可愛いもの
次の日。
灰色のどんよりとした重たい雲が流れ、零の育てている向日葵がしおれてしまった、そんな昼間。ナリは課題をこなしている零の為、代わりに掃除機をかけていた。
「にゃんにゃーん、にゃんにゃにゃんにゃー」
ナリの尻尾から出てきた毛を、鼻歌を歌いながら掃除機で吸っていく。尻尾をふりふりと動かし、カーペットの上やフローリングの上を整えた。
「おーい、ナリ」
後ろから零の声が聞こえたので、電源を止めて振り向いた。零は彼の部屋の扉にもたれかかり、スマホを持ってゆらゆらと動かしていた。
「ん?なんにゃ?」
「美波から連絡来たぞ。今日ショッピングモールで遊ばないかって」
「にゃーん?美波今どこいるのかにゃ?」
「今、中ヶ丘駅だってよ。ほら、でかいショッピングモールあって、陽斗の住んでる喜山駅の隣の駅」
「にゃ、そこなら近いし、行くにゃ!零は?」
「俺は行かない。課題あるし、女子の中に混ざって買い物とか、絶対荷物持ちにされる」
「にゃーん……あ、零!」
「なんだよ」
「お金!遊ぶお金頂戴にゃ!」
「……はあ。ほら、やるよ」
零はため息をつき、部屋から財布を取ってくると、3千円渡してくれた。
「え、3千円!?少ないにゃ!交通費もよこせにゃ!」
「それが人に物を頼む態度かよ。交通費はその中から捻りだせ。あと、足んなくなったら美波から貰えよ。今お前のせいで割と金欠だから」
「えー!?ケチにゃー!」
「ケチつけるなら働くことだな。ほら、行ってこい」
零にそう言われ、ナリは口を尖らせた。そして、「《異形》」と唱え、獣人族の姿から人間の姿に変化した。
「今日は昼間も寒いってよ。えっと……15度までしか上がらないらしい」
零がスマホでニュースを見ながら言った。
「うーん……でも私、防寒具持ってないしにゃー……とりあえず、行ってくるにゃ!」
「おう、行ってらっしゃい。あ、そうだ」
玄関で茶色のブーツを履き、グローブを手に着けたナリに向かって、零が言った。
「ナリ、お前1週間後だからな。覚えとけよ」
「え?な、何がにゃ?」
「教えない。教えたらお前絶対逃げるからな」
「逃げるぅ?犬でも呼ぶのかにゃ?にゃはーん、零、さては私が犬に勝てないとでも思ってるのかにゃ?そんなもの打ち倒してやるにゃ!千里でも本物の犬でも、どーんと来いにゃ!」
それを聞いて、零は思わず吹き出してしまった。
「え、ちょ、な、なんで吹き出すんだにゃ!?」
「いやあ、悪い悪い。とにかく、1週間後……8月5日だからな。忘れんなよ?」
「そこまで言われたら忘れないにゃ。じゃ、行ってきまーすにゃ」
「行ってらっしゃい」
零は笑いながらナリを見送ってくれたが、ナリはというと(なにあの感じ……零ってば意地悪)と腹を立てつつ、最寄り駅に向かった。
電車で中ヶ丘駅に着くと、駅前に見えるショッピングモールに向かう、子供連れの女性で賑わっていた。冬物のセーターを着ている子もおり、マフラーをしている子が多かった。空は先程よりも暗くなり、太陽が雲で隠れてしまっていた。
切符を改札に入れて駅を出ると、ショッピングモールの目の前で、ナリに向かって手を振っている美波を見つけた。白の手編みのマフラーを付け、茶色のポンチョを着ていた。
「なーりちゃーん!こっちこっちー!」
言われた通り近くに寄った。ピューと冷たい風が吹き、ナリは身を震わせた。
「ナリちゃん、寒そうだね……とりあえず、中入ろ!」
2人でショッピングモールの中に入った。暖房が効いており、中はちょうど良い暖かさだった。4階まであるショッピングモールで、1階に食料品店、2階は女性物の服屋、3階は男性物の服屋、4階は子供用の店となっていた。大きなエスカレーターが、4階までスムーズに行けるように繋がっていた。
「でかいし、あったかーい!初めて来たかも……」
「そうなの?山風町でもかなり有名なところだけど……っていうか、なんでナリちゃん、そんな軽装で……」
美波がナリの服を見た。ナリはいつもの、黒と白の半袖のワンピースを着ていた。
