豹変
待ちに待った誕生日会になった。
この日は亥李以外の全員が朝10時に零の家に集まり、飾り付けや料理の支度をしていた。美波とナリはキッチンでケーキの準備や昼食の用意をしており、他の5人はリビングに買ったものを飾っていた。
「ねー、亥李いつ呼びに行くの?」
詩乃が星のオーナメントをテーブルの上に飾りながら聞いた。
「料理の準備が粗方終わったらね。料理長、どうかしら?」
参華がナリに話を振ると、キッチンに立っていた美波が代わりに「もうすぐいい感じになるよ」と笑って教えた。ナリは1人で、ケーキにクリームを塗るのに必死になっていた。
「ちゃんと呼べるの?」
「呼べるって。任せなさいよ、千里」
「僕としては、最近猛獣の唸り声が聞こえるとか言われてるから、少し心配ではあるんだけど」
千里のその話に、零とナリが振り向いた。陽斗も頷いた。
「その話ね。僕も聞いたよ、最近唸り声が住宅街に聞こえて困ってるって。その地域、亥李の家の辺りかもね」
詩乃がそれを聞きつつ、テレビの電源を入れた。ローカルニュースを放送していた。
「続いてのニュースです。唸り声が聞こえるという通報が山風町で相次ぎ、問題となっています」
全員の目がニュースに釘付けになった。ニュースキャスターから住宅街の画面に切り替わり、女性のニュースキャスターがマイクを手に取って住宅街を歩いていた。そこは、亥李の家に近かった。
「山風町南部の住宅街です。昨日未明から「猛獣の唸り声が聞こえる」という通報が相次ぎました。この辺りの住宅で猛獣の目撃情報はなく、警察は動物園から猛獣が脱走したものとみて、保健所と共に調査を続けています。見つけ次第近くの動物園に返すということです。現場からお伝えしました」
参華が自分の《魔源収納》の結晶に触れた。そして、彼女は近くにいた詩乃に装飾品を押し付けると、千里を見て言った。
「ごめん。ちょっと早いけど、迎えに行ってくる。千里、着いてきて」
「うん、分かった」
全員から「いってらっしゃい」「気を付けてね!」という声をかけられ、2人は出かけていった。参華の顔には緊張が走っていた。
「……遠谷参華」
「大丈夫。大丈夫よ。亥李を連れていくのに護衛がいるかもしれないだけ」
「いや、そうじゃなくて。もし猛獣と出会った時のことを考えて僕を連れてきたんだろうけど、何か思い当たることでもあるの?まるで……猛獣と絶対に遭遇するみたいな」
千里のその言葉に、参華の心臓はドクッと動いた。参華は曖昧に笑った。
「絶対ではないわよ。でも……なんとなく、嫌な予感がするの。鳴き声は聞こえるけど姿は見えない猛獣って……往復異世界転生者の事件に思えるから」
参華はそう言って、亥李の家の方へ足早に向かった。彼女の頭の中では、亥李に誕生日会の参加を聞きに行った時のことが、脳内で再生されていた。
亥李の住む住宅街に着くと、警察官や保健所の職員が何かを探していた。無線で連絡を取り合っているようで、無線機を手に持つ人物が多かった。
「もしかして……」
見つかったのでは、と千里が言おうとした所で、止めた。参華が保健所の職員に話しかけられていた。
「危ないですから逃げてください!また猛獣の鳴き声が聞こえたんですよ!」
その職員は切羽詰まった表情をしていた。
「見つかったんですか?」
「いえ、まだ……この近くの公園にいると思うんですが、見つからないんです。危ないですから家の中で隠れていてください!」
そう言って職員はまた去ってしまった。
「とりあえず、亥李の家行きましょ」
後ろ髪を引かれている千里を連れ、参華は亥李の家に行った。
亥李の家にたどり着き、チャイムを押した。しばらく時間が経ってから「はい」という声が聞こえた。亥李の母親だった。
「あ、遠谷参華で」
「参華さん、すぐに入ってください。静かに」
その声はとても切羽詰まっていた。お互いに顔を見合わせ、2人は家の中に静かに入っていった。
「あの……一体どうしたんで――」
参華が亥李の母親に言いかけた、その時。
「ガルルルルル……」
小さく、そしてはっきりと、その唸り声は聞こえた。2階からだった。参華が驚いて亥李の母親を見ると、彼女は泣きそうな声で言った。
「この前から……ずっと、この声が息子の部屋から聞こえてくるんです。猛獣の唸り声がするって、警察の方も来られて……その時は適当にシラを切ったんですが、もうバレてしまうのも時間の問題なんです。息子にも聞こうとしたんですけど、来るなと言われてしまって」
涙目の彼女が天井を見上げる。まだ唸り声は聞こえていた。
参華はそんな彼女を見て、意を決したように彼女を見た。手には《魔源収納》の結晶が握られていた。
「……お母さん。亥李の部屋、行かせてください」
母親が息を飲んだ。千里が「正気?」と尋ねる。
「どうせ亥李のことだし、夜に動物連れてきたとか有り得ないんですよね?お母さん」
