寒い夏
「最初に起きたのは、8日前……私が初めて《異形》した日だにゃ」
ナリは椅子に座り、向かいにいる零にそう説明した。
「ああ……確かにその日、俺も突然、意識が消えた。視界が真っ暗になったと言うべきか……講義中意識が消えて、起きた時は講義が終わっていた」
「講義って、どのくらいあったのかにゃ?」
「1コマ分、90分だな。1時間半くらい、俺は意識がなかった。それで、今回は2時間か……」
零が時計を見た。今は7時5分を示していた。
「同じタイミングで、同じように意識が消えて……もしかしたら、これも私たちがこっちに来たのとなにか関係があるのかもしれないにゃ。美波達にも聞いてみないと」
「そうだな。とりあえず、買い物に出かけるか。ちゃんと食事をとっておかないと、謎を解くことも出来ない。ナリ、行くぞ」
「にゃーん。《異形》!」
ナリが人間の姿に変身した。そして2人で、玄関から外に出て、扉に鍵をかけた。
外は暗く、ピューと風が吹くと、それはとても乾いていて、冷たかった。外に植わっていた向日葵は下を向き、半袖で過ごしていた零とナリは身震いした。それほどに、とても寒かった。
「さっむ!なんだよこれ、寒過ぎだろ!今7月だぞ!?」
「さむさむさむ!い、《異形》!」
零は鍵を開け、中に入った。ナリはまた変身し、今度は猫の姿になった。
(とりあえず、この毛皮の姿なら大丈夫かな……零手伝えないけど。うーん、女の子物の服が欲しい……零の叔母さんの服、ちょっとケバケバしくて着たくないんだよなー……)
ナリがそんなことを思いながら零を待っていると、零が上着を着て出てきた。赤いパーカーの、少し厚手の上着だった。鍵をかけ、ナリの近くに来た。
「なんか寒くねえか?今日、熱帯夜だって天気予報で聞いたんだが……これ、多分20度下回ってるよな?15度とか……」
「そんにゃに!?確かに、凄く寒い気がするけどにゃ……」
「お前は猫だから寒さ緩和されてんだよ、きっと。とりあえず行こう。スーパー近くなったら人間になってくれ、多分スーパーの中は大丈夫……なはずだから」
「分かったにゃ」
そう言って零とナリは、スーパーのある駅前へと向かった。
「ただいまにゃー、《異形》!」
30分後、帰ってきた零は上着を脱ぎ、ナリは獣人族状態になった。そして、今買ってきたカレーの具材の入っているエコバッグをダイニングへと運んでいった。
「まさかスーパーの中の方が寒いなんてにゃ……」
「ああ。冷静に考えたら、冷蔵しなきゃいけないもん多いから寒いに決まってるよな……悪かったな、ナリ」
零もダイニングに現れ、手を洗ってからナリと一緒に具材を冷蔵庫へと入れた。ナリはそれを見て、慌てて手を洗い始めた。少し嫌がっていた。
「……って、お前手洗ってなかったのかよ。帰ってきたら洗うだろ、普通」
「だってー……水……水嫌だ……」
「水ぅ?お前いつも飲んでるじゃねえか、猫でも人間でも」
「触るのと飲むのは別にゃ!濡れるのは嫌いにゃ……」
ナリが頬を膨らませてそう言った。
(……あ、猫だからか)
零はそれを聞いて、やっと理解した。
「とりあえず、カレー作るからお前手伝って」
「はいにゃー」
零に言われた通り、ナリは夕飯作りを手伝った。玉ねぎ、じゃがいも、人参を均等に切る。零は鍋を用意し、玉ねぎは牛肉と共に炒め、じゃがいもはその後に入れ、人参は電子レンジで温めてから水を入れた後に入れて、クツクツと煮込んだ。
「おーいナリ、カレーのルーどこやって……って、ナリ?」
ナリは、箸とスプーンを並べた後、ずっとソファの上で座っていた。泣いているようで、手で目をこすっていた。
「ナリ?おい、大丈夫か?」
「ううー……玉ねぎ切るんじゃなかったにゃー……」
(……なんだ、玉ねぎか……)
零はそう思いつつ、ふうとため息をついた。
「じゃあしばらく大人しくしてろ。尻尾と耳の毛が飛んだら困るし、そろそろ作り終わる」
「な、なんだか悲しいけど……しょうがないにゃー……」
ナリはそう言って、テレビをつけた。国営放送であり、地域のニュースだった。零はカレールーを冷蔵庫から見つけて入れ、タイマーをつけた。そして、ナリの見ているニュースが見える、ソファの近くに寄った。
「続いてのニュースです。山風町付近で急激に気温が下がり、ところによっては15度を下回りました。付近ではそのような様子はなく、局地的な気温の変化となりました」
ここで、ニュースは山風町の駅へと場面が映った。夜の8時で、そこは陽斗の住む駅だった。
「山風町喜山駅です。この地域では、夜8時の気温は27度と予報されていましたが、ご覧の通り、13度となっています」
マイクを持ち、カメラの方を向いて話しているリポーターが、片手に気温計を持った。赤い液体が、15と書かれた目盛りを下回っていた。
「風がよく吹くのですが、7月だというのにとても冷たいです。冬物を着た方がいいかもしれない、といったような寒さですね。気象予報士の鈴木さん、どうして部分的に気温が下がったのでしょう?」
ここでカメラが切り替わり、気象予報士と女性キャスターのいるスタジオが映った。
「……はい、という事でしたが、鈴木さん、どうしてなのでしょうか?」
女性キャスターが気象予報士の男性に話しかけた。
