ラヴ=ブレイヴの試練
愛と勇気の塔の近くまでやってきた。
昔、この近くまで精霊人はやってきたことがあるらしい。精霊の巣を求めてやってきたらしいけど、殆どそれは真実に近かった。
三賢者の正体が、この世界を生み出した精霊なのだから。
「そういえば……ラヴ=ブレイヴ様の試練は悪趣味だって、ホープ=ドリーム様が……」
機械みたいなあの精霊が悪趣味だと思うって、相当なことだと思うけれど。
実際、ここの試練を合格する人は無いに等しいらしい。多くの人が挑戦したけれど、皆試練に失敗して、ラヴ=ブレイヴの下僕になったそうだ。
多分、お目通り願うには、その試練を突破するしかないだろう。
「い……行くしか、ない!」
そうだ。試練がなんだ。
私は、皆に会いに行くんだ。
鉄で出来た灰色の扉を、ぐんぐん押していった。
重々しい扉を開けていくと、急に明るい光が目に飛び込んできた。
眩しくて、思わず目を瞑った。
光に慣れた頃に見てみると、中は人工的なライトで照らされていた。
中はダンスホールのようだった。中心に踊る場所があり、脇には影となる為の席が並べられている。
席はもう既に埋め尽くされていた。人の姿は見当たらないけれど、気配はなんとなく感じる。
見られている感覚を覚えながら、奥に進む。
ダンスホールの中心には、誰かの後ろ姿があった。もしかして、ラヴ=ブレイヴだろうか。
「あの、ラ――」
いや、違う。ラヴ=ブレイヴじゃない。
私はあの後ろ姿を、何度も見ていたはずだ。
「…………ナリ?」
自分の意志があって、それでいて優しくて。
気遣い上手だけど、自分の声には一切気を遣えない不器用さんで。
正直者で、私の我儘に文句を言うけど、いつも最後は叶えてくれて。
私が甘えてしまう、あの姿。
「零…………?」
なぜだろう。不意に、涙が出てきてしまった。
流れ星のように、静かにすとんと落ちる涙。とめどなく流れるそれは、私の視界を歪めて、零の姿を上手く見せてくれなかった。
「うおっ!ナリ、大丈夫か!?そんなに泣いて……なんかあったか?」
ああ。零の声だ。
私が求めていた、ずっと聞きたいと思っていた声。
私は、この声を聞く為に、ここまで耐えてきたんだ。
「ううん……なんでもない。ちょっと、会えたのが嬉しくて……」
「え?お、俺に?変な奴だな、毎日会ってるだろ?」
「うん……そうだね、そうだった……」
そうだ。私は、毎日零と会っている。
なのに今更、こんなに会うのが嬉しいだなんて。
一体、私は何を考えているんだろう?
「それにしても、無事で良かった。ほら、車に轢かれてただろ?正直、死んだんじゃないかと皆で心配してたんだが……そうやってピンピンしてるなら、大丈夫ってことだよな?」
「うん。大丈夫だにゃ。どこも痛くないし……」
私がそう言った次の瞬間、零は急に、私を強く抱き締めた。
「にゃあ!?れ、零!?」
「良かった……無事で、本当に……」
零がそう言って、私の耳元で安堵のため息をついた。
暖かくて、安心するような吐息だった。
頭を撫でる手が、大きくて暖かいと前から思っていた。
それを今、私は全身で感じている。
零の身体が、大きくて、力強くて、暖かい。
零の心臓の音が、私の胸越しに伝わってくる。
凄く早かった。零の鼓動も、私の鼓動も。
熱すぎて、ほっぺたが溶けてしまいそうだ。
「零!あの、凄く嬉しいんだけど、その……!」
零を引き離そうとした私の手を、零が大きな手で掴んだ。
そのまま、私の口に、もう片方の手を当てた。
「俺と一曲、踊らないか?」
恥ずかしがり屋な癖に、こういう時だけ大胆なんだよ、もう。この人は。
「あ、う、うん……」
まだ、顔の赤みが収まらない。
ダンスをするってことは、もっと顔を見られるということだ。
ああ、もう。恥ずかしくてしょうがない。
零には、もっと自信満々な顔を見て欲しい。
……いや。これは、恥ずかしいって感情なんだろうか?
