虚っぽの現実
「全員……八つ裂きにしてくれる!」
満咲は少し後ろに引いた後、太くて巨大な槍を床に突き刺した。
地面を裂くような地鳴りが響く。こちらに向かって来ているみたいだ。
やがて、床から無数の槍が上に突き出してきた。満咲が持っている槍と同じ、白くて太い槍だ。
「《自由針筵》!」
満咲が叫ぶと同時に、その槍達が全て蝶へと変化した。
鋼鉄の刃を羽に備えた蝶は、その羽を羽ばたかせて、円形を成して飛んでいく。
恐らく、あれにかすりでもしたら、槍を喰らった時と同じように怪我をするのだろう。
場合によっては、消えてしまうのかも。
「……《盧生之夢》ッ!」
右足に魔法をかけて、助走をかけてスライディングで突撃した。
一部の蝶は消えているけれど、まだそれでも、全体の半分にも満たない。
「もう一回……!」
「ナリ!猫になれ!」
亥李の声だ。焦っている声で、こっちに近寄ってくる。
言われるがまま、《異形》で猫の姿になった。
その瞬間、足元から無数の蝶が現れた。満咲が優先的に私を狙ったらしい。一箇所に集中している。
《異形》で身長が縮んだお陰で、空中に放り出されたから、間一髪それらを避けることが出来た。
でも、このまま蝶達は私に向かって飛んでくる。
対して私は、重力に従って蝶の中心へ真っ逆さまだ。
「うわっ――」
「どりゃあああああああああ!」
そう思ったその瞬間、私の首元は力強いゴツゴツした手に引っ張られた。
されるがままに上へと投げ飛ばされていく。見ると、亥李が盾で地面から生えてくる蝶を防ぎ、私を守ってくれていた。
だけれど、盾も夢の一部。《盧生之夢》によって、盾はどんどん削られていく。
「亥李!」
「させないわよッ……!」
参華が走り出すのが見えた。その先は、槍を引き抜きこちらに鬼の形相で向かってくる、満咲だった。
そうだ。魔術師と戦う時の基本。
魔法を止めたければ、本人を殴ればいい。
慌てて《異形》で獣人族の姿に戻った。参華が槍を構えたタイミングに合わせて、空中でくるくると回転し、体制を整える。
「消させはしない!《槍の不滅花》!」
風を纏い、参華が槍を突き出す。そのまま何度も突き、ブーケのように槍を繰り出していく。
「望むところだ!《胡蝶刺突》!」
満咲も槍を参華に向かって突き出した。太くて白い槍が、参華の槍を弾きながら、何度も突き出されていく。
だけれど、満咲はそれで手一杯のはず。参華の槍より満咲の槍は重くて扱いにくそうだから、参華の突きよりスピードが少し遅い。
よし、今だ!
「《有備無患》!」
くるくると回転し続け、やがて大理石の柱に足が当たった。
そこを足台にして、満咲の方へ飛んでいく。
「山門有……!?」
満咲が、不意をつかれた表情で私を見た。
一瞬の後、前に突き出した拳が満咲の頬に激突する。私の手も痛いってことは、満咲はもっと痛いはずだ。
ふらふらとよろける満咲の耽美な頬には、青い痣が出来ていた。
「亥李くん!」
後ろから、美波の悲鳴が聞こえてきた。
満咲の魔法は解けたらしい。地面から伸びていた、あの蝶で出来た触手は消えて無くなっている。
でも、亥李が私の代わりに受けてくれたダメージは尋常じゃない。
盾のほとんどは損傷して使い物にならなくなり、亥李自身も、所々擦りむいたように肉体が消えている。
美波が駆け寄って支えているけれど、立ち上がるのも大変そうだ。
「《赤光回復》!」
美波がロザリオを亥李にかざした。傷は治っているけれど、やっぱり、破壊された部分はそのまま治っていない。
私が、なんとか助けなければ……!
