雪の結晶
2人でカレーを食べたあと、零は1階の零の部屋に、ナリは自分の部屋となった1階の部屋に、バラバラに分かれた。
「テレビとか見ないのかにゃ?せっかくあるのに。それとも、そんなに怒ってるのかにゃ?私が電話中に話しかけたこと」
ナリは扉を開けた零にそう聞いておいた。
「ちげえよ。普通に課題。大学生って忙しいんだぞ?まだ夏休みじゃないしな。テレビなら勝手に見てていいから」
とだが、零はそう言って扉を閉めてしまった。夜の9時になっていた。
「とは言われてもにゃー……」
ナリは自分のベッドの上で、ため息をついた。
「……やることがないにゃ。テレビ……んー、そういう気分じゃないしにゃー……風呂……いやいや、あんな水溜まり突っ込みたくないし。んー……」
ナリはふと、自分の部屋にある2つの扉を見た。1つは零の部屋やリビングを結ぶ廊下と繋がる扉。もう1つは、ナリの部屋からしか行くことが出来ない、小さな物置への扉だった。
「……たしか、零がここ自由に使っていいって……」
ナリはそう言いつつ、扉を開けた。小さな木の椅子が2つ隣合って置いてあり、他には小さなランプがあるだけの、何も無い部屋だった。獣人族のナリがギリギリ届くぐらいの位置に、小さな窓があった。そこから、月の光が部屋全体に注がれていた。ナリは電気を付けようとして、月の光で照らされている部屋が幻想的で綺麗なことに気付いて、やめた。
「……この部屋は、私にとってもぴったりだにゃ。女の子だしにゃ?」
ナリはそう呟いて、小さく「《異形》」と唱え、人間の姿になった。そして、やっと届くようになったハンドルを掴み、外に開いた。窓が開き、すうと風が入ってきた。
すると。
その風と共に、物置に何かが飛んできた。それは間違いなく、半透明で6方に木の枝のようにして伸びる、雪の結晶だった。
「……え?」
ナリが声を上げる。雪の結晶はそれだけではなく、正六角形、正六角形の頂点に円が付いたもの、他にも色々な雪の結晶が風に流れて飛んできた。ナリがもう一度雪の結晶に目をやると、もうすでに無くなっていた。
「……いやいや。なんかと見間違えたんだって。うん。7月に雪の結晶なんてないよ、そんなの」
そう思いつつ、ナリは窓を閉めた。ナリの頭には、ある出来事がよぎっていた。それは、氷結の冠を手に入れるため、コオニユ洞窟に行った時のことだった。
「よーし、行くぞお前ら!」
ダンバーの声が、暗い洞窟の中で響き渡った。
コオニユ洞窟は薄暗く、凍ってしまった地面や壁の岩がダンバーの持つ松明の明かりを反射しており、それが一時的な光源になっていた。
コオニユ洞窟は、入口から真っ直ぐ進むと、下に降りる階段があった。降りると、そこは全面氷で出来た広間となっていた。松明を近付けても氷は溶けず、光を反射していて美しかった。その広間から、3つの道が広がっていたが、その先は暗くてよく見えなかった。
「いや行くって……どこ行くのさ」
ナリが肩をすくめた。ナリは白の毛皮のコートを来て、トビー特製の「火炎のグローブ」という炎属性のグローブと、「火炎のブーツ」という炎属性のブーツを履いていた。
「手当り次第行くしかないな。まあ、迷っても大丈夫だぜ、この旗があれば!」
ダンバーはそう言って、大量の小さな黄色のフラッグを、冒険者用の大きなバッグから取り出した。それはブレインが、コオニユ洞窟が雪山にあると勘違いして慌てて買ってきた、遭難防止用の旗だった。
「お役に立てて光栄だけどね。で、どこいく?リーダー?」
ブレインが、重たい大きな斧を左手で肩に担いで言った。その斧は、今回ダンバーが新たに作るようトビーに要請した、氷属性の斧だった。薄い青色の斧で、水と氷属性の精霊が近寄ってくるような青色の宝石が埋まっていた。そして、薄水色の鎧を着ており、氷耐性は万全だった。
「まあ、左から行こうじゃないか。行くぞー、お前ら!よっ……と!」
ダンバーが、1番左の道の入口に旗を立てた。ダンバーとブレインが、奥に向かっていく。ナリは、先程から一言も話していないフィーネの方を向いた。
フィーネは、洞窟が暗いからか、顔が青白く見えた。ナリと同じコートを着て、火で照らされる松明を持っているというのに、酷く寒そうだった。
