空虚で、空白な思い出Ⅱ
俺は昔、志学亥李の前の前は、去間空って名前だった。
去間空の享年は18歳だった。大学受験っていう人生最大の壁を超えぬまま、俺は一生を終えてしまった。
俺は、はっきり言って、大学に合格する為に生まれてきた。冗談なんか言ってない。本当の話だ。
父は厳しい人だった。母は見て見ぬ振りをする人だった。俺は両親に「最も偏差値の高い大学に合格しなさい」と言われて、18年間を過ごした。
毎日毎日、娯楽も自由もないまま、俺は勉強して過ごした。何もかも、偏差値高い大学に合格する為だった。頑張っていい点数を取っても、父は「基礎を疎かにするな」「明日までに復習を済ませておきなさい」と、いつも褒める素振りを見せなかった。母は穏便に済ませたいのか、そう言われて部屋に戻る俺に、何も声をかけなかった。
特別な日だって、何も変わらなかった。ゴールデンウィークも勉強、夏休みも勉強、年越しも年明けも勉強。勿論、俺の誕生日も……誕生日に祝ってもらったことなんて殆ど無い。小さい頃はドリル、中学に上がってからは参考書や問題集をプレゼントに渡された。だから誕生日なんて嫌いだった。そんなプレゼントをプレゼントと言い張る親も大嫌いで、いつも部屋に閉じこもってた。
多分……そういうのもあって、俺は他人と話すのが苦手になったんだと思う。
どの学年になっても、俺は同級生と仲良くなれなかった。いつも付き合いが悪くて、話をしても話に乗れない。帰ったらすぐ勉強で、雑談なんか俺には出来ない。俺が見ているのは、成績の順位と自分の点数。それだけだった。
けれど、いつもいつも、俺は5位から上に行けなかった。1位から4位は、クラスの中でいつも雑談をしている男子4人組だった。
俺は許せなかった。だって、そう思わないか?いつも昼休みに勉強している俺が、昼休みに喋って笑ってる様な奴らに負けてんだぜ?俺に自尊心があったとは言わないが、俺の心はいつも、そいつらによって傷付けられた。
同級生は俺の事を「根暗」とか「気持ち悪い」とか言って、いつも避けていた。それがほとんど俺の羞恥心によるものだと、奴らは知らなかった。俺はいつも他人を避けてきた。親ですらまともに話せなかった自分が、同じ歳の赤の他人とちゃんと話せる訳無かったから、俺は話さなかった。もし誰かと話してしまったら、きっと馬鹿にされてしまうから。
また俺は、合格する為に勉強しているというのに、塾には通わなかったり、同じ学年の奴らと学び合うってことをしなかった。それも全て、俺の中で目覚めたように眠る、馬鹿げた羞恥心や自尊心の所為だった。
自分の能力を高めようとして、俺は誰かと切磋琢磨することもなく、独りで部屋の中で勉強していた。言うならば、俺は自分の能力や才能を確信して、そのくすんだ珠を磨こうともしなかった。そうやって俺は、独りで青春を過ごした。
そうして俺は、18歳になった。そこから死んだのは、4ヶ月後……18歳の8月だった。
学校から帰る帰り道、俺はゲームセンターの中から出てくる男子4人組を見つけた。いつも成績上位のあいつらだった。許せない、って感情が強くなった。だけど、俺はそれを咎められるような立場じゃなかったから、すぐに立ち去った。でも、見つかったんだ。あいつらに。
あれ、お前って確か、去間だよな?大体5位とか6位とかの。ギャハハ、それ言ったら可哀想だろって。お前も遊びに来たりすることあるんだな。俺達も、今遊んでたところなんだよ。一緒にどうだ?
