第十六話 自由と良い取引
何故か俺の事を信じてしまったエミレアを傍に寄せ、見せつけるかのようにラリッツと向き合っていた俺は、この事態に終止符を打てる人物に合図を出した。
それに反応するかのようにコチラに近づいて来る気配が二つ。ジャスパーとリステアだ。
「お、お前はモンドレル商会の!? くそッ!! お前の手引きか!! 俺の商売に口を挟むな!!」
「黙れ、紛い者。貴様はもう商人ではない、ただの犯罪者だ」
いつもと雰囲気が違うジャスパーと、先ほどまでの温和な態度が崩れたラリッツが言葉を交わし始めた。
商人が商人と対する時に敬意は表さないらしい。それは言葉遣いにも表れるようだが、それ以外にも歴戦の戦士を思わせるかのような闘気を放っていた。
「上級奇跡:純水……水質:高級……不純物:あり……着色料:朱……金額鑑定:青貨二枚未満……」
「ッグ!? そ、そんな訳が!!」
リステアが起こした鑑定の輝石から齎された情報を、淡々と読み上げていくジャスパー。
やはりただの色付き水。いくら水質が良くても、あんな小瓶程度の量の金額なんてたかが知れている。
俺の腕を掴んでいるエミレアの手に力が込められたのが分かった。
分かっていても認めたくない事、身内の命を弄ばれた感覚だろう。
「これは酷い、商人にとって最もやってはいけない事を貴様はした。商品の偽り……覚悟しろよ? この詐欺師が!!」
「ぐぅぅぅぅ……!! おい冒険者ども!! コイツらを始末しろッ!!」
ジャスパーの問い詰めに逃げられないと悟ったラリッツは武を頼るが、大声が木霊するだけで誰もやって来ない。
それをせせら笑うかのようにリステアが冷たい声を発した。
「呆れた……たかだか緑冒険者を数人集めた所で何が出来ると言うの?」
「誰だお前は!? オオイッ!! さっさとコイツらを始末――――」
「――――誰も来ないわよ、もうとっくに始末したわ」
リステアの有無を言わせぬ言葉に、驚きの表情を見せるラリッツ。
二流でも黒色は黒色。発展途上色の緑が何人か束になった所で敵う訳がない。
「う、嘘を吐くな!! アイツらは緑色でも赤色に昇色間近の連中だぞ!? 準備するのも時間が掛かった!! それ以上の冒険者を用意できるはずがッ!!」
「コネ無き商人は、三流以下のタダの物売りだ! 黒色の一人や二人を用意できて一流、お前はその程度だったという事だ」
なにそれ? ジャスパーの野郎、遠回しに自分が一流の商人だって言ってんのか?
まぁ当たり前だが、この騒動で一番儲けるのはジャスパーか。よく分からんが、ラリッツの商会に残った様々な権利諸共商店を乗っ取るのだとか。
俺にはどうでもいい事だが。俺にはこれ以上用はない、早々に引上げさせてもらおう。
「この水と、金貨は返してもらうぜ? ほら、正当価格の青貨二枚だ。良い取引だったぜ?」
「くぅぅぅ……そがぁ……」
ラリッツから金貨を分捕り、木箱に納められている水の入った薬瓶を拾い上げ、廃墟の壁に叩きつけた。
ガラスの割れる不快な音に目を覚まされたのか、エミレアは俺の腕から手を放し、前を向き始める。
「いくぞエミレア。――――じゃあなジャスパー、助かったよ」
「いえいえ、こちらこそ良い取引でした。またどうぞ、御贔屓に」
「サージェス・コールマン! 強欲な天使で待ってるわ、忘れるんじゃないわよ?」
「またなリステア。お前こそ白の下着の用意を忘れるなよ?」
頭を下げるジャスパーと、顔を赤くして怒るリステアに背を向け俺達は歩き出した。
次はエミレアの身内を何とかするのが目的だが……どうにも神の聖典、延いては神の軌跡とぶつかる事は避けられそうにない。
聖典騎士ならともかく、神の軌跡から実行官が派遣されていたとしたら面倒だな。
「あの……サージェスさん」
「ん? どうしたエミレア? そんな浮かない顔して」
「えっと……聞いてもいいかな?」
まぁ彼女が不安に思うのも無理はないか。彼女からしてみれば、希望の糸が燃えて無くなってしまったのだから。
ただ金を失い振り出しに戻っただけ。これからどうすればいいのかも分からない。どうすればいいのか聞きたい、教えて欲しいって所か。
「実はな……お前の姉? 母親? 分かんねぇけど、ちょっと面倒な事に――――」
「――――さっきの人って女の人だよね? 白い下着って、どういう事かな?」
「んん? うんん……? 君、何を気にしてんの? そこが一番気になるの?」
――――
――
―
ラリッツとの取引を終わらせた次の日、俺とエミレアは神の聖典が運営する医療施設に足を運んでいた。
今日もタバコは貰えず、俺は棒付きキャンデーと呼ばれる甘い物を咥えていた。
どうやら天使様はかなりの金欠らしく、タバコを買えるほどの余力がないとの事だ。
俺の禁断症状を見かねたアイシャがお小遣いをくれたが、どうにも変な癖が付いてしまったようだ。
タバコは天使エミレアから供給されるもの以外は吸ってはいけないという、ある種の強迫観念に陥っていた。
「――――姉ちゃんじゃなく母ちゃんだったのか」
「うん、私のお母さん。名前はミレイナ・ベルベケット」
「……いつからあんな状態だ?」
「入院したのは半年以上前……でも、目を覚まさなくなったのは最近……」
それは意外な事実だった。目を覚まさなくなった事ではなく、半年以上も前から神の聖典に身を寄せていたという事がだ。
神の聖典が、意味もなく長期間入院させる訳がない。怪我でも病気でも、王ランク以上の奇跡ならば数秒で回復するのだから。
つまり、あの施設は入院施設とは名ばかりの……牢獄なのだ。
何故ならエミレアの母親は、病気なんて患っていないのだから。
あの施設に入院しているのは患者ではなく生贄だ。
「他の家族は? 父親とか」
「母子家庭なの。父親は……物心ついた時には亡くなっていたんだ」
「そうか……まぁ、俺も似たようなもんだけどな」
生贄ならば、もちろん役目がある。
そして役目を終えた後は……どうなるかなんて想像は難しくない。
問題なのは、時間がない事。
空っぽだった中身、僅かに残る奇跡の残滓。エミレアの母、ミレイナは役目というものをほぼ終えている様だった。
「急ごうぜ? なんとかしてやる」
「……うんっ!」
やっと笑顔を見せたエミレアの手を取り駆けだした。
早々に終えてタバコを頂かなければならない。早くしないと禁断症状は末期症状になり、組合金に手を出してしまうかもしれないからな。
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