安寿の夢
「ホワイト……教?」
美波は零とナリに向かってそう言った。周りは曇り、夕方の日の光も、どんよりとした灰色で遮られてしまった。
「ああ、ホワイト教だ。今、この山風町では行方不明者が多発している。その原因とか言われているのが、ホワイト教」
「でも、それは言われてるだけで、本当かどうかは誰も分からないのにゃ。信者の人が、前まで普通だったのにその教会に行ったら急に変わったんだってにゃ」
零とナリが口々に言った。
「まあ、行きゃ分かるだろ、陽斗がいるのかも、行方不明事件の犯人なのかも」
「なるほどね……で、それどこにあるの?」
美波がそれを言った途端、辺りに沈黙が降りた。零とナリが1度お互いの目を見て、同じタイミングで目を逸らした。
「……え?2人とも、怪しいと思ってて知らなかったの?」
数秒経った後、美波が聞いた。呆れているようだった。
「い、いやー……まさか陽斗がいなくなるとは思わなかったしにゃあ……」
「そ、そうそう……今調べるから、まあ待てって……」
零がそう言ってスマホを取り出し、「ホワイト教 山風町」と調べた。3人が1つのスマホを覗き込む。
「……あれ?結構近くない?」
美波が言った。ホワイト教のある教会は、零の家の最寄り駅から徒歩5分、朝日の家の最寄り駅から徒歩20分の場所にあった。
「……近いな。走るぞ!」
零の言葉に、美波とナリが「おう!」と拳を上に掲げ応えた。スマホを閉じ、3人は走り始めた。
一方、ホワイト教の教会。
「皆さん……本日は毒を持ち寄りありがとうございました。私は皆さんを救いたい。だから、こちらにおいでください」
安寿は、話し終わった総勢10人を連れ、ホワイトの像の奥にある扉を開けた。その扉の奥からは、リンゴの匂いが漂ってきていた。
(リンゴ……リンゴ?なんで教会の中に……)
陽斗がそう思う中、周りの人々はどんどん安寿のいる扉の中へ進んで行った。そこで、陽斗は気付いた。
その扉の中にあったのは、大きな机と、10個の椅子、そして10個のガラスのコップが置いてあった。そのガラスのコップの中には、薄い黄色の液体が入っていた。
「皆さん、こちらにお座り下さい」
安寿の指示の元、全員が席に座った。陽斗も、安寿の指示通り、1番扉に近い椅子に座った。
「そこにあるのは、リンゴです。リンゴジュースです。特別美味しいですから、皆さん、一斉に飲みましょう。私はいつも飲んでいますので、要りませんから。こぼしたりしないでくださいね」
安寿がそう言った。そして、全員にガラスのコップを持つように指示した。
「あの……これ、なんで飲むんですか?」
陽斗が、コップを持った状態で安寿に聞いた。安寿は一瞬顔を歪ませたが、すぐに笑って、
「これは……皆さんへのご褒美、と言っても良いでしょうか。沢山の毒を背負ってきた皆さんへ、私、毒島安寿から、ホワイト様からの神託を受けた上での贈り物です」
と言った。その時だ。陽斗の持つコップから、リンゴ以外の匂いがしたのは。
それは、甘いというよりは酸っぱく、まるでオレンジのような匂いだった。陽斗は少し匂いを嗅ぎ、それがやはり、リンゴ以外の匂いがすると確信した。
「安寿さん、このリンゴジュース……」
本当にリンゴだけですか、と陽斗が聞こうとした、次の瞬間。
「皆さん、さあ、お飲みなさい。さあ、さあ!」
安寿が陽斗の声を無視し、そう言った。いや、言ってしまった。
言われた通り飲んだ9人は、飲んだ瞬間、半数が顔をしかめ、半数が苦しみだした。喉をおさえ、咳をして、まるで何かを吐き出すような仕草をした。そして、その人々は、机に突っ伏した。白目を向いて。
「ひっ……!」
陽斗を含めた残り半数は、その光景を見ていた。全員立ち上がり、安寿や机に突っ伏している人から離れた。顔は真っ青だった。
「う……うぷ……」
陽斗以外の4人は、その顔のまま、膝を折り、床に向かって嘔吐した。その中には、先程のリンゴジュースが混ざっていた。
「ああ……また掃除をしなくては……おや……陽斗さん、飲まないんですか?」
安寿が笑顔で近付いてくる。その笑みは、今までの笑みよりも楽しそうだった。
「……なんで……俺が、飲んでないって……」
