ただいま
「滑稽だとは考えないか。虚構を現実だと勘違いする人形は」
ウィル=フレンドシップは、そう切り出した。
「真実を知れば誰だって、世界が滑稽に見える。二度と元には戻れない。ただ己のみが、滑稽な人形に囲まれた虚構の世界を享受する。ユーはそんな世界を続けたいのか?」
「で、でも!私はともかく、他の皆が、それで幸せに……!」
「永遠に目覚めぬ世界というのは、果たしてどれほど幸せなものか。時が経てば経つほど、他の者も気付き始めるぞ。それでどれほど、幻の幸せは打ち砕かれる?」
私は、零や皆が傍に居てくれるなら、それで幸せだ。
ホープ=ドリームに見せてもらった現実には……
絶対に、行きたくない。全てを忘れたあの世界には。
「今のユー達の目的は、女王を打ち倒すことだ。それによって、ユー達の言う「夢遊病」が止まると信じているのだから。仮に女王を倒し、そのまま夢が続いたとして……違和感に気付き始めるぞ。変化のない、永遠の世界に」
ウィル=フレンドシップがそう言って、杖を振った。
杖の先から赤い光が現れ、流れ星のように宙へ向かって飛んでいく。アメジストの洞窟の中で、その光は怪しく見えた。
「どんな季節も変わらず健やかだ。相変わらず魔法は使えるのに、事件は自分達が起こさない限り起きない。「夢遊病」は止まるが、その代わり変化も起きぬ。いや、「夢遊病」も止まるとは限らぬ。脆い世界は容易に崩壊し、「夢遊病」に似た事故が起きる可能性は高い。
現実世界との差を知るというのに、何も起きないという異変に、どうして気付かない?」
「それは……気付く、かもしれないですけど……」
亥李、千里あたりは特にそうだ。あの二人はいつも客観的にものを見ているから、もしかしたらもう気付いているかもしれない。
だとしたら、あの二人も真実を知って、絶望しているかもしれない。私みたいに。
「永遠に目覚めぬというのは、そういうことだ。誰もが気付き始める。現実への帰還を希う。夢とは、現実に一切影響を与えぬ幻だから。現実世界に帰れば、全ての記憶を忘れるというのに」
そう言うと、ウィル=フレンドシップは一つ、小さな星を作り出した。
白くて綺麗な、百合のような星だった。
「女王とてそうだった。彼女は真実を知って、現実へ帰りたいと願った。思い出を共有している幻の幸せよりも、誰かが隣にいる世界を望んだ。ユーがそう思っていなくとも、他の誰かはそう思うかもしれぬだろう?」
確かにそうだ。私だって、誰かと一緒にいたい。
でも、この思い出は、すっかり消えてしまうんだ。それを、私は諦めたくないだけなのに。
「夢の中での思い出は、ただの夢物語に過ぎない。夢の中で手にしたもの全ては、最初から無駄だったのだ。ユーとてそう気付いているのだろう?思い出なんて、無駄なだけだ」
ああ、どうしよう。もう、何も言い返せない。
そうじゃないって言いたいのに。私の中にある思い出は、無駄じゃないって言いたいのに。
夢の中のものは全て虚構で無駄で要らなかったって、私は知ってしまっている。
視界がぼやけてきた。この涙だって、人形の付属品なのに。こんな時くらい、夢を見させてよ。
「山門有。これは、かつてユーが意志を決定したことと同じ命題だ。永い苦しみと絶望を味わせるか、苦悩が溜まる前に全てを終わらせるか。ユーは、どちらを選ぶ?」
そうか。かつて、私がお父さんに対して決めたことと、これは同じだ。
いつか自分で気付いてしまって、今までまやかしの希望に騙されていたことを嘆くのを見るのか。
苦しみが長引かないうちに、全てを終わらせるか。
しかもあの時と違うのは、私が全て終わらせたところで、皆が気付かない可能性もあるということだ。そうしたら、皆は幸せなまま、この一生を終えられる。
そして、自分で終わらせた方が、この鈍痛のような胸の苦しみから開放される。
少なくとも、それで私は楽になれる。
「…………決めました。どうするか」
ああ。ごめん、お父さん。
私、まだ後悔してるんだ。お父さんを残して死んでいったこと。十ヶ月も真実を伝えられなかったこと。
そして、自分で警察に電話して、お父さんの希望を奪ったこと。
でも、現実では私の遺体は、まだ見つかってないんでしょ?
私が今までしてきたことは、全部無駄だったんでしょ?
