生き物の定め
「綺麗……」
美波は、色とりどりに輝くススキ花火を見て、そう呟いた。シュー、という花火の音と、近くで聞こえる美波の小さな歓声が、陽斗の耳に届いていた。
「こういうの……写真に収めたくなるよね。スマホ持ってるから、撮ろうか」
「だーめ。こういうのは、頭のファイルに保存するものなの。後で写真見ても、今、この瞬間の感動は、もう二度と訪れないんだから」
美波が、意地悪っぽい顔をして笑った。その顔が、陽斗にとっては何よりも釘付けになった。陽斗は慌てて目を逸らした。
「……ねえ、陽斗くん」
美波が、静かに聞いてきた。彼女の黒目は、色とりどりに変化する花火を反射していた。陽斗が、横目で美波を見た。
「陽斗くんはさ……この世界に帰ってきて、どのくらい、思い出、出来た?」
美波のその優しい声が、陽斗を思い出に立ち返らせた。
「……美波と、初めて出会った講義のこと。昔の俺が、学生企業を立ち上げたって知って、自殺を考えたこと。毒島安寿に出会ったこと。美波達が、助けに来てくれたこと」
美波が、静かに陽斗の方を向いた。シュー、という音が小さくなっていく。陽斗はそのまま続けた。
「気絶して、気が付いたら皆が俺の顔見てたこと。零に背負われて帰ったこと。真夏の山風町に雪が降ったこと。君が氷結の女王の所に向かったこと。ケルベロスアイと零の皆で、氷結の女王を倒したこと。旅行の準備をして、千里と大人について話したこと。そして、旅行に来たこと」
陽斗は一気にそう言って、「……こんなものかな」と上を向いた。夏の大三角が、空に瞬いていた。もう、シューという音は、聞こえなかった。
「ふふ、結構増えてきたね。それで、詩乃ちゃんを助けて、花火して……昔のことを忘れるような楽しい思い出、になったかな?」
陽斗の顔を、美波が覗いた。暗闇でも、美波の顔はよく見えた。小さなロウソクのせいかもしれない。優しい顔をしていた。
「……当然だよ。昔のことなんて忘れるような……すっごく楽しい思い出ばっかり」
「それなら良かった!ちょっと心配してたんだ」
美波が嬉しそうに、前を向いた。
「……ねえ、陽斗くん」
「うん?」
美波は、優しげで、切ない目をしていた。陽斗が、不思議そうに美波の顔を見つめた。
「私達……ずっと、こうやって昔の仲間で騒いで、遊んで……そういうことが、いつまでも出来るのかな」
陽斗は答えられなかった。答えたくなかった。
「例えば、陽斗くんは昔殺された会社を忘れてさ。私は、昔大好きだったくまるんや、嫌われてた溝口さんのことも忘れて……いつかそのまま、皆の事も忘れてしまいそう」
陽斗は、何も言えなかった。美波は続けた。
「……ねえ、陽斗くん」
美波も、上を向いた。空に光る星が、とても綺麗だった。
「私達……いつまで昔のこと覚えてるんだろうね」
その疑問には、その場にいる誰も答えることが出来なかった。
「花火に火をつけて……わっ!」
千里は詩乃に教えて貰った通り、スパーク花火に火をつけた。火花は外側に弾け、オレンジ色に輝いていた。千里はそれに顔を近付け、面白そうに眺めていた。
「千里ー、そんなに顔近付けたら危ないって。もうちょい離れて――」
「こんな筒の中に、どうしてこれだけの火薬が詰め込めるんだろう。それに、さっきのススキ花火と見た目は変わらないのに、どうしてこんな違う形状の花火が?うーん……」
千里は詩乃の話も聞かずに、ぶつぶつと呟きながら花火を眺めていた。詩乃は呆れながら、千里の頭を無理矢理掴み、花火から離した。
「詩乃、やめてよ。せっかく観察してたのに」
ムッとした顔で、千里が詩乃の方を見る。
「その観察が危ないってさっきから言ってんじゃん。もう……だから稲子谷奏太に誘拐されたんだよ」
詩乃が呟いた。千里が「いした……え?なんのこと?」と聞き返した。何も思い出せないようだった。
