アストリアスの悪夢Ⅰ
ここは……ここは、どこ?
なんで、私……ここにいるの?
周りを見回してみても、誰もいない。
さっきまで見えていた横断歩道も、零達も、いつもよりも多かった町の人も、何もない。
あるのは、どこまでも続くような、広い空間。
アメジストの原石のように、暗い紫色がキラキラと綺麗に反射している、儚くも怪しげな空間だ。
そして、空中を漂っている、謎の結晶。
数え切れないほどあるそれは、水晶のように、白と透明の境目のような色をしていた。内側から光を反射して、すごく綺麗だ。
「どこ……ここ」
思わず声を上げた。今まで、こんな場所見たことがない。
そもそも、私はあの時、死んだんだと思っていた。
満咲を追いかけようとして、車に跳ねられて……
最後に聞こえたのは、零の声だった。
でも、なぜか今ここにいて、私は生きている。
山風町にこんな場所があったのだろうか。
私が知らないだけで、実はこんな場所があって、死にかけの猫を担ぎ込む場所……みたいな。
「……いや、ないない」
思わず首を振った。
自分の推測がバカバカしい。死にかけたせいで、私はどうにかなってしまったのだろうか。
とりあえず、ここがどこだか探ってみよう。もしかしたら、元の場所に帰れるかもしれない。
そう思いながら、私は近くの結晶に触れようとした。
その時だ。
「おやめなさい。それに触れてはなりません」
どこかで聞いたことのあるような声。
厳しいながらも、優しい声だ。若いとも、老いているとも分からない声。
そうだ。私はこの声を、奏太や立花の時に聞いた。
「あな……たは……!」
顔を見上げて分かった。その声の正体が。
今まで声を聞いて、なんで気付かなかったんだろう。
建国記念日以外で、お会いすることがなかったから?
いや……でも。
「ほ、ほ、ホープ=ドリーム様!?」
なんで、ブランキャシアの三賢者の一人、ホープ=ドリームが、今、私の目の前にいるの?
「山門有。あなたには、色々と話さねばならないことがあります。まず最初に」
ホープ=ドリームは全身を灰色のローブで覆っていて、顔はフードで見えなかった。
スッと、人差し指が出た。指は肌色で、まだ人間らしさが感じられた。
「それに触れてはなりません。それに触れてしまったら……夢が壊れますから」
「夢が、壊れる……?どういうこと、ですか?これが、サンタクロースみたいに……夢を与えてるって、ことですか?」
「そうではなく……いえ、ある意味では、そうですね。しかし、その話は後に致しましょう。次に」
ホープ=ドリームの指が、私の方に向いた。
「今の格好をご覧なさい、山門有。そうすれば、ここがどこだか分かります」
言われた通りに、自分の姿を見た。
先だけ白くて、ほとんど黒い尻尾。先だけ白がついた耳。
赤のスカート。茶色の皮のベスト。黒いブラウス。茶色いベルト。
冒険者の必需品が入っている、小さな皮の袋。
「こ……ここって、もしかして……!」
ホープ=ドリームの言う通りだった。
山風町の私は、黒いワンピースを着ていた。ちゃんと、黒猫が擬人化したように。
でも、今は違う。
「ここは、ブランキャシア!?」
ホープ=ドリームが目の前にいるあたりから、薄々予感はしていた。
つまり、私は死んで……また、転生して、ここに戻ってきた、ということだろうか?
「あなたの予想は外れていますよ、有」
何もかもお見通しであるかのように、ホープ=ドリームが言った。
そのまま、呆気にとられた私を見て、彼女は続けた。
「そうですね。あなたの疑問に答える前に……次の話をしましょう。そうすれば、あなたの疑問は、自然と解消されます」
ホープ=ドリームは、一切口調も声のトーンも変えることなく、抑揚のない話し方で、話を続けていく。
「おめでとう、山門有。あなたは、私の試練に合格しました。褒美として、この世界の真実をお伝えしましょう」
……何を言っているのか、本当に分からない。
試練?合格?この世界の真実?そんなの、知らない。
でも、試練といえば、少し心当たりがある。
前に、ダンバー……つまり、亥李が言っていた。ホープ=ドリームの試練は、誰も受けたことがないと。
その試練に……私は、いつ合格したんだろう?
