仲間
時を同じくして、212号室のベランダ。
千里は目の前の「倉庫」から、黒い空気の塊が、窓をすり抜けて飛んでいくのが見えた。黒い部分以外は、千里がアルケミスであった時、メルヴィナが契約していた精霊に似ていた。黒い空気の塊は、絶え間なく、そして電車のように素早く、千里の目の前を走り抜けて、海の方へと向かっていった。
「動いたわん……!」
千里はそう呟き、黒い空気の塊が向かった方を見た。それは、人が一際少ない岩場の方へ飛んで行った。
(僕達が泊まっている間に動いた……負の感情を増幅させる渚の怨霊が、目標を定めたんだ。ただの観光客に取り付いただけならいいけど、もし僕の仲間に取り付いたのなら……かなり面倒なことになる)
千里はそう考えてから、「《異形》」と唱えた。人間よりも少し身長が小さく、ミニチュアダックスフンドの長い茶色の耳と、ふさふさの長い茶色の尻尾が生えていた。
そして、自分のズボンに括り付けられた《魔源収納》の結晶を確認してから、目の前にある木製の柵の上に足をつけ、登った。千里はそれに対して、何の罪悪感も感じていなかった。
「僕の想定してる最悪の事態にさえなってなければいいんだけど……!」
そう呟き、右足に力を入れて、黒い空気の塊が向かった方向に跳んだ。岩場の方を見つめ、目標を定める。そして、先程確認した《魔源収納》の結晶を握り、自分の杖を右手に持った。
「《刹那疾走》」
杖の先から、小さな白い光が1つ飛び出てきた。その光がくるくると回転し、粘り気を持って、大きくなっていく。光がコインほどの大きさから野球ボールほどの大きさになると、千里は右上から左下に杖を振った。杖を振った影響で光が離れ、千里の頭の右上に行った。光はそこから杖の軌道を辿り、千里の左足のつま先に向かっていった。そしてその光が、千里の体を一時的に消してしまった。
刹那、千里は岩場の近くの砂浜の空中に、降り立つように現れた。
同じ頃。
「んー、探してないのはこの辺かしら……」
参華は行方不明になった詩乃を探すため、岩場の方に来ていた。他に人はおらず、波の音だけが参華の耳に届いていた。
(でもこの辺りって立ち入り禁止なのよね……そんな所にいるとは思えないけど……)
参華がそう思いながら、周りを見回した。その時だ。
「やめて……近付かないで!」
詩乃の叫び声が、参華の耳に届いた。参華は驚いてそちらを向き、岩の影に隠れて、様子を伺った。
そこには、座った状態で後ずさりする詩乃と、彼女に近寄る不気味な笑みの男がいた。参華は一目見て、詩乃が危険な目に遭っていると確信した。
「しっ……!」
慌てて参華が近寄ろうとした、その時。
「やめてっ!!」
詩乃が、力強く叫んだ。すると、それに合わせて、旅館から黒い空気の塊が飛んできたのだ。
(何あれ……精霊!?なんでこんなところに!?現実の世界で自立してる精霊なんて初めて見た……!)
参華が立ち止まり、様子を伺っていると、精霊のようなものは詩乃にまとわりつき、ドレスを作っていった。男が恐怖を浮かべて、詩乃から離れていくのが見えた。
(もしかして……これヤバいんじゃ……!)
参華は慌てて、亥李達のいるビーチパラソルへと走っていった。詩乃の、「あたしを、殺さないで!!」という叫び声を聞き、参華はより一層、全力で走っていった。
(「あたし」か……本当は「める」じゃなくて「あたし」なんだ。なら……早くしなきゃ。仲間のピンチを1人で何とか出来なくて申し訳ないけど、私には今、これしか方法はない……!)
そう思いつつ、参華は無垢な観光客達をかき分け、自分達のビーチパラソルへと向かっていった。
そして、現在に至る。
「めっ、メル……!」
アクアは、浮き上がった詩乃を頭から足まで見つめることしか出来なかった。黒いレースのドレスが、潮風でたなびいた。彼女の涙が、風に流れた。
「あたしを殺さないで……アク様……!」
詩乃がそう呟いた。黒い空気の塊は途切れることなく、詩乃のドレスやガラスの靴を形づくっていた。そして、詩乃の手には、黒い空気の塊が集まって作られた、漆黒の杖が握られていた。杖の先には、黒い光を放つ黒い宝石が取り付けられていた。
「あたしはあたしの王子様なんて要らない……あたしを殺そうとすることを優しさとする王子様なんて……要らない!!」
詩乃の杖の先から、黒い光が集まっていった。そこに向かった1つの黒い空気の塊が、光に触れる。そして、その光を取り込み、黒い空気の塊は六芒星を描くように動いた。灰色の軌道が現れ、魔法陣を作り出した。それは、アクアに向けられていた。
「ひっ……!」
「アク様……あたしは絶対に許さないよ。アク様はいつまでも、自分で後悔したことも全て忘れて、変わろうとしてない!」
詩乃が叫んだ。アクアが怯えて、身を屈める。魔法陣の先から、灰色の魔法の弾が、魔法陣から召喚された。
「《深淵灰弾》!」
詩乃が叫んだ。音のように早い弾が、何弾も発射されていった。アクアが目をつぶり、腕で頭を守るように庇った。その時。
「《水晶堅盾》ッ!」