「《胡蝶之夢》…………!?」
くらり。
そこまで唱えたところで、急に目眩がしてきた。
世界がひっくり返っていく。地面の感覚が消えていく。
まるで、虚構の中に取り残された気分だ。
「ナリ!」
零が背中を支えてくれるまで、目眩が止まらなかった。
大きな手だ。ラヴ=ブレイヴ様の試練で手を取った時と同じ、力強くて、暖かい手。
目が慣れてきたようで、やっと、元の景色が見えてきた。崩れかかった天井から、パラパラと砂が落ちてきている。
「無理すんな、ナリ!さっきから魔法使いまくってるから……!」
そう。この世界では、魔力イコール体力。
だからつまり、私の身体にも限界が来ているということ。
結局、私は満咲みたいに「体力という概念すらも夢なのだから無尽蔵にある」とは考えられなかった。
どれ程の長い間、そうやって考え続けていたら、虚しさを味わい続けていたら、私は満咲のように魔法を打ち続けられるのだろうか。
あるいは、私ではもう太刀打ちできないものなのか。
満咲はほとんど生まれた時から夢の世界にいた。だから、夢以外で体力がどんなものなのかは分かっていない。
最初から分かっていないものに対して、夢だと思うのは簡単なのかもしれない。私達が、幽霊を見たら夢だと思うように。
それなら、私では天と地がひっくり返っても満咲には届かない。果たして、どうするべきなのか……
「千里!あんたもほら、魔力回復しに下がった方がいいんじゃない!?」
「うるさい、詩乃……うう、クラクラする。あと《空谷跫音》が一回分くらいしか……」
千里と詩乃も、そろそろ限界が近いみたいだ。
詩乃に至っては、魔力で繋げていた彼女のドレスも、満咲の槍を庇った後に魔力が尽きかけたせいで、維持がゆるくなっている。
早く、結末を迎えなくてはならない。皆限界に近いんだ。
でも、一体どうしたら……
「ナリ!」
「にゃあ!?」
零の声で我に返った。どうやら、また意識が飛んでいたみたいだ。
足に地面の感覚が無い。また誰かに投げ飛ばされたのか……なんて考えていると、膝の裏に何か硬い感触があった。
「チッ!ああもう、外した!」
駄々っ子のように癇癪をこねる満咲の顔が見える。
満咲の攻撃が来ていたのか。じゃあ、どうやって私はそれを避けて……?
「大丈夫か!?さっきからボーッとして……!」
頭上から零の声が聞こえた。なんとなく予想はついていたけれど、やっぱり今の体勢は、もしかして……
「れ、零!」
「ん?なんだよ!?今ちょっと忙しいんだ!」
満咲の次の攻撃が来ている。何度も何度も、私を零ごと突き刺そうとしているようだ。
「逃げるな!ちょこまかと……!」
「意外とお前の槍は隙だらけなんだな!お陰で避けやすくて助かったぜ!満咲!」
挑発しているけれど、出来れば私の話を聞いて欲しい。
それと……!
「恥ずかしいから、お、下ろしてー!」
「悪ぃ!今ちょっと出来ない!下ろしたらお前、また倒れそうだし……満咲の猛攻も、おっと!避け続けなきゃいけねえ!」
確かに、零の背後から大理石を砕く地響きが聞こえてくる。
「それよりも!亥李はまだダウン中!美波が面倒を見てる!千里と詩乃は魔力が尽きかけてて、陽斗と参華は!?」
「ごめん!ちょっと、満咲のスピードに合わせられなくて……狙いを定められたら、俺の斧でダメージ与えられると思うんだけど……!」
「あの子の槍、衝撃波でも扱ってるの!?さっきから、後衛達を守るのに手一杯なんだけど!」
陽斗と参華はそう叫んで、二人いっぺんに突撃した。
零を追いかける満咲に向かって、槍で突き、斧で斬りかかる。
だけれど、陽斗の言う通り満咲が速すぎる。斧は空を切り、槍は満咲のリボンの先を引き裂いた。
「どうする!?ナリ!このままじゃ、魔力切れとダメージソースゼロでこっちが不利だ!あいつ、第二段階になって急に速くなったし……!」
その通りだ。それに、私の魔力ももう尽きかけている。
満咲の《盧生之夢》を防げたとしても、多分あと一回か二回。満咲は無限に魔法を使える分、勝利は厳しいだろう。
そのまま、全員消されるのがオチだ。
