アクアの夢
「懐かしいね。こうやって2人で歩くのも」
立ち入り禁止の岩場の方へ、ゆっくりと歩く影が2つ。詩乃は、彼の後ろを歩いていた。裸足に、波が被さった。太陽が真上から照りつけていた。
「…………」
「ねえ、さっきからなんで黙っているの?僕が歩こうって言ったのが、そんなに怖いかい?」
彼が、詩乃の方を振り返った。涙も止み、詩乃はただ彼を、恐れていた。そんな詩乃の目を見て、彼は悲しそうに笑った。
「……そんな怖い目しないでよ。僕は、君と会えて……いや、再会できて、本当に良かったんだ。ね?ふ――」
「もしめるの名前を言おうとしてるなら、今からめるはアク様……いや、ツキヤさんを殺さなきゃいけなくなるよ」
詩乃が、彼の言葉を遮って言った。彼が、その睨んでくる詩乃の目を見て、懐かしそうに笑った。
「アクアの方でいいよ。メルといるなら、そっちの方が落ち着くからね」
「……アク様は……今、なんて名前なの?」
「本当の方、だよね?湊玖志。湊は1文字で、王へんに久しいで玖。で、志で志。メルは?」
「……相沢詩乃」
その名前を聞いて、アクアはまるで自分の事のように、嬉しそうに笑った。
「相沢詩乃、か……君が堂々と名乗れる名前で、本当に良かったよ」
その嬉しそうな声も、詩乃にとっては不気味に感じた。詩乃は、彼女が一番聞きたいことも、その不気味さに押され、聞きそびれていた。
「……メル、1つ聞きたいんだけどさ」
そこで、アクアは1呼吸おいてから、続けた。
「君は、もし最初からその名前だったら、コスプレしてた?」
その質問は、詩乃にとって意外なものだった。詩乃は考えたまま、黙ってしまった。
「だんまりか。まあ、そんなに重要な質問じゃ」
「多分、してない」
アクアの声を、詩乃が遮って言った。アクアが、詩乃の方を向く。アクアと詩乃の隣を、観光客が笑顔で走り去っていった。
「……してないんだ」
「してない、と思う。めるは……あの環境で生きてきたからこそ、コスプレしてるんだもん。今は、本当に普通の家で、普通に暮らしてて……多分、変身したいって、思わなかったと思う」
アクアは、それを聞いて、ただ「そっか」とだけ、呟いた。その顔は、少し寂しそうだった。
その顔を見て、詩乃はやっと、言い出せそうだった。彼女がアクアにぶつけたい、一番の質問を。
「……アク様。なんで、死んじゃったの」
アクアは、それを聞いても怯まなかった。驚きもしなかった。ただ、先程と同じように、笑っていた。悲しそうにも、寂しそうにもとれた。詩乃はその顔を見て、続けた。
「昔と今、全然顔違うし……名前も違う。コスプレ界隈で名乗ってる名前も……それに、めるとさっき会った時、「僕以外にもこっちに来てた人がいるんだね」って言ってたよね?ねえ……なんで?なんでアク様は死んじゃったの?アク様は……ソルンボルに転生してたの?」
アクアは黙っていた。ただ、じっと詩乃の顔を見つめていた。愛おしそうに、じっと。
詩乃はたじろいだ。そして、アクアの顔を伺いながら、ゆっくり数歩後ずさった。
「…………そんなに……逃げないでよ」
アクアは、ただそれだけ、呟いた。
「めるは……死んでから、ずっと……誰かと2人きりでいるのがとても怖かった。たとえそれが信頼出来る仲間であろうとも……特に、男の人と2人きりになると、怖くて」
「……僕のせいなら、謝るよ」
とても申し訳なさそうな顔をして、アクアは言った。詩乃は、声の口調を強めて、伝えた。
「なら、言うよ……アク様のせいだ。めるは、アク様に殺されたせいで……元仲間の大切な従弟以外の人間と、2人きりでいれなくなった」
詩乃の目から、数滴の涙が零れた。それを拭い、詩乃は再び聞いた。
「でも……なんで、アク様も死んでるの?アク様が死んでるなんて思ってなかった。アク様は……そのまま、生きてると思ってた」
アクアは、それを聞いて、少し息をついた。そして、段々西へと向かっていく太陽と、それが反射する海を見つめ、言った。
「……綺麗な、海だね。あの時見た海みたいだ」
「話題そらさないで、アク様……!」
「…………僕は、あの後……メルを、殴り殺した後……我に返ったんだ。そして、何があったのか、僕が何をしていたのか、全て理解した。僕は、あの時……狂ってしまっていたんだ」
詩乃にとって、それは、衝撃的なことだった。言葉が出なかった。
「だから、自殺した。本当は、君のことが大好きだったんだ。だけど、何かを勘違いして、君を疑って……君が、僕に才能を見せつけてると思い込んだ。それで、君を酷く憎んで……気が付いたら、君は死んでいた。僕の手の中で」
「…………コスプレの才能……のこと?」
「そう。僕は、それがなかった。僕はただコスプレを、不器用な自分を変える為の、材料としか見ていなかった。でも、君は必死だった。大好きなヒーローに、変身して、変えたかったんだろう?大嫌いな自分を」
詩乃は頷いた。
「僕には、そんな必死さはなかった。だからだろうね。僕は、君の才能に嫉妬した」
「し、嫉妬って……!」
本当はめるよりアク様の方が才能あるのに、と、言いたかった。だが言えなかった。アクアが言っていることが正しい気がして、ならなかった。
「……僕は……嫉妬に狂ったんだ。君の全てを変えてしまった。僕は、その罪の重さに耐えきれなくなって……海に飛び込んだ。そのまま……あとは察しの通りだよ」
