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にゃんと奇妙な人生か!  作者: 朝那月貴
陸への憧れ、海への想い
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空虚で、空白な思い出Ⅰ

 最初に感覚があったのは、自分の右足だった。

 亥李に触れた手がぴくりと動く。亥李と共に飛ばされたのは、電気もついていない薄暗い部屋だった。夕方のことだった。


「よし、着いたわよ。私の部屋」


 参華が静かに声をかけた。亥李がそわそわと尻尾を折りたたみ、周りを見回した。

 女性らしい小物や人形などは一切なく、少しの化粧品と簡素な鏡が置いてあるだけだった。テーブルはなく、白い宅配のダンボールの上に緑のチェックの布がかけられていた。


「ごめんなさいね、貧乏臭い部屋で」


 参華が冷蔵庫に向かい、その場に座り込む亥李を見た。その亥李の姿に、彼女はまた狼狽えてしまった。だが、慌てて声を整え、冷蔵庫を開けた。


「えっと……缶ビール2本しかないんだけど、いいかしら?他のが飲みたかったら買いに行くけど」


「いい。お前に……参華に、迷惑はかけられない」


 亥李のその弱ったような声が、さらに参華の胸を締め付けた。参華は何も気にしない振りをして、ダンボールの上に缶ビールを2つ置いた。缶を開け、参華はそれに口付けた。そのビールは、いつもよりも苦かった。


「参華は……昔、俺と仲良かった……よな?」


 亥李が確認するように聞いた。参華は頷いた。


「亥李……私のこと、どこまで覚えてる?」


「せいれい……なんとか、って奴のリーダーで、俺の所属してたケルベロスアイとよく戦ってた……ぐらい」


「今、私達がこの世界にもう1回転生していることは?」


「それは……覚えてる」


「じゃあ……皆で戦ったことは?例えば詩乃とか」


「しの……しの……?」


 まずい、と参華は思った。一緒に過ごした詩乃のことも思い出せないなんて。参華はビールを1口飲んだ。


「亥李。教えて。何があったの?なんで亥李は……そんな姿になったの?」


 参華が亥李の頭の先から足の先までじっと見つめた。亥李の虎の耳がピクピク動いた。

 亥李は少しビールを飲んでから、語り始めた。



 確か数日前、俺は参華達を追い出して、自分の部屋で引きこもってたんだ。アンチコメみたいなの見つけた時だ。


 その日の夜、いてもたっても居られなくなって、俺は外に飛び出した。どこへ向かっていったのかは分からないけど、多分行き先は川だったんだと思う。歩道橋の上で、声が聞こえた。俺の事を呼んでたんだ。その声と話して、それで……こっちにおいでって、歩道橋の奥から聞こえたから、そっちに向かって走ったんだ。走って走って……気が付くと山の中に入っていった。


 山の中で、俺は無我夢中で走っていった。無我夢中で走っていくうちに、俺は自分の両手両足で地面を蹴っていた。なんだか身体中が力強くなった感じがして、心做しかブランキャシアの時を思い出したんだ。軽々と石を飛び越えて、川にたどり着いた。そこで、俺は見つけたんだ。この、耳と尻尾を。


 最初見た時は本当に驚いた。よく見ると、腕なんかも少し金色の毛が混じってた。最初、俺は信じられなかった。虎の耳と尻尾が生えてるって、信じられるか?普通。


 次に、これは夢だと思った。前に、誰かから……ケルベロスアイの仲間だったかな。そいつらから、これが夢だと分かった夢を見たって聞いたから。でも、それが夢じゃないって知って、俺は呆然とした。そして怖くなった。なんでこうなったのか、自分でもよく分からなかった。確か、誰かと話したんだと思う。でも、暗くてよく分からなかったし、どんな顔だったかも思い出せない。


 だから、分からなかった。なんでこうなったのか、全く分からなかった。でも、結局……理由も分からずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由もわからずに生きていくのが俺達生き物の定めなんだ。俺はすぐに死ぬことを考えた。けれど、俺がこうして生きているってことは、死ぬのは止めたんだろう。山からどうやって降りて来たのか、今の俺には分からない。


 今の俺には、最近の記憶が無いんだ。数時間前ぐらいから、徐々に、徐々に、徐々に……最近のことをぼんやりとしか思い出せない。参華のことは1番覚えてるんだけど、他は……ブランキャシアにいた時のことも覚えているか怪しい。

 

 このまま俺がどうなるかは分からない。でも、このまま記憶がどんどん消えてしまったら……そして、全てを忘れてしまったら、俺はきっと、見境なく喰らう猛獣になると思う。人間を忘れるってことは、そういうことだ。


