赤き人形達の舞踏会
ナリの突き出した拳が、偽有の心臓に直撃した。
空中を飛び、静かに倒れ伏す。
摩擦のせいか、偽有の心臓の辺りには縮れた焼け跡があった。白い綿毛が、その穴から見えた。
心臓は、やはり偽有には無かった。
「お……終わったにゃ……?」
そう呟いた途端、ナリは急に力が入らなくなってしまった。
手足の痛みが急に現れ始めた。
見ると、血が静かに流れている。血の流れを見る度に、その亀裂の痛みが思い起こされた。
ジンジンと右手は痛み、両足には疲労で軋むような痛みが襲う。
ほんの少しの痺れが、ナリを動けなくさせていた。
(い、い、痛みが……!)
痛みに耐えながらも、体を引きずって偽有のところまで這った。
偽有はピクリとも動かなかった。
所々ほつれ、赤い血の代わりに白い綿が飛び出していた。
特に頭と心臓の傷は大きく、摩擦で焦げて、布に穴が空いていた。
穴を覗いても、内臓は見えない。
これが人形なのだと、改めて思わせるような身体だった。
「もう……動かないのかにゃ……?」
手でそれをつついた。
意外にも、それは軽かった。やはり人形だからだろうか。
「……動かないにゃ……」
胸の中にあるわだかまりが、まだ残っているような気がした。
(……そりゃ、そっか。人形なんだもんね。壊れたら、動いたりなんか――)
そう考えたナリの手が、ピタリと止まった。
「……なんで、私はこれを見て、すぐに人形だって分かったんだにゃ?」
背筋がぞわりとした。
結果的に、偽有は人形だった。それは、今目の前にある白い綿や、布の焦げた跡を見れば一目瞭然だ。
だが、ナリは偽有を見て、中身を見ずに人形だと分かった。
「零とか亥李達の偽物を見てたから?いや……皆、あの赤い靴の偽物を見て、すぐに壊してた。零だって、私の偽物を見て、「壊せ」って言ってたにゃ。「倒せ」じゃなくて」
自身の偽物が人間であると少しでも思ったならば、一瞬でも躊躇うはずだ。
「皆、偽物が無機物だって、分かってるみたいだった」
勿論、ナリ自身も含めて。
「それに……なんで、「人形」なんだにゃ?今まで少しでも、人形っぽい素振り、あったかにゃ?機械とか、前言ってた式神とか言っても、おかしくないよにゃ?」
だがそれでも、誰もがナリの偽物を「人形」だと呼んだ。
そして、誰もそれを信じて疑わなかった。
「満咲が言ってたから?いや、あれは私しか聞いてないはずにゃ。なら……どこで皆は、私は、偽物が人形だって知って――」
震える声でナリが自身に問いかけた、その時。
「あーあ。壊されちゃった」
ナリしか居ないはずの空間に、声が響いた。
見ると、偽有の口が動いていた。
壊れたはずの人形が、喋りだしていた。
「な、なんで……!?」
「喋れないと思ってた?それならごめんなさい。あなたのこと、騙してしまって」
口調が偽有ではない。恐らく、偽有を使役していた「マスター」だろう。
「さて、有。あなたの疑問、答えてあげましょうか?」
「え?疑問って……」
「聞こえていたわよ。なんで、人形だって分かったか、でしょう?」
鼓動が速くなるのを感じた。
全てを見透かされているような気がする。偽有を通して、全て「マスター」に知られているような気がする。
「教えてあげる。あなたはもう気付いているのよ、有。だから、人形に馴染みが深かったの。それで、偽物が人形だって、すぐに分かったのよ」
「気付いてるって、何に……!?」
「この世界の、真実に」
毛が逆立ったような、そんな気分だった。
呼吸が浅くなる。手の震えは止まらない。
そんな真実、何も知らない。
「何を、言って……」
「今はまだ、分からないでしょうけどね。いずれ分かるわ。この世界で、最も優しそうな顔をして……最も邪悪なことをする、嘘吐きに」