「あーはいはい、覚えてないんだったっけ……」
「何の話?」
「いや、大丈夫。関係ないから」
千里はそれを聞いて、「ふーん……」と呟いた。そして、詩乃の隣に座り「ねえ、詩乃。体大丈夫なの?」と聞いた。
「体?」
「暴走してたのはほんの3時間前なんだよ。詩乃はもう平気なの?」
「んー……うん、もう大丈夫かな。千里は?千里も結構重体だったよね」
「僕はもう全然大丈夫」
「なら良かったー。めるのせいで傷ついたんでしょ?大事にならなくてほんと良かった」
「土屋美波に回復してもらったのが大きな要因だけどね」
「なら美波に感謝しなきゃね。そういえば千里が人のこと心配するの、すごい珍しいじゃん」
詩乃がそう言うと、千里は少し苛立ちながら呟いた。
「いいじゃん。僕だって誰かの心配くらいするよ。それに、気になってたし」
と呟いた。詩乃は「そういえばそういう人だったね、千里は」と笑って、亥李から渡された線香花火を取り出した。
「気になってたといえば、詩乃」
千里が持っていた花火は、もう火花を散らすことをやめてしまった。千里はそれを、水を張ったバケツの中に乱雑に入れ、新しく線香花火を取り出した。
「んー?」
「1つ、ずっと気になってたことがあるんだ。僕は教えたのに、詩乃は教えてくれなかったから」
パチパチパチと小さな音を立てて、丸い火が、2人の花火に灯されていた。
「詩乃は……本当は、なんて名前だったの」
詩乃は、言葉に詰まってしまった。千里はそんな詩乃の顔も見ずに、続けた。
「僕の本当の名前は若木健人。病気でほとんど外に出ることもないまま、死んでいった。それは前に言ったはずだ。でも、詩乃は自分の本当の呼び方も無理矢理変えて、本当の名前も教えてくれなくて。ただ「海で大好きだった人に殺された」としか教えてくれなかった。それはどうして?」
千里はそう言ってから、「教えてくれないならそれでもいいけどさ」と付け足した。詩乃は口の中で歯を噛みしめた。一気に口の中が乾いた気がした。
千里はそれから、黙って線香花火を見つめていた。詩乃が何かを言うのを、待っているようだった。詩乃はしばらく、黙ることしか出来なかった。
そして、千里の線香花火の火が落ちようとした、その時。
「…………銘苅再会」
小さく、そして震えた声で、そう呟いた。線香花火が、静かに落ちていった。その音でさえ、2人には聞こえるかのようだった。少し遠くから、亥李と参華のはしゃぐ声が聞こえてきた。
「めかる……ふたえ?」
「銘柄の銘に、草冠に刈る。再び会うで、ふたえ」
「再び会う……それでふたえって読むの?」
「……そう。お母さんが、誰にも相談せずに決めたらしいよ。あたしのお父さんと、もう一度会いたくて……そう名付けたって」
「……自己中心的な名前」
「……本当に。あたしのお母さんは、お父さんの愛人だったんだ。その関係が、お父さんの本当の奥さんや子供にバレて、お母さんとあたしは住んでた家を追い出されたけど……お母さんは、お父さんが大好きだったんだ。だから、再会したくて……お母さんが持ってる唯一のお父さんの所有物に、再会、なんて名前を付けたの」
詩乃の線香花火が、静かに落ちていった。暗闇が、辺りを包み込む。だが、詩乃はエラと出会った時と比べ、不思議と何も感じなかった。どこか、落ち着いていた。
「あたしは……そんな名前を付けたお母さんと、ほとんど覚えてないお父さんが大嫌いだった。あたしの人生を、ずっと2人に束縛されてる気がして、ならなかった。だから……こんな名前、早く忘れたかった。
でもさ……結局、あたしはずっとその名前から逃げられなかったんだよ。どんなに変身しても、最後には必ず、お母さんの願いを叶えるみたいに、アク様と再会した」
独白に近いその言葉は、詩乃にとって、心が救われると同時に、言うのが恐ろしく感じられた。千里の顔をチラチラと見ながら、詩乃は言った。
