赤き人形
心臓の鼓動の音がうるさくて、周りの声が全く聞こえなかった。
「立てる?大丈夫?」
目の前の人物が、手を差し伸べてくる。
ナリは、父にだけは正体を知られたくなかった。
「あ……り、がとう、ございます……」
たどたどしくお礼を言うと、有の父はやつれた顔で微笑んだ。
気が付くと、ナリと父に周りの注目が集まっていた。近くにいた人から、たまたまそばを通りかかった人、果てはわざわざ見にこちらまで来た人までいた。
尻もちをついて転んだのが可笑しかったのか、ナリの正体が周りにばれたのか。それとも、この町で有名である山門有の父がいるのが、もの珍しいのか。
注目を集めてしまった理由は、ナリには分からなかった。
「ごめんね。久しぶりに来たから、道に迷っていて。前を見ていなかった。怪我、ない?」
父は困ったような笑顔を浮かべ、ナリに聞いた。
どうやら、ナリの正体には気付いていないようだ。
「あ、いえ、大丈夫です……」
ナリはなるべく、父の顔を見ないように答えた。
「それなら良かった。ところで、一つ聞きたいんだけど、いいかな」
「えーっと……なんですか?」
父は手に持っていたパンフレットを開いた。とあるページの角に折り目が付いていて、何回も開いた跡があった。
父はその折り目のあるページを開き、ある教室を指さした。
「ここ、どこにあるのかな。娘の教室なんだけど、道に迷ってしまって」
それは、凛と愛のいた3年D組だった。
「あっち、です」
ナリは、父の奥の方を指さした。
「ああ、ありがとう。ぶつかってごめんね」
父はそう言うと、来た道を戻ろうと背を向けた。
「娘さん、そこにはいないんじゃないですか」
だって、私があなたの娘だから。
そうは、ナリはとても言えなかった。
「いなくてもね、行くんだよ」
父は振り返り、ナリの方を見て、山門有のネームプレートを胸の位置まで掲げた。
「もしかしたら、文化祭にいるかもしれない。可能性が少しでもあるなら、ぼくは行くことにしているんだよ。実は娘は文化祭にいたのに、ぼくが行かなかったから会えなかったなんて、お互い嫌だろうからね」
「もし、文化祭にいなかったら?」
とめられそうにない涙を必死に堪えて、ナリは聞いた。
「次の手がかりを求めて、また探しに行くよ」
「探しに行ったって、手がかりは何もないかもしれない。影も形もない娘を、あなたはどこまで探しに行くんですか?」
父はそれを聞いて、少し考え込んだ後、答えた。
「探し出すよ。どこであろうとも」
父はそう言うと、ナリに向かって手を振り、3年D組の方へ向かっていった。
ナリは膝の力が抜け、その場に座り込んでしまった。
「な……ユウー!おーい、ユウー!」
群衆の中から、零の声が聞こえた。父がいなくなったことで周りの人も散ってゆき、零の姿はすぐに見つけられた。
「大丈夫か?ユウ」
傍に駆け寄り、ナリに手を差し出した。その手を掴み、やっとの思いで立ち上がる。
「あれってさー、行方不明の人の父親だよねー」
「なんだっけ、名前……そうだ、有さんだ。名前珍しいなーって思ってたんだ」
心臓の音はまだ大きくて速い。だが、零を見ると、不思議と心が落ち着いてきた。
今は心臓の鼓動の音ではなく、離れていくカップルの声が聞こえていた。
「いい加減諦めろって思うよねー。10か月だよ?川にでも流されて死んじゃったんじゃない?」
「やめろって。あのおっさんに聞こえるだろ」
「え、でも真実じゃん?こんだけ見つからないってことはもう死んでんじゃん?」
「あのおっさんはまだ本気なんだよ」
「大の大人が本気で娘探して見つからないって、だっさー」
女子高生が「あはは」と笑い、男子高生が「やめろって」と笑って、横を通り過ぎていく。
零が睨みつけたのに気付き、二人は委縮しつつ「何あれ、怖」と口々に言いながら去っていった。
「ああいう奴、嫌いなんだよな。当事者の気も知らないで」
零が珍しく本気で怒っている。ナリはそれだけで嬉しかった。
「私からは何も言えないよ。あの人達と同じ立場だったら、私もそう思うもん。10ヶ月って、凄く長いから」
「だけど、有の父親は今だって……!」
「お父さんがずっと諦めないで探してくれてるのは、凄く嬉しいよ。でも、そろそろお父さんは――」
ナリが言いかけた、その時。
どよめきが、急激に広がった。周りの人は皆、窓から校庭の方を見ていた。
「ねえ、あれって……」
「まさか、生きてるなんて……」
「嘘!ねえ、もしかして……」
窓を見た人から、驚嘆の声が漏れた。
「うっそ!マジで!?」
「やば!生きてたのかよ!見に行こうぜ!」
先程のカップルも窓を見ていたようで、階段を駆け下りていった。
先程の嘲笑はどこへやら、今はカメラマンにでもなった気分らしく、スマートフォンで録画を回しつつ走っていた。
ナリと零も校庭を見る。
出し物の空き時間で、使われていなかった校庭。そこに、誰かいた。
それは風ノ宮高校の制服を着ていた。夏用の白色のセーラー服が、それの長い黒髪とマッチしていた。
スカートは短く、今時の女子高生らしさがあった。
それは慣れたような動きで、ヒップホップを踊っていた。時々見える靴は、セーラー服には似合わない赤色だった。
それだけでは、驚くほどのことでは無かった。制服を着崩す人など、どこにでもいた。赤い靴だって、大した問題にはならないだろう。
最大の問題は、それが山門有の顔をしていたことだった。
顔だけではない。仕草や表情まで有そっくりだ。
校庭の偽物を記憶の有と照らし合わせようと、誰もが釘付けになっている。
「あれは……!」
零が小さく叫んだ。
今この場で、校庭の山門有が偽物であると知っているのは、有が死んでいることを知っているナリと零だけだった。
(赤い靴……こんな時に、あの「赤」が……!)
