ストレンジナイト
零の話を聞いて、ナリは言葉が出なかった。
(優人さんが、殺したって言ったのは……そういうことだったんだ……)
優人の遺書を読んだ時のほんの少しの違和感が、やっと今、拭えた気がした。
「…………俺は……昔、酒に溺れて死んだんだ」
旅行の最終日に零が話したこと、そして優人の遺書。二つを思い出し、川峰創という人間が「誰によって」死んだのか、やっとナリは分かった気がした。
「ブランキャシアに異世界転生した時は……正直、すげえ嬉しかった。酒を飲みたいって思わなくなったのが、最高に楽で……クリスとメルヴィナが飲みまくるから、最初はそこまであいつらのこと好きじゃなかったんだけど、段々慣れてきて。誘われないなら飲まなきゃいい、って思ったら、気が晴れた気がしたんだよな」
しみじみと零が言った。ナリはいたたまれない思いで、零を見ていた。
その目を見て、零は優しい笑顔を見せた。
「聞いてくれてありがとな、ナリ。なんだか清々しい気分になった。なんつーか、凝り固まったものが柔らかくなったみたいな……そんな感じ」
「いや、あの……全然、話ならいくらでも聞くんだけどにゃ……あの、ちょっといいかにゃ?」
「ん?どうした?」
「その、零の話を聞いて……昔の優人さんと今の優人さん、全然違うなって」
「そうなのか?いや……俺、あんまり今の十さんのこと見てないから」
「ああ、そういえばそうだったにゃ……実は、優人さんが、その……ODを――」
「OD!?」
零が声を荒げた。膝が机の裏に当たり、その上にあったコップの中の麦茶が揺れた。
「ODって、あの……オーバードーズのことか!?薬飲みまくるって意味の、あの!?」
「そ、そうにゃ。今日、零が出た後に掃除機をかけてたら、たまたまその現場を見ちゃってにゃ……」
「その話、もうちょっと詳しく聞かせてくれないか!?」
食い気味で迫る零に、ナリは事の顛末を詳しく説明した。三十六錠飲んだところでナリが止めたこと、優人自身の思いをナリ相手に吐露したこと、「あいつじゃなくて俺が死ねばよかった」「あいつが生きるべきだった」と何度も繰り返していたこと……零はそれを聞いて、信じられないと言いたそうな目でナリを見つめていた。
「それ……本当か?全部?あの人が……?」
「本当……本当なんだにゃ。夢か何かであってほしかったけど……いや、あれは夢だったのかもしれないって、ちょっと思ってるけど……あれは夢じゃないにゃ。はっきり覚えてるにゃ。「死ねって言った」って急に言い出したり、かと思えば急に泣き出したりで、すごく困ったし、怖かったし……そんなのも、全部、一つ一つ触れるみたいに思い出せるにゃ」
言葉が出ない、といった様子だった。口が開いたままで乾いたのか、零は飲みかけの麦茶を一気に飲み干した。
「なんで……俺の知ってる十さんは、いつも笑顔で、自信満々で、他人が何を思ってるかなんて関係ないって思ってる人なのに……」
「にゃあ。零の話を聞いて、私もそう思ったんだにゃ。零の話と今の優人さん、全然違うにゃ。川峰創が死んでから半年ぐらいしか経ってないのに、いくらなんでも変わりすぎてると思うんだにゃ。川峰創……零が原因なのは、間違いないと思うんだけど……」
「まあ、確かにそうなんだろうけど……そんなにか?あの人って、俺のことそんなに気にしてたか……?」
「零の話を聞く限りだと、気にしてはいたと思うけど、こんなになるまでではなかったと思うにゃ。だから、何かがあった。そう思うんだにゃ。零が知らない、優人さんの秘密」
「十さんの秘密……?」
「零。私は、その秘密に、零の優人さんとのトラウマを解消するカギがあると思うんだにゃ。零のこと、零が思ってた以上に気にしてたのなら……優人さんと、ちゃんと話せるかもしれない。なんで今の優人さんになってしまったのかが分かれば……少し、見えてくると思うんだにゃ。これからの、優人さんとの付き合い方」
「十さんとの付き合い方、か……」
