禁忌の魔法
ブランキャシア城下町にも、カサブランカの花畑が広がっていた。
地面は石造りのタイルなのに、カサブランカは何事もなく根を張り、丈夫な花を咲かせている。
まさに、石に咲く花だった。
「誰も……いない……?」
操り人形達の姿は、どこにも見当たらなかった。
商店や商品、渡し途中のお金はあるが、その持ち主は誰もいない。
場所と飾りだけ用意したドールハウスみたいだ。
私がタイルを踏む音だけが、街に響いた。
現実世界に似た夢の世界に出払っているから、操り人形は居ないのかもしれない。
実際、三賢者と、ホープ=ドリームの試練に合格した魂しかソルンボルに居ないのだから、ソルンボルに割くリソースは無いのだろう。
けれど、そうだとしても、こんなにカサブランカが咲き乱れているのは、奇妙というよりホラーだ。
人形を動かすことは出来ないのに、石の上に花を咲かせることは可能だってこと?
ますます混乱してくる。もしかしたら、これは三賢者の仕業じゃないのかもしれない。
だが、とりあえず進む他はない。
何しろ、後退する選択肢は、もうないのだ。
カサブランカの花道をかき分けるように進み、城へ向かった。
中に入ると、城下町よりもカサブランカが咲き乱れていた。
白い大理石のタイルの上に、元気なカサブランカが咲いている。
赤いカーペットを埋め尽くすそれは、階段を上がった先の玉座の間まで、私を導いていた。
今まで、城の中に入ったことはない。けれど、王城特有の威圧的な態度や、それによる緊張は感じなかった。
城の中にも、誰もいないからかもしれない。
王家を守る為に生まれた城なのに、今なら簡単に攻め込めそうだ。
城内を見ているというよりは、やはり、ドールハウスを覗き込んでいる気分だった。
カサブランカの案内に従って、階段を上る。
玉座の間の扉は、カサブランカによって無理矢理こじ開けられていた。
玉座の間にもやはり人はいない。空の玉座には、これみよがしに、カサブランカの白いブーケが置かれていた。
「なんで、こんなところにブーケが……?」
私の言葉が、城内に反響した。
けれど、すぐに静かになる。私以外の音が、全て消えていく。
この声の反響も、心臓の音も、全て三賢者が作っている。
でも、いつかそれらさえ三賢者が作らなくなったらと思うと、少し怖い。
結局お前は薄氷の上で踊らされる人形なんだ。
諦めて運命を受け入れろ。
そうやって、誰かに責められている気がした。
「それでも……まだ、私は……」
ふと見上げると、椅子の飾りの隙間から、ちょうど目線の先にカサブランカが見えた。
玉座の裏にある赤いカーテンの先に、カサブランカが咲いている。
どうやら奥に、私の目当てのものがあるらしい。
ブーケを手に、奥へ進む。
ブーケを握る手が強ばって、くっきり跡がついてしまった。しまった、萎れてしまうだろうか。
……いや、これも夢か。じゃあ大丈夫だ。
見ること、聞くこと、感じること、何もかも、全て夢。
夢じゃないものは、私の魂だけ。
この事実に慣れてしまった……というより、受け入れてしまった自分が嫌になる。
今重要なのは、当然、私の魂だ。
でも、どこからが魂で、どこからが魂ではないのだろう。
魂のことを考えていると、自然と心臓に意識がいく。
でも果たして、私の心に、魂は宿っているのだろうか。
それとも、脳に宿っているのだろうか。
どちらにしたって、それらは全部綿の入れ物。
じゃあ、私はいったい、どこまでが私なんだろう――
そう考えているうちに、目当ての場所に辿り着いた。
階段の先に広がる、小さな部屋。
本棚が壁に敷きつめられていて、中心には立派な書見台が置かれていた。
窓から差し込む太陽の光が、少し眩しい。
少し窓が空いているようで、入り込む隙間風が心地よかった。
なるほど、カサブランカはここから生えていたらしい。
今までよりも一番、カサブランカが群生していた。
「ここに、禁断の魔法が……?」
正直、花が咲きすぎて、探索するのも厄介だ。
とりあえず花をかき分け、書見台に近付いた。
既に本が三冊置いてあった。どれも装丁が豪華で、古そうな本だった。
「これ……魔導書、かな?」
昔、千里が言っていた。王家に伝わる禁断の魔法は、三つあると。
三冊ということは、そういうことかもしれない。
あまり魔法には詳しくないけれど、そうだとしたら、一冊につき一つの魔法だなんて贅沢な魔導書だ。
…………そうだ。
