幸福と、愛情の思い出Ⅱ
暗闇が広がっていくのを、私はこの目で見ました。
世界中の暗黒を集めて塊にしたような、そんな黒でした。
世界がゆっくりに見えていく。
世界から音が消えていく。
私が産んだ娘が、私の手元から離れていく。
私が叫ぶ。でも誰も答えない。
お医者さんが焦って娘をどこかに連れていくのを、私がベッドの上から見つめている。
無音の世界が、そこには広がっていました。
その後、どうなったのか……私には分かりません。
でも、結局娘は、産声をあげなかったそうです。
娘は、3分にも満たない寿命を終えました。
それをお医者さんから聞いた時……ショックで、涙も零れなかった。
実感が湧きませんでした。だって、隣にいて当たり前だって思ってましたから。
これから先、何度もその名前を呼んで。娘を抱き上げて、ぎゅっと抱きしめて。
「あなたが、私の生きる意味」
そんな言葉をかけて、愛してるって伝えるんです。
そのうち、イヤイヤ期になって、私が勝手に落ち込んで。
でも、それも成長なんだって、笑って許すんです。
小学生になったら、ちょっとおませさんになったりして。好きな子も出来るかもしれません。
バレンタインになったら手作りキットを買って、でも料理出来なくて。私が手伝って、娘は申し訳ないような顔をするんです。
逆に、私が手伝ったら怒るかも。「私一人でやりたいの!」って。それも、成長の証なんでしょうね。
中学生になったら、部活が忙しくなるのかな。
何をしたい子になるでしょうか。
私みたいに、料理が好きになるかもしれないし。
お父さんみたいに、運動が好きになるのかも?ちょっとムカつくけど、血は争えないですもんね。
高校生になったら、私みたいに、生きることに悩むんでしょうか。
私は、家が厳しかったから……毎日悩んでいました。私は、正しく生きているかなって。
結局、家族から見たら正しくない生き方をしてしまったけど……そこに、後悔はありません。
酷い人と交際してしまったけど、そうやって娘に会えたから。
でも、娘はそうじゃないかもしれない。お父さんが居ないことに、酷く悩んで落ち込むかもしれない。
そんな時、力になってあげるんです。独りじゃないよって。お母さんがいるよって。
それで、娘の悩みが解決するとは思えないけど……でも、独りが辛いのは知っているから。どうしても、言ってあげたい。
それで、高校卒業の時に、娘が言うんです。
「お母さん。今まで、色々と迷惑かけたけど……ありがとう」
そうして、私が卒業式で、本人より泣くんです。
そして、そこから先、娘がどんな道を辿るのか……私は、じっと見守るんです。
そこから先は、今の私も知らない道。どうなるのか、どんな人生になっているのか、全く分からない。
だから、見守るんです。私が知らない世界だけど……娘なら、大好きな娘なら、きっと大丈夫。
それに、何があっても、私がついていますから。
独りじゃないんです。これから先、どんな事があろうと……私は、娘を支えるんです。
愛しているんです。愛していたんです。
これから先、ずっと愛していく筈だったんです。
でも、それは……叶わない夢に終わってしまった。
私の娘は、たった3分でこの世を去ってしまった。
一度も名前を呼ぶことが出来なかった。
一度も抱きしめることが出来なかった。
一度も、愛してるって言えなかった。
お医者さんには「子宮は傷ついていないから次がある」と言われましたが……もう、限界だった。
次の子を産むことも、新しいお父さんを見つけることも、出来なかった。
私の生きる意味が、失われてしまった。
「愛してた。ゆり」
それが、私の最期の言葉です。
私は、病院の自室の窓から飛び降りました。
痛みは感じませんでした。だって……
もうそんなもの、どうでも良かったから。
気が付いたら、私はソルンボルに転生していました。
魔法使いの冒険者、プライヤ。それが、私の新たな名前でした。
でも、すぐに冒険者は辞めました。生命を殺めるのが、私には出来なかった。
魔法が下手なのは、そのせいです。転生してからの人生の大半は、神官でしたから。
毎日祈っていました。娘への懺悔でした。
そうでもしないと、娘に許されないような気がしました。
「なんでちゃんと産んでくれなかったの」って、言われる気がしました。
ちゃんと産んであげられなかったのは私です。でも、私には祈ることしか出来なくて……
自分を呪って、娘の幸せを祈っていた。
そうしなければとはっきり感じたのは、最初の建国記念日でした。
見て、すぐに気付いた。アストリアスは、ゆりだって。
母親だからでしょうか。遠目に見ても、アストリアスはゆりが転生した姿だって、すぐに分かった。
ゆりの魂が、そこにある気がした。
女王になって、辛い思いをしたのでしょう。悲しい目をしていた。
だから、毎日祈っていたんです。娘が、幸せになるように。
私のことなんて……娘を幸せに出来なかった母親なんて、忘れて。
ゆりは、ゆりの人生を生きて欲しかった。
あの日、アストリアスが行方不明になるまでは。
全て、知ったのでしょう。私が、ちゃんと産めなかったこと。
それで、ショックが大きくて……目的の為に、行方不明になったんだと思います。
真実を知り、それを確かめる為に。
そして、私に復讐する為に。
