醜くて、罪を重ねた思い出Ⅱ
高校2年生の秋。私は、山から滑落して死んだ。
その日は、近年稀に見るほどの土砂降りでさ。普通なら、外に出るなんて考えもしないような日だった。
それまでの2年間は、なかなか辛かったよ。
さっきも言ったけど……お父さんを見捨てられなくてさ。
お父さんと暮らし始めて、最初に初めたのは家の掃除だった。
ゴミを出来るだけ出して、古いものは捨てて。
全ての部屋の埃を掃除機で吸って、雑巾を床一面にかけた。
古い家だったけど、それでもかなり綺麗になったんだ。今、まだ綺麗なままだといいんだけどね。
料理も、伯父さんの家だとお手伝い程度しかやってなかったけど……お父さんの分まで、栄養とかも考えて作るようになった。
最初は目玉焼きとかしか作れなくてさ。高校で慌ててお料理部入ったんだ。お陰でかなりレパートリー増えたんだよ。ね?私、割と作れるでしょ?
朝起きて、洗濯機で洗濯して、朝ごはん作って、出来たらお父さん起こして、一緒に食べて、着替えたりメイクしたりして、食器片付けて、洗濯干して、家を出る。
学校から帰ってきたら、洗濯物取り込んで、掃除機かけて、夕飯の買い物行って、夕飯作って。
夕飯食べ終わったら、お父さんのお皿も片付けて、風呂沸かして、お父さん先に入らせて、その間に食器洗って、私も風呂入って、宿題して寝る。
最初の頃は、お父さんがほとんど食べようとしないし、風呂にも入りたがらないしで、すごく困ったんだ。
だから、最初は私が箸で口に入れたり、風呂場でお父さんにお湯をかけたりしてた。最後の方は、自分でやってくれるようになって、凄く嬉しかったなあ。
毎日、こんな感じだった。
だから、旅行も行ったこと無かったんだ。忙しくてさ。
たまに、お父さんの元部下のお姉さんが様子見に来てくれてさ。私の仕事、分担してくれたんだ。
横水さん、って言うんだけどね。私がお父さんと一緒に暮らし始めるより前から、お父さんの様子見に来てくれてたんだって。
「お父さんには、散々お世話になりましたから。奥さんが亡くなって、元気が無くなったのを見て、すごく不安だったんです」
そう言ってたなあ、横水さん。お母さんみたいに明るくて優しい人だなぁって、思った記憶ある。
あの日も、横水さんが帰った後、雨が降り出したんだ。
「凄い雨だね。買い物、早めに行ってよかった……」
私がそう言ったら、お父さんが静かに頷いた。
横水さんと一緒に、買い物行ってたんだ。私は、まだ夕方だったけど先に作り始めることにした。
「有。少し、いいかな」
私が野菜を切り始めたところで、お父さんが言った。
その日の夕飯はハンバーグと、シーザーサラダ、お父さんの大好きなきんぴらごぼうだった。
「なにー?」
今思うと、作業しながらじゃなくて、ちゃんと話を聞いておけばよかった。
「お母さんが居なくなって、寂しいかい」
「まあ、寂しいけど……もう慣れたかな。14年も前だし」
「そうか……じゃあ、横水さんのこと、好きかな」
「横水さん?うん、まあ……優しくて、いい人だよね。いつも綺麗で、メイク教えてくれたりするんだ。お陰でオシャレなメイク出来るようになったり……忙しいのにうちのことも手伝ってくれて、凄く感謝してる」
「なるほど、分かった。有」
「どうしたの?お父さん」
「横水さんを、新しいお母さんとして迎えよう」
思わず、包丁を落としてしまって、足先を切った。
振り向いた先には、久しぶりの笑顔を浮かべたお父さんがいた。
「……え?ど、どういうこと?」
「有がうちに来てくれてから、思っていたんだ。有はまだ高校生だ。なのに、ぼくが何も出来ないばっかりに、うちのことを全て任せてしまって……だから、再婚しようと思う。横水さんと」
「ま、待ってよ、お父さん。私、今のままで充分だよ?それに、もし何か家事のことで不満とかあるなら、言ってよ。そしたら、私が……」
