最終戦、開始
満咲が言葉を発した瞬間に、満咲がゆっくりと空中に浮かび上がった。
風ノ宮高校の制服のスカートが、風でぶわりと揺れる。
足元には、いつの間にか白いカサブランカの花畑が出来上がっていた。
甘い夢のように、その花畑は地面をゆっくりと侵略していた。
王座だからか、その花畑が異様だからか、満咲のオーラのせいか。
辺りには、今まで感じたこともない緊張感が漂っていた。
「いくよ……《有為転変》!」
拳に《肉体烈火》を込め、満咲に向かって殴りつけた。
まずは腕試しだ。これが通用するかどうかで、戦い方が決まる。
「あら、あなたまだ生半可なことをしているの?」
満咲は軽く鼻で笑うと、槍を私の拳目掛けて突き刺した。
相打ちになる。
得物が尖っている分相手が有利そうだけど、《肉体烈火》は鋼よりも堅い肉体をもたらすんだ。それなら……
いや、違う。
槍から感じるこの禍々しいオーラは。満咲のこの絶対的な自信は。
間違いない。《盧生之夢》だ。
槍に魔法を纏わせて、それを私に刺しに来ているんだ。
そうだ。彼女は最初から本気だったのだ。
本気じゃなければ、必死じゃなければ、この世界は壊せない。
私が浅はかだった。
「《胡蝶之夢》ッ!」
急ブレーキしてその場で止まり、拳の先にコンクリートの箱を作り出した。
走って突っ込んできた満咲の槍が、丁度よくその箱を飲み込んでいく。
コンクリートは粉々になって、粉塵ごと槍は消し去っていった。
だがそれでいい。上手いこと、隠れ蓑になってくれた。
「《子虚烏有》!」
満咲の側面ですかさずスライディングをかけ、脇腹に向かって脚を振り上げた。
今度は迷わない。《盧生之夢》を脚に纏わせた。
「《盧生之夢》」
満咲が槍の先を持って、柄で対抗する。
咄嗟の受けだからか、唱えたら確実な呪文を使っている。
余裕そうに見えるけど、やっぱり満咲は、黒幕は似合わない。
「うにゃああああ!」
「フン……!」
魔法と魔法が、脚と槍が、相手を押し切ろうとぶつかり合う。
激しいオーラのぶつかり合いで、私の脚と満咲の槍は直接触れることなく競り合っている。だが、だからといって、魔法に任せる訳にはいかない。
魔法の熟練度は、満咲の方が上だ。私は力で、彼女を押し切れ。
衝突で生まれた風が、私達の間を抜けていった。
膠着している。一度離れよう。
「言ったでしょう?山門有。これは相容れない戦いだって。本気で来ないでどうするの?」
満咲も同じことを思っていたらしい。お互いに距離を取り、間合いの外に出た。
武器を構え直して、満咲を見つめる。
彼女は、私を睨みつけていた。
「ピンチになればなるほど能力を解放する黒幕なんて、この世に要らないのよ」
「どうかな……限界を超え続けるラスボスだって、必要だと思うけど」
「なら、限界まで能力を解放しなさい、有。必要なのは、圧倒的な強さと、圧倒的な速さよ」
その言葉のすぐ後に、満咲の姿が一瞬にして消えた。
「みさ――」
目で探す暇も無い。槍の先が目の前まで迫ってきている。
顔を逸らして、寸での差で避けた。
槍に触れた髪の毛の先が、灰燼と帰していった。
「本当に、目を潰すつもりで……!?」
「当たり前でしょう。人を殺そうとしているのに、なぜ目を潰すことを躊躇うの?必要なのは、覚悟だけよ」
覚悟……?覚悟が、私には足りないって?
いや、違う。私は、満咲を倒す為にここに来た。全てを壊す為にここに来た。
覚悟は、足りているはずなんだ。
「いいえ、有。あなたには足りないのよ。いつも、いかなる時も、圧倒的に」
「そんなことは……!」
「なら、こうはどう?あなたなら、どうするかしら?」
そう言って、満咲は私目掛けて槍を薙ぎ払った。
まずい。あれにかすりでもしたら、私は消されてしまう!