その声には、少し恨みのようなものがこもっていた。
「マスター」は続けた。
「有。あなたは、私に騙されたかもしれないけど……あなたは、もっと大きな存在に、ずっと騙されているのよ」
「騙されて……?そんなこと、有り得る訳がないにゃ……!」
「ほら。騙されてるじゃない」
ドキンと、心臓が鳴った。
何を言っているのか分からない。
誰のことを言っているのかも分からない。
どうして騙されているのかも分からない。
思わず、立ち上がった。
痛みはどこかに消え、今は恐怖心がナリを支配していた。
「有。いつまで、おままごとをしているの?」
「な、何が……?」
「いつまでも茶番劇に付き合って……見事なものね。あなたは、赤き人形達を倒したけど……あなたはずっと、おままごとの中にいる。人形達が作り上げた仮面舞踏会で、ずっと遊ばれている」
「ねえ、説明してよ……!どういうこと!?さっきから、ずっと……何を言っているのか、分からないよ……!」
「いずれ分かるわ。あなたは……気付くことが出来る。今まで出会った、全ての人の過去に寄り添ったあなたなら……この世界の真実に、気付くことが出来る。だから、偽有を使って排除したかったのだけれど……残念ね」
どうして、今までの自分の行動によって、世界の真実に気付けるかどうかが変わるのか、全く分からなかった。
「そんなの……私は……」
「いいえ、有。この真実は、あなたしか気付けない。楽しみね……あなたがこの世界の真実に気付いた時、どういう反応をするのかしら?」
あっはっはっは、と偽有が笑った。
その笑い声ですら、何か恐怖を与えるものになっていた。
「私の味方をするのかしら?それとも?ふふふ……あなたは嘘吐きだから、私の味方にはならないかもしれないわね。見ものだわ」
「嘘吐き……?偽物も言ってたけど、一体、どういう――」
「ただ……あなたの反応も見たかったけれど、もう時間切れ。だから有、またゲームをしましょう?」
ナリの話を遮り、偽有が言った。
そのまま、偽有は続けた。
「偽有とのゲームは、あなたの勝ち。倒した後にどうするか、決めているみたいだし……しょうがないわね。だから、今度は私とのゲームにしましょう」
「私との、って……そもそも、あなたが誰なのかが――」
「分からないでしょう?だから、あなたは三日以内に、私を見つけてちょうだい。三日以内に分からなかったら……私は、目的を達成して、全て終わりにする」
その言葉の意味はやはり分からなかった。
だが、「全て終わりにする」というその言葉の重みは、なんとなく分かったような気がした。
「どう、やって、そんなこと……?」
「出来るのよ。ああ、楽しみだわ。あなたがこのゲームをして、どんな反応をするのか!」
偽有がそう叫んだ途端、世界にヒビが入り始めた。
「……あら。もうバレちゃったのね。それじゃあ有、また会いましょう」
ヒビから、白い光が漏れている。
その光が、世界を包み込む。
「ああ、ねえ、ちょっと……!」
「じゃあね、有」
視界が真っ白に染まった。
そんな中で、偽有の声が、ひどく鮮明に聞こえた。
「私の名前は、アストリアス」
その瞬間、ナリは意識を失った。
気が付くと、ナリは地べたに座り込んでいた。
ぬかるんだ土が、膝につく。遠くを見ると、かつて落ちた時に見たあの光景が広がっていた。
どうやら、戻ってきたようだ。
「ナリ!!」
零の声がした。後ろから、走ってくるのが聞こえる。
「おい、ナリ!大丈夫か!?なあ、本物のナリだよな!?偽物を倒して帰ってきたんだよな!?」
心配そうな顔で、ナリの肩を揺さぶった。
(あす……アストリアス……?)