「はい、実はですね、何故なのかさっぱり分かっていないのです。気象レーダーにも、寒波の様子は写っていません。現在原因を気象庁で解明中ですが、恐らく、暖気よりもっと強い大寒波が北から現れ、山に囲まれている山風町の中に溜まってしまった、ということなのではないでしょうか」
「なるほど……前にもこういったことは?」
「それがなくてですね……現在原因を解明中ですので、しばらくお待ちください」
「明日の山風町の天気は、どうなりそうですか?」
「明日は、天気予報では曇り時々晴れ、最高気温は25度、最低気温は18度となります。しかし、まだ原因が分からない状態ですので、臨機応変な対応をお願いします」
「なるほど……暖かくしてお過ごしください。それでは、次のニュースです……」
女性キャスターがそこまで言ったところで、ナリがテレビの電源を切った。
「気象予報士でも原因がわからないなんて、なんだか怪しい感じにゃー……」
「そうだな。もしかしたら、安寿の時と同じで、誰かが何かをしているのか……?」
「何かって、何?」
「何って……悪さだよ、悪さ。なんでそんなことするのかさっぱり分からないが」
ナリと零がそう話していた、その時。
零の家に置いてある電話機が、電子音を鳴らした。「茜家デス」と電話機は知らせた。
「茜家?」
「月島茜、今の俺の母親だ。叔母さん……友利葵さんの妹だってよ。鍋見ててくれ、焦がすなよ?」
「もっちろんにゃ!ほらほら、行くにゃ行くにゃー!」
ナリがそう言って台所へ向かったので、零はリビング兼ダイニングの入口の扉の近くにある電話を取った。
「もしもし?」
「あ、もしもし、兄貴?凛だけど。行方不明になる前に事件解決してよかったね」
受話器から聞こえてくる声は、まさしく凛だった。
(なんだ……凛か。親のこと、俺あんまり知らねえからなあ……息子なのに変な話だ)
ふう、と胸をなでおろした。だが、それを凛に悟られないように、声色を変えずに返事した。
「……まあ、そうだけども。俺大丈夫だったからな?全然」
「何度も言うけど、そういうのが1番危ないの。別に私は良かったんだけどさ、兄貴がどうなっても」
「ふーん……でも、そう言う割には俺に教えてくれたじゃん。毒りんご事件だっけ?のこと。心配してくれてるんじゃないのか?」
「う、うっさいうっさい!」
零は、凛のその慌てたような声を聞いて、にやけてしまった。だがそれを、すぐに真顔に戻した。ナリの方を見たが、鼻唄を歌いながらカレーの鍋の中をかき混ぜていて、気付いてないようだった。
「んで、どうしたんだ?電話かけてくるなんて珍しいじゃないか」
「お母さんが電話かけろってさ。ほら、山風町、今めっちゃ寒いじゃん?「零くんが1人で凍死でもしたらどうするの!?凛ちゃん!電話かけて頂戴!」、だって。で、元気?」
凛の声真似は、零の知らない母親に似ているのか、彼にはよく分からなかった。
「まあ元気だけど。買い物行く時寒くて驚いたくらい」
「ふーん、なら良かったけどさ。兄貴はどう思う?これ」
「これってなんだよ」
「この原因不明の大寒波。気象レーダーにも写ってなかったってさ。ニュースでやってた。なーんかオカルトチックな感じしない?」
「お前はほんと、オカルト好きだな」
「まあね。これでも副部長だし。最初は部長に頼まれて数合わせで入ったけど、なかなか楽しいからね。で、知りたい?」
「今回の寒波についてか?まあ、そりゃあ気になるけど」
「ふーん……なら、オカ研で情報が掴めたら教えてあげるよ。じゃあね、これから夕飯だから」
「そうか。それじゃあ……」
と零が電話を切ろうとした、その時。
「零ー!カレー出来たー!」
という声が、零の耳に届いた。ナリの声だ。
(な、ナリ……お前……!確かに黙ってろとは言わなかったけども……!凛に聞こえてないといいが……)
零はそう思いつつ、こめかみを押さえた。そして「ん?兄貴、今の誰?女の人?彼女!?」と、当然のような凛の反応を聞いて、零はうなだれた。
(……まあ、だよな……俺だって知ってるよ、前の月島零が元々ネット以外で友達少ないって……そりゃ、消極的な兄が1人で住んでる家から、違う、しかも女の声が聞こえてきたらそりゃあそんな反応するよな……)
そう思いつつ、なんとか弁明をしようとして、言った。
「あー……彼女じゃなくて、サークルの女友達というか……」
「兄貴テレビゲームやるサークルでしょ?良かったじゃん!そのままカレカノになっちゃいなよ!滅多にないチャンスだよ!?」
「滅多にないって、流石に俺を見くびりすぎだ。とにかく、今いるのは彼女じゃない!」
「えー、友情が愛情に変わるタイプかと思ったのに……あ、お母さん来ちゃった。じゃあね、これから夕飯だから」
凛はそう言って、ブツンと電話が切れた。
「……ナリ?」
「あ、お電話終わったにゃ?カレー出来たから皿に盛り付けしといたにゃー。隠し味も入れといたにゃ!ただの牛乳でも美味しくなるのにゃー!」
零は、能天気なナリに、とても腹立たしくなった。
「ナリの…………ナリのばっかやろー!」
「ええ!?なんかしたかにゃー!?」
そうして2人は、食事についた。ナリは食事中、ずっと零とくだらない話をしようと試みたが、零は食事中、ずっと怒っていた。
次回は5月21日です。