第十八話 自由と神の聖典
「ぬ、抜き取った純粋奇跡は、神の聖典の中央支部に保管してあるはずだ!」
「ならさっさと返してもらおうか?」
あっさりと秘め事を口にするイヨリス。その顔は恐怖で引きつっており、とても嘘を吐けるような精神状態ではないだろう。
彼は管理官。常に冷静で頭の良い彼らだが、一度強い感情を喚び醒まされては抗う事は難しい。
「わ、私には無理です! 管理している所には上位管理官しか入れない! 私はただの監視役だ!」
「なら行ける所まで案内しろよ、お前と行けば怪しまれないだろ」
「そ、そもそも! この女の純粋奇跡が宿っていた場所は、精神的概念だぞ! 仮に戻せたとしても、目を覚ます保証なんてない!」
目を覚まさない可能性を聞き、エミレアの目に涙が溜まり始めた。
それでも目を背ける事も落とす事もなく、しっかりと前を向きイヨリスを睨みつけている。
「いいから案内しろ……――――死にたいのか?」
「ヒィッ!? わ、わ分かった!! 案内する、案内する!!」
イヨリスが抱く恐怖感情を調整し、案内を促した。
未だに引きつった顔をしているが、足の震えは治まったようでトボトボと歩き始める。
「エミレアはここで待っていてくれ。誰もミレイナに触れさせるなよ」
「え……? わ、私も行くよ! お母さんが助かるかもしれないんでしょ!?」
俺達の後について来ようとしたエミレアに、ミレイナの元に留まるように伝える。
驚いた顔を見せた後、強引について来ようとするエミレアを宥めた。
「こっちの事は任せろ。お前はミレイナを守るんだ。これ以上ミレイナから純粋奇跡を吸い取られれば……ミレイナは死ぬ」
「そ……そんな……」
絶望に不安。彼女に渦巻き始める負の感情。
俺とイヨリスの意味の分からない会話も、彼女を煽る要因の一つとなっているのだろう。
どうしたらいいのか分からない。意味の分からない言葉を交わす俺達を信じていいのか。ハッキリと母の死を言葉にされた事で不安も増大する。
俺はそんな彼女から負の感情を取り除くように、愛しむようにエミレアの頭に手を置いた。
「約束しただろ? 必ず助けるって」
「……うん」
「俺を信じるって言っただろ? 覚悟するって言っただろ」
「……うん」
「なら、信じて待っとけ。約束は守る」
「……はいっ」
零れそうになった涙を拭い、小さな微笑みを見せたエミレア。
これ以上吸い取られればと言ったが、ミレイナはもう純粋奇跡を全て取られている。
何が理由なのか分からないが、奇跡によって命だけを繋ぎ止めているという危うい状態だ。
しかしエミレアに伝える必要はない。この笑顔は絶対に失わないと心を決め、俺はイヨリスを連れだって神の聖典へと足を運ぶ。
――――
――
―
ミレイナが入院している施設の隣に建つ、神の聖典にやってきた。
正面から堂々と扉を潜り、大きな礼拝堂で祈りを捧げている信者を横目に目的の場所まで足を動かした。
こちらの様子を窺う多数の聖典騎士。話しかてきたり行動しない所を見ると、イヨリスは上手くやっているのだろう。
しばらく関係者しか通らないであろう通路を進んでいると、明らかに普通とは違う扉が見えてきた。
「こ、ここから先は私には……」
「……扉を開けろ」
「で、ですから! 私には――――」
「――――開けろ」
殺気を込めた視線でイヨリスを睨みつける。肩をビクっと震わせた後、震える手で懐から輝石を取り出した。
それを扉に翳し奇跡を起こすと、扉が一瞬だけ光り輝いた。
「封印奇跡とは、随分と手が込んでるな?」
「あ、貴方なら壊せるのでしょう!? なんでわざわざ……」
「この封印奇跡は王ランクだな。入るには輝石:解印が必要だ」
「そ、それがなんですか? 結界奇跡じゃないのですから、貴方になら……」
内外を完全に遮断する結界とは違い、封印は奇跡で作り上げる錠のようなもの。
解印は簡単に言えば鍵だ。解印奇跡を用いれば誰でも錠を開ける事ができるが、鍵を持っていない者、作り出せない者には入れない。
無理やり錠を壊す事は可能だが、王ランクの封印奇跡ともなると普通の者には壊せない。
「壊さず残しておけば、末端の騎士は入って来れない……この先で騒ぎが起きようとも、介入できるものは限られる」
「さ、騒ぎって……この先には精鋭の聖典騎士が大勢いる! 何を考えているんだ!?」
「少しだけ強力な個より、矮小な全の方が脅威なんだよ。精鋭十人より、雑魚百人の方が面倒だ」
解錠された扉を潜り、先へと進む。
イヨリスは何も言わずについて来るが、キョロキョロと辺りを窺い落ち着かない様子だ。