「きっと……今みたいな、胸を張っていられる名前だったら、あたしはきっと、再会に呪われることも無く、ただただ幸せに、生きていけたんだろうな」
詩乃が空を仰いだ。空には、美しい星が瞬いていた。
「…………詩乃」
「…………何?」
深く息を吸って、聞いた。顔を千里に向けられなかった。深く息を吸わないと、ちゃんと話を聞けない気がした。
「シンデレラの話において、作中、主人公エラは王子に本当の名前を伝える機会がなかった。エラはずっと、シンデレラとして王子に見初められた。けれど、王子はそれでも、エラと結婚した。どうしてだと思う?」
「……綺麗だったから、とか?」
「違うよ」
千里は一呼吸置いてから、言った。
「王子は再会したかったんだよ。健気で、優しくて、たとえ継母や義姉に虐められても、幸せに生きることを夢見る……言うなれば、世界で最も心が美しいエラに。
それと同じ。詩乃は、心の美しさは、変身したって変わらなかったんだよ。昔も今も。再会に呪われた詩乃は、世界で1番、再会に祝福されてるんだよ。舞踏会で誰も正体が分からなかったエラが、自分の心の美しさを隠せなかったのと同じように……たとえ誰も知らなくても、僕が、仲間達が、知ってるんだよ。詩乃は今まで1番頑張ってきて、1番美しい心を持つってこと」
千里が、火の消えた線香花火を持ったまま、詩乃に向き直った。そして。
「詩乃。もう魔法は解けたんだ。でも、王子は詩乃を見つけて、結婚しようって言いに来るんだ。だから、胸を張っていい。もう詩乃は、幸せになれる」
千里は静かに、そう言った。詩乃がゆっくり、千里の方を見る。詩乃の顔は、涙で歪んでいた。
「……ねえ。千里の癖に、泣かせないでよ」
詩乃は、次々と流れてくる涙を、止めることが出来なかった。千里はただ、何も言わずに、声を上げて泣く彼女を、見つめていた。
「ひゃっほー!」
「こらー!亥李、花火持って振り回さないの!」
参華の慌てる声が、海の近くで聞こえてきた。亥李が笑いながら、裸足で海に浸かる。砂浜で亥李の靴の番をしていた参華は、呆れたように「危ないからやめい」とだけ言った。
「ははは、悪かったって。でももう出来ねえだろ?こんな馬鹿騒ぎ」
「まあ確かに、私達の年齢を考えると、今くらいまでしか出来ない芸当だけど……だとしても危ないわよ!」
「いぇーい!」
「だから振り回すなー!」
参華の胸は、ススキ花火を振り回す亥李によってハラハラドキドキしていた。やがて火が消えると、亥李はじゃぶじゃぶと音を立てて海から上がり、バケツの中に花火を突っ込んだ。亥李の足に、小さい砂が付いていた。
「あー楽しかった。次線香花火な!どっちが火を長く保てるか競争しようぜ!」
「ええ!?まあいいけど……」
2人で座り込み、線香花火を取り出した。参華が花火の軸を持ってロウソクの火を移す中、亥李は花火のこよりを持ち、海を見るようにして火をつけていた。ポウと、柔らかい光が2つ現れた。パチパチという音が、静かな海に響いた。
「本当に綺麗ね……」
「だな。さて、どっちが先に落ちるか」
「負けないからね?私、これでも運はいいのよ」
それを聞いて、亥李は顔だけで笑った。そしてそのまま「運勝ちしねーから大丈夫だって」と言った。
「何それ。線香花火が落ちるのなんて運でしょ」
「ちげーよ。まあ見てろって」
そうして2人が花火を持ってしばらくしていると、参華の花火が静かに、火の玉を落としていった。
「ああ!」
「よっし!俺の勝ち!なんで負けたか、明日までに考え」
「ちょっと亥李!どれが1番長く持つか知ってたんでしょ!花火渡した時に!」
亥李の言葉を遮り、参華が亥李に聞いた。怒りを顕にしていた。
「そんなの俺にも分かんねえよ。でも、線香花火を長く持たせるくらいなら出来る。線香花火の火の玉は、火花の反作用で落ちるんだよ」
