第二十一話 自由と非ざる者
絶命したレグナントから腕を引き抜くと当然真っ赤に染まっており、まさに悪魔の腕といった感じだった。
水滴を切るように手を振っても、粘度のある血液は吹き飛んでくれない。
そのため俺は、隣で目を見開き固まってしまっていたアライバルの顔と服に、レグナントの血を拭った。
「――――ひっヒィ!? ば、化け物……!!」
「きったねぇな……ったく、神域なんて作り出すからよ」
「ジェ、ジェラルミン!! 早くサージェスを始末して下さい! 奇跡を起こせるのは貴方だけなのですよ!?」
元実行官とは思えない狼狽えようのアライバル。それも仕方のない事、彼は丸腰のただの人間なのだから。
皮膚に付着した血は拭えたが、服の方はもうダメだ。我ながら何故、胸に穴を開けるなんていう行動をしたのか。
黙って頭を吹き飛ばせば良かった。しかし中々にインパクトのある光景だったのか、腰を抜かすクーヴァに、後ずさるアライバル。
ジェラルミンだけは奇跡を使用できるとの余裕があるためか、驚いた様子は感じられるものの一歩も動く事はなかった。
「……奇跡は起こせないはず。それ即ち、こんな動きは出来ないはず……」
「それはちょっと違うな? 正確には、輝石で起こす奇跡は起こせない……だろ」
「ジェラルミン!! さっさとサージェスを殺――――グゥァァァァッ!?」
いよいよ隣にいた、血液を拭い取るだけに生かしておいたアライバルを蹴り飛ばす。
まるでボールのように吹き飛ばされたアライバルは壁に激突し、そのまま動かなくなった。
神域を作り出したのが仲間であったとしても、本人以外にはデメリットしかない。身体強化の奇跡も起こしていない生身の状態。いかに身体能力が高かろうが、所詮は人の器。
奇跡を起こせない者は、奇跡を起こせる者にはどうしたって敵わない。
それはクーヴァとジェラルミンも当然の事として認知している、今回はそれが覆されただけのお話だ。
「序列落ちを退けた程度では、この状況は変わらないはず」
「……へぇ、いっさい恐怖を抱いてない……流石だな、現実行官様は」
「喚び醒まされては敵わない。そもそも俺の優位性は変わらないはず。それ即ち、心を乱す必要などないという事のはず」
……とかなんとか言っているが、そういう事か。そいうえばコイツ、そう呼ばれていたっけな。
人は簡単に心を動かす生き物だ。大別すると喜怒哀楽、それに連なる様々な感情。
それを全て自制する事は人間には不可能。一部が壊れていたり欠落している事はあれど、それは失ったという事ではない。
無感情なんてありはしない。生者である以上、必ずどこかにある、眠っている。
「ジェ、ジェラルミン……大丈夫なのですよね?」
「問題ないはず。先ほどの動き、恐らく神域を作り出す前に起こした奇跡の影響のはず」
「では、任せますよ」
青い顔をしたクーヴァが二人から離れていく。そのままどこかに行くつもりだと言うのなら引き留めたが、クーヴァは部屋の隅に移動しただけだった。
さっさと逃げれば良いものを。他の策を練るつもりなのか、俺達をジッと見つめる目に怯えは見て取れなかった。
ジェラルミンは仮面を外し戦闘態勢を取った。素顔を見るのは久しぶりな気がするが、なんて言うか……ザ・普通。
身体的特徴もなければ顔面的特徴もない。仮面、外さない方がいいよ?
