インタビュー
次の日。
「ね、ねえ……ほんとに行くの?」
キャスケットを目深に被り直しながら、ナリが尋ねた。
「おう。だって、気になるだろ?お前の父さんの幸せ」
先を行く零が、楽しそうな声で言った。
結局、ナリは「ユウ」という架空の人物に成り代わり、父親に会いに行くことになった。
その仕掛け人は零なのだが、彼は何の不安もないような顔で、前を歩いていた。
「ねえ……さっきから、何見てるの?空見てたって、うちには着かないよ?」
零は定期的に、空を見上げながら歩いていた。
雲の形でも確認するかのようにして、空を見上げ、その後に前を向く。
その行為を、零は繰り返していた。
「ん?ああ、気にすんなって。俺が迷っても、お前が家に連れてってくれるだろ?」
「まあ、場所分かるからいいけど……なんで、うちの場所分かるの?何も教えてないのにさ、曲がるところでちゃんと曲がって――」
「あ、あそこか?」
ナリの声を遮り、零が確認するような声で尋ねた。
零が指差した先には、やはり山門有の家があった。
「うん、うち……なんで分かったの?凄いね、魔法?」
「いやー……まあ……」
歯切れ悪く、零が答えた。
零はまた空を見上げ、そのまま玄関の扉に目線を下ろしていた。
ナリもその通りに目線を動かすが、何も異変は無い。
空には、魚の形の雲が浮かんでいた。
(うん?零には何が見えてるんだろ……魔法、何か使ってたっけ?うーん、いや、行く時は何も使ってなかったはず……私には見えない魔法か何かがあるのかな?私、魔法得意じゃないからなー……)
ナリが零の顔を見て悩んでいると、零はその目線に気付き、優しく笑った。
「さっき言ったろ?気にしなくていいって。それに、ほら、お前の出番だぜ」
「出番?なんのこと?」
「ほら」
零がインターホンを指さした。
「押しなよ」と、零の口が動いた。
それを見た途端に、急に胸がザワザワし始めた。
「え、い、いや、零が押すべきなんじゃないの?今日、私は零の助手っていう設定で……」
「それはそれ、これはこれ。お前、今まで帰って来れてなかったのに、「ただいま」も言わないでどうすんだよ?」
「そ、それは、そうだけど……」
そっと、手を伸ばした。
10センチメートルも離れていない距離が、なぜだかとても遠く感じられた。
手が震えた。
まだ、父親とは仲直り出来ていないのだ。
それなのに、今更別人として帰ってきては、父親に申し訳が立たない。
「ナリ」
無意識に集中していたのか、零の呼びかけで、人間の姿では存在しない毛が逆立った気がした。
「わっ!う、うん、なに?」
「自信持てよ。大丈夫、何かあっても俺がついてる」
零はそう言って、優しく笑った。
「自分を信じて、行動に移す!心配事が消えないとしても、何か事態は好転する!そういうもんよ!」
前に、亥李が自信満々にそう言っていたのを思い出した。
(言ってること、ほとんど同じなんだけど……零の方が、信じられる、気がする)
亥李と零は、ただの仲間であり、友達であるはずだ。
そこに、差異は無いはずだ。
だが零の方が、どこか嬉しい気がした。
「ありがとう、零。いく、よ」
「おう」
ナリがインターホンに触れ、そっと呟いた。
「ただい……あ、いや」
仄かに笑を零し、ナリは静かにインターホンを押した。
「はい」
すぐに父親が出た。一気に緊張が高まった。
「あ、すみません、昨晩お電話しました、川鞍新聞の月島と申しますー」
緊張で話せなくなったナリの代わりに、零が応えた。
「ああ、少々お待ちください」
少し強ばった口調で、インターホンが切れた。
「言わなくて良かったのか?ただいまって」
零が気遣う声で聞いた。
だが、零の予想とは違い、ナリは吹っ切れたような、何か覚悟を決めたような顔で、言った。
