毒りんご事件
(なにこれなにこれなにこれ!?見えない……目を開いてるはずなのになんにも見えない!一体何が……!?)
ナリがそう思う中、突如としてナリの腕に、他人の足が勢いよく当たったように感じられた。蹴られたようだ。
「にゃっ!」
「さあさあ、どんどんやってしまいなさい!信者達!」
少し遠くから安寿の声が聞こえた。そして近くから、信者達の呻き声が聞こえた。
「ぐはぁ……っ」
「さあさあ美波さん!どうしますか?あなたの大切なお仲間が、こんなにも苦しんで!」
「……《緑光回復》ッ!」
美波の魔法の光がナリを包み込んだ。だが回復も虚しく、ナリはまた蹴られ続けた。美波がまた《緑光回復》を放った直後、ナリの目は前のような青の目になり、彼女の目を光が包み込んだ。
「うわっ……」
「ナリちゃん!大丈夫?もう1回、《緑光回復》!」
美波が混乱しているナリの腕を引き寄せ、回復魔法を唱えた。ナリの傷は癒えたが、今度は美波がぐっと疲れてしまっていた。
「……っ……はあ、はあ……」
「美波!?」
美波が苦しんでいる中、安寿は楽しそうにナリに説明した。
「獣人族は魔法をほとんど使わないから分からないんでしょうが……普通、魔法を使うと魔力を消費します。魔力を消費しきると、魔法が使えない状態となり、魔力切れを起こすんです。そしてなぜか、この世界では魔力イコール体力なんですよ。体力切れを起こすということは、魔力切れと同じなんです。なので、今美波さんは魔力切れを起こしているんですよ。どうです?魔力切れ……魔法の使えない状態になった気分は!」
「っ……はあ……はあ……うるさい!そっちだって、魔法いっぱい使ってる癖に!」
「私、賢いので。ここで魔法を大量に使うことを見越して、魔力を毎日ステンドグラスに貯めておいたんです。ほら」
安寿が杖を振った。すると、ステンドグラスのある1階から紫色の光が床をすり抜けて現れ、安寿の体に宿った。
「ご覧の通り、私には貯蓄があるんです。魔力切れを起こして勝とうとか、そういうことを考えてはいけませんよ?」
ふっふっふ、と安寿は笑った。その間、ナリは美波の耳元で囁いた。
「美波、安寿を殴んないと埒が明かないにゃ。多分——だと思うから、美波は安寿を攻撃してにゃ。いけるかにゃ?」
「大丈夫。ここの魔力は、あの人だけが使えるってわけじゃないはず。だから、そっち使えば、かなり安全になる」
「うん、頑張ろうにゃ」
「ちょっと、何話してるんです?」
安寿が気付いたようで、ナリに話しかけた。
「美波との最終確認にゃ。安寿、今度こそあんたを倒してやるにゃ!」
「うん……倒して、陽斗くんを救い出してみせる!」
安寿はそれを聞いて、呆れたようにため息をついた。
「威勢のいいこと。確かにそろそろ終わらせたいところでした。さあ、いきますよ。《病原拡散》!」
安寿がもう一度杖を振った。そして、先程と同じように、紫色の粉が降り掛かってきた。
「よっ!」
ナリが椅子の背もたれに乗り移り続け、すんでのところで躱した。右足に一瞬降り掛かったが、ナリは顔を歪めただけで、左足で椅子を強く蹴って、立ち尽くしている信者達を横目で見ながら、安寿の目の前に向かった。その間、美波は「我が神ティラー、私に力を……!」と呟いた後、「《太陽神拳》ッ!」と叫んだ。具現化された拳は、天井付近から真っ直ぐに安寿の方へと向かった。
「あらあら……はっ!」
安寿が困ったように笑い、ナリの蹴りを杖で受け止め、ナリが右足を庇いながら下がったのを見て、「《腐敗神拳》」と唱えた。そして、具現化した拳を《太陽神拳》の拳と激突させた。
「ナリちゃん、ちょっと我慢してね……せい!」
美波はそれを言ってから、わざと魔法を解いた。《腐敗神拳》の拳が、ぶつかる相手が消えた影響で、天井に勢いよく衝突した。
天井は砕け、瓦礫と砂埃がパラパラと落ちてきた。安寿はそれを、嘆くように見ていた。
「ああ……っ!私の教会が!というか、なんで魔法が使えるんですか!魔力切れしたんじゃないんですか!?」