「反作用って……えっと、物理のやつ?」
「そう。前にそれを知ってさ。火花が上にパチパチしてると、そのままストレートに反作用の力が伝わって、火の玉が下にポンポン落ちてくんだ。だから、その力をなくせればいい。逃げ道を作るんだよ。ダンジョン作るのと同じだな」
「ふーん……だから、こより持ってたの?」
「おう。花火がゆらゆら揺れて、力が横にぶれてくからな」
亥李のその解説を聞き、参華はひたすらに感心していた。そして、からかうかのように、まだ火の玉が落ちていない亥李に言ってみた。
「亥李ってさ、いっつも馬鹿っぽい行動ばっかしてるけど、今日やっと分かったわ。あんた、結構頭いいのね。皆に指示出すのも的確だし」
亥李の腕が揺れた。火の玉が、ポトンと落ちていった。亥李はただ、参華の顔を見て、固まっていた。
「……いや、なんか言いなさいよ。馬鹿っぽいとか否定しないの?」
亥李は黙っていた。だが、慌てて我に返ったように、笑った。
「……お、おお!そうだぞ、俺そんなに馬鹿じゃねえからな!」
亥李の苦し紛れの言葉だった。参華は、それが彼にとって踏み入れて欲しくない領域であると、すぐに分かった。
「……ねえ、亥李」
「な、なんだよ」
「亥李は……いつも引きこもってる癖に、なんでそんな頭良い訳?ゲームじゃなくて、もっと別のことに使えばいいのに。例えば、働くとか……」
「……働かねえよ。きっと、一生」
亥李は、冷たく、そして静かに言った。参華は黙って、彼が何かを言うのを待っていた。
「……俺は、お前みたいに学費払えなくてバイト三昧だったり、陽斗みたいにやりたいことを仕事に活かしたい訳でもない。俺は、一生後悔しなきゃいけねえんだよ。人生を何回使っても、俺はあの人生を後悔しなきゃいけねえんだよ。昔の俺の記憶がある限り」
「……後悔って……」
「俺は、もう嫌なんだよ。あんな、掃き溜め同然の人生」
亥李の辛そうな声を、参華は初めて聞いた。参華は優しく、亥李に向かって聞いた。
「……ねえ。亥李って……昔の名前、なんだったの?」
亥李は、黙って参華の方を向いた。そして、星空を見上げ、呟いた。
「…………去間空」
「……空?」
「そうだ。書きやすいだろ?画数すくねえしさ」
亥李はそう言って、苦い笑顔を浮かべた。
「俺は、ずっと空を飛んでみたかったんだ。こんな名前だったからさ、雲の上を飛んで、空を自由に飛んでみたかった。だけど、当然無理だったからさ。皮肉な名前だよ。俺はこの名前、大嫌いなんだ」
参華は、亥李の話を静かに聞いていた。そして。
「……私だって、昔の名前は大嫌いよ。あんな、ネームバリューのある名前」
参華はそれだけ呟いた。亥李が静かに「……お前の、本当の名前って……」と聞いた。参華はため息をつき、言った。
「……私の本当の名前は、安城友香」
亥李が驚いた表情で、参華を見た。
「安城って……あの安城家か!?」
「……知ってたのね。前に言った時、詩乃しか知らなかったから、もしかしたら、って思ったけど」
参華が、ため息混じりに呟いた。亥李は「当然だろ」と言って、話し始めた。
「ネットじゃかなり有名な都市伝説だったしな。俺もスレを覗いたことがある。詩乃もそれで知ってたんだろ。「唐突に発狂した安城兵次郎」だったか?」
参華は黙っていた。ただ、何かを思い出しながら、その言葉を胸の中に落としていた。
「……亥李。私達は……なんで、ここに帰ってきたんでしょうね?」
そして、参華が静かに聞いた。亥李が空を見上げる。鳥が飛ぶ幻影が、彼の目に映った。
「……さあな。だけど……理由も分からずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由も分からずに生きていくのが、俺達生き物の定め、って奴だろ」
亥李は波の音を聴きながら、静かにそう呟いた。
次回は11月22日です。