あまりに突然で、ナリはとても零の言葉に答えられるような状況ではなかった。
「おい!ナリ!」
今にも泣きそうな声で、零が叫んだ。
「う、うん……零……」
「ナリ!良かった、心配したんだぞ!?なあ、本物だよな!?偽物じゃないよな!?」
ほっとしているのが、顔に出ていた。
(ああ……まずい。零に心配かけちゃった……)
ナリは一つ深呼吸し、気持ちを整えた。
「うん。心配かけてごめんにゃ。本物だにゃ、私。偽物に勝って……帰ってきたんだにゃ」
「本当か!?なあ、なんか本物だって分かること、言ってくれよ!」
「えっと……そうだにゃ。零がカレー食べなかった日、あったでしょ?十さんのことで、零が悩んでる時。あの時のカレー、すごくまずかったんだよね。実は」
「あぁ……その素直で正直者な感じ、本物っぽいな。良かった……勝ったんだな……」
はぁー、と零が深くため息をついた。
肩にのしかかる力が重い。力が抜けたのだろう。
「あのね……零。色々、話したいんだけど……まず、この事件、終わらせたいんだにゃ。この、偽物騒動」
「おう。その為に戻ってきたんだもんな」
「電話、貸してくれるかにゃ?」
ナリがそう言うと、零は何も言わずにスマートフォンを探しだした。
《異形》で人間の姿になり、受け取る。そのまま、緊急通報の欄を開いた。
「いいんだな。これで」
「うん。お父さんには……前を向いて欲しいから」
覚悟を決め、息を吸った。
そして、あまり慣れない番号に、電話をかけた。
「もしもし。警察ですか?」
ああ、夢だ。間違いない。
「有……有……!」
だって、私はこの場に居ないのだから。
お父さんが、泣いている。警察と一緒に来て、死体を見つけて泣いている。
私はあの後、警察に「死体を見つけた」と連絡した。
崖の下に自転車があると。その下から、骨のようなものが上から見えたと。
私は、警察にそう言った。
そしてそのまま、零と二人でこっそり帰った。
現場を一緒に見る勇気はなかった。
「なんで……結局、こうなって……!」
当然だ。お父さんから見たら、一昨日再会した娘が、実はずっと前に死んでいたのだから。
見覚えのある自転車が、お父さんの涙に拍車をかけていた。
こうなってしまった以上……零の言う通り、お父さんが苦しむことになるのは、時間の問題だった。
今か、これから先の未来か。私が知らせるか、知らない誰かが知らせるか。
お父さんに待ち受けていたのは、辛い未来だけだった。
「ねえ、お父さん」
私、とんだ親不孝者だ。
あの日、お父さんは前を向いたのに、私はついていけなくて……家を出てしまって、こんなことになった。
お父さんは私のことを想ってくれていたのに……
私は、お父さんのことを想っていながら、自分のことばかり考えていたんだね。
あの日、ぐっと我慢して……ちゃんと考えればよかった。これからの未来のこと。
お父さんは前を向いたけど……私は、今のことしか考えてなかったんだね。
「ごめんなさい、お父さん……」
夢の中だから、きっと、聞こえていないだろうけど。
それでも、言わずにはいられない。
「後悔ばかりの人生だったけど……私、お父さんの子供で良かった……」
ねえ、お父さん。
私、猫になったけどさ。
それでもまだ、お父さんの子供でいたい。
お父さんの子供だって、名乗りたい。
「……有……?」
ああ……夢の中だからだろうか。
私の涙がこぼれた跡を、お父さんが見つめている。
そこから、人間の私の姿を見て、不思議そうに――
背筋がゾクッとして、目が覚めた。
時刻は早朝、午前四時。日が差し込みそうなのか、紫色の光がカーテンから漏れていた。
「……なんで……」
ナリが、静かに呟いた。
シーツは汗だくになっていた。
ナリ本人も、汗にまみれている。息が荒くなっている。
「なんで、お父さんが、夢の中の私と目が合うの……?」
ナリは零と共に、一緒に帰ってきたはずだ。
だから、警察と父親が有の死体を見つける光景は、ナリは見ていないはずだ。
だが。
「なんで、私、お父さんが私の死体を見つける場面が、こんなに鮮明に分かるの……?」
まるで、本当に見てきたかのようだった。
だが実際は見ていない。少なくとも、ナリ自身はそう思っている。
「皆が見てた夢とは、違う……皆、こうすれば良かったっていう未来が見えたって、言ってた。でも、私は……」
声が震えた。
疲れからか、眠気は強かった。
だが、その眠気が全て吹き飛ぶ程、寒気が止まらなかった。
「ああ……ついに、見つけた……」
同時刻。
夜のビル群に、声が響いた。
「見つけたぞ……山川和葉……!」
「赤き人形達の舞踏会」編終了です。
週2で投稿すると前回宣言しましたが、とりあえず、来週は忙しいので週1になります。
それ以降は週2確定になりますが、不定期になるかもしれません。ちょっと微妙な投稿期間になるかもしれませんが、よろしくお願いします。
次回は8月9日(金)です。