魔法に詳しくないことで、一つ思い出した。
私は獣人族。魔法を覚えるのは得意ではない種族だ。
そんな私が、禁断の魔法なんて覚えられる訳が――
「――いや、そんなのどうでもいいことか」
そうだった。この身体も夢だった。
こんなこと、のっぽの人形でおままごとをするか、ちびの人形でおままごとをするかの違い程度だ。
どっちにしたって、その外で遊んでいる私は、高いものも低いものも取れるじゃないか。
獣人族が、魔法を覚えにくいのであれば。
私の魂に、魔法を刻んでしまえばいい。
重たい表紙を開き、内容を読み進める。
難しい魔導書である筈だが、なぜだかそれは簡単に読むことが出来た。
もしかしたら、この世界の真実に辿り着いた人には、簡単に読めるようになっているのかもしれない。
なんて言ったって、ブランキャシアの公用語ではなくて、日本語で書いてあるように見えたのだ。
文字は公用語だ。けれどそれを眺めていると、日本語で書かれているように見えてくる。文字が変化する感覚だ。
公用語的には難しい文法でも、私には、高校の教科書で見た文章のようにスラスラ読める。
文法も、もしかしたら変化してくれているのかもしれない。
恐らく、ホープ=ドリームの仕業だ。こんなところを直されても困るのだが、ホープ=ドリームから見たら、必要な修正だったらしい。
一冊、二冊、三冊……読み終わっても、まだ陽の光は差し込んでいた。
管理されなくなった世界だから、もしかしたら永遠に昼なのかもしれない。そうだとしたら、何日分そこに居たのかは、全く分からない。
少なくとも、読み終わった時の疲労感は、あまり感じなかった。
「よし……一つ目」
とりあえず、試すことにした。
書かれていた通りに魔法陣を描き、展開する。
人生初の魔法がこんなものになるとは、思ってもいなかった。
「《胡蝶之夢》」
唱えた瞬間に、何を生み出すか想像するのが必須。
私の持っているブーケ。それを、もう一つ作り出して!
「ポンッ」
小さな爆発音が、すぐ傍で聞こえた。
見ると、書見台の上に、先程までなかったブーケが置かれている。
まだまだ想像力が未熟なのか、ブーケを包む紙はコピー用紙だし、カサブランカの茎は安っぽい造花のようだった。
だが何にせよ、成功したという訳だ。
すごい。これがあれば、何でも作れてしまうじゃないか。
もっともっと練習すれば、本物に近付けるかもしれない。
いでよ、カサブランカのブーケ。ブーケ。ブーケ。ブーケ。ブーケ。ブーケ、ブーケ!
「あまり、いたずらに使っていると消しますよ」
あっ、やばい。怒られた。
「ごめんなさい!ホープ=ドリーム教官!」
…………つい反応してしまったが、ホープ=ドリームは私のことを観察出来る状況にあるらしい。
「その魔法を使えるのは、本来であれば管理者だけ……とりわけ、私だけでした。しかし、魂の入った人形どころか、操り人形までもが、新たな世界を作り出してしまい……このような状況になったのです」
「その、新しい世界って……夢で出来上がってるんですか?」
「その通りです。夢の世界の中のものは全て、夢ですから。ただ、それを管理者以外の存在が生み出すようになってしまっては、良くないのです。だから、消したのですよ。奏太の時も、ベルの時も」
あの時、天から聞こえてきた声。あれは、ホープ=ドリームの声だったのだ。
なんで気付かなかったんだろう。今思えば、簡単な話だ。
そういえば、世界を消す前に、あの精霊はいつも謝っていた。
何に謝っていたんだろう。巻き込んでしまったことか、無理矢理終わらせてしまったことか。
「なので、有。あなたが今増やしたブーケは、消さねばなりません。あなたは管理者ではありませんから」
「あ、はい……分かりました……」
せっかく綺麗なブーケが出来たのに。仕方ない、今は従っておかないと消されてしまうかもしれない。
「その前に、二つ目の魔法……《浮世如夢》!」
消す前に、一つ試したい。本を読んでもよく分からなかった、この魔法。
魔法陣が展開され、広がり、そして収束する。
だが、何も起こらない。先程作ったブーケもそのままだ。何が違うのかもさっぱり分からない。
「あなたは、気付いていないかもしれませんが……その魔法は、あなたがいる世界を移動する魔法です。
あなたは先程まで、有の世界に居ましたが……今は、かつてブランキャシアにいた人物の世界に居ます。誰かはお教えしませんが、もうその人物はここにはいません」