若い少年の声が、近くから聞こえてきた。アクアが目を開ける。目の前には、黄色く細長い八面体の水晶があった。水晶から数センチ空けて、大きなひし形の、薄い黄色の障壁が作り出されていた。水晶が、障壁を作り出すための道具になっているようだった。
その水晶を操っていたのは千里だった。少し前、千里は近くの砂場に現れ、黒い空気の塊が飛んでいく場所を特定しようとしていた。そして、襲われているアクアと暴走している詩乃を見つけ、自分の杖を振って、水晶をアクアの前に飛ばしたのだった。
水晶は、千里の杖の先を使って操られていた。千里は少し遠くから杖を向け、衝撃を抑えようと必死の形相をしていた。障壁は衝撃を抑えられそうになく、水晶も壊れそうだった。
だが、それでも耐え忍び、ようやく攻撃が止んだ時には、水晶はボロボロの状態だった。千里も、ふう、とため息をついた。水晶はなめらかに垂直移動し、千里の手元に向かった。
「き、君は……?」
アクアは千里とその水晶を見て、気付いた。千里もソルンボルからの客なのだと。
千里は「《異形》」と唱え、人間の姿になった。そしてアクアをじっと睨みつけた。
「詩乃に何したのか知らないけど、早く下がって。死ぬよ」
「……僕は、ただメルを正してあげようと」
「死にたいの?早く下がってって言ってるんだけど。それとも僕に殺されたいの?」
「そ、そんなこと、君に出来る訳……」
「出来るよ。お前を守ったみたいに。お前を殺すことなんて簡単」
千里のその真剣な目が、彼の本気を示していた。アクアの背筋に、冷たい汗が流れた。
アクアは、千里の目に促されるまま、1歩ずつ下がっていった。そして、安全そうな位置まで辿り着くと、アクアは背を向け、逃げ出そうとした。
だが。
「誰か、そいつ捕まえて。重要参考人だから」
千里が、振り向きもせずに言った。アクアが焦ったように千里を見る。その隙に、アクアの後ろで、誰かが彼のポロシャツの襟を掴んだ。アクアが驚いて振り返ると、そこには身長の高い女がいた。他にも、水着姿の男女6名が、自分の武器を《魔源収納》の結晶から取り出したり、自分のグローブを手にはめたりして、武器を構えていた。
「この人のこと?」
彼女が聞いた。左手に槍を持っていた。参華だった。アクアが参華を見つめる。その額から汗が流れた。
「あ、あれは……!?」
斧を砂浜に降ろし、陽斗が呟いた。
「あれって、詩乃ちゃんだよね……?あんなドレス、見たことないけど……」
「……俺達が見た黒い塊が作ってんだろ。千里、状況説明」
ロザリオを構えた美波と、剣を砂に刺した零が、口々に言った。その零の声を聞き、千里は言った。
「詩乃に取り付いているのは、渚の怨霊。人間の負の感情を増幅させ、暴走させる力を持っている。それがドレスを作って、暴走させてる。原因はそこの男」
千里がアクアを指さした。全員がアクアを見る。「ひっ」という情けない声が聞こえた。
「なるほど、だから重要参考人か……で?対処法知ってんのか?」
亥李が右膝を折りながら言った。そして、盾に剣を沿わせ、《絶対命中》の構えをした。
「知らない」
「はあ!?じゃあどうやって倒すんだよ!?」
「千里、本読んでたにゃんか。そこになんか書いてないのかにゃ?」
ナリがグローブをはめた。持ってきたブーツは、靴擦れを心配して履かなかった。
「渚の怨霊については分かったけど、その先読んでないからわかんない」
「じゃあ、体力消耗して対処法を見つけるとか……?」
「美波、それじゃ魔法勢が疲れるだけよ。えー、なんかいい方法ないかしら……」
参華が頭を悩ませていた、その時。
「あ!いいこと思いついたにゃ!氷結の女王の時、ドレスに炎の攻撃したらドレスが敗れていったから……」
ナリが声を上げた。そして、ドレスの裾に向かって走り出した。
「《朝有紅顔》!」
そして、《肉体烈火》で力を貯め、ドレスの裾に向かって思いきり右の拳で殴った。すると、殴られた部分の渚の怨霊が、ドレスから離れていくのが見えた。殴られた跡がくっきりと残っていた。
「やっぱりにゃ!」
ナリが嬉しそうに声を上げた。
「ナイスだナリ!これなら、ドレスを破りまくって渚の怨霊をひっぺ剥がすだけで済む!」
亥李がニヤリと笑った。参華も「あんた、逃げないでね。逃げたら槍で突き刺すから」と念を押した。全員が武器を構え、黒いドレスの詩乃に向かった。詩乃が「あたしを殺さないで!」と、叫んだ。
「いくぞお前ら!詩乃を元に戻すぞ!」
亥李の号令に、全員が「おう!」と応えた。
「……なんで……もう要らないはずの変身に甘えるメルを……君たちは楽しそうに助けるんだ……?」
アクアが、攻撃しに向かっていくナリ達を見つめ、そう呟いた。魔法を遠くから放つ為、後ろに下がった千里は、その言葉が聞こえてきた。
「……仲間を助けるのに、才能は要らない。詩乃が僕達の仲間である限り……僕達は、どんな理由があろうとも、助ける。救う。正す。それが仲間だ」
千里はアクアの隣で、そう呟いた。
アクアは、その言葉が、重くのしかかった気がした。
次回は11月1日です。




