ホープ=ドリームの試練
私が呆気にとられていることに、ホープ=ドリームは全く気付いていないらしい。
「あなたに、王家に伝わる魔法をお教えしましょう。それがないと、彼女には対抗出来ない。ブランキャシア城の最上階に、魔導書が置いてありますから――」
「い、いや!ちょ、ちょっと待ってください!」
何か文句でもあるんですかとでも言いたげな口だ。
感情やら表情やらは全く分からない癖に、そういう顔はするらしい。
いよいよもって、この精霊が機械に見えてきた。
「あの……なんで、私が満咲を倒す必要があるんですか?最終的に、満咲か三賢者様が全て壊すんですよね?なら、それを待っていればいいのでは……」
「いいえ。それだと意味が無い。自らの終わりを規定されるようでは、あなたがもう一度生きた意味が無いのです。あなたは、あなたの人生の終わりを、自分で決めなければならないのです」
「いやでも、私が決めたって、他の皆は……」
「重要なのは、ソルンボルから今まで続いているこのアストリアスの悪夢を、あなた方友達の手で、終わらせること。あなたである必要はありません」
つまり、ホープ=ドリームは、こういうことを言いたいのだ。
私達の誰でもいいから、何の感情も抱かず、どんな同情をも捨てて、満咲を殺せと。
私のことは、都合のいい機械兵とでも思っているのだろう。
あるいは、何も思っていないのかもしれない。何も思わないから、私の感情や満咲の気持ちなど無視するんだ。
「話は以上ですか?では、用意が出来たら、私の元に来なさい。そうすれば、あなたの身体を蘇生して――」
「いや!まだ、まだ待ってください!」
そうだ。まだ、一番肝心なところを聞いていない。
「なんで……もう、終わりにするって決めたんですか。私は、まだこの世界で三ヶ月しか過ごしてない!私達の為だって言いながら、私達のこと、なんにも考えてないじゃないですか!」
まだ、零と一緒にいたい。
彼を模倣する人形であってもいい。まだ、傍にいたい。
でも、ホープ=ドリームの依頼を受けたら、私はもう二度と、零と会えなくなってしまう。
私そのものが、無かったことになってしまう。
「私は、そんな依頼受けたくありません!私が何を考えているのかは、一瞬で分かる癖に……ホープ=ドリーム様は、私達の気持ち、なんにも分かってません!夢とか希望とか司ってるのに、今の話、夢も希望も欠けらも無いじゃないですか!」
「ほう……?」
ホープ=ドリームが、静かに首を傾げた。
やっとだ。もしかしたら、私の思いも――
「第一に。知りませんよ、そんなこと」
…………え?
「第二に。依頼を受けたくないのであれば、それまでのこと。決定された意志に則り、あなたを輪廻転生の円環へと送り出します。元々、この試練はただのご褒美なのです。褒美を受け取ったのなら、立ち去りなさい」
つまり、私が少しでも零と会いたいと願うのであれば、この依頼を受けるしかない。
「ずるい……っ」
もはや、この依頼を受けることは強制じゃないか。
人形であるかどうかは関係なく、零と会いたいと思うしか、道はない。
そうしなければ、零との思い出も何もかも、全て無かったことになってしまうのだから。
「私は、何も難しいことは依頼していません。あなたの仲間達は、元々、彼女を討たんとしていた。それに乗じて、彼女を倒せばいいだけのこと。対抗する手段も差し上げると言っているのです。一体、何の文句があるのですか?」
今まで、この精霊のことを機械のようだと思っていた。
違う。機械のようなんじゃない。
この精霊は、私達の感情も、それに振り回されることも、何もかも分かっていないんだ。
私達が脆弱なことも、そして頑強であることも。
何一つ理解出来ないで、私達を、命令されたらすぐ遂行する何かだと勘違いしている。
それこそ、操り人形のように。
ああ、それじゃあ、もう何を言っても無駄じゃないか。
この精霊の中で合理的であれば、もう誰も覆せない。
むしろ、ホープ=ドリームにとっては、この説明で納得出来ない私が異質。
だから、嫌だと言われたら切り捨てる。
私達は、使い勝手のいい、使い捨ての人形だから。
「第三に。それを言うのであれば、言う相手を間違えています」
「え?い、いや……夢と希望を司ってるのは、ホープ=ドリーム様じゃ……」
「いえ。そうではありません。そのように、感情をぶつけて理解を得ようとするのではあれば……私ではなく、姉のラヴ=ブレイヴに言うのが良いでしょう。最も、あなたがあの邪悪な試練を突破出来るのであれば、ですが」
姉に対して、邪悪な試練って……