せめて、満咲のあの無尽蔵な魔力を、第二形態の時間を、奪うことが出来たなら……
「ん……?」
そうだ。さっき自分で納得したじゃないか。
満咲の魔力が無限なのは、夢だと思うことへの虚しさを感じる時間が、長かったからだって。
もしくは、満咲がほとんど生まれた時からこの夢の世界にいるせいで、体力という現実を知らないからだって。
知らない分、夢だと思い込みやすいんだって。
でもその割に、満咲には痛みに苦しんでいる時間もあった。
私が殴った後の痣も、流した血を拭っていたのも、零の攻撃の後に何よりも回復を優先したのも。
全て、痛かったからじゃないだろうか。
痛みなんて、夢での虚構だと思い込めばいいのに。
それでも彼女は、痛がっていた。刺された肩を気にしていた。腕が使えなくなることを恐れていた。
つまり満咲は、知っている。
この世界が虚構であるということと同時に、この感覚が現実的なものであることを。
なら、現実に引き戻してしまえばいい。
この世界を、満咲の現実にしてしまえばいい。
「零!皆!」
《盧生之夢》が二回しか使えないんじゃない。
この二回を、チャンスにすればいい。
「あのドレスの鎧は満咲が魔法で作った重ね着!中はさっきまで戦ってた制服なんだ!」
「え!?うん、それで?」
「攻撃して、その姿にまで戻して!!」
ただ聞いただけでは全く意味の分からない指示。
だけれど皆、頷いてくれている。
「任せなさい!陽斗、私は追いかけるからあんたは狙ってなさい!」
「分かった。任せて!」
参華と陽斗が目配せして、二手に別れた。
参華の攻撃はやはり当たっていないけれど、それでもドレスのリボンをボロボロに引き裂いている。
「だってさ、千里。今の話聞いてた?」
「聞いてた。僕らの出番なんでしょ?」
千里と詩乃も、杖を支えに立ち上がってくれている。
「僕らだって、最後まで足掻かなきゃね」
「かっこいー。ナリ!魔法打つタイミングは任せたよ!」
遠くの方を見ると、亥李が立ち上がろうとしている所を、美波がなんとか支えていた。
さっき私が唱えた《胡蝶之夢》は、私が狙いを定める前に倒れたせいで、中途半端にかかったらしい。
右手だけは完治していた。
「亥李くん、大丈夫?ごめんね、私の力じゃ、もう治せなくて……!」
「体の欠損とか、病気とか老化は、元々回復魔法じゃどうにもならなかったしな……よし、ナリ!今の作戦、引き受けた!」
「わ、私も……!皆のこと、治療するから!」
亥李も美波も、もうボロボロだというのに。まだ、私に力を貸してくれる。
「零!私のこと、思いっきり上にぶん投げて!それで、満咲に思念体で攻撃して!」
「おうよ!頼んだぞ、ナリ!」
その言葉を合図に、零が私から手を離した。
彼が手に取った両手剣の腹に乗り、体制を整える。
「発射ぁ!」
天井に向かって、思いっきり零が私を投げ飛ばした。
その途中でくるくると回転し、技の準備に入る。
「行くぜ……!《白兎赤烏》!」
地上では、零が戦いの痕跡を思念体化して、満咲にぶつけていた。
やっぱり、痛いんだ。動きが鈍くなった。
今がチャンスだ!
「《曷有加焉》ッ!」
かかと落としの要領で、天井を蹴った。
一回目の《盧生之夢》が込められた、渾身の蹴りだ。
天井にはヒビが入り、裂け目が世界を割っていく。やがて、そこから天井は全て崩れ落ち、灰となって消えていった。
それを支えていた柱にも、もう用はない。
天井から伝播して、魔法が柱を消していく。
「山門有!?何をして……!?」
満咲の動きが止まった。それもそのはずだ。こんなことに貴重な一回を使うだなんて、思わなかったんだろう。
だけれど、今度はもう、後悔しない。
もう誰にも、私の人生を縛らせやしない。
どうせ、誰かに壊されるんだ。それなら。
「この世界を、壊すんだ!」
私は、満咲を目覚めさせるんだ!
最終話ギリギリですが、次週は合宿に行くのでお休みします。
というわけで、次回は3月14日です。
ちなみに、先週「あと3話」と言いましたね。あれは嘘です。
でも多分あと3話で終わると思います。