その間に、美波は近くに来たナリに《病原回復》を唱え、ナリが普通に動けるのを確かめた。そして、待ちぼうけている信者達を横目で見て、確信したように言った。
「ステンドグラスの中に魔力が溜まってるんでしょ?それを使わせてもらっただけ。それで、さっきナリちゃんに教えて貰って、今見てようやく分かったけど……安寿、あなた同時に魔法打てないんだね!」
「……どういうことです?」
「信者達、《思考支配》をあなたが放った時しか動いてないの。だから、あの人達を動かせるのは、私やナリちゃんに向けて魔法を打たない時だけ。違う?」
美波は戸惑っている信者たちを横目で見て、煽るように笑った。安寿は苦々しく顔を歪めていた。ナリはそれを、美波の後ろで、左手を床につけ、姿勢を低くして聞いていた。その様子は安寿には見えなかったようだった。
「……だからなんです?どうせあなた達は私を倒すことなど出来ない。陽斗さんを私に渡すしかないんです。それの一体何が……」
「だから何かって?それこそ、あなたの最大の弱点なんだよ。《太陽神拳》!」
「弱点?そんなものありません!私は完璧な毒なのですから!足掻くことなんて無駄なんですよ!《毒霧拡散》!《腐敗神拳》ッ!」
安寿の周りに毒の霧がまかれ、美波と安寿の魔法が具現化されて、拳が衝突した。その衝撃で、崩れていた瓦礫が更に落ちてきた。大きな瓦礫が、ナリの上に落ちてくる。
だがそれを、ナリは待っていた。
ナリはその瓦礫の影を確認して、小さく「《有象無象》」と呟いた。そして、安寿の方向を見て、床に勢いよく拳をぶつけ、その勢いと脚力でその瓦礫の上へと跳び上がった。
その瓦礫を更に蹴り、ぽっかり穴の空いた天井の穴のふちを蹴って、安寿のいる方向へと勢いよく向かった。
美波はナリが《有象無象》で飛び上がったあたりで、魔法を解かないまま安寿に向かって走り出した。拳はそのままの位置にあり、《腐敗神拳》の拳と激突していた。
「そのままだと前が見えなくなりますよ!」
安寿が嘲笑った。《毒霧拡散》の霧が美波を包み込み、美波の視力は一時的に消えた。美波の目が開いたまま赤く染まり、見えなくなった。
だが美波は、勝利を確信したように笑うと、魔法を解き、目の前にいる安寿を突き飛ばした。
「ちょっ……!?」
安寿が上を見る。そこには、衝突する相手を見失い天井へぶつかった《腐敗神拳》の拳と、その拳が天井にぶつかるより先に、天井を蹴って安寿の元へ突進してくるナリがいた。両者とも同じ速度だった。
「にゃあああ!!」
ナリがそう言いながら、丁度目の前にいる安寿に向かって空中から突進し、よろけた安寿に向かって、
「これで終わりにゃ!《有為転変》ッ!!」
と叫び、着地してから、6発殴り、1回左足で思いっきり蹴った。安寿は信者達のいる方向に吹き飛ばされ、信者達はその勢いに巻き込まれたり、「誰だっけ、この人……」と呟いたりしていた。
安寿は、微動だにしなかった。安寿の体は青あざと土煙に包まれ、気絶したように目を開けなかった。
2回の揺れを感じた零は、周りの死体達が次々とその場に力なく倒れていくのを見ていた。何回も薙ぎ払っていた零だが、遂に、その場で立っているのは彼1人になった。
「もしかして……終わったのか?」
息を切らしながら、角の生えた零はそう呟き、剣をしまって、2階へ向かった。
「美波!」
その2階では、ナリが美波の元へと駆け寄り、視力が回復するのを待っていた。20秒ほどして、
「みー……えた!見えた見えた!」
と美波が嬉しそうに言った。とうとう魔力切れを起こしたようで、座り込んでしまった。だが、ナリは安心して、ほっと息をついた。
「おーい!大丈夫かー!」
その時、零が手を振って現れた。
「あ、零!こっちはなんとかなったにゃ!」
「そうか?陽斗は?」
「陽斗……あ!陽斗、大丈夫かにゃ……!?」
瓦礫に埋もれてないといいけど、と思いつつ、近寄った。土煙を被っていたが、無事だった。