「大丈夫。恥ずかしがらずとも、俺とお前の二人しかいないんだから。遠慮すんなって」
「で、でも……私、ダンスとかやったことなくて……」
「大丈夫だって。運動得意だろ?俺にエスコートされてれば、大丈夫」
慣れた手つきで、零が私の手を取った。
いつの間にか、音楽が鳴り始めていた。音楽には詳しくないけれど、多分これはワルツだ。
「ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー……お、そうそう。やっぱ、リズム感あるから上手いな、ナリ」
「いや、今まで本当にやったことないから、零にやっとついていけるかどうかで……にゃあ!?」
ああ、ほらやっぱり。
零の足を踏んでしまった。
「ご、ごめんにゃ……零」
「気にすんなって。最初は皆そんな感じだから」
また、零がリズム通りに私をエスコートし始めた。
零に従って踊っていれば、多分、踊りきってしまうのだろう。
普段から頼りがいのある人だと思っていた。むしろ、私を頼って欲しいと思っていた。
だから、十さんの時に頼ってくれて、とても嬉しかった。
でも、結局こうやって私をリードしてしまうのだから、彼に私は、頼るしかないのだろう。
ずるいよ、零。
あなたに頼りたいって、思っちゃうじゃん。
「ねえ……なんで、ここまで来てくれたんだにゃ?こんな、遠いところに……」
「そりゃ、迎えに来たからだよ。皆、お前が帰ってくるのを待ってる。お前の元気な顔、見せてやろうぜ」
「……踊り終わったら?」
「なんだよ、不安そうな顔して。大丈夫、永遠に続く訳じゃないから――」
「ごめん、零。我儘、言っていいかにゃ」
なぜだろう。零と同じように、会いたかった皆なのに。
今は、その誰とも会いたくない。
今は、零と二人きりでいたい。
「もう一曲……踊らせて」
零はそれを聞いて、一瞬、動きを止めた。
きょとんとした顔で、けれどどこか、嬉しそうな顔をして。
その後すぐに、いつもみたいに優しい笑顔を浮かべ、零は言った。
「ああ。お前が望む限り、永遠に」
「永遠に?私がずっと一緒に踊ってって言ったら、ずっと一緒に踊ってくれるのかにゃ?」
「もちろん。二人きりで、ずっと踊り続けよう。他の奴らのことなんて忘れて、二人きりで」
ああ、零。私、そう言うのなら、ずっと踊り続けたい。
時間なんて忘れて、永遠に踊り続けたい。
ずっと、あなたと二人きりでいたい。
もう二度と、あなたと離れたくない。
どうか、この時間が永遠に続きますように。
疲れなんて忘れて、永遠に踊っていられますように。
この、夢みたいな時間が、終わりませんように。
「…………夢?」
ああ。そっか。
「ん?どうかしたか?それより次の曲は、どんな曲がいい?」
零。私、やっと分かったよ。
むしろ、なんで気が付かなかったんだろう。
今まで何度も、その兆候はあったのに。
「零……その前に、ひとつ聞いていい?」
「ん?どうした?」
あなたのことを失いたくなくて、離れたくなくて。
会えるのが嬉しくて、出来るなら二人きりでいたくて。
あなたと出会う時間が、永遠に続いていればいいと思ってしまって。
あなたに頼って欲しくて、でも頼りたくて。
あなたには、私の可愛いところだけ見ていて欲しくて。
恥ずかしがっているところや、自信の無いところなんて、知って欲しくなくて。
弱みなんて知らないで欲しくて。
でも、私の弱いところを知って、寄り添って欲しくて。
私の全てを知って欲しいのに、私の全てを知って欲しくなくて。
私があなたにどう思われているのか、知りたくて。
でも、そんなこと出来ないって分かってて。
だからせめて、あなたの前では可愛い私になりたくて。
零。それがなんて言うものか、やっと分かったよ。
「ねえ、零」
私は、あなたのことが好きだったんだ。
「零は、本当の零じゃないんでしょ?ラヴ=ブレイヴ様が作り上げた、夢なんでしょ?」
この手に触れるあなたの頬が、人形でなければよかったのに。
「え?な、なんで……」
「私ね。この世界の真実を聞いてから、ずっと……本当の零に会いたかったの。あなたの世界にしかいないあなたに、会いたかったの」
だめ。涙よ、流れてくるな。
これじゃあまるで、零には絶対に会えないみたいじゃないか。
「でもね。知ってるよ、私。ラヴ=ブレイヴ様が、もう二度と会えない大切な人に、会わせてくれるって。それって、本物じゃないんでしょ?あなたは、私が愛している人を映し出す、幻影なんでしょ?」
なるほど、悪趣味。
言っている意味がようやく分かった。
こんな形で、自分の感情を知りたくなかった。
「あーあ。バレちゃった」
音楽がピタリと止んだ。
零の姿が、次第にメタモルフォーゼしていく。
そこに居たのは、零よりも15cmほど身長が低い、灰色のローブの女性だった。
「合格おめでとう、有。あなたが初めてよ。アタシの試練に合格したの」
やはり、彼女はラヴ=ブレイヴだった。
「ああ、可哀想な有。あの意地悪で小賢しい妹の知恵ね?自分で愛する人を否定しなければならないなんて、なんて可哀想」
ラヴ=ブレイヴは私の顔を覗き込み、物珍しい顔をした。
「甘美な夢を見ていれば、傷つかずに済んだのに」
そうしていたら、どれほど楽で、どれほど苦しまずに済んだだろう。
次回は11月22日です。いい夫婦の日ですね。