「……フィーネ?大丈夫?」
ナリは、フィーネが心配になって声をかけた。フィーネの手は震えていた。
「……ナリちゃん……すっごく……すっごく……」
「すっごく?」
「……すっごく可愛いね!」
ナリは、衝撃的すぎて声も出なかった。心配して損した、と強く感じた。
「白のコートとナリちゃんの黒の髪がマッチしてるし、コートから出てる尻尾の先も白くて可愛い!それに、ブレインくんよりは大きいけど、人間のダンバーくんよりは小さくて、丁度撫でやすいっていうか……って、あ、あれ?なんでそんな驚いたような顔してるの?」
「……なんというか……どうしたの?フィーネ」
「どうもしてないよ?私はナリちゃんが可愛いなーって思っただけ!」
「いや……とりあえず、顔青くしながら言うセリフじゃないよ?」
ナリは、自分の頭をわしゃわしゃと撫でるフィーネを見上げた。フィーネの顔は徐々に赤みを取り戻していた。彼女は微笑んで、また撫でくりまわした。ナリは自然と耳をたたみ、フィーネが撫でやすいようにしていた。
「わ、ちょ、フィーネ!か、髪が……」
「……私ね。本当は、今までで1番、怖いんだ。今まで行ってきた、どのダンジョンよりも。いつ凍え死ぬか、分からないじゃない。でも、ナリちゃんが近くにいると、大丈夫だって思えちゃう。だって可愛いもん!ずっと思ってきたけど、今1番、可愛いって思ってる」
フィーネが、静かにそう言った。奥から、「おーい、フィーネ!ナリ!さっさと来い!雪の結晶が……!」という、ダンバーの声が聞こえてきた。
「ナリちゃん。このダンジョンにいる時だけでいいから……私が寒そうにしてたら、言ってね。「可愛いナリちゃんがついてるよ」って、私の手を握って」
「寒そうにしてたら?コート貸してあげよっか?」
「ううん、いいの。私、そう言われちゃったら、コートを着るよりも、体が暖かくなるからね!さあほら、行こう!」
フィーネが、ナリを先導した。ナリは慌ててついていった。
奥の部屋は、奥に1つ道があり、水がたっぷり溜まっているプールのようなものがある、氷の壁の部屋だった。しかし、その部屋にはなぜか、手のひらほどの雪の結晶が空から落ちてきていた。その結晶は、水の中に落ちると、溶けていった。
「な、なんでこんなところで雪の結晶が……?」
「分からない。ただ、この雪の結晶、ただ降っているだけじゃなくて、奥へと俺達を導いているみたいだ。行こう」
ブレインに言われ、ナリ達は奥の道へと向かった。すると。
「……あ、あれは……!?」
ダンバーが声を上げた。次の部屋にいたのは、白い肌の女性だった。薄い青のレースのドレスを着て、冷気を漂わせる彼女は、空中に浮いていた。彼女はナリ達を見ると、ふふふと笑って、右手の道へと飛んで消えてしまった。彼女が通った場所からは、雪の結晶が降り注いでいた。
「あれは……!って、なんなのさ、ダンバー!」
「……ここに来る前に情報を仕入れてたんだ。薄い青のドレス、漂わせる冷気、降り注ぐ雪の結晶……ナリ、あれは……あれこそが、このコオニユ洞窟のボスであり唯一の敵、コオニユ洞窟の主!氷結の女王だ……!あの姿を見て道に迷って終わることも多いと聞く。追いかけるぞ!」
ダンバーが氷の上を走り出した。ナリとブレインも慌てて向かう。ナリは、寒そうにしているフィーネを見たが、それどころでは無いと、手は握らなかった。
「……あの時、手を握っていたら……何かが変わったのかな……」
ナリは、窓を閉めてそう呟いた。
結局、その後ナリ達は、女王を追いかけていたら道に迷ってしまい、しょうがなくフィーネの《逃走道外》を使って外に出た。そしてリベンジを狙おうとしたが、フィーネが拒否した為、イゲタ洞窟へと進路を変えた。
「……いや、変わらなかったよ、きっと。私たちは道に迷ったんだし。だけど……」
もう一度窓の外を見た。もう雪の結晶は見えなかった。
「……いや、まさかね。氷結の女王が居るのはソルンボル、私達がいるのは現実。コオニユ洞窟でしか住むことが出来ない女王が、こんな所にいるわけないでしょ」
ナリは、自分に言い聞かせるようにそう言った。そして、扉を閉め、自分の部屋に戻っていった。
次の月曜日は、勉強しなければならないのでお休みです。次回は5月28日です。