「はい……でも、参華さん……」
「大丈夫です。護身くらいなら私達も出来ます。それに……このままじゃ、お母さんの立場が悪くなっちゃいますから。私達に任せてください。任させてください」
参華のその真っ直ぐな目を見て、亥李の母親は心配そうに「お願いします」と頭を下げた。千里に「行くよ、千里」と声をかけ、2階に上がった。
「どうする気?」
「まず状況が掴めないから確認ね。千里、お母さん来ないか見張ってて」
参華が《魔源収納》の結晶を握った。参華の槍が現れ、彼女の手に握られた。
「分かった。何かあったら援護する」
千里も自分の杖を《魔源収納》の結晶から取り出した。
「それじゃあ……いくわよ」
深呼吸をして、参華は扉を開けた。
「ガルルルルル……!」
そこにいたのは、亥李ではなかった。
紙は引きちぎられ、鏡は割れ、布団から羽毛が飛び散り……荒れた部屋の中心にいたのは、前屈みになって威嚇する、人間とは呼びにくい存在だった。虎の尻尾、耳、両手両足を備え、唸り声を上げるその存在は、虎の獣人族に近かった。
「獣人族!?」
千里のその声に驚いたのか、その存在は数歩下がり、警戒するようにこちらを見ていた。
しかし、突然その存在がなにかに気がついたように参華の顔を見た。「来ないでくれ……」と、その存在が言ったように参華は聞こえた。
その声は、参華の大切な友人の声に近かった。
「ねえ!亥李……でしょ!?」
思い切って声をかけた。千里が「いや、多分ちが……」と言いかけたが、千里もそうじゃないかと疑ってしまった。確かに、まだ変貌していない顔立ちは亥李に似ていた。
その存在がさらに警戒を強めた。参華は槍を《魔源収納》の結晶の中にしまい、続けた。
「今の声!亥李なんでしょ!?」
参華がその存在に近付いた。その存在は大人しくなり、参華が頭を撫でた。すると。
「……なあ……やめてくれよ……こんな俺に優しくするのは……さぁ?」
弱々しい声で、その存在が呟いた。それは、間違いなく亥李の声だった。
「本当に……亥李なの?」
「ああ……そうだよ。俺は志学亥李。もう……人間じゃないかもしれねぇなあ?」
泣きそうな声で、彼は答えた。そして、彼は言った。
「悪い……もう、頭がぼんやりするんだ……お前らが誰かもぼんやりとしか思い出せない。どんどん、記憶が抜け落ちてってるんだ……ここ最近のことから、全て」
参華と千里は、言葉を失った。記憶が抜け落ちているなんて、常識的ではない。
「僕達は……君の誕生日会に、呼びに来たんだけど」
千里が言うと、亥李は笑った。
「もう……お前らのこともちゃんと思い出せないのによ……俺の誕生日会なんて、誰が行けるかよ?これから、忘れていくってのに」
亥李が俯いた。参華と千里は、何も言えなかった。
だが、参華はその亥李の肩を掴み、真剣な目で言った。
「ねえ!話そう……ビールでも飲んでさ!2人っきりで……私の部屋にしよう。私の部屋で、ビール飲んで、テーブル囲んで、話そう!ね!」
参華が優しく笑った。亥李が涙を堪えつつ「どうやって……だよ」と尋ねた。参華がくるりと後ろを振り返る。その目線の先にいた千里が溜息をつき「行き先は?」と聞いた。
「さっすが千里。以心伝心ってやつね」
「どうせ僕に飛ばして欲しいんでしょ。誰にも見られずに遠谷参華の家に行く為に。具体的に言われないと《刹那疾走》出来ないからね」
「分かってるわよ。ここから南南西に1キロ、やまかぜハイツの201号室、遠谷参華の家。それと、あとでナリと一緒に来てちょうだい。よろしく!」
それを聞き、千里は杖を参華と亥李に向けた。参華が亥李の肩を掴む。そして。
「《刹那疾走》」
千里がそう唱えると、杖の先から白い光が現れ、参華と亥李の周りをくるくると浮遊し始めた。杖を千里が右上から左下に動かすと、光は参華と亥李を一瞬で消してしまった。
(はあ。これ、僕が志学亥李の母親の説得しなきゃいけないでしょ。同じ獣人族だからって、猫と一緒に任せようとして。なんだか損した気分だ)
千里はそう思いつつ、杖を《魔源収納》にしまい込んだ。そして、1階に降り、心配そうな目をしていた亥李の母親を見つめた。
「あの……参華さんの弟さん……ですよね。唸り声が、聞こえなくなりましたけど……?」
「とりあえず、僕は遠谷参華の弟じゃない」
千里は頬を膨らませてから、言った。
「大丈夫。唸り声はなんとかした。警察が来たら、何もないって言って。志学亥李は……正直、どうなるかは分からない。でも……なんとかなるかもしれない。とにかく、少し待ってて。それと、上から唸り声以外の声を聞いていたなら、今すぐ忘れて」
千里は亥李の母親にそう告げて、家から出ていった。
亥李の母親は心配そうに、千里を目で見送った。
クリスマスプレゼント分です。
この回で年内最後となります。それでは、良いお年を。
次回は1月3日です。




