揺らぎ
「私は、大罪を犯したんだ」
ナリは自分の墓場を見て、静かに呟いた。
「これで……きっと、分かったんじゃないかな。私は、お父さんに幸せになって欲しいんだ。今まで、私が叶えられなかった分まで、あの偽物と……」
「でも、あの偽物を野放しにしてたら、お前の存在だって乗っ取られちまうだろ?」
零のその言葉を聞いて、ナリは押し黙ってしまった。
「……ナリ。ここに、お前の死体がある以上……お前が死んだ事実は、偽物がいようが変わらない。そうじゃないか?」
零の気遣うような声が、ナリの耳に届いた。
「私の死体が見つかったら、その事実が真実になるけど……でもね。私の死体は、見つからないよ」
「見つからないっつったって、いつかは……!」
「当然、いつかは、見つかるかもしれないけど……少なくとも今は、お父さんの幸せを優先したいんだ」
ナリはそこで一呼吸置くと、震えた声で続けた。
「偽物を壊すことと、私の死体が見つかること……そのどちらも、お父さんの幸せを奪うのであれば……少しでも長く、お父さんには幸せになって欲しい」
零はそれを聞いて、なんとも言えない顔をしていた。
(そうだよ。お父さんの幸せが続くのが、時間の問題なら……少しでも長く、お父さんには……)
ナリの心の中で、諦念が渦を巻いていた。
父親の為に、自分の命を差し出すこと。
自分の存在を犠牲に、父親を幸せにすること。
それは、ナリにとって造作もないことのように思えた。
「なあ……ナリ。一つ、聞いていいか?」
零の言葉で、ナリは我に返った。
「あ、うん。何?」
「お前の考える「お父さんの幸せ」って……具体的に、どんなのだ?」
「え?」
ナリはどぎまぎして零を見つめた。
そんなこと、当たり前過ぎて考えたこともなかった。
「お父さんは、私と一緒にちゃんと暮らそうとしてた。だから……私が見つかって、家族と一緒に暮らすことが、お父さんの幸せだよ」
「でも、本当は死んでるんだろ?家族、全員」
身も蓋もない言葉だったが、実際それが真実だった。
「今、有だと思ってる奴が偽物で、本物は死んでいたって知るのと……これから先、なんかのタイミングで有の死体が見つかって、今までのは偽物だったって知るの、どっちが幸せなんだろうな」
零の言葉が、ナリの頭の中で反響した。
(え?どっちも……変わらないんじゃ、ないの?)
頭の中が混乱する。
時間以外、何も変わらないじゃないか。
頭の上の疑問符が見えたのか、零は「ああ、いや」と説明を加えた。
「俺だったら……なんだけど、俺なら、偽物だって分かるのなら、早めがいいと思った」
零はそう言いつつ、困ったように眉をしかめた。
「十さんと一緒に過ごしてた時とかもそうだけど……俺は、十さんのこといい人だって思った期間が長かったから、あんな風に酒を飲ませるって気付いて、かなりショック受けたんだ。まあ、十さんはただ不器用なだけだったなんだけどな」
零はそのまま、優しい笑顔を作り、ナリに見せた。
「幸せなことって……長く続けば続くほど、裏切られた時に辛いと思うんだよな」
ハッとした。
父親に自分の死を伝えることは、零の言う「裏切り」に近い気がした。
(お父さんを今裏切って、これからお父さんが辛い時間を減らすか……いつバレるか分からないけど、今のお父さんの幸せを優先するか……?)