そう言われて、俺は腹が立った。だから、言ってやった。俺は普通に帰ってるだけだ。遊んでたわけじゃない、って。
そうしたら、あいつらは目をパチパチ瞬きして、言ったんだ。お前って、ちゃんと話すことあるんだな、って。
あいつらは、俺がコミュ障だと思ってたらしい。まあ実際そうなんだけど、いつも授業で呼ばれた時以外は話さなかったから、多分そう思ったんだと思う。俺が流暢に喋って、びっくりしたらしい。後で聞いた話だ。
あいつらは言った。なあ、もっとお前の話が聞いてみてぇ。これからこいつの家行くんだけど、一緒にどうだ?最近流行ってるバレラグもあるぜ。え?知らない?なんだよ、なら尚更だな!来いよ、勉強の疲れも吹き飛ぶぜ。大丈夫、ちょっとくらいサボったって、誰も怒ったりしねえって。
第一、お前の目、死んでんだよ。大丈夫か?勉強のし過ぎで死んだら元も子もないぞ。ほらほら、こっち来いって!
そうやってあいつらは、俺の腕を無理矢理引っ張って、学年3位の奴の家に連れていった。そこで初めてやったのが、Ballet of Ragnarokだった。
バレラグは本当に楽しかった……あんなのがこの世界にあるんだって、プレイしてる時は何度も思ったよ。最初はボタンの仕組みもコントローラーの動かし方も分からなかったけど、次第に慣れてきて、俺は夢中で手を動かした。多分、勉強よりも。
俺を誘ったあいつらは、目を輝かせてプレイする俺を見て、肩を叩いた。お前、窮屈な思いしてたんだなって。
本当に良い奴らだった。俺が出会った中で、一番俺の事を考えてくれていた。俺がまた来ていいかと聞いたら、いいぜと答えてくれた。俺は嬉しくて、自習時間になると「友達と勉強してくる」って親に嘘をついて、殆ど毎日バレラグをプレイしに行った。
だから、だと思う。ある日、成績が落ちた。
5位から10位に、10位から20位に。そこからどんどん落ちていって、ついには100位になった。
親からは何度も責められた。元に戻せ、お前の怠惰が全ての原因なんだって、父はいつもと変わらない鬼の顔でそう言った。多分、バレていたんだと思う。隠し事をずっと隠しておくのは、出来ない……というより、したことがなかったから。
そこで、学年トップのあいつらに勉強聞けば良かったんだけどな。恥ずかしさが真っ先に出てきて、聞けなかった。それどころか、もっとバレラグをするようになった。きっと、ストレスを解消するつもりで、出来ない理由を探していたんだろう。言い訳ってのは、凄く便利だ。
だけどゲームだって、たかだか1時間、2ヶ月間プレイしていたところで、上達する訳もない。俺はどんどん敵に勝てなくなって、対戦プレイを辞めちまった。対戦なんか面白くねぇって、俺はゲームに怒りをぶつけた。
勉強も出来なくなった。ゲームも上達しなくなった。親に頭を下げる日が増えた。母の泣く声を聞くようになった。初めて出来た友達に心配されるようになった。何もかも、上手く出来なかった。
それを誰かに言える訳もなかった。誰が聞くんだ?ずっと勉強ばかりしていて、自由が欲しかったんです。やっと手に入れた自由が楽しくて、ついのめり込んでしまいました。なんて言い訳。さっさと勉強しろ、って、言われるだけだろ?重い重い鎖を、手と足と首にかけてさ。
あと6ヶ月、待てばよかったのにな。
俺は無我夢中で走り出した。俺が初めて変われたゲームセンターを通り過ぎ、向かったのは駅だった。どこかなんて、俺にはどうでもよかった。俺はただ、一心不乱に走りたかった。もう、俺は耐えきれなかった。
俺は気付いたんだ。俺は、特別な力も才能も、全て砂にして吹き飛ばしたんだって。
俺より遊んでいて、俺より頭のいい奴らがいた。あいつらはあいつらで自分達で努力して、必死に勉強していたんだ。なのに、俺はどうだ?ずっと無いものをあると信じ込み、砂を掴んで投げるように、才能を無駄にした。言うならば、俺は俺の中にあった僅かな才能を、自分の力で空費したんだ。
