我儘
「おおー……!」
零とナリの声が重なった。青の透き通った海や、暖かそうな温泉、涎がたれるほど美味しそうな豚肉の料理。それらがパンフレットの写真として掲載されていた。パンフレットの端に前足を乗せるナリの尻尾が、激しく揺れた。全員の頬が、自然と上がっていった。
「ほら!ここの、「ヒューズリゾート」ってところに泊まるわよ。2部屋で2泊3日、ナリを人間カウントして8人!あと、計画は亥李が立ててくれるらしいから、観光バスとかは予約取らなかったわよ。今日ガッチガチにそれ説明してた」
「ガッチガチ?あの亥李がにゃ?」
「そうよ。あいつ、どうも初めて話して目を見てちゃんと話さなきゃいけない人は苦手みたいで……引きこもってる理由が少しわかるわね。「あっ……あのっ……こっ……2はっ……」ってずっと言ってたから、おかげで私が喋る羽目になったわ」
「にゃー……ケルベロスアイの時はそんなこと全然思わなかったにゃ」
「その時はリーダーってのと、異世界転生したってのが亥李……ダンバーを変えたんじゃないの?」
「それは意外だ……というか、人間すぐには変われねえな」
「まあね」
参華は笑って、カバンからメモ帳とペンを取りだした。
「それでね?零はナリのも払って欲しくて……」
「まあ、それが普通だろうな」
「だから、2週間後までにここの口座にこれだけ振り込んどいてね。あとこの番号口外禁止ね」
参華はすらすらとメモ帳に口座番号と金額を書いた。そのメモを凝視した零の顔が、少しずつ青ざめていった。ゆっくりと、通帳を確認しに立ち上がる零を見て、参華は笑った。
「バイトすりゃいいのに。そしたら楽じゃない?私も焼き鳥屋でバイトしてるけど、結構楽しいわよ?」
「バイトは懲りたんだよ……ナリやってくれよ」
「履歴にゃいんだけど」
「そうだったな……はあ……」
零がため息をついた。
(このところ俺、ため息ついてばっかだな……割とナリのせいな気がするが……)
零がそう考えていると、
「そういえば、亥李もさっきまで一緒だったのかにゃ?にゃんでいにゃいのかにゃ?」
と言って、参華を見た。
「ああ、それ?あのバカ疲れたとか言って先に帰っちゃったのよ。ずっと代わりに話してた私の方が疲れてるに決まってんじゃん、って思うんだけどね。まああいつ、前にお得意の絶対命中しただけで疲れたらしいし、体力ないんじゃないの?零つけてやってよ、旅行までに」
「まあ……それはいいけどよ……よく亥李は計画ができると思ったな」
「そうね。海で遊ぼうとしてたらしいんだけど、どうやってするのかしら……」
「にゃ!?参華、この海行くのかにゃ!?」
ナリの尻尾が、激しく揺れた。思わず立ってしまったナリの目は、見開かれていた。
「当然、ここに来たら行くわよ!楽しみにしてなさい?水着もちゃんと買いなさいよね!」
「にゃはーん……!楽しみにゃあ……!」
それを聞いて、零は気付いた。更に出費が増えるということに。
「…………!」
「にゃ?零、どうかしたかにゃ?」
「べ、別になんでも……もう誰かから借りようかな……」
その様子が、参華にとっては面白かったようだ。手を叩いて笑っていた。
「あはは、借りるのはやめときなよ。痛い目見るだけだよ」
窓の外を見ると、もう雨は上がっていた。
「あら、もう降ってないじゃない。それじゃ私、これから千里のお母さんに会いに行くから。お茶ありがとね。じゃあね!」
参華は立ち上がり、荷物を手に持った。零とナリも、彼女を玄関まで見送った。
そこで、玄関でスニーカーを履いた参華が、なにかに気付いたように「あ」と呟き、1人と1匹の方を振り向いた。
「そうだ。さっき詩乃から、「めるから次に電話が来たら絶対に取って」って言われたんだけどさ、どうしたの?何かあった?私、なんか怒られてたりしてる?電話来た記憶ないんだけど……」
「ああ。それは、さっき詩乃が千里と仲違いみたいな事しちまって……」
「原因は、千里が「笛吹き」って呼ばれてる男の人とにゃか良くしようとしてたからにゃ。その人、最近起きてる誘拐事件の犯人だって言われてるらしくてにゃ……あ、あとその人、稲子谷奏太って言うんだけどにゃ、吟遊詩人のニールだったらしいにゃ」
それを聞いた参華は、「ふーん……ニールが……」と、なにか思うところがあるかのように呟いた。そして、