ホープ=ドリームの声が、相も変わらず天から聞こえてくる。
かつてここにいた人物ってことは、ホープ=ドリームの試練に合格した人の世界ということだ。
多分、稲子谷奏太みたいな。
その人の世界にいるだなんて、証拠がないからよく分からない。
けれど、魔導書にもそう書いてある以上、それが答えなのだろう。
「女王は、これを使って世界を移動し、特定の人物の前に現れるということを繰り返していました。私達から逃れようとしたのか、追っ手を振り撒いていたのか、あるいは寂しさを紛らわせていたのか……」
寂しさを、紛らわせていた……
なんとなくだが、女王様が暴走した理由が分かったような気がする。
私だってそうだ。真実を知って、世界に私しか居なくて……
独りぼっちで、孤独で、寂しい。
女王様は、物心がついた頃からそうだったのだ。
また少し、満咲の気持ちが分かった気がした。
「なんで、満咲は世界を移動し続けたんですか?他の人の世界に留まっても良かったんじゃ……」
「単純に、異物だからでしょう。魂を持つ彼女が誰かの世界にいると、彼女が人形では無いとすぐに分かる。孤独を紛らわせたい彼女にとって、それは不都合なのでしょう。だから、移動を繰り返した」
誰かに手が届く場所に、傍に居たい。
真実を知って、理解して欲しい。
だけど、真実を知られるのが怖い。相手が真実を知って、打ちひしがれるかもしれない。
そして、異物だからって怖がられたくない。
だから、「不思議な人」で終わるぐらいが、満咲にとって丁度いい。
そんなところだろうか。なんとなく、分かる気がする。
けれど、矛盾の中にある満咲の感情なんて、ホープ=ドリームは一生かけても分からないだろう。
「よし……それじゃあ、最後」
いいことを知れた。夢の世界を移動しても、夢で出来たブーケは、同じ場所にあった。
つまり、他の世界から見ても、夢で出来ているならば、そこにあるということだ。
これは、使えるかもしれない。
いや、使えるというより。これは、私の気持ちの問題だ。
これでやっと、皆と繋がれたような気がした。
「《盧生之夢》」
三つ目の魔法。満咲が使った、全ての夢を壊す魔法。
ブーケに向かって、拳を振るう。
この魔法だけは、武器に魔法を纏うことが出来るらしい。魔法陣を描くのは苦手だから、正直助かった。
私の拳の皮膚に触れた瞬間に、作り出したブーケが次々と塵になって消えていく。
その塵すら、瞬きの間に消えてしまっている。
「うわ、ちょ、どんどん消えて……!」
ブーケを消すつもりが、どんどん他のものも消えてしまっていく。
慌てて体制を整えたが、ブーケだけではなく、床や書見台も少し消えてしまっていた。
跳ね返る感覚が無いと、こうもなってしまうのか。
「気を付けてくださいね。その魔法は、加減を知らないと大変なことになる。さて、次はどうするのですか?」
ホープ=ドリームが、煽るような口調でそう言った。
「とりあえず……《浮世如夢》。私の世界に帰ります」
そう言って、魔法陣を展開した。
他の人の世界にいたって、これは仲間達皆の世界じゃない。なら、私の世界に居た方が、幾分か落ち着く。
特に何も変化はなかったけれど、多分戻ってきたのだろう。一瞬だけ、ホープ=ドリームの気配が途切れたような気がした。
「次は……今まで、一度も近付いたことの無い塔に行きます。諦めたく、ないですから」
「そうですか。頑張ってください」
心のこもっていない言葉を残し、ホープ=ドリームの気配が消えていった。
少しでも望みがあるのなら、諦めたくはない。
頑張ってから後悔するより、何もせずに後悔するのは、もう嫌なのだ。
さあ、行こう。ラヴ=ブレイヴの塔へ。
あの頃、私がしなかったことを、成し遂げるんだ。
次回は11月15日です。
元ネタ紹介のコーナー
浮世如夢/ロンリードリーマー…浮世夢の如し(李白の詩より。人生が儚いさま。)/Dreams have only one owner at a time.That's why dreamers are lonely.(ウィリアム・フォークナーの名言より)
胡蝶之夢/ドリーム・フォアリアル…胡蝶の夢(故事成語より。夢と現実の区別がつかないさま。)/Reality is wrong.Dreams are for real.(2PAC;Tupac Amaru Shakurの名言より)