「一年に一回会う程度だったら、そんなにすぐには動かなくてもいいけど……優人さんとは毎日会う可能性があるから、すぐに何とかしないと。それに……」
「それに?」
「最近、あの、意識無くなる「夢遊病」、多くなってるから……早く動かないと、ずっと意識がない、なんてこともあるかもしれないにゃ。それも、本当はなんとかしたいけど、今はこっち優先だにゃ」
「ああー……それか。すっかり忘れてた。そうだよな。時間ねえもんな……」
時間がない。ナリには、その言葉に重みがあるように感じられた。時間がないとは言うが、その時間がいつまで続くのか、時間がない状態が終わると元の生活に戻れるのか、ナリ達には分かっていなかった。
「だけどよ、ナリ。十さんと話すって言っても、十さんは俺達の正体のこと知らないんだし、過去のことについて聞くなんて不可能なんじゃ……」
零の言葉を聞いて、ナリははっと我に返った。不安そうに尋ねる零を、ナリは自信に満ちた目で見た。
「零。それについては、私に考えがあるんだにゃ。少し、強引かもしれないけど……この関係を続けるより、ずっといいと思うんだにゃ」
「へえ……分かった。ナリに任せてみる」
「ありがとうにゃ。任せてにゃ」
ナリはその後、零に作戦の概要を話した。途中で零から「それはちょっと……」と非難を受けたが、任せてみると言った手前、零は結局文句を言わないようにした。
三日に一回の「夢遊病」に備える為に早めに行動しようと決まり、その作戦は夜のうちに決行することになった。作戦を決行する時間が迫るにつれ、二人の緊張の糸が強張っていった。
午後九時頃。優人は自分の部屋で、隣の家の壁をぼんやり見つめていた。
机の上にあった封筒、ビニール袋から出された薬袋、位置が変わっている貯金箱。何かがいつもの机と違っているはずだが、優人はそれがなぜなのかが分からないようだった。
「今日一日……何があったんだ?夕飯を食べてからしか覚えてない……今日も何もなかった日だった。夕飯を食べてからはずっとここでぼーっとして……あとはもう、寝るだけ。今日も、明日も、明後日も、この生活を……」
ぼそぼそと呟いた。何かを考えることもない時間が、ただ過ぎていった。
それは優人にとって、日常的な行動だった。
それが非日常的な光景へと変わったのは、窓の外に黒猫が現れた時だった。
「猫?」
視界が普通に戻り、その猫と焦点が合った。よく見るとその猫は完全に黒というわけではなく、腹の部分や足の先、顔に白い部分があった。ハチワレだった。
その猫は「にゃあ」と鳴くと、窓に向かってすりすりと顔をこすりつけた。優人が窓を開けると、猫は中に入ってきて、ゴロゴロと喉を鳴らし、優人の顔に頭をこすりつけた。猫にあまり詳しくない優人だったが、この猫が優人に懐いていることは分かったようだった。
「お前……どこで会ったっけか?うーん、最近会った気がするんだが……可愛いな、お前」
その言葉を聞いて、その猫は一瞬ぎょっとした顔をした。だがすぐに表情を元に戻し、猫は窓のサッシに座った。
「ついてきて」
優人はその言葉を聞いて、耳を疑った。猫が人間の言葉を喋ったのだ。
「え?猫……猫が!?」
驚いた顔で優人は立ち上がった。先程の言葉は気のせいだったのか、猫は今は「にゃあ」と鳴いている。
猫はゆっくり立ち上がり、窓の外に降りていってしまった。優人はその猫を追いかけなければならないような気がして、慌てて玄関に向かった。
「優人。そんなに慌ててどうしたの」
リビングにいた母親の誠子が、ほうじ茶をすすって言った。たいして驚いているようには見えなかったが、優人は、彼女の眉間にしわを寄せた顔が、母親の驚いた証なのだと知っていた。
「別に」
「そう。気を付けて」
興味もなさそうな声を背中に受け、優人は外に出た。外の街灯には虫がたかって、優人を囃し立てるようにぶんぶんと飛んでいた。
「猫!猫は!?」
