生と死、神と光
「零……ナリ…………美波」
「陽斗くん……?」
美波の声が、静かな教会の中に木霊した。
「全く、今日は特殊な毒ばかりだ。あなた方、なんの御用です?」
安寿が3人にそう聞くと、零が答えた。
「分かってるだろ。そこにいる陽斗を連れ戻しに来た!」
「俺を……?」
陽斗がコップを口元から遠ざける。
「そうだ、陽斗!お前がいないって美波から聞いたから、ここに来たんだ!」
「そうだにゃ!ここに来るまでちょっと心配だったけど……見つかって本当に良かったにゃ!帰るにゃ、陽斗!」
零が言うと、ナリも同じように叫んだ。
「なんで俺なんかに……出ていってくれよ。俺は、今から……」
「陽斗くん」
陽斗の声を、美波が遮った。
「陽斗くんのお父さんも、お母さんも心配してる。帰ってきてよ。皆、陽斗くんのこと……」
「うるさい!」
陽斗が珍しく大声を出した。零、ナリ、美波の3人が驚き、怯んだ。
「俺のこと、なんでそんなに構うのかな……3人とも、俺のことは構わず現実の生活を楽しんでくれよ。俺は、今からこの毒薬を飲んで……」
「毒薬!?」
零、ナリ、美波の3人の声が重なった。
「そう、毒薬。飲めば死んでしまう劇薬だよ。それを今から飲む。そして、俺は……学生でありながら社長とかいう、理不尽なこの人生を終わらせる!」
「理不尽……?」
美波が聞いた。
「そうだよ。この世の中は理不尽ばっかりだよ、美波。来て欲しくもない就職難が来て、行きたくない会社に親に行かせられて、やりたくも無い残業ばっかさせられて、死にたくもないのに疲れて死んで。会社員なんてもう嫌なんだ。ソルンボルにいる時だけは楽しかったさ。でも、こんな転生望んでいなかった。だから、終わらせるんだ。こんな、負の連鎖……!」
「負の連鎖だなんて言わないでよ!」
今度は陽斗が怯んだ。ナリも陽斗も、ケルベロスアイの時に美波が大声を出したことを見たことがなかった。
「負の連鎖だなんて言わないでよ……私たちが再会できたのは何だったの?私だけだったの?陽斗くんと会えて嬉しかったのは……私、大切な仲間と会えて嬉しかったんだよ?陽斗くんがそう思ってたなんて信じられないよ……」
「……」
「陽斗」
ナリが陽斗を睨みつけた。
「私たちは1度、理不尽な人生を送ってしまったのかもしれないにゃ。でも……その時、そんなに辛かったのかにゃ?
私は元々高校生だったし、まあ理不尽だったかもしれない人生を送ったにゃ。でも、楽しかったにゃ。すっごく。部活……私の場合お料理部だったけど、そこでお菓子作る時は本当に楽しかったにゃ。陽斗には、そうやって悲観する思い出しかないのかにゃ?」
「……」
陽斗が俯いて、ナリ達から目を逸らした。
「陽斗」
そう零が言った。
「俺は、そんなにも辛いのなら、その毒を飲んでもいいと思う」
「えちょ、零!?何言ってんだにゃ!?」
「まあナリ、最後まで聞け。だがな、陽斗。お前はそんなに、この世界に絶望してんのか?俺達はお前の今の人生の支えにならなかったのか?
