられながら、前にもこんなことがあったと考えていた。冷や汗がどっと流れる。それは、稲子谷奏太が消えてしまった日のことだった。
「猫、さっきから言ってる奏太って、誰のこと言ってるの?お前、幻覚でも見てるんじゃないの?」
真夜中の山道で、眠たげな千里に言われた言葉を思い出した。
(あの時と、全く同じだ……私だけ覚えてて、皆忘れてる。私だけがおかしいみたいに、皆が笑ってて……)
ナリは出てきそうな涙を、ぐっと堪えた。涙を見せてしまったら、余計怪しまれてしまう。
「お前は自分しか頼れなかった時、どうするんだぁ?自分の正義を貫くのかぁ?それとも、周りの正義に合わせるのかぁ?」
ベルが最後に言った言葉を、ナリは思い出していた。
(自分しか、頼れなかった時……もしかしたら、ベルはこのことを言って……)
ナリがそう考えた、その時。
「ごめんなさい……あなた達をまた、巻き込む気はなかった」
どこかで聞いたことのある声が、聞こえた気がした。
周りを慌てて見回すと、立花の周りにモンシロチョウが飛んでいた。
(あの蝶は……!)
立花は目を開いたまま、人形のように固まっていた。ナリが様子を伺っていると、声はまた言った。
「でも、あの子が関わっている以上、放っておく訳にはいかなかった……あの子の願いは、絶対に叶ってはいけないのです。あの子が世界を壊すというのならば……私はこの世界を延命させねばなりません」
「あの子……?」
ナリは呟いた。声はその言葉を無視して言った。
「けれど……その必要も、もう無いかもしれません。本来意志を持たないはずの人形が、意志を持ってしまった。彼には見抜かれましたが、驚いていたのは事実です。私ではなく、姉でしたが」
「姉?人形?一体何のことを――」
「意志はまだ決定されていません。しかし、今はきっと、これが良いのでしょう。この意志は決定されていますから」
声がそう言った、その時。
モンシロチョウが翅を広げて羽ばたいた。世界が真っ白に染まり、ナリは思わず目をつぶった。
気が付くと、そこは山の中だった。獣道を全員が進み、元の山道へと戻っていた。月明かりがナリの真上から差し込んでいた。
「あ……あれ?ここは?それに、今のって……」
ナリが呟いた。前を進んでいた零が、ナリに近付いた。
「なあ、どうした?早く帰ろうぜ、もう夜遅いからな」
「ねえ、れ、零……なんで私達、ここにいるんだにゃ?さっきまで時の回廊に……」
ナリがそこまで言いかけて、ハッと気付いた。ナリを見る顔が、5つしかない。立花や他の子供達がいない。
他にも、ナリ以外の全員の傷が直っていた。服が裂けた部分も、何事も無かったかのように取り繕われていた。
「うそ……さっきまで、皆ボロボロで……」
「なあ、大丈夫か?もしかしてさっき転んだ時に、頭でも打ったか?」
零の心配そうな顔が、ナリの目の前に現れた。
「……零……」
「ん?どうした?」
「私達……なんでここに居るんだにゃ?」
ナリが疑いの目を零に向けた。本当はそんなことしたくなかった。
零はまた、不思議そうな顔で言った。
「何言ってんだ?ナリ。俺達は参華を探して、ここまで来た。山の中に居てくれて助かったって、ナリも言ってたじゃねえか。変なところに居なくて良かった、って」
零はそう言って、また先に進んでしまった。
「ほんっとさー、こんな真夜中まで時間かかって大変だったよねー。そう思わない?」
「あはは、ありがとうね、詩乃。見つけてくれて」
「礼ならそこのバカに言ったらー?める、真夜中に電話で起こされて超迷惑だったんだけど」
「悪かったな。でも、人命救助は時間が命!そうだろ?」
「ま、確かにそうだけどさー。たまたま愛と出会ってなかったら、探さなかった癖に」
「ふふ……役に立ててよかった」
奥では参華達が談笑しながら山を降りていた。ナリはその光景を見て、立ちすくんでしまった。
(……私だけしか、知らない……時の回廊のことも、戦ったことも、ベルのことも、そして立花のことも……まるで、最初からいなかったみたいに……)
五臓六腑が震えた気がした。涙がまたこぼれそうだった。
その時。
「立花は可哀想よねえ……自分が信じてきた道を否定され、他の方法があると諭され、負け……自分の唯一の理解者を忘れ、そして存在すらも忘れられた。彼女はいつも報われないのね」
聞いたことのある声が、後ろから聞こえた。振り向くと、それは満咲だった。
「満咲!?」
ナリが声を上げた。後ろにいる零達に知らせようと、顔を向けた。
「他の人達を呼ぼうとしたって無駄よ。私は今、あなたにしか見えていないんだから。ナリ」
満咲の妖艶な笑みが、ナリに近付いてきた。ナリの顔が引きつった。
「あの子、私のことバラしちゃったみたいね……あれほど言うなって言ったのに。まあ、一番の情報を言わなかっただけ良しとしましょう。私にも言わなかったけど」
「満咲……満咲は立花のこと、覚えて……」
「何?忘れていた方が良かったかしら?周りみたいに」
満咲が笑った。ナリは震える声で「ううん」と呟いた。怪しい彼女だとしても、自分の他に立花のことを覚えている人物がいることが、嬉しかった。
満咲は顔を離すと、上を向いて「あら」と呟いた。彼女が見ていたのが何か、ナリには分からなかった。月が綺麗に輝いていた。今日は下弦の月だ。
「もう特定されたみたい……残念。おしゃべりの時間は終わりね」
満咲がそう言った、その時。
急に頭が痛くなり始めた。膝を着き、頭を抑える。視界も黒に染まっていった。意識が朦朧とする。
(これ……しばらく来なかったけど、まさか……!)