玄関を乱雑に開き、先程の猫を探した。その猫はまだ、隣の家の前にいた。まるで待っていたかのように。
隣の家の扉は開いていたが、ドアストッパーで止められ、猫がやっと通れるくらいの幅しか開いていなかった。猫はためらいもなく、その家の中へ入っていった。
「隣の家の猫なのか?そういえば、玄関の掃除をしてたら隣の家から猫が出てきて嫌だったって、母さんが言ってたな……」
優人の足が止まった。だが、家の中まで来て欲しいと、猫はそう言っているように見えた。
「はあ……しょうがないか」
扉を開け、中に入った。猫は玄関先で、優人を待っていた。
「にゃあ」
猫が、すぐ先の扉の中へ入っていった。三つあるうち、右側の扉だけ開いていた。
「お邪魔しまーす。誰もいないのか?」
実際、声を出しても返事がなかった。猫だけ家の中にいたのだろうか。だからといって玄関の扉を開けっ放しにするのは不用心だ。そうとでも言いたげに、優人は玄関の扉を閉じた。
猫の案内に従って、優人はその部屋の中に入っていった。
その部屋には案の定ベッドが置いてあった。女の子らしい、可愛い布団カバーがされていた。
「女の子?ああ、そういえばあのロングのチビのガキが――」
「にゃあ!」
猫の鳴き声で、考えがどこかに飛んでしまった。猫は奥にある扉の中に入ろうとしていた。その扉も、全開にされていた。
猫の先導もあり、優人は中に入った。
その部屋は狭く、先程の寝室の半分ほどしかなかった。電気をつけていないようで、少し薄暗かった。
その代わりか、小さな窓から入ってくる、さめざめとした五日目の月の光が部屋の中で満ちていて、明るさには困らなかった。幻想的な空間だった。
窓の近くに、一つの椅子があった。すぐ近くにランタンが置いてあり、明かりはついていなかった。
そして、月の光を背景にして、誰かがいた。彼は、昨日見たような服とはまた別の半袖の赤いパーカーの上に、デニムのベストを着ており、フードを被っていた。彼はもう一つの椅子に座っていて、身を乗り出していた。
「まさか、本当に来るとは……待っていましたよ、十さん」
彼が喋った。後ろで扉が閉まる音がした。後ろには猫しかいなかったはずだ。その猫がこの丁度いいタイミングで閉めるなど、有り得ない。優人はそう考えたのか、ばっと扉の方を振り向いた。
「彼女は猫ではないですよ。いや、本当は猫なんだけど、なんというか……説明が難しいな。とにかく、彼女は普通の猫じゃないんです。十さんを連れてきてもらったんですよ」
フードでよく見えなかったが、彼は優人から目を逸らしているように見えた。言葉に詰まり「えーっと」「その」といった言葉を繰り返している。話慣れていないのか、それとも緊張しているのか。だが何かを決めたように、彼は優人の方を真っ直ぐと見た。
「つ……十さん。今夜はいい夜だから、少しお話しませんか。馬鹿な男の話です。酒を飲んで、それが嫌で亡くなった――」
優人は思わず彼の方を見た。優人の鼓動が速くなる。赤いフードの彼は一つ深呼吸をしてから、凛とした声で優人に言った。
「知っているでしょう、その男。名前は川峰創。今からお話しするのは……」
フードから彼の目が見えた。悪の心を殺すような、優人の母親とはまた別の意味で恐ろしい目だった。
「その男が、なぜ今こうしてここにいるのか、です」
次回は12月28日です。
前回のクイズの答えは【③「去間」は過去、「空」は画数が少なく書きやすいから】でした。答えは番外編の方の『第五回幕間ラジオ』の方に書いてあります。「親元を去りたい」「空を飛びたい」というのは空(亥李)自身の思いです。
分からなかった方はぜひラジオもお読みください。定期的に読み返すくらい自分でも面白いです。
さて、今回のクイズはこちら!
【「ネバーランドの姫君」の黒幕〈検閲済み〉は、ある人物の力を借りて事件を起こし、亥李や参華達を巻き込みました。その人物とは?
①幸野満咲
②鬼宿しの〈検閲済み〉
③福島愛
④安城兵二郎】