「うん。ただいまって、言うべきなのは……猫のナリじゃなくて、人間の有だから」
「ナリ……お前……」
零が少し驚いた顔で、ナリを見つめた。
その続きを零が話そうと口を開いたところで、丁度、有の父親が玄関から現れた。
「おまたせしました。暑いし、中にどうぞ」
文化祭で会った時よりも、父親は朗らかな顔をしていた。娘が見つかったからだろう。
(……やっぱり、私は……)
決意が揺らぐのが分かった。だが、昨日の夜に零が言ったことは、どう足掻いても事実だった。
(……迷うな、私。ここには、お父さんの幸せを知りに来たんだ。自分を信じて、行動に移すんだ。そしたら、きっと……)
頬をパンパンと鳴らし、前を見た。そして、不安そうな顔をしている零に続いて、中に入った。
有が生きていた頃のように、家の中は綺麗にされていた。
父親の催促で、ダイニングにある椅子に座る。
可愛らしいテーブルクロスが、ダイニングにかけられていた。
「娘は、丁度今出かけてて……少し、待っていただかないといけないんだけど……」
「いえ、大丈夫です。お父さんに話を聞きたいので」
「ぼくでいいのかい?なら、少し待っていて。お茶、持ってくるから」
父親はそう言って、キッチンの方へ居なくなった。
余裕があるようで、少し感情が表情から読み取れるようになっていた。
「……まじか……」
父親の姿を見て、零がぼそっと呟いた。
「どうしたの?」
父親に聞こえないよう、小声で尋ねた。
「いや……前に偽物が現れた時、ちょっとな……それを思い出して……」
「大丈夫?なんの事言ってた?」
「いや、後で言うよ」
零がそう言ったところで、父親が紅茶とカップを持ってやってきた。
「おまたせ。ぼくに聞きたいことって、何かな」
紅茶を煎れ、二人にカップを差し出した。
ティーパックで煎れたウバの紅茶だったが、スッキリとしていて優しい匂いと味がした。
「君達、文化祭の時に会ったよね。川鞍大の人だったんだ。OBなのかな?」
「ええ、まあ。俺は違いますけど、こっちの人はOGですよ」
零がナリを指さした。
ナリは黙って頷き、キャスケットを深く被り直した。
「それでは、取材を」と言って、零はメモ帳を取り出した。。
「まず……俺達も見てましたけど、有さんとの再会、おめでとうございます。とても感動的なシーンで、思わず涙が流れました。今、どのようなお気持ちですか?」
いけしゃあしゃあと嘘を吐く、とナリは心の中でツッコミを入れた。
それにも気付かず、二人は取材を進めていった。
「そうだね……10ヶ月も居なかったから。凄く、嬉しくて……見つかって良かったって気持ちと、生きていて良かったって気持ちかな」
「ありがとうございます。再会した時、お父さんは娘さんに、何と声をかけましたか?」
「とても心配したんだ、おかえり、と……会ったらまず最初に、おかえりと言ってあげたかったんだ。きっと、有はその言葉をずっと待っていたから」
胸に、グサリとナイフを刺された気分だった。
また、キャスケットを深く被り直した。父親に今の顔を見せたくなかった。
「……きっと、有さんもその言葉を聞いて、喜んだと思います」
零が、ナリに向かって聞かせるように言った。
そのまま、彼は取材を続けた。
「さて、次に……有さんと再会して、今……一緒に、どのようにして過ごしていきたいですか?」
「うん、そうだね……一緒に旅行に行きたいかな。妻が亡くなってからは、全く行けていなかったから」
「なるほど……奥様は、いつ頃……?」
「14年くらい前かな。そこから、有にはずっと苦労かけて……別れてしまった日も、迷惑なことで有と喧嘩してしまって。まだ、それについて何も話していないんだけどね。話しづらくて」
父親はそう言って、苦笑いを浮かべた。