声も出なかった。自分の腕が、湿った地面に触れたのが分かった。
「さようなら、ナリ」
満咲の声が聞こえて、ナリは意識を失った。
気が付くと、そこはベッドの上だった。頭痛は収まり、視界も普通に戻っていた。ベッドから出てリビングに行き、時間を確かめる。今は、9月2日の深夜3時34分だった。
「参華を追っていった日から……もう、2日も経って……」
ナリが呟いた。忍び足で廊下に出て、零の部屋を確認する。ジャージ姿の零が寝息を立てて静かに寝ていた。
(さっきまで一緒に、山を降りていたのに……何事も無かったみたいに、ぐっすり寝てる。なんで?なんで私は今、ここに居るの?もう訳が分からない……さっきのは夢だったの?それとも現実?私が体験したのは……何だったの?)
ナリはそのまま、自分の部屋のベッドに潜り込んだ。困惑が頭の中に残っているせいで、上手く眠れなかった。
「お母さん!お父さん!あのね……」
これは夢だ。間違いない。夢じゃないならば、お父さんもお母さんも、生きている筈がない。
「どうしたんだ?」
「あのね、私……弟が欲しい!」
幼い私の目が輝いているのが見えた。お父さんが苦笑いして、「弟か、なかなか難しいなあ」と呟いた。これは私が、小学生の時のことだ。
この時は気付かなかったけれど、隣にいるお母さんが、微妙な顔をしていた。遠くで見ていて、すぐに分かった。
きっと、お母さんには分かっていたのだろう。私に弟が生まれるのは簡単だと。そしてその弟は、お父さんの血を継いでいないと。
それを知っていてしなかったのは、お母さんの優しさだろうか。それとも、お母さんの罪の意識だろうか。
「分かった。頑張ってみるよ、友香」
お父さんが笑った。お父さんは、この時何も知らなかった。
無知で、優しくて、血を重視したお父さん。きっと私は俊一さんではなく、お父さんを選んだだろう。それをもし伝えられたら、こんなことにならなかったのに。
私に力があったら、どれほどの人を救えただろう。
「私は……皆を救えなかった……」
私は私しか幸せに出来なかった。他の皆の幸せを全て踏み躙った。
こうして手に入った幸せが、今まで私を生かしてくれたのだ。
ありがとう、なんて言えなかった。
気が付くと、そこは自分の家だった。電気代を節約する為に、電気をほとんど付けない、自分の家。
もう朝になっていた。チュッチュッ、と小鳥の鳴く声がした。
「……なんで、ここに……」
参華は思わず呟いた。手の届くところにあった携帯電話で、時間を確認する。9月2日の朝7時だった。
携帯電話の着信履歴の一番最初に、亥李の名前があった。
「……もしもし?」
なんとなく電話をかけた。すぐに繋がったが、眠そうな声を上げていた。
「あぁん?なんだよ、参華……」
参華はその声を聞きながら、自分の夢を思い出していた。そして言った。
「ねえ、今日暇でしょ?」
「……まあ、暇だけどよ……」
「ね、今日1日付き合ってよ。行きたいところがあるの」
「ええ?今日疲れてんだよ、諦めて一人で行け」
「断る。あんたと一緒じゃないと駄目なの。それじゃあ、12時駅に集合で。いい?」
「あっ、ちょ――」
亥李が言いかけたのも聞かずに、参華は電話を切った。
「……あいつ、確か死んだ時、18歳なのよね……私より2歳も年下」
参華は楽しそうに、布団の上で笑った。
「お母さん。紹介しに行くから待っててね」
参華は起き上がり、腕を伸ばした。
今日はいい天気だった。
少し遅れてごめんなさい。
次回は3月25日です。