「いやー……私、これしか持ってないし……」
「え?うっそー!?ねえ、せっかくだから買っちゃおうよ!多分今、冬物安くなってると思うよ?」
美波はそう言って、ナリの手を引いた。そして、3階へ繋がるエスカレーターに乗った。
「ナリちゃん、どんなのが似合うかな……お金どのくらい持ってる?」
「3千円……零がこれしかくれなくってさー」
「ええ!?もう、零くんってば女の子のこと分かってないね!女の子の楽しみは、とにかくお金かかるっていうのに!」
「ほんとほんと!それで、どこいくの?」
3階に辿り着くと、美波は率先して、女子高生御用達の店にナリを連れて行った。そして、ナリの体に色々な服を当て、ああでもないこうでもないと呟いた。
「……よし!ナリちゃん、1回試着室入って!」
コーディネートが決まったようで、10分後、ナリを試着室に押し込んだ。ナリに服を手渡し、「中で獣人族になってみて、人間で外に出てきて」と耳打ちした。
そして、5分後。
「きゃー!ナリちゃん、かっわいい!!」
ナリが顔を真っ赤にして、美波の前に出てきた。
茶色の分厚いカーディガンを羽織り、元々着ていたワンピースを脱いで、白のセーター、黒の膝丈のスカートを履いていた。その服は、獣人族の時に大きさがぴったりになるよう調整されており、赤いベルトがよく似合っていた。
「う、うん……」
「あれ?ど、どうしたの?すっごい可愛いよ!」
「いや……ソルンボルにいた時は、強そうなもの選べば良いだけだから良かったんだけど……こっちにいた時はいっつも制服着てたから、自分に似合うのとかよく分かんなくて……可愛いって言われても、実感が……」
「ナリちゃん、実感がなくても可愛いものは可愛いの!ナリちゃん、《異形》してみた?」
「うん、したよ。大きさぴったりでびっくりしちゃった。まだ美波と獣人族の状態でいたこと、あんまりないのにさ」
「分かるものは分かるからね!あと、そのスカートじゃ動きづらいかもしれないけど、大丈夫!ほら、この黒のタイツ、履いてごらん!」
美波に黒のタイツを渡され、もう一度試着室に入った。それを着て出てくると、美波がまた「可愛いー!」と言った。
「それがあったら、スカートの中身見えても大丈夫!という訳で、戦闘のことも考えたコーディネートだよ!どう?」
「うん……!美波、ありがとう!あ、でも、私お金……」
「大丈夫!3千円超えちゃった分は、私払っておくから!それじゃあ、お会計しよう!」
そうして会計を済ませたナリと美波は、楽しげに他の店を見て回った。途中でアイスクリームを食べたり、服を着たりしていたが、美波が服を買うことは無かった。
そして、ナリが中ヶ丘駅を降りてから2時間が経過した頃。
「あ、くまるんだ」
4階の子供用品売り場で、ナリが近くにあった人形を指さした。それはナリが小さい頃見ていたアニメの主人公の名前で、つり目で少し毒舌なくまるんが、皆と仲良くなっていく、という物語だった。女の子に人気があり、小さな女の子がその人形を持って、「お母さん、くまるん買って!」と駄々を捏ねていた。
「え、嘘、くまるん!?」
ナリが近付くよりも先に美波が人形を取ったことに驚いて、ナリはその場で少しの間固まっていた。美波は人形を数個取り、違いが何かないか見比べていた。
「え、み、美波……?」
「え?あ、ごめんね、ナリちゃん!そうだ、ねえナリちゃん、どの子が1番可愛いと思う?やっぱりこの、目尻が1番とんがってる子かなあ?」
「い、いや、それ量産してるからどれも一緒じゃ」
「そんなことないよ!うん、やっぱりこの子だね!ナリちゃん、待ってて、すぐお会計してくるから!あ、ストラップもあるんだね!うーん……」
美波がそう言いつつ、店の中に消えていった。そのスピードは凄まじく、ナリが店の中に探しに行こうとする前に、美波が帰ってきた。人形2つ、ストラップ3つを、くまるんがプリントされた袋に入れて。
「やっぱり我慢出来なくていっぱい買っちゃった!うーん、可愛い!」