「ああ、分かったかって?もう白状しましょうか。と……その前に。そこの4人、ここの死体を、ロックがかかった扉に押し込んどいて。番号は4222、そこの扉を出て、さっき座ってた椅子を片付けたらあるから。で、終わったら2階の部屋にいて」
安寿が、嘔吐していた4人にそう命令した。すると、4人はすぐに吐くのをやめ、立ち上がった。そして「死体」と呼ばれた残り5人を担ぎ、扉から出ていった。部屋には、リンゴと酸とオレンジの匂いが残っていた。
「あー……ここは辞めましょう。陽斗さん、ステンドグラスの前に居てください」
安寿が顔をしかめ、陽斗のリンゴジュースの入ったコップを持って、外に出た。怪しみながらも、陽斗も外に出た。
先程の4人が、せっせと椅子をどかし「死体」を中に押し込んでいた。腐乱臭と、蝿の集る音が聞こえた。
「さて……まさか普通の感覚の人がいるなんて思ってもいませんでした。あれだけの毒を持っていたというのに、なぜ正気でいられるんです?」
「……正気?」
「ええ。驚きましたよ、あんな特殊な毒はなかなかない。ここに来るのは大抵が「虐待されて死んだ」「友人に殺されて死んだ」「自殺に追い込まれた」といった内容なんです。そこに毒を与えるのが、私の仕事……いや、趣味ですよ。だというのに、毒が効かないなんて」
「毒を……与える?抜くのが仕事じゃないのか?」
「ああ、いい所に気が付きましたね、陽斗さん。そう、特殊なあなたに、このホワイト教の真の目的をお教えしましょう。ここは、皆さんの毒を抜く場所ではない。皆さんに、私の言う毒と、本物の毒を与える場所です」
安寿はまた、楽しそうに言った。
「昔……私には、仲の良い友がいました。その友とレストランを経営し、私はオーナーとして、シェフである友の料理をよく食べに来ていました。でも……裏切られたんです。友は私に、強い毒……あれは恐らく青酸カリでしょう。それを、盛ったんです」
陽斗は息を飲んだ。安寿は気にしていないようで、笑顔が零れていた。
「当然、毒味なんてしませんでしたよ。客は私1人で、私はいつも通り、仕事終わりの閉店時間に食べていました。食べた瞬間、アーモンドの匂いというか、オレンジの匂いというか……そういうのが口の中で溢れました。変だな、と思ったんですよ。アーモンドやオレンジなんてメニューにありませんから。そして気付いた時にはもう、私は天井を見ていました。口から泡が出て、吐き出すために咳をしようとしても、その友が私の肋骨の部分を足で押さえつけるものですから、吐き出せなかったんです。そして、彼は言いました。「お前はいつもいつも、俺よりも何もかも出来ちまった。それだけが、許せなかったんだ」って。それが、私の最初の命の、最期の記憶です」
安寿は怪しく笑って、続けた。
「酷いと思いませんか?私はその店の為に精一杯努力したというのに、友の為に働いたというのに、私が何もかも出来たから許せないって。こんなに、友に尽くしたというのに。私は、彼から2種類の毒を盛られたんです。1つは、本物の毒。もう1つは、抜こうとしても、消そうとしても、私が生きている限り永遠に消すことの出来ない、強い毒です。これを消すには、移し替えるか、忘れるしかない。私は、ソルンボルでそう思いました。そこで私は、ソルンボルで、ホワイト教を設立しました」
「ソルンボルのホワイト教……そんなのどこに……?」
「街の外れの方にありましたからね。陽斗さんは気付かなかったのかもしれません。何にせよ、私はそこで、私の毒を皆に共有したんです。皆切なそうに聞いてくれました。それだけでも嬉しかったですが、まだ足りなかった。毒はまだ消えない。そこで、気付いたんです。他の人の毒を、聞いた方が楽しいと」
安寿は両手を広げ、高笑いした。陽斗の警戒がまた強まっていった。
「毒を聞くのは楽しかったですよ。皆、かわいそうでしたから。私よりずっとかわいそうな人がいるってだけで、救われた気分になりました。私の毒なんて、ちっぽけなものです。そう思うと、毎日が楽しかったんですよ」
安寿はそこまで言うと、悲しげに、愛おしげに、手に持っているリンゴジュースを見つめた。そして言った。