「奇跡・王身強化! 神域を作り出している影響で大した奇跡は起こせないが、この程度なら問題ないはず」
「身体強化って……なにお前、俺と殴り合いでもしようってのか?」
「いかにも。先ほどのレグナントのように、我の力は貴様の体に風穴を開けてくれるはず!!」
ランク:王の身体強化の奇跡を起こしたジェラルミンが、圧倒的な速度で迫り乱暴に腕を振り回す。
それを躱せば風圧が皮膚に傷を作り、受け止めれば衝撃で骨が軋む。もしこれを生身で受ければ、皮膚は切り裂け骨は砕ける。
人を殺すのに刃は必要ない。人体こそが、神が作り上げた究極の武器であるかと言うように。
「――――っぐ!! なぜだ!? 付いて来れるはずが!!」
「さっき自分で言っていただろう、神域を作る前に肉体は強化済みだと」
拳と拳をぶつけ合い、蹴り上げられた脚を脚で弾くように脚を振り上げる。
ぶつかった時に生まれる衝撃波が大気を震わせ、建物を軋ませる。
全くの互角に見える攻防だが、感情を揺れ動かされていたのはジェラルミンだった。
「ぬぐッ……チィッ————奇跡・轟雷!!」
「――――おっと……おいおい、殴り合いじゃなかったのかよ?」
急に起こされた雷の奇跡。予兆はあったため余裕を持って避けられたが、そもそも避ける必要がないほどの弱弱しい奇跡だった。
やはり神域の影響は大きいらしい。神域に王の身体強化、そして最上級の雷。それがジェラルミンの神力の限界なのだろう。
「ほら、殴り合いの続きと行こうぜッ!!」
「っく……舐めるなァァ!!」
再びぶつけられ始めた肉体。しかし先ほどまでとは違い、明らかにジェラルミンが押されていた。
身体強化の奇跡は神力を注ぎ続けなければ維持できない。焦って雷の奇跡に神力を回したため、身体強化への注力が乱れた事が原因だった。
「どうした? 左手が砕けたみたいだぞ?」
「グウゥゥッ!! この程度、なんの問題にもならないはずッ!!」
ジェラルミンは声を張り上げ鼓舞するが、その目には明らかに怯えの色があった。
理解不能な俺の動き、砕けた拳の痛み、神域維持のために減っていく神力への焦り。
その感情を絡め取り、制御できないほどに増幅させるのは容易であった。
「我が喚び声を聞き、目醒めよ恐怖」
「―――ッ!?」
ジェラルミンに見て取れる明らかな変化。己の中に生まれた小さな恐怖感情が、一気に膨れ上がるという異常事態。
混乱する感情。本来、使用できるはずのない覚醒奇跡を目の前で使われた。
これでお終い――――とはならなかった。一瞬の思考のち、即座にジェラルミンは動き出す。
なにを思ったのか神域を解除し、この状況に対応できる奇跡を瞬時に練り上げる。
「我、恐怖を知る者に非ず――――第八位奇跡・否定!!」
己が持つ恐怖感情を否定し、サージェスの感情掌握を打ち破る。
神域と同時行使はできないと考えたジェラルミンは、神域を消してまでも己の感情を否定し抗った。
「……馬鹿なの? 切り札を失ったお前に、勝ち目なんてあんのか?」
「よもや覚醒奇跡を行使できるとは思わなんだ……我の選択は、間違ってなどいないはず」
「大間違いじゃないか? 俺の前に立ち塞がった事がよ」
神域が消えた事により、使用できるようになった王刃で数本の王剣を呼び出した。
ジェラルミンは大きく神力を失っている。対してこちらは、限界近くまで神力が込められた王の刃。
否定しようにも否定できない現実。それを教えてやるかのように、俺は王剣をジェラルミンに撃ち放った。
「……仕方ない。こうするしかないはず――――我、人の理に生きる者に非ず……人、非ざる」
異様なオーラがジェラルミンを包み込んだと思ったら、放たれた王刃は全てが止められた。
両手で一本ずつ王剣を握りつぶし、顔に向かった刃は獣のような顎を持って噛み砕かれた。
残った数本の王刃が体に当たり砕ける。その影響で小さくない傷を体に作るが、ジェラルミンは意にも返していない。
「ハァァ……ハァァ……ガガガ、効くハズがナイ」
「……まるで天魔だな。人間を辞めたのか?」
天魔のような不気味なオーラを纏い、狂った目で涎を垂れ流す、先ほどまで人間だった者。
理性は残っているようだが、理性があれば人間と呼んでいいのだろうか? 人間とは、何を持って人間と言うのだろうな。
「アラザル者、ジェラルミン・アロキューレ……参ルッ!!」
序列八位、非ざる者。ジェラルミン・アロキューレ。
人である事を否定した愚か者が、人外の如くサージェスに迫る。
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