「ぬああああああ!」
先程の体制のまま、私は横に倒れ込むように槍を避けた。
一回転して、距離を取る。
満咲は参華がやるみたいに、槍をくるくると回して、風の流れを作っていた。
どうしよう。あれに少しでも立ち入ったら、魔法で消されてしまう。
実質、間合いのうちに入れないのと同じだ。私の方が間合いが短いのに。
死角を突く?いや、無理だ。死角に入ろうとした瞬間、あのつむじ風の中に入る。
油断を誘う?でも、焦って魔法を展開する時以外、油断を見たことがない。
なんとかしてそれを狙いたいけれど、今の私には――
「《浮世如夢》」
悩んでいるうちに、満咲がどこかに消えてしまった。
まずい。一体、どこから現れるのか――
「うにゃっ……!?」
正解は、横だった。
どうやら、誰かの夢の中を行き来して隠れていたらしい。
私の左腕に突き刺さった槍が、ゆっくりと引き抜かれる。傷跡から、糸が解けるように血が流れていった。
「あなたが仕掛けないから、私から仕掛けたわよ。あなたにはやはり、覚悟が足りない」
「うぐっ!?」
満咲が苛立ちを抑えた表情で、私の傷口目掛けて蹴り飛ばした。
痛い。刺された時と同じ痛みがジンジン来ている。太い針で傷口を開いたみたいだ。
「あなたは、やっぱり嘘吐きね。だって結局、あなたには無いんですもの。死ぬ覚悟が」
どうやら先程の槍には、魔法がかかっていたらしい。
傷口から広がる暗闇が、小さな穴を生み出していく。やがてそれは大きくなって、ついには左腕は床へと落ちていった。
「死ぬ……?あるよそんなの、昔から……!」
「いいえ、無いわ。昔からずっと。死んだと知るのはいつも終わってから。あなたはいつだって未練ばかりなのよ。いつまで後悔するつもり?死ぬ覚悟さえあれば、後悔なんてしないのよ」
「それはそうだけど、今は……!」
「無いわよ。あなたは、私を殺す覚悟も、私に殺される覚悟も無い。死ぬ直前に後悔するの?殺す直前に後悔するの?そんなことしている間に死んでいるわよ。未練ばかり残して」
布と綿の集まりな癖に、どうしてか私の腕は、ちぎられたように痛い。
私が上手く立ち上がれないでいると、満咲は私にゆっくりと近付き、槍を床に突き刺した。
「いい?有。これはただの戦いじゃないの。殺し合いよ。目の前にいる黒幕を殺して、世界を終わらせる為の、殺し合いなの」
そう言って、満咲が細い腕で私の首元を掴んだ。
白くて華奢な腕なのに、力が強い。上手く、話せない……
「あなたには覚悟が無い。死ぬ覚悟も、殺す覚悟も。気絶させたら、起き上がった時には改心してるとでも思った?甘いのよ。私は、そんなことでは屈しない」
そのまま、満咲が私を片手で持ち上げた。
息が苦しい。涙が出てきそうだ。
「同情したから何?共感したから何?だからあなたは弱いのよ。私は誰にも頼らない。私は自分の正義を貫いてみせる。私は自由なのよ。独りでも生きていけるの」
満咲はそう言って、ふっと、手の力を緩めた。
少し苦しくなくなった……いや、違うのだろう。
これは、勝者ゆえの余裕だ。
今からお前を殺すっていう、小さなサインだ。
「さようなら、有。呆気ない幕引きだったわね、黒幕さん」
満咲がそう言って微笑んだ後、私も知っているあの呪文を唱え始めた。
そして。
「《盧生之》……」
ああ。終わった。
負けたんだ。もう、私には、どうすることも――
「《魔力魔撃》ッ!!」
聞き覚えのある声が、耳元まで届いた。
満咲が慌てて手を離す。だがそれも遅く、満咲の手の平には、赤い切り傷が出来上がっていた。
重力の圧力で、ストンと床に落ちた。驚きすぎて、立ち上がることも出来ない。
「油断大敵だぜ?女王様」
目の前に、彼がいてはいけないはずなんだ。だって私は、皆に、彼に、真実を知られたくなくて、ここにいるんだ。
なのに、どうして彼が、私を助けてくれるのだろう。
どうしてこんなにも、私は嬉しいのだろう。
「一人で覚悟出来てるから強い?自分独りでも生きていけるから強い?いいや、違うな」
ああ。やっぱり、この人には敵わないな。
私の中の絶望を、全部ひっくり返してくれるんだもの。
あなたの背中が、こんなに眩しいことは無い。
私はあなたに背中を預けて欲しくて、ここまで生きてきたのにさ。
「ナリが覚悟出来ないなら、俺がすればいい。俺が出来ないなら、他の奴らがすればいい。そりゃあ、独りで何でも出来る奴は強いぜ?でも違うな。最強じゃない」
私を守るあなたの背が、とても大きくて、強く見えた。
「最強なのは、誰かを頼れる奴だ」
月島零は、そう言って刃を満咲に向けた。
来週は忙しいのでお休みします。
というわけで、次回は1月31日です。