サイファー
一瞬の沈黙の後、「ええ!?」と言う声が零から出た。隣にいる詩乃がうるさそうに彼を見つめる。だがそれも気にせずに、彼は「本当かよ!?」と聞いた。
「か、亥李……アリスって、亥李だったの……?」
ナリが確認するように、座り込んでいる亥李に聞いた。亥李は未だ固まっているままだった。
「……いい加減諦めたら?羽佐間アリス」
参華は溜息をつき、亥李をたしなめた。
「え?は……羽佐間アリス?」
詩乃が驚きの目で亥李を見た。亥李はバツが悪そうに、全員の顔を見比べた。そして。
「…………ナリ。零。騙すようなことをして悪かった。俺も……いつか、言おうとは思ってたんだよ。でも、結局言えなかった。俺は……お前がバレラグしてた時、配信してる時以外はずっと見てたんだ。ナリのアカウント、分かりやすいからな」
そう言って、彼はナリの目をまっすぐ見た。
「俺は……羽佐間アリス。羽佐間アリスって名前で、バレラグのボスの攻略方法なんかを配信してるんだ。それで稼いでたりしてる」
それを聞いて、真っ先に反応したのは詩乃だった。
「ええ!?亥李って配信者だったの!?引きこもってるだけじゃなくて!?しかもあの羽佐間アリス!?」
「まあな。すくねぇけど、小遣い程度には稼いでる。悪いな、ナリ。お前を驚かしちまって。ずっと、ちゃんと上手くやれてるのか、見てたんだ。手伝ったりもして」
「い、いや、そんなのはいいんだけど……亥李、働いてはいたんだね」
ナリのその言葉を聞いて、亥李は少し俯いた。
「……俺だって、変わろうとは思ってんだよ。前のゴミ溜まりみたいな人生と、同じにはしたくねぇんだ。でも、結局こうなって……せめて、見知った人間以外の奴と話せるくらいにはなりたくて、始めたんだけどよ」
亥李はそう言って、パソコンに目を移した。SNSの検索画面が映し出された。「コカトリス」「羽佐間アリス」の2つのワードの検索結果を常に表示していた。
「ほら、こんな感じにSNSで情報拾って、実践して、これだ!って方法見つけたら配信して……あとはたまにエゴサしてる感じだな」
亥李はナリにその画面を見せた。「コカトリス」の検索欄は、流れるように新しい投稿が増えていた。
「ほんとだ。「ブロッカーlv196以上で羽に拘束射撃するとダメージ大幅縮小」……うーん、私には気が遠い話だなあ」
「いやいや、今のナウリュならすぐにランク196になるって。そしたらレベル196のブロッカーガンくらい簡単に買えるからよ。で、そんなことより、拘束射撃だと?あんな初心者しか使わない射撃なんて、レベル196ブロッカーガンの奴らは誰も持ってねえよ」
「拘束射撃?」
「おう、そうだ。レベル1ブロッカーガンから取得出来る、糸で敵の攻撃を封じるだけの簡単な妨害だな。ランクがどんどん高くなるほど、それは必要なくなるんだよ。皆避けるの上手くなるからな。だから、レベル150から搭載してる人は少なくなるんだが……」
そう言いつつ、亥李はSNSに「lv196拘束射撃とかないよねwやっぱタンクとサポーターで封じるしかないっしょwww」と投稿した。その後も、亥李はSNSで「コカトリス」の検索結果をじっと見つめていた。
「なあ、なんでお前、亥李が羽佐間アリスだって知ってたんだ?」
ナリと亥李がパソコンを見て楽しんでいる間、零は隣にいる参華に聞いた。詩乃が「あ、それ、めるも気になってた!」と賛同する。
「何回か配信してるの見たことあるのよ。酒誘いに行く時、配信してるから断るって何回も言われてね」
「ふーん……でも、亥李があの羽佐間アリスなんて……」
「……なあ、詩乃。さっきから言ってるけど……あの羽佐間アリスって、お前何を知って――」
零が言いかけた、その時。
「んあああああ!!」
亥李の怒声が聞こえてきた。全員が驚きの目を亥李に向けた。亥李は怒りを見せながら言葉を続けた。
「ダメなのか!?タンクとサポーターならいけると思ったんだけどよ!」