胸に刺さったナイフが、胸の奥まで入り込んだような気分だった。
「……あの」
思わず、声が出た。
零が「なっ、ゆ、ユウ……!」と呼び止めるのも、ナリには届かなかった。
父親が不思議そうな目でナリを見つめた。
「迷惑、じゃ、ないと思います」
キャスケットのつばで目を隠した。
自分が本当の娘だなんて、知られたくなかった。
「私は、その娘さんじゃないけど……迷惑じゃない、と思います。だって、娘さんのことを思って言ったことが、喧嘩になったんですよね?娘さんも、それを理解してるから……迷惑じゃ、ないと思います」
息を継ぐように、言葉を紡いだ。
自分でも、何を言っているのか、なんでこんなことを言うのか、分からなくなっていた。
父親の驚くような目。当然だ。
まるで、喧嘩を見てきたかのような発言に、驚いているのだ。
だが、一度言った以上、止まらなくなってしまっていた。
「ずっと、娘さんは……探してくれていたことに感謝も出来ず、あの日のことも謝れず……後悔、してたと思います。謝りたいと、思ってると思います」
自分の胸の内を必死に堪えて、言った。
「ありがとう、お嬢さん」
少し、父親の目を見た。泣きそうな顔をしていた。
「ぼくも……ずっと、謝りたいと思っていた。でも、今普通に過ごしている有を見ていると、言えなくてね。嬉しさと……変わって欲しくない日常に、水を挟みたくなくて」
優しい声だ。14年間、ずっと聞きたかった声だ。
「でも……きっと、現実から目を背けたままじゃ、よくないと思うんだ。それこそ、あの日有が出ていった日と、何も変わっていない」
父親の目に、涙が溜まっていた。
そして、何かを思い出すように、優しく笑みを浮かべた。
「文化祭の日、君は言ったよね。そこに娘さんがいなくても、行くんですかって。ぼくは、たとえ現実が辛いものであったとしても、諦めないと決めていた。僅かな可能性でさえ追い続けると決めていた。だから……」
父親は涙を手で拭い、言った。
「有に、謝ろうと思うよ」
目に溢れる涙を、ナリは必死にキャスケットで隠した。
「教えてくれて、ありがとう。現実から目を背けていたら、あの日と何も変わらないね。話し合って……ぼくらの未来を、決めなきゃいけないね」
父親の言葉が、身に染みるようだった。
「ありがとう……ござい、ました」
ナリはそう言って立ち上がり、廊下を駆け抜けた。
「あっ、おい!すいません、今日はありがとうございました。また後日、お礼にお伺いしますので!失礼します!」
零が父親に謝る声が、遠くに聞こえた。
(ごめん……ごめん、お父さん……!)
涙を木の板の隙間に落とし、外に出た。
もはや、キャスケットでは涙は隠せなくなっていた。
「おい!ナリ!」
家の外で、零がナリを呼び止めた。
お互い、息を切らしていた。
「……ごめん」
「お前、父さんに何も言わずに行きやがって……お前の父さん、優しいから怒ってなかったけど……」
「どうしようも、なくて」
まだ涙が止まらない。
背を向けていても、零には気付かれているだろう。
「……偽物は、人間を魔力源の器にしたって言ってた。今、お前の父さんを見てて……あの人がそうだって、確信した。多分、あれを続けてたら、何か影響があると思う」
「……そっか」
必死に涙を拭った。
現実がどうであれ、父親は前を向いた。
それが、本当の現実ではないとしても。
「零。決めたよ。ありがとう、甘えさせてくれて」
「おう。結局、どうする?」
「うん」
目尻が赤いことも、充血しているのも気にせずに、後ろにいる零を見つめた。
そして、ナリは決意を言葉に乗せ、言った。
「自分の最後くらい、自分で決める」
次週は課題が溜まっているのでおやすみします。
次回は7月19日です。