「分かった。零にはその連絡来てる?私も連絡来たらすぐ行くから。まあ、明日は授業だし、明後日は私、亥李と武器買いにトビー商店行くんだけどね」
と笑って、軽く手を振った。参華は「じゃあね」と静かに言って、雨上がりの外に出ていった。
「……旅行かあー……あんまり行ってにゃいから、楽しみだにゃ!」
ナリは尻尾を揺らし、自分の部屋の方へ歩いていった。
「行かなかったのか?」
「昔はあんまりお金にゃくてにゃ……水着とかもスク水しか持ってにゃかったしにゃ。にゃにゃん、零!買ってにゃー!」
「駄目だ」
零のその言葉を聞いて、ナリは驚愕した。
「にゃにゃ、にゃんでにゃ!私だから駄目にゃのかにゃー!」
「単純に金がねえんだよ。旅行代でかなり吹き飛ぶんだぜ?月島零が昔やってたっぽいバイト代があるけど、水着なんて買ってた……ら……」
その時だった。零が、ナリの涙を見たのは。
ナリの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。髭は垂れ、耳は外側に向いていた。ナリは、零が目を白黒とさせているのに気付いて、笑った。それは、苦笑いとも、諦めの表情にもとれた。
「にゃ……そ、そうだよにゃ。零の言う通りだにゃ。にゃ、にゃんで私にゃいてるんだろにゃ。元々金銭的に私迷惑かけてるのに、さらに迷惑かけることはできにゃいにゃ。我儘言ってごめんにゃ、零」
「……ナリ……」
何か声をかけなければ、と思ったが、零は何も思いつかなかった。ナリは飛んで自分の部屋のドアノブにしがみつき、無理矢理ドアを開けた。
「わ、私、やっぱり疲れたから、少し寝るにゃ。夕飯までには起きるから、少し待ってて欲しいにゃ。零、さっきの、気にしにゃくていいからにゃ。それじゃ、おやすみにゃー」
ナリは、零の顔も見ずに部屋に入った。
「……おやすみ……」
扉を代わりに閉めた。ナリへの罪悪感が、零の口の中で残った。
(あいつ……絶対さっき、無理したよな……でも、あいつの我儘を叶えてやれるほど、金はないし……俺は、どうすれば……)
零は悩みながらも、買い物に出かけた。普段、荷物持ちや夕飯のリクエストを出しについてくるナリは、この日はいなかった。そのせいか、零はいつもよりも荷物が重いと感じ、足取りも重くなった。
次の日になった。この日も、外は強い日照りで、気象予報士は「熱中症対策を」と話し続けていた。
「わ、私、亥李に貰ったゲーム調べてるからにゃ……零、振り込んでくるにゃ!昨日言われた口座に、にゃ!」
零はナリの様子をちらちらと見ていたが、ナリは零が見る度に、そうやって何かを誤魔化すように笑っていた。零はそれが、メモにある口座に振り込みをして、日が傾いてきた頃になっても気がかりだった。
(俺……このままでいいのか?ナリのあの笑顔は、絶対水着欲しかったの隠してるだけだろ……バレバレだっつの。それに、あいつの普段着、いつも着てる黒のワンピースと、前に美波からもらった冬の服だけだろ……?それもあいつ、我慢してるよな……)
向日葵に水をやりながら、零は悩んでいた。ホースの先を手で少しだけ潰して水をやっていたのだが、気が付くと水は、ずっと同じ場所にかかっていた。それを直しても、結局同じ結果になってしまっていた。零は自分にうんざりして、水をいい加減にかけると、家の中に入っていった。ナリは自室の中にいるのか、家は静かだった。
「こういう時、頼りになりそうなのは……」
脳内で、知り合いの一人一人の顔を思い浮かべた。そして、家の電話機の受話器を取り、電話帳から「茜家」の番号を探し、かけた。茜は、零と凛の母親の名前だった。
少し長いコール音の後で、「もしもし」という声が聞こえた。今までに聞いたことのない、女性の声だった。
「あ、お、俺、零だけど……」
恐る恐る名乗ると、声の主は黙ってしまった。零が「あ、あの?」と聞くと、
「このバカ息子!」
という怒鳴り声が聞こえてきた。確実に母親だろうな、と零は悟った。
「どの面下げて電話してんの!葵姉にも勇樹義兄さんにも迷惑かけて!凛ちゃんが何回か様子見に行ってくれたからいいものの……!大学卒業したら、二人に必ず謝りなさい!もう、本当に零くんは我儘なんだから……!」