最初に言っていた、こいつが問題なく入れるフロアを過ぎたのだろう。入るための鍵は持っているが、使用するのは許可されていないようだ。
進んだ先のフロアは、特にこれといった特徴はなかった。見せるための表側とは違い、見せる必要のない裏側には大した装飾もなく、機能性重視といった様子だ。
「ほんで? どこにあんだよ?」
「……具体的には知らされていません」
「ならこの先には何がある?」
「このまま進むと、聖典騎士の詰め所があります。そこを抜ければ……」
嘘を言っている様子はなかった。嘘を吐いてもバレる、ようやく理解したようだ。
イヨリスの言う通り、そのまま進むと少し開けたフロアに辿り着いた。何人もの聖典騎士がウロウロしていたり、なにか書類を眺めている者の姿もあった。
そこに、入口近くにいた聖典騎士の一人が俺達に気づいたようで、顔を顰めながら近づいてきた。
「イヨリス様、なぜここに? 来訪の知らせは受けていませんが?」
「…………けてくれ」
「……はい? 申し訳ありません、聞き取れ――――」
「――――助けてくれッ!! コイツは裏切り者のサージェス・コールマンだ!! 始末してくれッ!!」
勇気を振り絞り、恐怖を吹き飛ばしたイヨリスが大声を上げた。
とは言ってみるが、先ほどからイヨリスに対する感情掌握は止めているので、とっくに異常ともいえる恐怖心は消え去っているはず。
まぁ少しの恐怖心は残っていると思うが。縛り付けられるほどの恐怖がなくなっているのだから、大声を出す事も可能だろう。
偉いぞイヨリス。勇気を出したんだな。
「なっ……サージェス・コールマンだと――――」
「――――はいコンニチワ~っと」
回し蹴りの要領で回転を加えた一蹴は、聖典騎士の首に当たり体ごと吹き飛ばした。
吹き飛ばされ倒れた聖典騎士はピクリとも動かない。死んではいないだろうが、すぐに起き上がる事もないだろう。
一瞬静寂となったフロアだが、すぐさま多数の聖典騎士が集まり始める。
それぞれが思い思いの武器を取り、こちらを威嚇するように睨みつけているが、その目には明らかに怯えの色があった。
「数が少なくて助かるね……――――我が喚び声を聞き、目醒めよ恐怖」
僅かに浮かび上がった恐怖心を絡め取られた聖典騎士は、バタバタと気を失い倒れていく。
泡を吹く者、失禁する者、涙を流す者。制御できないほどの恐怖心にリミッターが働き、逃れるように意識を手放し始める。
立っていられたのは僅かに数名。それは先ほどの光景を見ていないのか、本当に俺に恐怖心を抱いていないのか。
しかしそれも今の仲間がバタバタと倒れた光景を見て、間違いなく恐怖を覚えたのだろう。残っている者は皆一様に顔が引きつっていた。
「き、貴様、何をしたッ!?」
「これが精鋭ね……しかし可哀そうだな? お前達は」
「な、なんだと!? お、おい! 援軍を呼――――」
「――――大人しく気を失ってりゃ、痛い思いをせずに済んだのに」
肉体を覚醒させた俺は、目にも止まらぬ速さで騎士達の懐に潜り込み、一人ずつ意識を狩っていった。
驚愕する騎士達は反応できず、あるいは人知を超えた速度の対応できずに意識を手放していく。
「まぁ精神苦痛での失神より、肉体苦痛での失神の方がマシか? ならお前らはラッキーだったのかもな……どう思う、イヨリス?」
「ば、ば……化け物め……!!」
人は脆い。神の奇跡で人体強化や結界防御を行わなければ、小さなナイフにでさえ勝つ事はできないのだから。
奇跡で己を高め、身を守るのは当たり前。聖典騎士たちは奇跡を起こしての戦闘態勢だったので、ここまであっさり負けるとは思わなかったのだろう。
しかしそれは、お前達が知っている世界での当たり前の話。そんな紙切れみたいな防御奇跡を起こすお前達の当たり前が、俺にとっては化け物だ。
「俺は別に異常じゃない、化け物じゃない。俺からしてみれば、お前達の方が弱すぎる異常な化け物だ」
「……これが、実行官の力という事ですか……!」
化け物と呼ばれるのは心外である。お前が知らないだけで、俺の知っている世界には化け物と言う当たり前が溢れているのだから。
知らないだけ。世界には俺のような当たり前は溢れている。ただその自分が知る当たり前の世界は、ちょっとした神の気まぐれで変わってしまうというだけの事。
そう考えると、この世界に当たり前というのはないのかもしれないな。
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