亥李がそう叫んだ。亥李はBallet of Ragnarokでシミュレーションをしていたらしく、サポートを受けたタンクのキャラクターが倒れたのを見ていたようだった。隣にいるナリが、びっくりしたように耳をピクピク動かしていた。
亥李はSNSの画面にまた戻し、苛立ちながら画面をスクロールした。
「……ねえ、亥李」
ナリが、画面の端に見つけたものを、右手で指さした。
「ん?なんだ!?」
「「羽佐間アリス」の方の検索結果……動いてない?」
ナリが指さす先を、亥李も見た。ナリの言う通り、「羽佐間アリス」の検索結果に、新しい投稿が追加されていた。先程亥李が投稿したものへの返信だった。
「また「俺だけは違う」アピール?w」
「拘束射撃とかブロッカーの基本中の基本なんですけど…」
「アリスっていつも「自分なりの攻略方法」って配信してるけど大体参考にならん」
先程まで怒りを露わにしていた亥李が、大人しくなった。投稿はさらに増えていった。それらは、ほとんどが「羽佐間アリス」への悪口だった。
「この人教えてるフリして貶してるよね」
「対人最強格サポーター信者の末路」
「ありがとうございます!ブロッカー使います!」
「基礎を疎かにしたツケ回ってて草」
ナリが、しまった、という顔をして零を見た。零は助け舟も出せないまま、亥李を見つめることしか出来なかった。
参華と詩乃が顔を見合わせる。どうしようもならない、という顔をしていた。
亥李は、流れるように増えていく悪口の投稿を、ドライアイになるかと思うほど目を見開いて見ていた。
「基礎を疎かにしたツケ回ってて草」
その言葉が、亥李の頭の中で響いていた。
「基礎を疎かにするな。疎かにした者ほど、周りに追いつかれて痛い目を見る」
走馬灯のように、その冷酷な言葉が聞こえた気がした。
亥李が心臓を服の上から押さえつけた。早まる鼓動を鎮めるために。
「か、亥李……?」
ナリが心配するように亥李を見た。だが、亥李はそんなナリも見ずに、小さく呟いた。
「…………帰れ」
「で、でも」
「帰ってくれ!!」
亥李が非常に大きい声で叫んだ。その場にいた全員が、ビクリと反応した。
ナリは戸惑いながらも、亥李をフォローするために声をかけようとした。しかし、それを制する者がいた。
「ナリ、零、詩乃。今日は帰りましょう。亥李、また来るから。じゃあね」
参華だった。
参華は零と詩乃を一瞥し、扉を開けて階段を降りていった。詩乃も戸惑った顔をして「じゃあね」と告げ、階段を降りた。零は、困ったように立ち上がったナリを連れ、下に降りていった。
「……やはり、ダメでしたか?」
下の階では、亥李の母親が不安そうに参華を見ていた。参華が首を横に振る。亥李の母親は悲しそうに「そうですか」と言った。
「叫んでいるのが聞こえたので、もしかしたらと思いましたが……」
「……すみません。大見得切った割に息子さんを外に出せそうもなくて」
参華が申し訳なさそうに言った。それを見て、亥李の母親が静かに微笑んだ。
「いいんです。説得できない私達が悪いんですから……また、いらしてください」
亥李の母親がそう言って、4人を見送った。4人は沈みゆく太陽の光に照らされながら、とぼとぼと歩いていった。
「……お前ら、ああなるって知ってただろ」
零が参華と詩乃の方を向いた。参華と詩乃はお互いに顔を見合せた。そして。
「……いつかああなるとは思ってたわよ。でも……言えなかった」
参華が、静かに言った。
「あいつにそんなこと言ってしまったら……絶対に傷付くわよ。そんなの言えないでしょ?」
「それにさ……多分、参華が言わなくても、いつかはああなってたよ。気にしなくてもいいんじゃない?」
詩乃がぶっきらぼうに言った。全員の目が詩乃に集まった。
「なあ、詩乃。やっぱお前、羽佐間アリスのこと……」
零が言うと、詩乃はそれを遮った。
「知ってたよ。羽佐間アリス、よく他人の忠告聞かないで炎上してる配信者。本人がその炎上について言うことはないんだけど、もしかしたら今回初めて認識したかもね」
詩乃は、何事もないかのようにそう言った。
ナリはただ不安に思いながら、家路を帰った。
その日の夜。