美波やナリが言っていたが……昔の人生では楽しいこと1個もなかったと仮定して、それは今も続いていたのか?この世界に帰ってきて、楽しいことは1個もなかったのか?」
陽斗が黙り込んだ。そして、ぶつぶつと呟いた。
「……この世界に帰ってきて、楽しかったことは……学生であったことと……世界で、俺以外にもソルンボルから来ていた人がいたことと……美波が、大学の授業で、現状をノートにまとめていて、それを俺が、発見したこと」
陽斗の目には、涙が溜まっていた。
「君、もしかして……ソルンボルから来たのか?」
「あ、あわわ、ちょっ、なんでそれ分かったのー!?」
陽斗と美波は、初めて出会った大学の授業後の会話を思い出していた。
「……陽斗!」
ナリが、また言葉を紡いだ。
「美波や……私、零、朝日……もしかしたら、ダンバーとも。皆で、楽しい思い出作ればいいんだにゃ。嫌なことも全部忘れてしまうような、楽しいこと。毒を全部消しちゃうような、面白くて、キラキラしてて、楽しいことをにゃ。だから……帰ろう?帰って、皆でまた楽しく話そうにゃ!今の会社が嫌なら、変えればいいんだにゃ。陽斗が望むように。きっと、私たちに昔の記憶があるのは、反省して、そして立ち直るためにゃ!」
陽斗の頬を、涙が伝った。
「あー……陽斗さん?あなたはそれ、飲むんですよね?毒りんご」
安寿が痺れを切らし、陽斗の持つコップを指さして聞いた。陽斗はそれを見て、黙っていた。涙を誰にも見せないように、下を向いていたようだった。
「はあ……これはまた面倒な……《魔源収納》」
安寿が両手を上げて言った。ステンドグラスの中心部分が光り輝き、そこから木製の杖が飛び出してきた。真っ赤なガラスのリンゴが先端と柄の先に付けられ、「Perfect Apple」と彫られていた。
「全く、大切な駒が増えると思ったのに。面倒ですねぇ……陽斗さんは先程私に、毒を飲んで全てを忘れると言ったじゃないですか。あれすら忘れたんですか?まだ毒を飲んでいないのに?」
「……」
「だんまりですか。はあ……しょうがない。私が教えて差し上げますから、少々お待ちください。例え自分であったとしても毒を飲ませる、その美しさを!《死体操作》!」
安寿がそう叫んだ。すると、安寿とナリ達の間の床から、大量の死体が手を伸ばし、床の大理石を上に吹き飛ばして現れた。先程陽斗と一緒にいた死体もそこにいた。
「のわぁ!なんにゃ!?」
「な、なにあれ!?あんなに人が……!?」
ナリと美波が仰け反っている中、零は舌打ちをして、《魔源収納》の結晶を握り剣を取り出した。
「さあ行きなさい皆皆共!死した力で敵を殲滅するのです!」
安寿が杖を振った。安寿が陽斗の肩を後ろに下がり、先程陽斗と話していた扉とは別の、ステンドグラスの右隣の扉を開けて出ていった。石の床から出てきた死体達はナリ達へ向かって走り出した。ところどころ足が取れた死体もいた。
「きもきもきも!あれ倒さなきゃダメかにゃあ!?」
「ダメに決まってんだろ!ナリ、美波!俺はアイツらをぶっ飛ばすから、お前らはあのリンゴ野郎をぶっ飛ばせ!」
零が剣を担いだ。そして、2人の前に出て、両手で剣を握り剣で体を隠すように構えた。
「ほら行けお前ら!ケルベロスアイの友情見せてやれ!」
零が叫んだ。ナリと美波が顔を合わせ、
「頼むにゃ、零!」
「お願い、零くん!」
と叫んで、隣を抜けていった。
「さて……俺は雑魚退治を請け負ったわけだが……例え雑魚だろうと容赦はしねえからな!」
教会に剣を突き刺し、そう高らかに宣言した零に、死体達が群がってきた。
「さあ……今夜の月はー……ちょっと見えないが、まあ綺麗だろ!ナリのがいけるなら俺のもいける!月の光よ輝け、我が角よ伸びろ!ナイトメアの種族スキル!《鬼神化》ぁ!」
零が自身の腕に噛み傷をつけた。ステンドグラス越しの月の光が、零の顔を青白く照らした。零が目を瞑る。そして、零の頭から、白く鋭い、鬼のような角が生えてきた。零自身も屈強かつ大きくなり、体全体が青白くなった。零の額に白い三日月の痣が出来上がり、重いはずの両手剣を片手で振り回したその姿は、鬼というよりは月の精霊のように見えた。
