無謀な冒険
参華は何も言葉が出てこなかった。それは、呆れているのでも、戸惑っているのでもない。ただ、頭が真っ白になって、新しくインクで描かれたことが、読み終わる前に全て溶けて消えてしまうような、そんな感覚だった。
「きっと安城兵二郎は満足していたよ。自分が隠したかった真実を、自分が死ぬまでずっと隠し通せたんだから。お姉ちゃんがそれを知ってしまったら、安城兵二郎は死んでも死ねなかったと思う」
立花はそう言って膝を曲げ、血が流れ続ける父親を近くで見た。彼は絶望を表現したような顔で死んでいた。
「父さんも、納得はしないだろうけど理解はしただろうね。安城ならやる。奴はそういう男だ。そんな感じで」
「おと、うさん……ううん、安城兵二郎は……私に知られなければ、何でも良かったの?自分と一緒に会社を立ち上げた親友を殺すことに……何の躊躇いもなかったの?」
参華はやっと言葉を発せられた。知るはずのない答えを立花に聞いたことに、参華は気付いていなかった。
「殺したってことは、躊躇も苦悶もなかったんじゃない?それに多分、少しだけ恨みも込められてたと思うよ。安城兵二郎は男性不妊だっただろうし」
「私が、安城兵二郎の血を継いでいないから……ってこと?」
「ま、そうだね。気が動転してたんだろうね。お姉ちゃんに真実を隠そうとしたって、いつかは必ずバレる。それに、何をしようがお姉ちゃんが私のお姉ちゃんであることに変わりはない。だから、安城兵二郎は無駄に人の命を散らしたんだよ。無駄に父さんや他の人達を殺した」
その言葉の端々には、立花の恨みが感じられた。だが、参華は不思議と、兵二郎が無駄に殺したと考えられなかった。
「さて……お姉ちゃん。お姉ちゃんが知りたかった真実を知って、どう思った?」
立花が立ち上がり、参華の方を向いた。彼女の手には手鏡が握られていた。
「……なんと、言えばいいのか……これが真実だと言われて、とても納得なんて……」
「ま、そうだよね。私も最初、これを知った時……何も考えられなかった。安城兵二郎の娘が自分の腹違いの姉で、その人が原因で父さんが死んだんだよ?すんなり受け入れることなんて出来なかったよ」
参華の体の中で心臓の鼓動の音が響いた気がした。冷や汗が頬を伝った。立花はその間に、手鏡に向かって「ベル」と呼びかけた。
「おうおぅ!何の用だぁ!?リッカ!」
手鏡の中から、ベルの声がした。立花は何事も無かったかのように言った。
「そろそろ戻ってきてよ。で、時間巻き戻して」
「もう戻ってるぜぇ!後ろを見てみなぁ!」
声が手鏡と現実の両方から聞こえてきた。立花が後ろを向くと、積み上がった死体の上で楽しそうに座るベルがいた。参華は驚きと多少の気持ち悪さで後ずさったが、立花は動じていなかった。
「で?時間を巻き戻せだぁ?」
「そう。出来るでしょ?」
「前にも言っただろぉ?魔法の内容と名前さえ決めちまえば、鬼宿しは何でも「魔法」に出来るってなぁ!特に名前が重要でなぁ、名前がないと全部同じになっちまう!そいつを象徴する名前がいるんだぜぇ!」
「分かってるって。《無謀な冒険》!」
立花が手鏡を掲げて叫んだ。すると、ベルが笑いながら右手を差し出した。右手の先から光が溢れ、視界が真っ白になる。気が付くと参華達は、安城家の前に見た。遠くで友香と兵二郎が門の外に向かっていた。その表情が、参華にはどこか恐ろしく見えた。
「上出来だぁ!それじゃあ俺は観戦させて貰うぜぇ。お前の悲願達成、楽しみだなぁ!リッカ!」
ベルはそう言って、ぎゃぁっはっはと笑った。そしてそのまま、彼は安城家の庭の木に向かって跳んで行ってしまった。
「いっつも楽しそうだなあ、べル」
「ねえ、立花……ベルが言っていた、悲願達成って……?」
参華が尋ねると、立花は参華の方を向き、言った。
「うん。それじゃあ話そうか、私の今の悲願。ずっと気になってるみたいだしね、お姉ちゃん」
「だって……わざわざこの空間まで来て、達成出来る悲願ってなんなのか、よく分からないもの」
「ま、確かにお姉ちゃんの立場ならそうだね」
立花は一呼吸置いてから、真っ直ぐ参華の方を見た。
「私はさっきも言った通り、真実をすんなり受け入れることなんて出来なかった。思ったよ。私はこんなくだらない理由の為に、人生を壊されたのか、ってね」
「くだらない……」