詩乃は、衝撃を隠せなかった。そして、恐ろしかった。自分が、嫉妬に狂ったアクアに殺されたという、その事実が。そして、その殺した人物が転生した姿が、今目の前にいるということが。
「……ソルンボルで、何してたの?」
「ソルンボルで?確か……人間の商人の子だった。毎日魚を売って、お駄賃貰って、教会に行ってた。そこにいたシスターは美しかったよ……メルだったら良かったって、何回も思った。実際は違ったけどさ」
「教会で、何してたの?商売に魔法はいらないでしょ?」
詩乃のその質問に、アクアは悲しそうに笑った。
「……懺悔だよ」
その二文字が、詩乃の心の中に、ずっしりと重く乗っかった。
「……懺悔……」
「そう、懺悔。ずっと後悔していたんだ、君を殺したこと」
そして、アクアはそう言ってから、聞いた。
「メル。今だから聞くよ。君は……僕のこと、許してくれる?」
詩乃は、何も言わなかった。何も言えなかった。ただ、唇を噛み、自分の気持ちを抑えようとしていた。
「……当然だよね。こんな謝罪で、許される訳ない……」
アクアはそう言って、後ろを向き、歩き始めた。詩乃も着いていった。他の観光客は、もう誰も見なかった。
「僕も……もし君の立場だったら、許さなかったと思う。僕自身、なんで殺したか分からなかった自分が、許せなかったんだ。だから、昔の名前を消した。封印するみたいにさ。そしたら、君の名前を見つけた。最近活動再開したって、書いてあったよ」
アクアはそう言いながら、少しずつ早く歩いていった。目の前に、立ち入り禁止の岩場が見えた。その近くの看板には、「危ない!近寄らないこと」と書かれていた。
「君の才能は相変わらずだった。惚れ惚れしたよ。むしろ上達してた。でも……」
「でも?」
「君は、さっき言ったよね。もし昔の名前が銘苅じゃなくて、今の名前だったら、コスプレしなかったって。君は結局、その程度なんだよ」
詩乃は、自分の心の中で、目の前にいる男性をとても恐れていることが、よく分かっていた。手が震えた。震える唇を噛んだ。まだ手に持っているカメラを、落としそうになった。
「……アク様……」
「ん?なんだい?」
「…………正直に言って。アク様は……めるをここに連れてきて、何をしたいの?こんな、危なそうな岩場に」
アクアの笑顔が、固まった。その張り付いた笑顔のまま、近付いてくる。詩乃は怖くて、何歩も何歩も後ずさった。アクアのその顔が見れなかった。
「やめて……近付かないで!」
アクアはその言葉を聞いて、少し立ち止まって考えた。詩乃が顔を上げる。だがすぐに、納得したように笑い、近付いてきた。
「ああ……さっき言ってたね。2人きりでいると、大切な仲間でも、君の従弟以外を恐れてしまうって。可哀想に。メルの大切な王子様である僕が、君を助けてあげるよ」
「いつもいつも……アク様は、めるの王子様じゃない!」
「いや。王子様だよ。だって、メルを救うんだから。メルは元々僕に憧れてたんだろう?前に言ってたじゃないか」
「言ったかもしれないけど……!王子様は、こんなことしたりしない!」
「こんなこと?こんなことって、何?」
「……めるを……めるを、2回も殺そうとすること!!」
アクアはその叫びを聞いて、驚いたような顔をした。そして。
「……心外だな。めるにそんな風に思われてたなんて。でも、僕はメルの為にやるんだよ?本当は駄目だって分かってる。何回も後悔したことを、また僕がやるなんてね。でも……幸せを手に入れたメルが、まだ変身に甘えてるのが、見過ごせないんだ!」
アクアが叫んだ。じりじりと迫ってくる。詩乃は膝に力が入らなくなり、尻もちをついた。そのまま後ろに手を動かし、アクアから離れようとした。だが、大股で歩いてくる彼との距離は、縮まっていくばかりだった。
「そんなことしたら、めるは何回生きても許せなくなるよ!」
「そうだね……許してもらう立場の言うことじゃない。今までの懺悔を、無意味にしてしまうかもしれない……でも、僕が君のアカウントを見つけてしまった以上、このまたとないチャンスを……棒にしたくない!だから、何回も殺してあげるよ……僕は、君の王子様だから!!」
目を見開き、そう叫んだ。そして、詩乃の腕を掴み、思いきり引っ張った。
「やめてっ!!」
詩乃が、ありったけの思いで叫んだ。その時だ。
詩乃の周りに、黒い空気の塊が漂っていたのを、アクアが見たのは。
「やめて……近付かないで……めるを殺さないで……」
詩乃が小さく呟いた。アクアは黒い塊を見て、思わず手を離してしまった。
「2人きりで一緒にいないで……助けるなんて言わないで……」
その声は震えていた。アクアが、とても恐ろしくなったようだった。下向きの顔は、よく見えなかった。
詩乃は立ち上がり、俯いた。黒い空気の塊が増えてきたのが分かった。アクアは、慌てて離れた。
「才能なんて言わないで……王子様なんて言わないで……」
黒い空気の塊が、詩乃の周りをぐるぐると回転し始めた。それはまるで魔法のように、ドレスを作り始めた。真っ黒の、レースのドレスだった。ガラスの靴が出来あがり、胸元には白いバラのブローチが刺さっていた。詩乃は黒い空気の塊によって、ゆっくりと浮き上がっていった。アクアはただ、見つめるしか出来なかった。
「あたしを、殺さないで!!」
詩乃が叫んだ。そこにいたのは、いつもの詩乃ではなかった。
まるで、シンデレラに変身したかのような詩乃が、そこにいた。彼女の目からは、涙が流れていた。
次回は10月29日です。