 きっと俺はこうやって、昔のことをどんどん忘れて、新しく芽生えた獣の習慣に埋もれさせていくんだろう。二足歩行も言葉も忘れて、ただ動物園の中で、人間に自分の体を見せて動き回るだけの猛獣になるんだ。お前のことも区別がつかなくなって、動物園の中で愛嬌を振りまいているかもしれない。知己(とも)だとは分からないかもしれないな。


 猛獣の体に変貌してしまったら、俺はきっと幸せになれるんだろう。なのに、俺は今それが、恐ろしくて恐ろしくてたまらない。


 お前には分かるか?この寂しさが。この恐ろしさが、この切なさが。きっと分からないんだろう。俺と同じ、人間を忘れてしまう奴じゃないと、この気持ちは分からない。


 そうだ。ところで、頼みたいことがあるんだ。もし、本当に人間を忘れてしまったら……遺せるものも遺せないから。



 参華は亥李の話を、息を飲んで聞いていた。亥李は語り続けた。



 他でもない。俺が元々、ゲームをしまくってたのは知ってるだろ?Ballet of Ragnarok。昔、友人にやらされて、それで初めてプレイしたんだけど……楽しくて、この姿になるまでずっとプレイしてたんだ。

 大会とかにも参加しなかったし、ずっと協力プレイばっかしてたけど、それでも楽しかった。


 だけど、こんなことになってしまって、もう遊べるかどうか分からなくなった。だから、お前に俺の思いを託したい。俺の、今までプレイしてきた思い出や、記録……社会不適合のレッテルを自ら貼り付け、心を狂わせてプレイしたゲームへの思いを遺さないでは、死んでも死にきれない。



 亥李はそれから、Ballet of Ragnarokへの考察や今まで戦ってきた敵の攻略情報、強いスキルや強い武器、そして亥李自身のBallet of Ragnarokへの思いを語り始めた。

 参華はそれを、感嘆しながら聞いていた。だがそれと同時に、彼女は漠然と、次のようなことを疑い始めた。その思いは確かなはずだが、なんだか軽薄に聞こえてしまった、と。

 ゲームへの思いを語り終えた亥李は、嘲笑うかのように言った。



 きっと……この思いは、大会に出ているような奴より薄っぺらで、対戦を真面目にしてるような奴より重みがないなんだろうな。俺は、協力バトルしかしなかった。たまに対戦はしたけど、あまり得意じゃなかったんだ。


 なあ、参華。これだけ俺の思いを語っても、バレラグそのものに思いが伝わる訳でもないし、俺の中をスプーンか何かで掻き出しても、これだけしか思いがないんだ。薄っぺらで、重みもない。俺はこれで最後になっちまうんだ。なあ参華、笑ってくれよ。俺は掻き出しても掻き出しても、これっぽっちしか中身がないんだ。


 特別な才能も、特別な力も無く、俺はただ人生を食い散らかすように生きて、そうして大した目標も願いもないまま、こんな運命になってしまった。これからどうなるかも分からない。俺に残っているのは本当に僅かしかなくて、その僅かな残り物も、塵や粕にしかならないんだ。そんな俺を、山やら月の光やらが、俺を叱りつけるみたいに見ているんだ。お前の人生は、それしかない、って。



 参華はその言葉を、ただ静かに聞いていた。涙を堪えていた。亥李の涙につられそうになったというのもあるのかもしれない。

 亥李は涙を手で拭い、言った。



 参華。ずっと聞いてくれて、ありがとうな。俺はもう、お前の本当の名前や、お前と話したことを忘れてきてしまっているけど……お前はそれでも、辛抱強く聞いてくれるんだな。本当に……心の底から、嬉しい。


 だけど、もう少し付き合って欲しいんだ。今、少しずつ思い出してるんだ。というより、今のことを忘れて、過去のことがくっきりと浮かんだような感覚だ。それを振り返ると、確かに俺は、この姿になるべくしてなったのかもしれないと思う。


 それを、聞いて欲しいんだ。もしかしたら、これでお前と話すのは、最後かもしれないから……なんだよ。泣くなよ。お前が泣くのは違うだろ?お前はいつだって、凛としてて、強い奴だろ?俺とは違ってさ。



 亥李が自嘲気味に笑った。参華は涙を拭い、言った。


「私は……強くなんかないわよ。あんたの方が、ちゃんと面と向かってて……」


「ちげえよ。お前の方が、よっぽど強い。俺の《絶対命中(ラッキーヒット)》も、お前よりずっと弱いしな。だから……聞いて欲しいんだ。強いお前に、ずっと弱かった俺のことを、少しでも覚えていて欲しい。俺は忘れるかもしれねえけどよ」


 参華はそれを聞き、溢れる涙を拭って「うん」と頷いた。

 亥李は安心したように、また語り始めた。

あけましておめでとうございます!

今年も「にゃんと奇妙な人生か!」をよろしくお願いします!

次回は1月7日です。


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