「そうだよ。くだらないでしょ?さっきも言ったけど、お姉ちゃんに真実を隠す為に殺したって、隠したっていつかはバレることだし。そもそも隠したところで、安城兵二郎にとってそれは意味が無い。本当に血を大事にしているのならね」
「血を……大事にしていたのは、確かにそうなのよ。お母さんから、お父さんは一般人である自分がお母さんと結婚していいのか分からないってプロポーズの時に言った、って聞いたから。でも……あの人が、意味の無いことをするとはとても……」
「したんだよ。意味なんて無い。ほとんど安城兵二郎の感情によって起きた殺人だったんだよ。父さんは親切で、お姉ちゃんが中学一年生になったタイミングで、真実を教えたのにね」
「私が、中学一年生になったから……」
「そう。お姉ちゃんがもう判別のつく大人だって、父さんは理解してたんだ。だからまず、彼女の育ての親に言った。ちゃんと証拠も見せた。全てはお姉ちゃんに、本当の家族を選ばせる為に」
参華は黙るしか無かった。立花は続けた。
「多分、父さんは安城兵二郎を選ぶって思ってたんじゃないかな。ずっとそうやって生きてきたんだしね。でも、その真実がお姉ちゃんに伝わる前に……父さんは殺された。安城兵二郎の恨みによって。だから、私は誰を恨めばいいか分からなかった。私の人生を狂わせた人が、誰か分からなかった」
「安城兵二郎じゃ……ないの?」
「真実を見て、確かに許せなかったけど……でも、彼を止めることは出来なさそうだった。何回か試したんだけどね。私が鍵本立花である限り、鍵本俊一の娘である限り、安城兵二郎は話を聞きやしない。第一、それじゃあ私の気持ちが報われない」
「止める?それはもう過去のことなんじゃ……」
参華が尋ねると、立花は不思議そうに首を傾げた。そして、先生に指摘する生徒のように笑った。
「お姉ちゃん、思い出してよ。時の回廊は、過去を見られるだけじゃない。過去を変えられるんだ。だから変えようとした。理にかなってるでしょ?」
「そ、それは……そうだけど……」
「私は過去を変えて、自分の人生が幸せになるようにしようと思った。父さんが生きていて、母さんが死なない未来にね。でも、どうすればいいか分からなかった。何をしても、何も動かなかった」
参華は段々、立花の言っていることが分からなくなってきていた。視界の隅で、友香と兵二郎が車に乗って学校に向かっていた。
「父さんが真実を知らせないようにするのも、私には出来なかった。だから、決めたんだ。この無意味な殺人を、安城家と鍵本家の間に起きる全ての殺人を、最初から無かったことにしなきゃいけない。その為に、私が未来から出来ること。私が今まで、絶対にしないと決めていた犯罪」
「犯罪……まさか!」
立花はその参華の信じられないという表情を見て、口を横に結び、笑った。
「そう。大正解。殺人だよ。殺された父さんの為にも、誰かを殺す気はなかったんだけど……でも、私が未来から過去を変えるには、こうするしかなかった」
「さ、殺人なんて……ダメに決まってるでしょ!」
「ダメ?殺人が?誰が決めたのそんなこと。自分が幸せになる為にしなきゃいけないんだったら、誰だってするでしょ?」
「立花しか幸せにならないでしょう!?もっと他に方法が……!」
「ないよ。私だって何度だって試したよ、他の方法も。でも、何も変わらないんだから……こうするしかない。幸せになる為にさ。そこで、新しく出来た悲願って奴だよ」
「立花の悲願が、なんなのよ!?」
立花はそう聞かれ、両手を広げて泣きそうな顔をして笑った。表情は、言動に対して歓喜に溢れていた。
「ああ、ずっと願っていたことが、遂に叶う時が来るなんて!なんて素晴らしいんだろう……私がどれだけこの日を待ったことか。今からでも涙が出てきそうだよ……やっと、私は家族皆で幸せになれる!」
「ねえ、何が目的なの!?立花!殺人を犯すって、どこで誰を殺すつもりなのよ!私が、何がなんでも……!」
参華が必死になって尋ねた。立花がこちらを向いた。その表情は、先程とは変わって、憤りに満ちている気がした。
「どこで誰を?お姉ちゃん、まだ気付かないの?私が今からしようとしてること。しょうがないなあ……一から説明してあげるよ。あのね、お姉ちゃん。私は……」
その目が見据える先に、参華がいた。
「お姉ちゃんを、殺す為に生きてきたんだ」
次回は2月14日です。