「……ん……」
陽斗の意識が戻ったようで、ぼーっと目を開けた。
「陽斗!」
ナリの嬉しそうな声を聞き、美波は這う這うの体で陽斗に近付いた。陽斗はうつ伏せになって倒れていたが、腕を使って起き上がった。そして、3人の顔を見て、気まずそうに言った。
「俺……3人に、こんなに迷惑かけて……本当に、ごめん」
3人は顔を合わせ、ニッコリと笑った。
「そんなことないにゃ!陽斗、私たちにいっぱい迷惑かけていいから、もうちょっと素直に、楽しく生きていこうにゃ!」
「そうだな。1度死んだ手前、あまり俺が言えることじゃないが……楽しく、思い出作ろうぜ?」
「うん。忘れたくない思い出、作っていこうよ。陽斗くん!」
ナリ、零、美波が言ったのを聞いて、陽斗は涙ぐんだ。
「め、目に埃が……」
埃を払う振りをして涙を拭っているのを、3人は微笑ましく見つめていた。
「な、なぜ……」
すると、安寿の方から、そういう声が聞こえてきた。陽斗はふらふらと立ち上がり、安寿の方へと向かった。3人も付いて行った。
「……毒島安寿」
倒れたまま、安寿が陽斗を見た。肋骨が折れたようで、立ち上がろうとしても痛みで動けていなかった。
「……無様でしょう?あれだけ大口叩いて、こうやって負けたんですから」
「……俺は……あなたに、一つだけ伝えたいことがある」
「なんですか。笑いたいんですか?」
「……あなたは、他人の毒を聞いて、自分が受けた毒を忘れようとした。でも、結局あなたは、いつまでも毒が忘れられなかったんじゃないか?毒を抜こうとして、他の人の毒を聞いて、自分の毒が弱いものだって信じたくて……でも、いつまで経っても毒を忘れられなくて、毒をいつまでも保持し続けて……辛かったんじゃないか?」
安寿がそれを聞いて、驚いたように陽斗を見つめた。そして、下敷きになっている信者達を見つめ、壊れた教会を見て、悲しそうに笑った。
「うるさい。もう、どこかに行ってください」
安寿の目には、涙が溜まっていた。
零が警察を呼んだ。警察が来るタイミングで、美波は残り、人間の姿になかなか戻らない零と、獣人の姿のナリ、そして陽斗は、先に家に帰ることにした。
「んー、なかなか元に戻んねえな……ちょっと縮んできたが」
「久しぶりに使ったからじゃないかにゃ?」
「ごめん、零……俺、年上なのに、零に頼ってばっかりだ」
零の背中の上から、陽斗が言った。安心して疲れてしまった陽斗は、零に背負って貰っていた。
「いーのいーの、俺、《鬼神化》で体力増えてるし。それよりどうする?陽斗の家にでも……」
「……零、陽斗寝たにゃ」
零がそれを聞いて背中を見た。陽斗は、安心したように眠っていた。
「……まあ、俺ん家でいっか」
「いんじゃないかにゃ?電車使えないから、歩きでレッツゴーにゃ!」
「お前は元気だな……たまには代わってくれよ?」
零とナリはそうやって、陽斗を背負って、月夜を歩いていた。
これは、夢だろうか。
俺がいる。青桐勇吾であった時の、俺がいる。
「帰りたい……眠りたい……」
そう言いつつ、夜の会社で書類を作っていた。それを、俺は見ている。
俺は、彼の望むような人生を、今送れているのだろうか。会社に行かないことが、俺の本当の望みだったのだろうか。
いや、違う。
俺は、理不尽だと思っていただけだ。何もかも理不尽だと、思っていた。
でも、今は違う。
「もっと、いい人生が待ってたから……この世界、理不尽だけじゃないから……頑張って、俺」
俺は、そう声をかけた。心做しか彼も、笑った気がした。
「あ、陽斗起きたにゃ!」
ピチュピチュと鳥の鳴き声が聞こえるベッドの上で、陽斗は目を覚ました。
「ほんとだ。美波!陽斗目覚めたぞ!」
零の声で、美波が慌ててやってくる。ここは、零の家の、零のベッドだ。
「陽斗くん……!」
美波が嬉しそうに微笑んだ。
「……美波……おはよう」
起き上がった陽斗は、ぎこちなく、そして嬉しそうに笑った。
第1章「毒りんご事件」終わりです。次回は5月10日です。