恐らく血縁関係にある訳では無いのだろうが、それでも敬愛や尊敬の念はないのだろうか。
なんにせよ、これから何をすればいいかは分かった。
とりあえず、ブランキャシア城に行こう。今の私の能力では、私が何をしても意味が無い。
その後は、愛と勇気の塔だ。ラヴ=ブレイヴに会って、今の話をするんだ。
この世界を終わりにするんじゃなくて、また皆と一緒に過ごせる世界にしてくれって。
よし。少しでも、元気を出そう。
元気なんて出してられる状況じゃないけど、少しでも、一つでも、希望を見出そう。
絶対に私は、自分で自分の未来を掴み取る。
誰かに指図されて動く、意志のない人形になんて、もう二度となりたくない。
「分かりました。それじゃあ、行ってきます」
「ええ、行ってらっしゃい」
立ち上がって後ろを振り返ると、太陽の光が差し込んでいた。両扉が全開になっているようで、くっきり扉の形に光が漏れている。
あの太陽も夢なのだろうが、今はそれでもありがたかった。
「恐らく、あなたの説得は徒労に終わると思いますが」
発つ寸前、ホープ=ドリームは静かに呟いた。
ほんの少し、そうかもしれないとは思っていた。
ホープ=ドリームでこんなに頑固なら、他の精霊達も、別の方向で面倒くさいのだろう。
だが、それでもやるしかない。
何も出来ずとも、行動を起こすのだ。一滴の雨垂れとして、石を穿つのだ。
生きている限り、希望はある。
死んでしまえば、もう何も出来ないんだ。
それこそ、お父さんとの決着をつけることが出来たのが、この夢の世界だったように。
もう二度と、あの時みたいに、後悔したくも、誰かを後悔させたくもない。
私はもう、さよならも言わずにお別れしたくないんだ。
「行ってきます!」
決意を声にして、扉の外へと走っていく。
ホープ=ドリームの目は、最後まで見えなかった。
あのフードの中は、呆れているのか、それとも何も思っていないのか。私には分からない。
ただ、最後にあの精霊の顔を見た時。
彼女は、ニッコリと口角を上げて笑っていた。
外に出ると、ぶわりとカサブランカの香りが匂った。
風が吹いて、カサブランカの花びらが宙を舞っている。
扉の外に出ると、見渡す限りカサブランカの花畑だった。
美しい蝶が、カサブランカに止まっては蜜を吸っていた。
先程見た白い蝶とは大違いなほど、鮮やかな色の羽だった。
懐かしい風景だ。だけれど、この全てが夢の世界。
太陽の光も、風も、カサブランカの香りも、蝶も、空を舞う花びらも。
改めて考えると、そんなこと全く信じられない。
だが、現実世界を見てしまった以上……この世界が偽物なのだと、信じるしかない。
「……いや、あれって本当に、現実世界だったのかな……」
現実世界だと知ったのは、ホープ=ドリームがそう言ったからだ。
ホープ=ドリームが嘘をついている可能性だって、十分にある。
というより、あの精霊には、目的を達成する為に嘘をつくことなんて、息をするよりも容易いことな気がする。
そうすると、こっちの世界が現実の世界?
私がさっき見たのは、もしもの世界だったのかもしれない。
もしもブランキャシアで出会っていなかったのならこうなっていたという、夢の世界。
そうだと言える根拠は何もない。ただの私の願望だ。
けれど、逆もまた然りなのだ。ホープ=ドリームに「現実世界」と説明された世界が本当に現実世界かなど、何も根拠がない。
ああ、もう。どっちが本当で、どっちが偽物なの?
目の前を通り過ぎる艶やかな蝶だって、現実かも夢かも分からない。
私は、どっちが正しいと信じればいいんだろうか?
この世界が夢で、現実にいる私の大切な人達は、私の手の届かないところにあるのか。
この世界が現実で、私は悪い夢を見させられていただけ。猫のナリとしてあの世界に帰ったら、大切な人達皆にまた会えるのか。
「ああ……そっか」
いや……違うのか。そう考えること自体が。
答えはすぐそこにあったんだ。
「だから、悪夢なんだね」
この世界が偽物やファンタジーなどではなく、夢だと言われた理由が、ようやく分かった。
夢といえば、まず思い浮かぶのが将来の夢。
そして次に、叶わない望み。
ホープ=ドリームは寝ている時の夢だと言っていたけど、そうじゃない。
叶わないから夢だと言われた。
意識のない時ぐらい理想を叶えたいから夢だと言われた。
夢の世界は、叶わない世界なんだ。
この事件のことを、アストリアスの悪夢と呼ぶ。
なるほど、腑に落ちた。
これが、悪夢の正体だったんだ。
次週は学祭などで忙しいのでお休みします。
次回は11月8日です。