美波が嬉しそうに人形を取り出し、頭を撫でた。そして、ストラップを1つ取り出し、スマートフォンに付けた。
「み……美波?」
「うん?どうしたの?あ、ナリちゃんもくまるんのストラップ欲しい?」
「いや、いい……あの、なんでそんなに好きなの?くまるんのこと」
そう言われて、美波はにっこりと笑った。
「可愛いから!くまるんって毒舌でちょっと怖い見た目してるけど、本当は優しくて、怖がりだから、怖いものが近付かないように怖がらせてるってだけの、可愛い子なんだよ!ソルンボルにいた時は、くまるんはいないし、むさい男達ばっかりだし、ナリちゃんしか可愛いのなかったけど……こっちでは、ナリちゃんもくまるんもいる。本当に、こっちに来て幸せだよ!……って、そろそろ帰る時間かな。今夕方の5時だから……帰ろっか!送ってくね!」
「あ、うん、ありがとう……」
ナリはそう呟き、下りのエスカレーターに乗る美波の後を追った。
外は、来た時よりももっと寒くなっていた。ナリは、美波に服を買ってもらってよかったと心の底から安堵した。
「今日は沢山遊べて楽しかったよ、ナリちゃん!それじゃあ、駅に……」
美波がそう言って駅を指さした、その時。
「おかーさん、もう帰るのー?」
「そうよ。じゃないとお母さん、お仕事間に合わないから」
2人の目の前に、小さな男の子の手を握っていたショートカットの女性が、駅に向かっていた。
「……溝口さん……?」
美波がそう小さく呟いたのを、ナリは訝しげに聞いていた。
すると。
「あ、雪だ」
「本当だ、早く駅へ!」
どんよりとした雲の中から、雪が降り始めた。他の人達が次々と駅に向かって行く中、女性は上を向き、雪を眺めていた。ナリは美波の方を心配そうに見ていたが、美波はその男の子を連れた女性から、目を離さなかった。
そして、しばらくして女性が、突然男の子を置いてどこかへ向かっていった。美波は、苦々しい顔をして女性を追いかけた。
「あちょ、美波!?待ってってばー!おーいボク、お母さんのところに行くよ!」
ナリも慌てて、泣き出した男の子を抱きかかえ、美波の方へと向かった。
女性はショッピングモールから離れ、「中ヶ丘流通」と書かれた看板のある、古くて大きな場所に入っていった。どこか虚ろな目をしている気がするとナリは思いつつ、抱き上げた男の子を閉じかけたシャッターの前に置いた。美波は先程と同じ表情で、看板と女性を見つめていた。
(こんなところに一体何が……見たところ、なにも無さそうだけど……潰れちゃったみたいだし)
錆び付いたシャッターを見つつ、ナリはそう思った。
すると。
「釣れた釣れた、本当に簡単じゃなあ」
という、少し古い言い回しの声が聞こえてきた。ナリと美波は、耳をすませた。
「雪が心の中に入ったらその心を奪える、なんて素晴らしい魔法じゃろうか。これがソルンボルの時に使えたら、妾の王国も夢ではなかったじゃろうに」
ナリが、そう喋っている人物を見ようと、シャッターから顔を覗かせた。それは、青白いドレスを着た、冷気を漂わせる女性だった。その姿を、ナリは前に見た事があった。
(氷結の女王……!なんでこんなところに!?もしかして……いや、やっぱり……こいつがいるから、山風町は寒いんだ!)
女王を睨みつけようとして、ナリは顔を引っ込めた。
「さて……この女以外にも、もう少し人数が必要じゃのう。お前、名前は?他に家族は?氷の扱いには慣れておるか?」
氷結の女王が、先程から立っている女性に声をかけた。女性はやっと口を開いた。
「名前は、溝口恵麻。夫はいませんが、息子がいます。少し前まで、「中ヶ丘流通」の冷凍コンテナで働いていました」
それを聞いて、美波は持っていたくまるんの袋を、落としてしまった。
「!?何者じゃ!」
氷結の女王がその音に気付いた。恵麻がこちらに向かってくる。
「やばっ……逃げるよ、美波!」
美波の落とした袋を手に取り、美波の腕を力強く引いた。美波は顔を真っ青にして、ナリに引っ張られていった。
次回は5月31日です。