「おおー……これがこの世界での《鬼神化》……ちっちゃな角生えてないからどうしようかと思ってたが、何とかなったな!さあ!お前ら、覚悟しろ!死んでんのか生きてんのか知らねえが、全員なぎ倒してやる!《肉体烈火》!《魔力魔撃》!」
零が持つ魔力を宿し、白いオーラが揺らめく剣を、《肉体烈火》で瞬間的に鍛えた腕で思い切り薙ぎ払った。死体たちにそれは当たり、なぎ飛ばされていった。
「はっはー!参ったか!さあさあ、まだまだ行くぜ!」
零が楽しそうに声を上げた。また死体が薙ぎ飛ばされた。
「どりゃあ!」
零の声と共に死体が薙ぎ飛ばされていく中、ナリと美波は走って安寿の元へと向かっていた。
「なんか、さっきの沢山の人達が皆飛んでいるような……」
「零……角、生えるんだにゃ……アッシュみたい。いや、余所見してる場合じゃないにゃ!いくにゃ、美波!」
美波とナリが時々後ろを見つつ、陽斗と安寿が向かった扉を開けると、そこは階段となっていた。その階段を上がっていく。
「陽斗……無事かにゃあ……」
「ナリちゃん、喋ってないで早く階段登ろう!もし陽斗くんが今毒を飲んでしまっていたら……!」
「……そうならないように、急ぐにゃ!」
ナリが四足歩行となり、階段を駆け上がった。現在獣人の姿をしているナリにとって、こちらの方が急な階段でも登りやすかった。
(あの、死した力って言われてた人達……もしかして、死体……?ソルンボルでいうなら、エネミー、アンデッドなのかな……?アンデッドは死んでしまったけど、死者使いの言うことは聞くんだっけ。で、唯一の弱点が、確か……)
「ちょっと美波!考え事してないで早くにゃ!」
ナリの言葉で、美波が我に返った。自分が考えていたことを今一度思い出し、美波は金のロザリオを右手に持った。
そして、2人は2階の、「礼拝堂」と書かれた部屋の扉を開けた。
「……もう、逃げられやしないにゃ!教祖!」
ナリが言った。彼女の両手には黒いグローブがはめられ、両足には茶色の編上げのブーツが履かれていた。彼女の先端が白い尻尾が、怒りを示すかのように激しく揺れた。
「教祖……せっかくだから名前で呼んでくださいよ。私には毒島安寿という、素晴らしい名があるというのに」
安寿が仰々しく言った。礼拝堂は、ただ木製のベンチが並べられているだけで、それ以外は、下にあるステンドグラスや絵画、ましては神の像すら無い、簡素で大きな部屋だった。
そんな礼拝堂の奥に、安寿が立っていた。安寿の隣には、陽斗がいた。だが彼は眠らされており、少し彼の体に傷がついていた。
「……なんで陽斗くんが、倒れてるの?」
美波が聞いた。ロザリオを安寿に向けて構え、安寿を睨みつけた。
「ああ、聞きたいですか?ここに来た途端、彼が言ったんですよ。「俺にはあの人達がいるんだ。零、ナリ、美波……どれも大切な仲間だったんだ。そんなあの人達を、あの人達との思い出を、俺は全部、蔑ろにして……安寿さん。いや、毒島安寿。ごめん。俺は、毒を飲んで全て忘れるよりも、美波達と一緒に思い出を作る方がいい!」ってね。だからちょっとばかし、気絶させて頂きました。この方が、後で毒を盛り……いえ、説得しやすいですから」
「今、毒を盛りやすい、って言ったにゃ」
「言ってません。全く、どうしてこう皆さんは、1番毒を抜く方法である、毒を飲むということを理解してくれないんでしょう。こんなにも、素晴らしいというのに」
「素晴らしい?あなたの手駒にされるだけの人生なんて、普通嫌に決まってるでしょ!?」
「おや……美波さん、でしたっけ。これは貴方の大切な彼が望んだことですよ?応援してあげないんですか?」
「する訳ないでしょ!?陽斗くんが死にたいと願うなら止める!陽斗くんが生きたいと思うなら応援する!当たり前だよ!」
「偽善、ですねえ。なんで死にたいと思う人を止めるんですか?その人が望んでいることでしょう?」
「この世界、そんなにポンポン捨てていいほど醜い世界だなんて、思って欲しくないからだよ!