「わ、悪かったって。母さんにもいつかちゃんと謝りに行くから……」
それを聞いた母親の、息を呑む声が受話器から聞こえた。
「あ、あの、母さん?」
「それ、絶対しなさいよ。今まで零くんがそんなこと言ったの初めてだから、びっくりしちゃった……」
どんだけ月島零は駄目な奴だったんだ、と零は内心呆れつつ、「凛に変わってほしいんだけど」と言った。「分かったわ」という声がして数秒後、「何?兄貴」という凛の声が聞こえた。
「凛。1つ聞きたいんだが……これは、俺の友達の話なんだけど……」
零がそう言うと、凛の吹き出すような音が聞こえた。
「え?」
「あ、いや、なんでもないよ?続けて?」
零は不快に思いつつも、凛に話した。
「その……俺の友達がさ、今度旅行行くことになったんだよ。ただそいつ、親が金出してくれなくて、自分の貯金を崩すしかなくてさ。しかも、一緒に行く女の子のお金も負担してやんなきゃなんなくて。女の子の家は貧乏だったんだよ。だからなんだけど、女の子が水着はスク水しか持ってないから欲しいって言ったんだけど、金銭的に駄目だって言ったら、女の子泣いちゃったんだ。あ、友達の話だからな?」
「はいはい分かってるって。それで?」
「女の子は、笑って誤魔化すんだ。ごめん、無理だったね、我儘言ってごめんって。でも、俺……の友達は、女の子が泣くとは思ってなかったんだ。そいつ、どうすればいいか分からなくて……なあ凛、どうすればいいと思う?」
凛は、とても真剣に聞いていた。そして。
「兄貴の友達の親に、頼めばいいんじゃないの?「俺の彼女になるかもしれない奴が困ってるから助けてやりたい」って。真剣に頼めばお金くれるんじゃないの?」
と、明るく言った。
「か、彼女って……!」
零の顔が少し赤くなった。
「それくらいしか思いつかないけど。その子、どのくらいの子なの?」
「り、凛と同い年で、同じくらいの身長の奴だ」
それを聞いた凛が、「え、まじ?大学生かと思ってた」と素になって呟いた。そして、咳払いをすると「なら、なおさらじゃない?その女の子の願い、叶えてやんなよ」と、笑って言った。零も、どこか安心ように笑った。
「兄貴……じゃないや。兄貴のその友達にさ、その子を大切にしなって言っといてよ。今、そういう子を狙った誘拐事件、起きてるらしいから」
「誘拐事件?って、あー……」
零は、詩乃の言葉と奏太の顔を思い出した。
「それ、知ってるな。子供を誘拐するんだろ?」
「そうだけど、ちょっと違うよ。部長曰く、「理不尽にも願いが叶えられなかった子」が攫われてるんだって。兄貴が言ってた女の子みたいな、お金が無くて欲しくても我慢しなきゃいけない子や、長男長女だからって我慢させられた子。虐待を受けてきた子に、病気で外に出られなかった子」
それを聞いた零は、千里のことを思い出した。凛は続けた。
「そういう子が、「願いを叶える夢の国」に連れて行ってくれる笛吹きに誘拐されるらしいよ。実際に被害にあった子の親から部長が聞いて、そう判断したって。部長は今回の事件を、「山風町の笛吹き」って呼んでたかな」
「山風町の笛吹き……」
「そ。ハーメルンの笛吹きのイメージらしいよ。あ、そろそろ部活行かなきゃ。頑張んなよ、兄貴」
凛は、そう言って電話を切った。「友達だっつの」と呟いた零の顔は、笑っていた。零はスマートフォンで1人、電話機で1人の連絡先を見つけ出した。
「あ、もしもし?……叔母さんか?」
受話器で、零は電話をかけた。スマートフォンの画面には、美波に連絡をしている画面が映っていた。
その日の夜。
奏太は、月明かりに照らされる公園の中で、小さく笛を吹いていた。
「……来たね」
小さな来客に気付くと、吹くのをやめた。
「本当に、大変だったよ。夜は出歩いちゃ駄目って言われたからね」
千里の顔が、月に照らされた。
奏太はそれを見て、ニッコリと笑った。
この話、凛との会話あたりはオリンピック開会式の選手入場を見ながら書いています。
とても面白いですね。特にゲーム音楽で選手入場な所。民族衣装や、富士山と桜のユニフォームを海外の人が着ているのは少し嬉しいです。
私は基本オリンピック好きなので、できる限り見たいですね。
次回は7月26日です。