自分の意志がグラグラと揺らぐのが分かった。
ナリが自分の死体を放っておいたならば、「山門有の死」が父親に知られないかどうかは賭けになる。
(いつか分からないその時を、運命に任せてしまったら……お父さんは、本物のいない世界で、幸せになるのかな)
今まで考えたことのなかった揺らぎが、ナリを襲った。
冷や汗が、じっとりと背中に流れた。
「それに……これは、打算的な考えだけど……もし、いつか有の死が明らかになるなら、ナリの存在を優先してもいいんじゃねえかな」
零は、ナリの顔を伺いながら、静かに言った。
「なあ、ナリ。改めて聞くけど……お前の父さんの幸せは、お前の存在よりも大事なのか?」
咄嗟には、答えられなかった。
父親の幸せは、自分か運命に委ねられている。
今の段階ならば、父親に自分の死体は見つからないだろう。だが、それもいつまで保証されるものかは分からない。
たまたまどこかの登山客が見つけることだって、あるはずだ。
その時の父親の嘆きは、どんなものだろうか。
今まで偽物が山門有の振りをしていて、本当はずっと前に亡くなっていたと知って、どんな風に思うのだろうか。
それが、父親の幸せなのだろうか。
「…………分からないよ」
ナリは、絞り出すように呟いた。
「私の思う幸せが……お父さんの幸せかなんて、分からないよ。考えれば考えるほど、いずれお父さんを不幸にしてしまうんじゃないかって、そう思って……零の言う通り……幸せな時間が長いほど、それが嘘だと知ると辛いのかもしれない。だとしたら、もう……お父さんの、幸せは……」
声が震えた。
静かな雨のように、涙が流れ落ちた。
服の裾を両手で握りしめ、腕で涙を拭った。
(私が、死んでしまっている以上……運命が優しくしてくれない限り、お父さんは絶対に不幸になる。私の考えた「お父さんの幸せ」は、手に入れられなくなる)
悔しかった。
もし、自分が今でも「山門有」であったならば。
ただ、行方不明になっていただけであったならば。
父親の目の前に出てきて、偽物が偽物であることを証明すればいいだけだ。
だが、それはどうしても出来ない。
(なんで、あの日……私は、死んでしまったんだろう……)
後悔の痛みが、ナリを襲った。
「……なあ、ナリ」
その様子を見てか、零が優しく声をかけた。
「「優人さんと、話せるかもしれないにゃ」。そう言ったのは、お前だろ?」
声真似というにはかなり下手な風に、零が言った。
ナリは、思わず顔を上げた。
なぜ急にその話をしたのか、分からなかった。
「「少し、見えてくると思うんだにゃ。これからの、優人さんとの付き合い方」。そう言ったのも、お前だろ?」
「う、うん。優人さんの時に……」
零はその言葉を聞いて、元気づけるようにニッコリと笑った。
「じゃあ、話してみようぜ。お前の父さんと」
「……え?な、なんて?」
「だから、話してみようぜ。お前の父さんと、今、娘のことをどう思ってるか」
肝を抜かれた。
そんな方法、ナリは思いつきもしなかった。
「い、いやいや、話したって……!」
「意味が無いってか?意味はあるだろ。父親の幸せが何かを知って、お前の決意が揺るぎないものになる」
「そうかもしれないけど……お父さんに、私が山門有の転生した姿だって、バレたらどうしようって話してたんだよ?そんなこと、本末転倒じゃ……」
「バレないように話せばいいんだよ。ほら、文化祭の時にバレなかっただろ?あんな感じで行けばいいんだよ」
「そ、そうは言ったって……!」
焦るナリをよそに、零は楽しそうに笑った。
「大丈夫だって。今の状態だったら、自分の娘と似てる女が来ても、偽物かどうかなんて考えもしねぇって」
そして、零はナリの両肩を掴み、顔をぐんと近付け、意を決したような、真剣な顔を見せた。
少し、鼓動が早くなった。
「だからさ。少し、俺に恩返しさせてくれよ」
そのまま、彼は優しく笑った。
「…………うん」
それしか、言葉に出来なかった。
(え?えっと……え?な、なに、この感じ……)
自分に芽生えた謎の感情が、ナリは上手く処理出来なかった。
(零は、さっき言ってたことしか言ってないよね?いつも通りの行動しかしてないよね?普段通り笑っただけだよね?)
父親のこと同然に、零への感情に混乱が広がった。
「なん、で……?」
思わず声に出た。
そのセリフを止めようと、口を手で覆った。
だが、滑り出した言葉は、やはり零には聞こえていたらしい。
「ああ、悪い!変に触っちまって……かっこつけようと思っちゃって……」
「い、いや、それは、全然……いいんだけど……」
「お、おう、そうか?そうだ、とりあえず明日の昼、お前の父親のところに――」
零が事務的な話をし始めるが、ナリはあまり話を聞いていなかった。
聞こえなかった、という方が正しいだろう。
(なんで、こんなに、顔が熱く――)
そこから先、何を考えていたのか、どんな会話をして家に帰ったのか。
ナリは、帰ってから何も思い出せなかった。
次回は7月5日です。