ワンサイドゲーム
「こ、ここは……」
気がつくと、ナリは月島家のリビングで倒れていた。
周りを見回すと、零がソファの上で寝ていた。穏やかな寝息を立てている。
「《異形》」
ナリはそう唱え、猫の姿から獣人族の姿になった。そしてそのまま、ナリは零の体を揺らした。
「零。れーい。起きてにゃー」
「うん……?」
零が寝ぼけた顔でナリの顔を見つめた。
時間は夜7時。黄昏時の日差しが部屋を照らしていた。
「あー……そうだ、「夢遊病」が発生したんだったか。勝手に帰ってきたんだな、俺達」
「そうだにゃ。風ノ宮高校の文化祭で……」
文化祭であったことを思い出す。有の父と有の偽物が、感動の再会を演出していたことを。
思い出すだけでも、心の中に重い何かが入り込んだ気がした。
「なあ……ナリ、大丈夫か?父親と会って、その父親がお前の偽物を娘だと勘違いして、その現場を見て……」
心配そうな顔で、零が尋ねた。
「大丈夫、だにゃ」
「大丈夫な奴は、そんな強ばった顔しねぇんだよ。あの時、なんで破壊しなかったんだ?壊す為に校庭に行ったんだろ?」
「それは……」
なぜ、校庭にわざわざ行ったのか。
それは、偽有を壊す為ではなかった。だが、その理由を説明出来る程、ナリは自分の感情に説明がついていなかった。
「……分かんないにゃ」
そっと、ナリは零から目線を逸らした。
「分かんない?でも、壊したいだろ?あれ」
「壊したいのかな……それも、分かんないにゃ」
「壊さないと、有が2人になるだろ。それとも、ナリは山門有が何人にも増えていいのか?」
「それは……嫌だけど……」
「嫌なら壊せばいいじゃねえか」
「でも、その……お父さん、嬉しそうだったし……」
当たり前だ。有の父が10ヶ月前から望んでいたことが、現実に起きたのだから。
ナリがポツポツと話しているのを見て、零は呆れたようにため息をついた。
「ナリ。自分のこと、ちゃんと考えろよ。お前にとって、父親がどれだけ重要か知らねえけど……それでも、お前が父親に気を遣って、自分を薄める必要はないんだ。あいつらが再会する前から、山門有は死んでた。結果は最初から決まってたんだ。それを伝えるのが、早かったってだけだろ」
「そう……だけど……」
煮え切らない態度。だが零はそれも承知の上か、黙ってカーテンを閉めに行った。
(お父さんがせっかく幸せを手にしたのに……私が、それを奪ってしまっていいの?親不孝者で、お父さんを不幸にした張本人が……でもあれを壊さないのなら、私は「山門有だった」って事実を奪われることになる。私が、薄れてしまう。零はそう言っていた)
夕闇を遮る零を、ちらりと見た。
(だけど、もう……それで、いいんじゃないの?私はもう、山門有じゃない。ナリだ。ハチワレ猫のナリ。零と同居してる猫。もう、別人なのだから。もう、あの記憶を切り離しても――)
ナリがそう思った、その時。
「随分と薄情なんだね。山門有」
聞き覚えのある声が、玄関から聞こえた。
いや、聞き覚えのあるという問題ではない。
もう、何度も聞いたことのある声だ。生まれた時から、今の今まで。
「あなたにとっての山門有って、その程度だったんだ。ちょっとショックだなあ、私。山門有がいたから今があるって、思ったことないの?」
零がナリと目の前のそれを見比べた。動揺している目だった。
「……まあ、ないよね。そうだよね。私だもん。私が私のこと、一番理解してる。あなたには、自分の人生を許せた瞬間なんて、一度も無いもんね」
それは、嫌味らしく嘲笑を作った。理解している、という割には、ナリのことを馬鹿にしているようだった。
「お前……何しにうちに……!どうやって入った!」
零が激昂した。その様子を見て、それはポンと手を叩き、ニッコリと笑顔を作った。そして、声を整え、優しい声で言った。
「零。今までごめんね。実は、今まで零が「ナリ」だと思ってきたのは……「ナリ」じゃなかったんだ。私が、本当の「ナリ」。本名は、山門有。これからよろしくね」
ナリのように笑顔を浮かべ、ナリの声でそれは笑った。
あの偽物だった。
「はあ!?そんなの冗談にもならねえよ!」
「だって、そこにいる私の偽物は、もう「山門有」じゃなくていいって思ったんだよ?零だって分かってたでしょ?あいつが、そう思ってること。じゃあ、もういいよね。ナリも山門有も、私で」
「ナリはナリだ!お前なんかじゃねえんだよ!」
それを聞くと、偽有は「やっぱり無理か」と苦笑いを浮かべた。
「山門有の元友人は騙せたんだけどね。今現在のナリを知っている奴ともなると、流石に難しい。でも、大丈夫だよ、零。あと少しで、私はあなたの隣にいられる」