「あなたも知っているでしょう。私達、ラヴ=ブレイヴ、ホープ=ドリーム、ウィル=フレンドシップの三賢者は、試練を与え、褒美を授けると。
私の試練は、ラヴ=ブレイヴほど悪趣味では無いので……単純な話です。私の作りだした夢の世界で、死んだかどうか、です」
「え!?じゃ、じゃあ、やっぱり私は死んで……?」
「ええ。あなたは自動車に轢かれ、死に至りました。その為私の試練に合格し、この世界に……このホープ=ドリームの塔に戻ってきたのです」
「それじゃあ、やっぱり私はもう一度転生して……」
「あなたは家に帰ることを、「戻る」と言うでしょう?あなたの予想は見当違いですよ、有。あなたは、本来いるべき世界に戻ってきただけのこと。あなたがいるべき正しい世界は、こちらなのですよ」
「え?ど、どういうことですか?転生したんじゃないなら、どうやって私は、現実世界からこのソルンボルへ……?」
私がそう尋ねると、ホープ=ドリームは静かに、私に近寄ってきた。
近くの結晶が、ホープ=ドリームの指に触れる。
その瞬間、その結晶は白い蝶となって、ホープ=ドリームの指に止まった。
「最初は……こんなに、複雑ではありませんでした。ですが、とある事件がきっかけで……複雑かつ救いようのない事態へと変わってしまったのです。その事件が無ければ……あなたはまだこの世界で、楽しい転生生活を送っていたでしょう」
白い蝶が飛んでいった。自由には羽ばたけないのか、フラフラと同じ場所を飛び回っている。
「有。ソルンボルと、あなたが猫として過ごしていた現実世界は、地続きの世界です。
あなたは、現実世界には帰れていない。あなたが、あの日崖から転落してからの日々、全ては……私の作りだした、夢の世界なのですよ」
夢の世界。まるで、聞きようのいいような言葉だ。
だがなぜか、今の私には、それが耐え難い絶望の言葉に聞こえた。
「有。私の正体は、希望と夢を司る精霊です。あなたの友人達、精霊人が追い求めていた精霊の謎とは……最終的に、我々三姉妹にたどり着くものなのですよ」
「三、姉妹……?」
「長女、ラヴ=ブレイヴ。次女、ホープ=ドリーム。三女、ウィル=フレンドシップ。三賢者とは、その名前にあるものを司る、原初の精霊です」
ホープ=ドリームは、機械のように淡々と言葉を連ねていった。
私が信じられないと思っているのを、知らんぷりして。
「時に、有。あなたは夢と聞いて、何を思いますか?」
「夢……というと、子供の時の夢、とか……」
「ええ。それも司っています。しかし、私が主に能力を使うのは……寝ている時の夢です」
そう言った時、周りに浮かんでいた結晶が、一際大きく輝いた。
思わず目を瞑る。
目を開けてみると、結晶は全て白い蝶に変化して、ホープ=ドリームの周りを飛んでいた。
幻想的で、しかしどこか恐ろしさを感じる光景だった。
「きっかけは、ラヴ=ブレイヴの慈悲でした。私達の中で感情を持っているのは、彼女だけですから……彼女が最初に、声を上げるのです。
『ああ、若くして死ぬだなんて可哀想。その上、次に転生するまで何百年も待たなくてはならないだなんて、なんて可哀想』といった具合に」
ラヴ=ブレイヴの口調だけれど、正直全く似ていなかった。
姉妹と言うなら、もう少し似ていてもいいと思うんだけど……機械の音声が読み上げているかのようだった。
「それを受け、私は夢を見せました。若い子が活躍するような、ファンタジーの世界など、様々な夢を……ウィル=フレンドシップが、その中から意志を決定しました。
そうして生まれたのが、この世界です。ウィル=フレンドシップが決めた世界の姿へと、私が夢を材料に作り上げたのです」
「夢が材料って……ソルンボルで見た景色が、全て夢だってことですか?あの、綺麗だったカサブランカも……?」
「そう思うのであれば、作者冥利に尽きるというものです。
有、一つだけ断言しておきましょう。今から言う事実が、とある人物の絶望を生み出し……結果として、先に述べたとある事件を引き起こしたのです。
そして、それは私達三姉妹にはどうすることも出来ない事態であり……あなたが疑問に思うことの全てを、包含しているのです」
そう言って、ホープ=ドリームは一呼吸置いた。
緊張感で空気が冷えていくような、そんな気がした。
「この世界の材料が、夢であるということ。そして、その夢とは、寝る時の夢であるということ。すなわち、それが意味することは……有」
白い蝶が、羽ばたいていく。
だがそれは時が止まったように、その場で凍りついていた。
「あなたの世界において、あなたの魂以外は全て、夢で作られた人形だということです」
最終章「アストリアスの悪夢」開始です。
次回は10月4日です。