あやふやな記憶
山を降り、皆と別れて家に帰った後も、ナリは零に奏太や子供たちのことを問い続けた。だが、彼は何かを知っている素振りを一切見せず、「もう遅いから寝ろよ」と言って部屋に戻って行った。外はもう、薄い紫色の光に包まれ、神々しくも見えた。
(なんで……なんで皆、奏太のこと忘れちゃったの?さっきまであそこに居たじゃん。それに……なんで奏太は消えちゃったの?)
ナリは眠れるはずもなく、ただベッドの上に転がって、情報を整理するだけだった。
(たぶん、何かが起きたとするなら、あの時聞こえてきた声……その声の主が、何かをしたんだ。今まで聞いたことの無い声だった。優しくて、ふわふわしてて……でも、裏がありそうな、そんな感じの声……あれ?そんな声だったっけ……?)
だが、ナリがそうやって声を思い出そうとする度に、その記憶が薄れていった。ナリが聞いた声が、彼女の頭の中で、優しくあったり、毒を吐いたり、細々と話したり、大声で話したりと、ころころと姿を変えた。ナリが聞いた声は、もう原型を留めていなかった。
(にゃ、にゃにゃにゃ?どんな声だったかな……そもそも、なんて言ってたっけ……)
ナリは必死に頭を働かせ、なんと言っていたか思い出そうとした。カーテンの狭間から、濃い青色の光が漏れていた。
(……ああ、そうだ……ごめんなさい、って言ってた。ずっと奏太に謝って……あれ?奏太に謝ってたのかな?)
光を見るだけで、目が覚めてしまいそうだった。ベッドの上で、手で目を隠し、もう一度、声の主が話していたことを思い出していた。
「あなたは自分を、子供達を、傷つけ過ぎた。だから……あの子が壊してしまう世界を、私は、守りたいの」
彼女の頭の中で、色々な声が、その言葉を話していった。
(あの子が壊してしまう世界……?なんで、奏太が自分も皆も傷つけ過ぎると、世界を守らなくちゃいけないんだろう。奏太が原因で、子供たちや奏太を、魔法の国をこの世界から消したのなら……声の主は、何者なんだろう?ごめんなさいって……あの子に向けられた言葉なのかな?)
考える度に、眠気が襲ってくる。ナリは、欠伸をするのは眠気を覚ます為だ、ということを思い出し、口を大きく開けた欠伸を、慌てて噛み殺した。
(うーん……こんなこと、山門有の時は、起きてなかったと思うのに……この世界は、なんで前よりこんなに変わってしまったの?それに、あの子って一体誰……?)
ナリが頭の中で考えていくうちに、また眠気が襲ってきた。ナリは1つ欠伸を噛み殺し、そのまま目をつぶった。尻尾が邪魔だったので、横向きになった。
(私が猫になった時から、ずっと思ってたけど……今日のことも、なんだか夢みたい……とりあえず、今日は寝よう。こんなに夜更かししたことないや……おやすみ、私)
ナリはそう心の中で呟いた。次の日、ナリと零は朝10時頃に、眠い目を擦って起きた。ナリは、前の日に考えていた声の主のことを、すっかり忘れていた。
「……あれ、珍しいな」
次の土曜日。陽斗は誰もいない家で、スマートフォンの着信履歴を見て呟いた。そこには、「相沢詩乃」と書かれていた。留守番電話は入っていなかった。
陽斗はその着信履歴に、電話をかけた。短いコールのあと、「もっしもーし!」という声が耳元から聞こえた。
「ああ、もしもし。日下部陽斗です。詩乃だよね?」
「そうだよーん!どうしたの?」
「いや、そっちから連絡したんだよ?」
詩乃はその言葉の後、数秒の沈黙が流れた。
「ああ!忘れてた、それ千里なんだ!今変わるね」
陽斗がドキドキしながら返答を待っていると、すぐに明るい詩乃の声が聞こえてきた。やっぱり少し詩乃は苦手だな、と、陽斗は心の奥で考えていた。
「千里?なんであいつが、俺に?というか、詩乃の電話で何してるんだ?」
「さあ?めるも知らないよーん。千里はスマホの扱い方下手くそだし、SNS入れらんないし、めるが貸したんだけど……あ、来た。千里!陽斗から電話だよ!」
詩乃の声が遠くなった。そしてすぐに「もしもし、日下部陽斗?」という、若い声が聞こえてきた。千里だった。
「ああ。どうしたんだ?珍しいな、千里が電話してくるなんて」
「それは……その……し、詩乃。あっち行ってよ」
千里の恥ずかしそうな声が、電話口から聞こえてきた。少し離れたところにいるのか「はいはい、分かったよ。おばさーん!手伝うこと……」と、詩乃の声が段々遠ざかっていった。
「そ、それで……あのさ、日下部陽斗」
「ああ」
「あの……日下部陽斗は、大人って、なんだと思う?」
最初、陽斗は千里が何を言っているのか分からなかった。あまりにも唐突で、なんの事情も知らない彼にとって、訳が分からなかった。しばらくして、「あ、あの……」と、消え入りそうな声が、受話器の奥から聞こえてきた。陽斗はやっと、それが千里の年相応の悩みだと気付いて、大いに笑った。
「ちょ、ちょっと!笑わないでよ、日下部陽斗!」
「いや、ごめんごめん。なんでそれを俺に聞こうと思ったの?」
「そ、それは……他の人にも聞いたんだよ。詩乃と、ナリと、月島零と、遠谷参華。でも、あまり参考にならなくて……多分、僕の知り合いの中で1番大人なのは、日下部陽斗だから、聞こうかなと」