亥李は自分の呼吸の音を聞きながら、まだパソコンに映るSNSの画面を見つめていた。
「この問題をどうして間違えた。基礎を疎かにしただろう。もう一度解き直しなさい。もう二度と間違えてはならない」
生涯一度も褒めることのなかった昔の父を思い出した。また呼吸の間隔が早くなった。
「……お、俺には……《絶対命中》が……」
震える声を整え、《魔源収納》の結晶を見つめた。だがその結晶の中に収納された剣は、前の戦いでほとんど《絶対命中》を当てることが出来なかった剣だった。亥李の頭に、攻撃を外した光景が思い浮かんだ。
「……た、たまたまだって……それに、あのダンバーの体じゃねえしよ……」
自分の声が更に震えたのを、亥李は感じていた。
自分の部屋に居られなかった。自分の部屋に居たくなかった。彼は逃げるように階段を降りた。階段を降りた先で、誰かとぶつかった。
「亥李……」
それは、志学亥李の父親だった。彼はスーツ姿のまま、優しく声をかけた。
「勉強はどこまで済んだんだ。早く部屋に戻りなさい。休息などあってはならない」
冷酷な昔の父の声が、また頭の中で響いた。
「――っ!」
亥李はいてもたってもいられずに、家の外に走り出した。両親が止めるのも聞かずに。
目指したのは零の家だった。零の家は、亥李の家から最寄り駅に対して線対称に位置していた。なぜ零の家だったのかは、彼には分からなかった。
流れる人をかき分け、歩道橋を走った。車が川の流れのように走っていた。亥李の息は切れ、彼が歩道橋の真ん中で足を止めた、その時。
「お兄さん、ずいぶん疲れた顔してるっすね」
いつの間にか、歩道橋にもたれ掛かるように座る人物が、亥李を嘲笑するように見ていた。紫色のフードを目深に被り、手には手鏡が握られていた。手鏡には、貝殻と羽の生えた妖精が彫られていた。顔は見えなかったが、声は少女のものだと分かった。
亥李がそちらを振り向くと、彼女は笑った。
「ちゃーんと見ても酷い顔。お兄さん、良かったら占いましょっか。私、こう見えても占い師なんすよ」
「……金なら持ってねえから、他を当たってくれ。今忙しいんだ」
「まあまあ、そう言わずに。《あなたは誰?》」
手鏡に彼女はそう唱えた。それは魔法のようだった。
「へえ、あなたの今のお名前は志学亥李。その前はダンバーで、更にその前が去間空、っすね。死因は交通事故。電車には気を付けなきゃダメっすよ?」
彼女が言い当てた情報は、全て正確だった。亥李が「なんで、それを……」と近寄った。車の走る音が、2人の耳に届いた。
「言わなくても分かるんすよ。ま、なんでかは企業秘密って奴っすけど……言い当てましょうか。亥李さん、あなたは自分の思い出が嫌になって、いてもたってもいられなくなって逃げてきた。そうでしょ」
彼女の口元が、クイズに正解して喜ぶ子供のように緩んだ。亥李は衝撃で何も言えなかった。
「図星っすね。過去ってのは厄介で、自分が傷付いた過去も、誰かに蹴落とされた過去も、全部変えられないんすよ。そして、周りは忘れても、当人は忘れたくても忘れられない。苦しいっすよね」
亥李は黙っていた。彼女は続けた。
「そんな亥李さんには……いい魔法をかけてあげましょっか。大丈夫。あなたには、危ない方は使わないっすから。あなたには、こっちがお似合いだ」
そう言って、彼女は「ニシシ」と笑った。そして。
「人間は誰でも、猛獣を飼ってるもんっす。人間の規格とは別にね。あはは、猛獣になれたら素敵っすよねぇ。自分の好きなように生きていける。過去なんて全部忘れてさ。大丈夫、代金は結構です。代わりに、死んでも後悔してないような奴を、紹介してくれればいいっすから」
彼女がまた、手鏡に手を添えた。亥李の体が、ぐっと重くなった気がした。
「《契約完了》」
彼女の笑い声は、車の走る音にもかき消されず、よく聞こえた気がした。
メリークリスマス!
読者の方へ素敵なクリスマスプレゼントをお渡しする予定だったのですが、忙しかったので次回に回します。何かはお楽しみに。
次回は12月27日です。