僅かな才能を周りに披露する恐怖と、自由の先にある罪に溺れた怠慢が、俺を走らせたんだ。俺が向かったのは、駅のホームの線路。
走るのに夢中で気が付かなかったけど、その電車は、俺が目指していた大学に行く時に使う電車だった。はは、とんだ皮肉だよな。俺は、自分の本当の自由を阻むようにして、轢き殺された。
本当に、あと6ヶ月待てば良かったんだけどな。そうすれば、大学生になって、自由が手に入ったのに。バレラグだって、その時に思いっきりできたはずだ。なのに、目の前の甘えに従ってしまった。俺は、全て失敗した。
人間は誰だって心の中に猛獣を飼っている……って、誰かが言っていた。今思う。全くもってその通りだった。俺は独りで、ただ目の前の餌に食らいつくような、そんな存在だったんだ。
その悔やんでも悔やんでも悔やみきれない後悔が、今でも俺を焼き焦がしてくる。今だって、ほら、俺すげえ泣きそうだ。でも、こんなの誰にも理解して貰えない。俺が去間空だった時のようにな。こんな姿になったのは、きっとそういう理由があったんだろう。じゃなきゃ、あの時俺を見放した神様が、また俺を見放す訳がない。俺にもう一度後悔しろって、神様が言ってるんだ。
俺は2回の人生を、何度も後悔して生きなきゃいけなかった。でも、ブランキャシアで遊び過ぎたな。へへへ。俺は、またこの激しい悲しみを胸から出せずに、涙を隠さなきゃなんねえな。これだけは、才能があったんだ。誰からも見られずに、泣くっていうの。
閉ざされたカーテンから、夕焼けの光が見えてきた。亥李はそれを見て、立ち上がった。参華が涙を流すのを見て、亥李はニッコリと笑った。
なあ、そんなに泣くなって、参華。俺の方が泣きたいのに、なんでお前の方が泣くんだよ?それじゃあ、俺の最期の頼みも出来ねえじゃんか。
今、1つ思い出したんだ。ケルベ……なんだったか。とにかく、俺の仲間に言って欲しいんだ。志学亥李は死んだって。それを、俺の今の両親にも伝えて欲しい。どんな人達だったか忘れたけど……皆いい人だったってのは覚えてるんだ。
本当は、最初に言うべきだったよな。でも、こういうのを最初に言わなかったから、俺はこんな姿になったんだ。他人の心配や意図を気にしなかったから、俺はこんな姿になる運命になったんだろうな。
亥李はそう言って笑った。その笑みは乾いていた。そして「もう、さよならの時間だな」と、外を見た。外は夕闇に包まれていた。
「まっ……待って!」
参華が亥李の尻尾を掴んだ。一瞬、参華の目の中で亥李が、獰猛な虎に見えた気がした。参華が手の震えを抑え、息を飲んだ。亥李が困ったように参華を見た。
「その手……離してくれないか?」
「……これからどこに行くの?」
「さあな……このまま動物園かもしれないし、殺されるかもしれねえし……昔のこともどんどん忘れてきてる。これから先、俺の意識があるか分からねえから、お前は俺に会わないで――――」
「なら!まだ、意識があるうちに……誕生日会、しましょう!」
亥李は最初、参華の言うことが信じられなかった。
「……それ、冗談だよな?」
「冗談じゃないわよ!あんたが覚えてるうちに……最高の思い出を作りたいのよ!そうじゃなきゃ、あんたはずっと後悔したままになっちゃうじゃない!」
参華のその叫び声が、大きなドラを叩いたように、亥李の心の中に響いた。我慢していた涙を、ぐっと堪えた。
その時だ。
「参華!亥李!」
自分と参華の名前を呼ぶ女の声が、扉の方から聞こえてきた。猫耳の少女と、杖を持った少年だった。
それが自分の大切な仲間達だと気付いたのは、時間がかなり経ってからのことだった。
今回の章「陸への憧れ、海への想い」は人魚姫をモデルにしています。ですが人魚姫要素はまだあまりありませんね。
次回は1月10日です。