「違うよ、有。ぼくは有が今まで頑張ってきてくれたことに、不満なんてない。ただ、君には、色々なことを相談できる女性が必要だと思ったんだ」
「色々なことって……それなら、今の生活でも大丈夫じゃん」
「横水さんは、前よりも昇進して、今かなり忙しいから……ほとんど来れなくなると思うと言っていたよ。連絡はできるけど……ぼくに聞かれたくなかったり、直接会って話したいことだって多いだろう」
「そんなこと……!」
ない、とも言いきれなかった。
実際、人間関係の悩みとか、メイクとか、女の子の日のこととか……横水さんに相談してたからね。
「横水さんに提案したら、喜んで受け入れてくれた。有のこと、気にしてくれていたらしいんだ。有ちゃんには相談出来る女性が必要だって、言ってたよ」
「まっ……ま、待ってよ!お父さんは……お父さんは、それでいいの!?」
「うん。今まで苦労かけて、ごめんね。そろそろ前を向いて、有のことちゃんと考えて――」
「違うよッ!」
千里のことを、大人っぽい子供だとするならば。
私は、それ以下だった。
私は、大人になりきれなかった子供だったんだ。
「そんなの、全然私の為じゃない……!お母さんのこと、愛してたんじゃなかったの!?」
「お母さんのことは愛しているよ。でも、もう……」
「死んじゃったから、何!?お母さんが死んでたって生きてたって、お父さんの愛は変わらないんじゃなかったの!?」
「お母さんは死んだ」という言葉は、長い間、うちの中で禁句だった。
だからかな、お父さんの顔がみるみる青くなっていったんだ。
でも私の興奮は止められなくて。
考えもしないのに、言葉が溢れ出てきてしまった。
「お父さんが今まで、お母さんを失った悲しみを引きずっていたから!お母さんをずっと愛してたから!私は、お母さんの代わりになれるよう、必死に頑張ってきたのに……!お父さんはお母さんのこと、もう好きじゃなくなっちゃったの!?」
「違うよ、有。やっぱり、今のままじゃ良くないと思うから……」
「だから、前を向くの?前を向いて、お母さんのことも、お母さんへの愛も、全部忘れちゃうの!?」
「忘れたつもりは無いよ、有。お母さんのことは今でも――」
「愛してるのに、横水さんと結婚して……お母さんへの愛、忘れちゃうの!?」
お父さんの泣きそうな顔も、震えた声で止めるのも全部無視して。
「お父さんなんて、大嫌いッ!」
私はそう叫んで、外に駆け出した。
外は土砂降りだった。叩きつけるような雨が、轟音と共に降り注いだ。
駐車場に置いてあった、錆びたピンク色の自転車。
それを引っ張り出して、震える手で鍵を差した。
カラカラ、カラカラ、って漕ぐ度に音が鳴った。
時々ペダルが錆びて固まって、転びそうになった。
それでも、必死になって自転車を漕いだ。
向かったのは、お母さんのお墓。
お母さんに言いたかった。お父さんが、再婚するって言ったって。
お母さんのこと、もう愛してないのかなって。
とにかく、私は……お母さんに、言いつけたかったんだ。
お母さんに言って、気持ちの整理がしたかった。
さっきも言った通り……お母さんのお墓まで行くには、山風町の山の山頂から、隣の町の山まで移動しないといけないんだ。
だから、まずは山風町の山を目指した。
雨の中自転車を漕いで、山に辿りついて。山の中を、自転車で漕いだ。
雨で地面がぬかるんでてさ。何度も転びそうになったけど……それでも、なんとか辿りつきたかった。
そして、八合目くらいまで辿りついて。
あと、もう少しで隣の山に入るってときに。
「ノエル……?」
目の前に、死んだはずのノエルがいた。
ノエルは死ぬ前と変わらず、にこにこ笑ってて。
「ニャア」って、可愛い声で鳴いた。
そのノエルに気を取られてたからさ。
私は、カーブに気付かず、崖から転落した。
短いですがキリがいいので。
次回は6月21日です。