「私、今から、ホープ=ドリーム様のところに行ってきます」
私は、お父さんに幸せになって欲しかった。
だから、最初は偽物を生かし続けることを選んだ。私の存在が消えてしまうよりも、お父さんの幸せを優先した。
でも、最後はお父さんに私を忘れてもらいたくて、幸せになって欲しくて、偽物を壊した。
今も同じなんだね。私は、皆に幸せになって欲しかった。
忘れて欲しいとは思わない。思い出は全部、私の生きる糧だった。
でも、どうかこの苦しみを、味わって欲しくない。
「誰かに壊されるくらいなら……皆が永遠の虚無に苦しむくらいなら。私がこの手で、全てを終わらせる」
皆には、幸せでいてもらいたいんだ。
今までの思い出が、全て幸せな夢であってくれたら、それでいい。
夢が夢だって知っているのは、私だけでいいんだ。
「なるほど。よくぞ言ってくれた」
ウィル=フレンドシップは、まるで最初から決まっていたセリフであるかのように、そう言った。
「意志は決定された!ユーの意志は、永遠に尊いものとなるだろう!」
永遠に尊いものなんかじゃない。どんな選択をしたって、私は後悔する。当然、今だって。
これでいいんだって、唱えれば唱えるだけ不安になる。でもそう言い続けていないと、後悔に苛まれて死にそうだ。
「それでいいんですね」
ホープ=ドリームは、私の意志を聞いてそう尋ねた。
「これでいいのかは、分かりません。でも」
後悔は絶えない。皆の幸せがこれなのか、今でも分からない。
でも、これだけは言える。
「自分の最後くらい、自分で決める」
誰にも、私の結末を変えさせるものか。
最初から、弄ばれたような人生だったんだ。
苦しむのを止める時くらい、皆の苦しみを止める時くらい。
私は、自分で夢から目覚めてみせる。
「そうですか。それでは、祈っていますよ。あなたが彼女を討伐し、全てを終わらせることを」
ホープ=ドリームが杖を振り、一つの結晶が形成された。
そのまま、それが私の頭の上で粉々に砕け散り、破片が頭に被さって――
「……ん、あれ」
気が付くと、私はベッドの上で横たわっていた。
よく見る天井だ。よく見るシーツに、よく見るカーテン。
そうか。戻ってきたんだ。満咲を倒す為に。全てを終わらせる為に。
起き上がると、ふと、腰の辺りに重みを感じた。掛け布団の上に覆い被さって寝ていたらしい。
「……千里?」
ああ、良かった。少しだけ心配だったんだ。看病してくれていないんじゃないかって。
千里は憎たらしくて嫌いだけど、それでも私は好かれようとしているんだ。それが、私の思い出なのか。
「猫…………?」
眠たそうな目を手で擦りながら、千里が起き上がった。
私の顔を見て、びっくりした顔をしている。それもそうだ。今まで起きる素振りを見せなかった私が、急に起き上がったのだから。
「な……ナリ?」
「あ、あのさ……今日って、何月何日?」
私がそう尋ねても、千里は答えてくれなかった。
涙腺が緩くなって、口元が強ばっているのを、必死に抑えているみたいだ。
「つ……月島!月島零!猫が目覚めた!猫が……!」
千里はそう叫びながら、私のことはお構い無しに部屋を出ていった。
思わず彼の背中に触れようとした手を見て、元の世界の姿に戻っていることに気付いた。
服も、猫耳も、尻尾も、元のまま。
しばらくブランキャシアにいたから、なんだかこの姿が懐かしく思えてきた。
私、帰ってきたんだ。零のいる、この世界に。
……いや、いなかったか。私の世界には。
「な、ナリ!お前、大丈夫なのか……!?」
「ナリちゃん!良かった、このまま一生目覚めないのかって心配してて……!」
千里に連れられて真っ先に部屋に入ってきたのは、零と美波だった。
やっぱり、いいなあ。人形だろうと、誰かに心配してもらえるのは。
生きているって感じがする。私が大切にしていた思い出は全て本物なのだと、教えて貰える気がする。
「うん、大丈夫。私、どのくらい寝てたの?」
「一週間くらいだ。本当に、このまま目覚めなかったらどうしようかと……ナリ?」
「うん?何?」
「なんでお前、泣いてるんだ?」
そう言われて、やっと気付いた。人形が流す付属品に。
「あ、ううん……なんでもない、から……」
「なんでもなくないよ!久しぶりに起きたのに、私達がいっぱい話しかけちゃってごめん!ナリちゃん!」
ううん、美波。そうじゃないの。
私、この感情をどう表現したらいいか分からないだけの。
皆にまた会えて、とても嬉しい。心配してくれて、物凄く嬉しい。
今までの思い出は全部無駄じゃなかった、私は生きているんだって、凄く信じれる。
でも、この感情も何もかも全部、夢なんでしょ?
「ごめん、二人とも……そうじゃなくて……」
今までの思い出も、これから思い出になる出来事すら、無駄なんでしょ?
「ただ、ただいまって言いたかっただけ……」
泣きじゃくる私の頭を、二人が優しい笑顔で撫でてくれた。
ああ。偽物じゃない。三賢者が見せてきた悪い夢じゃない。
ただただ幸せな、最悪の夢だ。
次回は12/20です。22時まで予定があるので、23時に投稿します。