それを聞いて、陽斗はまた笑った。千里がそう思っていると知って、嬉しさで笑ってしまったのだ。だが、それを千里は馬鹿にしたと取ったらしく「教えてくれないなら、電話切るけど」と、不貞腐れた声が聞こえてきた。
「ああ、いや、そうじゃないんだ。嬉しかったんだよ、そう言ってもらえて。千里、褒めるの上手いな」
「そ……そんなこと……」
千里の、褒められ慣れてない態度がバレバレな声が聞こえてきた。陽斗は、こいつ案外可愛いな、と思いつつ、聞いた。
「はは、それで……大人ってなにか、だっけ?他の人はなんて言ったんだ?」
「ええと……詩乃は、安全安心を進む人で、猫は、成人を迎えた人。月島零は、弱音を吐かない人。遠谷参華は、どんなに辛い人生だったとしても前を向く人。そう言ってた」
それを聞いて陽斗は、あいつららしいな、と思った。そして。
「なるほどね……そうだな、俺は……参華と少し被るけど、子供の時に馬鹿やって、青春して、思い出作って……それで、その思い出を抱いて、前に突き進む人。かな」
と、話した。
「思い出作って、思い出を抱いて、前に進む人……か」
「ああ。どうだろう、千里の望む答えは手に入ったかな?」
「……その理論でいくと……僕は、大人なのかな」
「いや、違うと思うよ。だってまだ、お前全然思い出作ってないだろ?そういう面じゃ、俺達もそうだな。この体になってまだ1ヶ月……全然思い出作ってないから、子供だな。はは」
千里が、言葉を失った。陽斗が何事かと思い、「お、おい、どした?」と声をかける。
「……皆、子供か……そっか……我儘ばっかで、うるさい奴ら……」
すぐに、千里の嬉しそうな、泣きそうな声が、受話器の奥から聞こえてきた。陽斗も少し嬉しくて、小さく笑ってしまった。
「……ぐすっ……ああ、それで……詩乃から、連絡で……明日、土屋美波が、中ヶ丘のショッピングモールで……」
千里は、陽斗に詩乃から言われたことを伝えた。
「なるほど……零も考えたものだね。俺も行くって言っておいてよ。楽しみだね」
陽斗は、次の日のことを想像して、笑った。それは、とても楽しそうな一日になりそうだった。
次の日の真昼。
「にゃんにゃにゃーん、にゃんにゃんにゃーん」
光り輝く太陽の元、人間状態のナリは鼻歌を歌いながら、向日葵にホースの水をかけていた。水は、ほとんど向日葵の花弁にかかっていたが、ナリはそれで満足していた。
「おーい、ナリー。向日葵に水やってくれるのはいいけど……って、お前、花びらにしかかかってねえじゃねえか。土にかけろよ」
「ええー!?いいじゃんか別に!土にかけても花びらにかけても変わんないって!」
「変わるわ!ったく、貸せっての!」
零がナリからホースを奪い取り、ため息をつきながら向日葵に水をかけた。水をかけるのに慣れた様子だった。ナリは、頬を膨らませて零を見ていた。
水をかけ終わった零は、ホースの水を止めるよう指示した。ナリは不貞腐れながら、蛇口を閉めた。
「ほら、こうやるんだよ。こうすりゃ、土に水がかかって、向日葵が育つんだ。生物でやらなかったか?」
「うう……やったかも……」
「っと、あぶね、忘れるところだった。お前、中ヶ丘のショッピングモール、知ってるだろ?そこに行って欲しいんだ、美波が待ってる」
「え?美波?なんで?」
ナリの黒いワンピースが、太陽の光を吸収してピカピカと光っていた。その長袖のワンピースは、蒸して暑そうだった。零は、じっとりと汗をかいているナリが、気の毒に見えた。
「……今まで悪かったな」
「え?な、なにが?」
ナリが心配そうに顔を覗かせた。
「中ヶ丘ショッピングモールで、美波達が待ってる。これを持って、行ってこい。旅行で必要なものを買ってきな」
零が渡したのは、零の財布だった。黒に赤い線の入った、ビニール素材の彼の財布には、3万円が入っていた。
「こ、これ……」
「……おばさんに電話して、貸してもらった。「若いっていいわね。絶対返しなさいよ」って言われたよ。俺もやっぱ……バイトかな……」
零が頭をかいた。ナリは、驚きのあまり財布を見つめることしか出来なかった。
「…………!」
「な、ナリ?要らねえんなら、返してくれても……」
零が慌てて聞いた。だが。
「零!」
「お、おう」
ナリは、目を輝かせて零を見た。そして。
「ありがとう……美波達がいるの?すっごい嬉しい!零!本当にありがとう!」
と、にっこりと笑った。その顔を、零は直視出来なかった。
「いっ……行けよ、早く。俺は必要なもん揃ってるから、お前だけで行ってこい」
零は顔を赤らめ、向日葵の方を向いてしまった。ナリは不思議そうに零の顔を覗き、「ん?どうしたの?」と聞いた。
「な、なんでもねえよ!早く行け!」
「ふーん。じゃあ、行ってくるね!本当にありがとう!」
ナリは零に手を振って、財布を持って出かけていった。その場に置いていかれた零は、ホースを片付けつつ、
「……っ、猫は猫らしくツンデレしてろよ……犬みたいだよ、お前……」
と、小さく呟いた。彼の顔は、真っ赤になっていた。
お久しぶりです。
最近サブタイトルの法則を変えようかなと思っていますが、どう思いますか?変えるとしたら工事しないと。
ところでパラリンピック凄いですね。リレー楽しみです。