「それは……どういう……」
やっと、言葉が出た。それまで、口が重くて開かなかった。
偽有はその様子を見て、ニヤリと笑った。
「ゲームをしよう。3日以内に、私を壊してみなよ。ただし、殴る蹴るといった暴力で壊すと、私は復活する。他と違って、私は優秀だからね」
「にゃはは」 と、偽有が笑った。ナリの笑い方に似ていて、ナリも零も一瞬驚いた。
「もし、3日間を過ぎてしまったら……?」
「その時は、ナリ。あなたに私が代わってあげる」
偽有がナリを指差した。偽物の指が自分の体を支配するかのように、ナリは体が動かせなかった。
「今は、父親と凛だけ。3日過ぎたら、最初は愛かな。次は朝日。次は詩乃と参華。亥李と陽斗。千里。美波。そして零。そこまで行ったらもう、チェックメイトだ」
「な、何が……?」
「信じさせるんだよ。私が、ナリだって。あなたを吸収してあげる。だって要らないんでしょ?自分の過去。今の自分を作ってきた過去が、必要無いんでしょ?」
「そんなの……俺が、俺達が、本物のナリが分からない訳無いだろ!?」
零が激怒した。偽有は意地悪っぽく笑った。
「ナリの姿で、ナリの声で、ナリの性格で、ナリの話し方で。獣人族の姿を持つそういう猫が、この世に1匹。それをナリって言うんでしょ?なら、私でも大丈夫だよね。記憶のナリと目の前のナリに違いがなければいいんだから」
そこまで言うと、偽有は表情を大きく変え、ナリのように可愛らしく笑った。
「大丈夫だよ、零。零はこの3日間で、何も失わない。ずっと、可愛いナリと過ごせるんだ。おめでとう。よかったね」
「何も良くねえよ……!この世に1匹?なら、本物のナリはどうなるんだ!」
「言ったでしょ?私が吸収してあげるって。名前も、存在も、能力も、信頼も、全部私が貰うから。あなたは灰にでもなって、どこかに消えてしまえばいいよ」
膝の力が、すっかり抜けてしまった。
座り込んだナリを、偽有は見下すように見つめた。
「ねえ。だって、要らないんでしょ?自分の過去。なら、灰なったって問題無いよね」
「私……は、ナリだよ。山門有じゃないから、あなたが成り代わってもいいんじゃないかと思ったんだ。でも、今の私にも成り代わるのは……嫌だよ」
「我儘だね」
偽有が鼻で笑った。
「山門有の存在だけ、私に成り代わってもらう?あなたは今まで、自分の人生を2つに分けたことがあったの?2つに分けて、片方を誰かに分けることが出来るの?出来ないでしょう?あなたの人生は、今までずっと続いている、この世に1つだけのものでしょう?」
思わず口から息が漏れた。偽有は続けた。
「成り代わっていいのなら……全部、貰っていいよね?」
「だ……駄目ッ!あなたに私は渡さない!」
「なら、ゲームに勝てばいいんだよ。あなたが、私を壊せるならね」
偽有は、試すかのようにナリを見た。
「私があなたに成り代わるのは嫌。お父さんから幸せを奪うのは嫌。真実を伝えるのも嫌。じゃあ、どうするの?一歩も進まないで、どうやって3日間過ごすの?」
その時だ。
「《魔力魔撃》ッ!」
零の剣筋が、偽有の頬をかすめた。
偽有の長い黒髪が、ハラハラと落ちていった。ソファから綿が少し出ている。切り過ぎていた。
「危ないからやめてよ、零。叔母さんの気に入ってるソファなんじゃないの?」
「これ以上……ナリを苦しめるな!」
息は荒くなり、目は充血していた。
「《鬼神化》!」
零がそう叫ぶと、頭から鋭い角が生え、肌が青白く変化していった。
零はもう一度、偽有に向かって剣を構えた。
「次は、お前の心臓に刺す」
冗談などではなかった。本気で、零は偽有を壊すつもりだ。
偽有はその様子を見て、フッと笑った。
「分かって言ってるんだよね。剣で引き裂いても、私は復活する。無駄な行為だよ、零」
「その口が塞げれば十分だ」
「わぉ、怖い顔。なら、外に出ようか。ここだと、家具を傷つけることになっちゃうし」
偽有はそう言って、くるりと振り返った。そして、そのままナリの方へ顔を向けた。
「ね?山門有」
身震いが止まらなかった。
偽有は玄関の扉を開け、外に出ていってしまった。
零も、ナリを気にかけながらも後に続く。顔は緊張で引き締まっていた。
(私が消えるか……お父さんの幸せを奪うか……?)
両手のひらを見た。2つの選択肢が、ナリの頭の中で浮かんでは消えた。
前に一歩を踏み出して玄関に向かうのに、ナリは何十時間もかかったような気がした。
微妙なタイミングですが、GWは忙しい&読書したい&cocシナリオ書きたい&新生活疲れの休みを取りたいので、お休みします。
次回は5月10日です。