「こっちに来てからも楽しかったんですがね。こっちは法がしっかりしている。少し面倒だったし、何より私の得意な魔法、《死体操作》が出来ないのが、とても辛かった。危ないことをしているとよく言われたものですから、ソルンボルでは《死体操作》で護衛をしてもらっていましたが、死体なんてそうそういませんからね」
安寿がコップを掲げた。ステンドグラスの絵柄がリンゴジュースの水面に写っていた。
「だから、閃いたんです。本物の毒を盛ればいいと。そうすれば、私は私の毒を忘れるし、良質な死体なんて山ほど出来るし、何より皆さんの毒を沢山聞いていられる。いいでしょう?」
安寿は一呼吸置いてから、ニッコリと笑った。
「だから、それだけの為に、私はここにいます」
「……なんで、毒のない人と、毒のある人を分けたんだ」
陽斗が、安寿を睨みつけた。安寿は、その目を見て鼻で笑った。
「いい質問ですけど……そんなに睨まなくてもいいじゃないですか。怖い怖い。本当に、毒も変だし可笑しい人だ。毒のある人は、死体を作る為。毒のない人は、洗脳して、死体の管理や私の仕事の手伝いをしてもらう為です。それも、こっちに来てから始めました」
ワイングラスを傾けるように、安寿はコップをゆっくりと傾けた。澱みのない薄い黄色が均等に広がっていた。
「毒のない人には、毒の代わりに、ただのリンゴジュースに、《思考支配》の魔法の結晶の欠片を混ぜました。それを飲み、死体を見るとあら不思議。新たな毒が彼彼女らの中に入り込み、私の言うことを聞くようになるんです」
「それは……これか?」
陽斗は、安寿の持つコップを指さした。
「ああ、これですか?これは毒入りです。陽斗さん、このリンゴジュースを怪しんでいたでしょう?ちょっと危なかったんですよ、それ。バレるかなーと思ってヒヤヒヤしました。結果的に大丈夫でしたね。さて」
安寿は、椅子が片付けられ、操られた4人が2階に上がった教会を見回した。そして、陽斗にコップを向けて言った。
「私の話を聞いて、どうしますか?警察に通報しますか?無理でしょう、私は死体を15……いえ、20体抱えています。さらには、私の洗脳下にある信者たちが集めてきた死体が、10体います。そして、その信者たちが9人。警察はきっと私をただの一教祖として扱いますから、私が《死体操作》すれば勝てます。
私に立ち向かいますか?無理でしょう。あなたは武器を持っていない。素手じゃ《死体操作》された死体には勝てませんよ。死体って、強いですから。
逃げますか?無理でしょう。死体って、力も強ければ早いんですよ。体の制御をしませんから。あなたの居場所を特定するのも容易い。逃げられるとは考えられませんね。
さあ、どうしますか?ああいや、ここは教会でしたね」
安寿は楽しそうに、陽斗を見つめた。
「ここには、神も仏もありはしません。あるのは毒の溜まり場だけ。さあ、あなたは何を選びますか?」
コップの中のリンゴジュースが、ステンドグラスから照らされた月の光を反射して、キラキラ光っていた。陽斗はそれを、少し躊躇ってから、手に取った。
「おや……素直でいい事です」
安寿が微笑んだ。
「安寿さん……俺は、あんたに従う気は無い。でも……俺は、やっぱり、嫌だ。自分の人生が仕事に侵食される人生なんて、絶対に。また、俺は……安寿さんの言葉を借りるなら、また俺は、毒を盛られなきゃいけない。それだけは嫌なんだ。だから今……俺は、毒を飲むよ。全てを忘れる為に」
それを聞いて、安寿は少し安心したようだ。
「私たち、似ているのかもしれませんね。遺言くらい聞いてあげましょう」
「じゃあ……土屋美波って奴に、ありがとう、さようなら、と」
「彼女か何かですか?」
「…………いや」
陽斗が少し、黙って言った。安寿が楽しそうに笑った。
そして陽斗がコップに口をつけた、その時。
「頼もーっ!!」
「あ!陽斗居るにゃ!!陽斗ー!」
零とナリの声が聞こえ、息を切らしている零とナリが、息を整えてから扉を開けた。
「ほ、ほんと!?陽斗くん!!陽斗くん、いるの!?皆心配して……!」
少しして、美波が現れた。
「零……ナリ……美波」
「陽斗くん……?」
安寿はそれを聞いて、チッ、と舌打ちしてから、「全く、今日は特殊な毒ばかりだ」と呟いた。
次回は4月30日です。