陽斗くんの例でもそう!私は!彼ともう一度出会えたこと……それだけでも生きる価値が充分あるってこと、陽斗くんに伝えたいの!もっと生きてみたい、そう思って欲しいの!」
「わからず屋ですねえ。誰かの願いを叶えたい、そう思わないんですか!?」
「時と場合によるでしょ!誰かの幸せを願いたい、それじゃ理由はダメ!?」
美波と安寿が言い争っているのを、ナリは黙って聞いていた。そして、何かを決意したように、2人に向かって大声で言った。
「うっさい2人とも!美波、もうちょっと冷静になるにゃ!」
「あ、ご、ごめん……つい……」
美波が謝る中、安寿は「で?猫のお嬢さんはなにか私に言いたいことはあるんですか?」と聞いてきた。
「そうだにゃ……安寿。私は安寿が一体どうしてそんな風に考えているのかは知らないにゃ。でも……これだけは言える。安寿、私は、陽斗の幸せも、美波の幸せも、零の幸せも、安寿の幸せも願いたいにゃ!だから、今戦うにゃ!安寿、死体を増やして死体を操るなんて、そんなことしてたら幸せも消えて毒ばっかりにゃ!」
右手を安寿に向けて突き出し、ナリはそう宣言した。
「はあ?私の幸せも願う?敵ですよ?私。はあ……そこの猫さんはよく分かりませんね。うざったらしい!さあ全員、猫さんと美波さんに向けて突撃しなさい!《死体操作》!」
安寿がそう叫び、杖を振った。すると、また死体達が床から飛び出してきた。その数5人だ。
「彼らは死体達の中でも最も屈強な者を用意しました!そして、《思考支配》!全員、彼女たちに襲いかかりなさい!」
そう言うと、9人の白いローブを着た人間たちが、椅子の下から這い出て、飛び出してきた。
「にゃあ!流石に数が多いにゃ、美波!どうするかにゃ?」
ナリが数歩下がって美波に聞いた。美波はというと、目を瞑り、
(大丈夫。陽斗くんを助けるんだ。たとえ普段使わないからって、ナリちゃんなら、私がアンデッドを倒してしまえば、あとは私が回復すれば、何とかしてくれる!)
と考えていた。そして、
「……この礼拝堂には、神様がいない。でも、私の周りには、我が神が傍におられる!太陽の神ティラーよ、私に力を!《聖者極光》ォ!」
と叫んだ。金のロザリオの中心から、眩い光が大量に溢れ出した。
「にゃ!?」
「な、なんですか!?」
ナリと安寿が怯み、2人は目を瞑った。そして、2人が目を開けると、そこは先程と打って変わって、静まり返っていた。
「あ……ああ!なんで!どうして!どうして私の大切な死体達は!何処にも居ないんですかぁ!」
安寿の叫ぶ通り、安寿の使役していた死体は、全員塵となって消えてしまっていた。
「すごいにゃー、美波!そんなのいつ……!」
「神官魔法で最初の方に覚える魔法だよ。なんで分からなかったの?安寿さん。あなた、多分神官でしょ?」
美波が安寿を煽るように見た。安寿の顔が、真っ赤に染まった。
次回は5月3日です。