優人を惑わせ、零の前に現れた赤い靴の式神のことを、ナリは思い出していた。
不安になって、父を見る。父は目を見開き、口から息が漏れていた。
「な……有っ!」
心臓をも震わすような大きい声で、父が叫んだ。
そのまま、父が階段を早足で降りていった。先程見たやつれた姿の見る影はなく、健康だった昔の面影が感じられた。
「ユウ、どうする!?父親が接触する前にあいつを倒して……ユウ?」
零がナリの姿を探そうとするが、どこにも見当たらない。
「あ、猫だー!」
「こんなところになんでいるんだろ?」
周りの客が指さす先には、一匹のハチワレの猫。
「ナリッ!!」
零は思わず叫んだ。階段を駆け下りる姿を、必死に追いかける。
そのナリは、零のことも周りの目も気にせず、階段を飛び降りていった。
(早く、早く……!)
偽物を倒すという思いは、ナリには全くなかった。
ただ、父と偽物が会うその瞬間を、その目で見たかった。
1階の玄関を出ると、もう既に父と偽物が話をしていた。
「有……有、なのか?」
それを聞くと、偽物は踊りを止め、父の方を見た。
「そうだよ。お父さん、今まで帰ってこれなくて、ごめんね」
偽有は細く白い腕で、父を抱きしめた。
「心配かけちゃって、ごめんね。これから、また一緒に暮らそう。お父さん」
「ああ、よかった……とても心配したんだ。おかえり、有……!」
涙が父の頬を伝った。それにつられて、偽有も涙を流す。
抱き合う親子のその姿を見て、拍手が校内に鳴り響いた。
その拍手喝采の音を聞きながら、ナリは玄関で2人を見ていた。
重くて苦い何かが、心に入り込んだ気がした。
その何かが、心臓と胃を苦しめる。逃がしはしないとでも言いたげに、それはナリをその場に縛り付ける。
偽有がナリの方を見た。先程の泣き顔はどこかに消え、真顔が張り付いている。
「もうお前は要らない」
偽有の口が、そう動いた。
ふらり、ときた。眩暈がしてまともに立っていられないのに、心に入り込んだ何かが、それを許さない。
「ナリ!今すぐあれを破壊しろ!じゃないと、お前の父さんがあれを有だって信じるぞ!?」
息を切らした零が、強張るナリの背中に向かって叫んだ。
(あれを……壊す?)
父を見た。父は涙が止まらず、校庭に座り込んで偽有を抱きしめている。
(お父さんが、あんなに幸せそうなのに……本物の私が、作れなかった笑顔なのに……「赤」を壊して、実は有は死んでいたんだって、見せつけて……お父さんは、幸せになるの?でも、あのままお父さんに偽物を近付けたら、本物の私は……一体、誰を名乗ればいいの?)
壊すか、壊さないか。父の幸せか、自己の安寧か。
頭の中で、その4つがぐるぐると回っている。どれがいいかなんて、決められない。どれを選んだとしても、自分の中で何かを失うのは、分かり切っている。
ナリは、立っているのがやっとだった。眩暈に加え、選択肢が回る度に体が揺れる。
空気が冷え、まわりの時間が一瞬止まったような気がした。
「あなたに、あの人形は壊せないでしょう?」
嘲笑うかのような、満咲の声が耳元に届いた。振り向くが、そこに満咲はいない。
すると急に、意識が遠のく感覚を得た。世界が白と黒の世界に見えたかと思うと、やがて少しずつ黒に染まっていく。
(いつもの、「夢遊病」……)
抵抗することも出来ず、ナリはその場で倒れ、あらゆる感覚を失っていった。
(……壊せないよ、満咲。だって、あれは、お父さんにとって最大の幸せなんだ。それを、奪ってしまったら……お父さんはもう、生きていけなくなるかもしれない……)
眠りにつくように、ナリは意識を手放した。
次回は4月26日です。
今回の章『赤き人形達の舞踏会』は、アンデルセン童話『あかいくつ』がモデルになっています。
お待たせしました。
幕間ラジオ→https://ncode.syosetu.com/n1889ha/14(なろう)
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