私が何度も祈っても、彼女は幸せになれなかったんです。だから、祈るのはやめました。
その代わり……何度も何度も、自分を呪いました。
私は結局……どうあっても、母親失格でした。
その後すぐ、私達はこっちの世界に帰ってきました。
きっと、女王様である彼女は、何か私達が知らない魔法を知っていて……それが原因で、こっちの世界に帰ってきたのでしょう。
私は、福島愛に。アストリアスは、幸野満咲になった。
運命の悪戯か、私と彼女は同級生になりました。
満咲は気付いていないみたいだったけど……私は、彼女がアストリアスだって、ゆりだって、知っていました。
ソルンボルの時と同じように……娘の魂の居場所が、なんとなくですけど、分かりましたから。
ソルンボルで、復讐が果たせなかったから……こっちでも、私を探していたんでしょう。
最初に同級生として会った時、鋭い眼光を備えていた。
でも、私は逃げなかった。
満咲が気付くのを、ずっと待っていた。
死にたくはないです。殺されたくもない。
でも、母親として、娘から逃げるのは、恥ずべきことだと思ったんです。
失格してしまった母親ですけど……それでも、私が私の意識を持っている限り……
私は、あの子の母親でいたかった。
それに、私は満咲に復讐されるのが、嫌だったんです。
満咲が復讐を遂げてしまったら、彼女は壊れてしまうような気がして。
満咲が、ゆりが、私を殺してしまったら……
ゆりが、死んでしまうような気がして。
だから、復讐されたくなくて、私から彼女に近付くのはやめました。
そして……ゆりが成長して、アストリアスとして生まれ変わって、幸野満咲として戻ってきた。
その成長を、私は遠くででもいいから、見ていたかった。
私が今までの成長を見れなかった分……これから先どうなるのか、見ていたかった。
だから、彼女が私に気付いた後は、ひたすら逃げていました。
この前、赤い靴を履いた偽物が来たんです。それ、満咲の仕業なんでしょう?
それは、どうにも……自分の死因に関係している人の所に向かうみたいで。
かつての「山川ゆり」が向かった方向を見て、私の居場所に気付いたんでしょう。
どうも、私が山川和葉だとは、分からなかったみたいですけど……
でも、私は彼女の居場所を知っているから。神出鬼没でいつ現れるか分からない彼女ですけど、何となく彼女の居場所から離れていた。
満咲の唯一の目的なんて、叶えさせたくなかったんです。
でも……ごめんね、ナリちゃん。
皆が、満咲を倒そうとすること。そして、もしかしたら、満咲を殺そうとすること。
それだけは、どうしても許せなかった。
満咲には、生きていて欲しいんです。
誰も殺さず、誰にも殺されず。
ただただ普通に生きて、普通に暮らしていって欲しかった。
この世界を終わらせるなんて、彼女は言っていましたけど……それも、本当はさせたくない。
でも、満咲が……ゆりが、それを望むのなら、この世界は終わってもいいんじゃないかなって、思うんです。
夢物語に終わるかもしれないけど……それも、ゆりが望んだ道だから。
私はただ、見守るだけです。
だって……私は、失格したとしても。
母親面するなと、ゆりに怒鳴られても。
私はゆりの母親でいたかったから。
愛が話し終わっても、誰も言葉を発しようとは思わなかった。
涙が自然と零れた。胸を締め付けられた気分が、いつまでもこびりついていた。
「参華さん。前に、二人でお会いしたことがありましたけど……その時は、過去を変えようと思ったんです」
沈黙を破ったのは、やはり愛だった。
愛の涙は、とうに枯れていた。何か、覚悟を決めていたのだろう。
「さっきまで、色々言っていましたけど……やっぱり、ゆりの成長をこの目で見守りたくて。私が安産だった過去を、作り出そうと思っていました」
「でも、結局……過去を変えることを、やめていたわよね」
涙声で、参華が尋ねた。
手で隠した口元は、くっきりとへの字に曲がっていた。
「はい。そうしたら、彼女がアストリアスであった事実が変わってしまって……今ここに私達がいることが、無かったことになりますから。私は、こっちの世界も好きなんです」
そう言って、愛はにっこり笑った。
笑っているというのに、涙が頬を伝った。
「もう一度会えて、凄く嬉しかった。私に復讐を遂げる為に生きていたけど……それでも、成長しているのが見れて嬉しかった。だから、大好きです。転生して良かった。満咲と会えて良かった」
「愛……そんな、死ぬみたいな言い方……」
「大丈夫、ナリちゃん。自分で選んだ道だもん、後悔はしない」
その言葉は、ナリの心をナイフで刺すような、鋭い言葉だった。
だが、愛はそんなことは気にせず、言った。
「皆さん。お願いがあります。満咲は、私に復讐して、全て終わらせようとしている。それだけは、駄目なんです。復讐することは……ゆりがゆりを殺すことは、駄目なんです。だから」
そう言って、愛はまた、優しく笑った。
「ゆりを、止めてください」
次回から、普段の投稿ペースである週1(金曜日)に戻します。
が、来週ちょっと合宿等で忙しいのでお休みします。
次回は9月13日です。
愛のブランキャシア時代の名前「プライヤ」は、私(作者)がprayerを「プライヤー」と読むんだなと勘違いしていたことによります。