第十二話 自由とエミレアの決断
会話あります
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「――――じゃあシューマン、私これから行くところがあるから」
依頼を終えて報酬を得たエミレア・ベルベケットは、パーティーを組んでいるシューマン・アドルフにそう告げ、冒険者組合を後にした。
シューマンの目が、私の背中に突き刺さる。私はまた、パーティーの物資に手を付けたのだ。
朝霧の道というパーティーに所属していた時は、六人という人数だった事もあってか、解散後の行動に関心を抱く者なんていなかった。
しかしシューマンと二人だけのパーティーになってからは、流石に気づかれる。
二人だけであれば、他に見る所なんてないのだから。定期的に別行動を取っていれば、少し鈍いシューマンでも不思議に思うのも仕方がなかった。
物資に手を付けた理由は、二人だけのパーティーになってしまったせいで、実入りのいい依頼を受けられなくなってしまった事が大きい。
簡単に言えば、シューマンとパーティーを組んでから報酬が減ってしまったのだ。
緑色冒険者になったのに、黄色冒険者だった頃よりお金を稼げなくなった。それは私にとって、由々しき事態なのだ。
そのため私は、他の方法でお金を稼ぐしかなかった。
体を売るのは嫌だったので、輝石を売りさばく事で何とかお金を作っていたのだ。
しかしそれも底が付き、私はついに――――シューマンとパーティーを組んでから初めて手に入れた永久輝石に、手を付けてしまった。
「ごめんね……シューマン」
パーティー物資に手を付けたのだ、許される事ではない。永久輝石の力はパーティーの行動を決める上で重要な役割を担う。
持っているはずの輝石がなかったら、起こせるはずの奇跡が起こせなくなったら。
それを知らないパーティーは、いつもの通りに作戦を遂行しようとして失敗、敗走、最悪は全滅。
でも私は、シューマンに売った事を言い出せずにいた。
そうこうしている内に、シューマンは気づいた。当たり前だ、サージェスさんやルルゥにも手伝ってもらった、思い入れのある依頼で得た報酬だったのだから。
シューマンに問い詰められた。罵倒も覚悟した。解散も頭を過った。
でもシューマンは、悲しそうな顔をするだけで罵倒する事も解散宣言をする事もなかった。
ただ理由を教えて欲しいと。
私は、シューマンを巻き込みたくなかった事もあって、お金が必要だという事だけを話した。
予想通り、シューマンは力になりたいと言ってきた。お人好しと言うか、何と言うか。
でも私には、そんな優しさに甘える資格がない。こんな不義理を働く私と、変わらずパーティーを組んでいてくれるだけで有難かった。
それに、その優しさが逆にキツかった。何も言えないし、何も返せないし、何もできないから。
そんな思いを受けて、何もできない自分が情けなかったし、心苦しかった。
「でも、あの人は何も言わなかったし、聞かなかったな……」
サージェス・コールマンを、知り合って間もない男性の事を思い浮かべる。
顔は正直、ちょっとタイプ。でもそれ以上に、あの人の近くにいると、頭を撫でられるとどこまでも安心する自分がいた。
ここ最近では抱く事のなかった感情。いつでもどこでも、私は母を失うかもしれないという不安に苛まれていた。
あの人はそれを見透かしているかのように、不安に押しつぶされそうになった時はいつも頭を撫でてくれた。
何も知らないはずなのに、何かあったら頼れと言ってくれた。一歩引いたその物言いに、私は救われた。
どうにもならなくなって、逃げだしたくなった時の道を用意してくれた。
そんな人に私は、つい甘えてしまった。
≪その永久輝石、私に譲って下さい≫
いきなり何を言っているんだって話だと思う。我ながら、あり得ない事を言った。
永久輝石を他人に譲るなんて、それなりの対価が必要だ。もちろん、私にお金はない。払える対価と言ったら、体を差し出す事だけだった。
それを覚悟した。別にサージェスになら、体を委ねてもそこまで不快感はない。嘘か本当か、彼も抱かせろとか言っていたし。
問題は、私の体なんかが永久輝石の対価となり得るか、という事だった。
「いいよ……だなんて、あの人はやっぱりおかしいよ」
あの時のサージェスの笑顔を思い出すと、つい頬が緩んでしまう。
あの人は、対価を求めなかった。理由も聞かなかった。
呆けている私の手に、何の躊躇いもなく永久輝石を握らせた。
「タバコも買えないほど貧乏なのに……」
そもそも、タバコを渡していたのは自分のため。サージェスの機嫌を取っておけば、いつか良い見返りが来るかもと言った打算的な行為だった。
そんなサージェスに甘えた最低な私だが、逆に立ち止まってしまった。
せっかく貰った永久輝石を、売ってしまう事ができなくなったのだ。
無償の善意。聞こえはいいが、それは逆に不信感を募らせる。対価を求められた方が、安心できるのだ。
私は特にその傾向が強いのかもしれない。母の事と、冒険者としての環境が私にそれを教えてくれていた。
無償の善意なんてない。隠されているだけで、裏には必ず打算がある。
母子家庭で育った私には、痛いほど分からされた真実。
対価、見返り、契約、制約。無償なんて、無条件なんてものは在りはしない。
無償を望んでいない訳ではない。理由のない無償は、恐怖でしかないだけ。そうとしか思えなくなっただけ。
僅かでも見返りを求められれば、母のために気兼ねなく永久輝石を売り払った。
出来なかったのは、サージェスに何も求められなかったから。売って取り返しがつかなくなった後で、対応できない見返りを求められても困るから、怖かったから。
「でも……もう……どうしようもないんだよ」
いよいよ、母の容態が悪くなったのだ。このまま行けば、最悪の結果になる事は疑いようがない。
神の聖典に入院する前の母はとても元気で、健康には何も問題がない生活をしていた。
しかしある時、何気なしに母は健康診断を受診した。神の聖典が定期的に行っている、無償の善意だ。
お金が掛からないならと、母は仕事が休みの日に受診したのだ。
――――その結果、母には重大な病が見つかった。
即座に母は入院する事になり、神の聖典に払う料金で母の預金の全てを使い果たす事になったが、母が良くなればと迷いはなかった。
しかし、母の容態は悪くなるばかりで、回復の傾向を一切見せなかった。
日に日に窶れていく母、それに対し何もできない自分。せめてもお金を稼がなければと、実入りのいい冒険者を選択した。
母の回復を信じて、神の奇跡を疑わなかった。
奇跡は起こらなかった。
母は目を覚まさなくなった。
冒険者の依頼で母の元を離れていた数日の間に何があったのか。神の聖典に尋ねても、問題ないとの一点張り、神の奇跡を信じろとの戯言ばかり。
全く生気を感じなくなった母。ただ生きているだけの人形。あれほど元気だった母の面影はまるでない。
神は母を見放した。無償の善意を信じたばかりに、私達の生活は破壊された。
だから私は神の奇跡を捨て、人の叡智を頼る事にした。
様々な商店を回り、母の病状に効く薬を探し求めた。
しかし中々見つからない。それも当然だろう。この世界は、神の奇跡によって繁栄を続けている。
神の奇跡に治せない怪我や病はない。治癒の輝石に神力を注ぎ、奇跡を願えばそれで終わり、完治するのだから。
怪我や病気を治す薬は少ない。思えば私も見た事がなかった。代わりにあるのは治癒の単発輝石、それはそこら中にあった。
でも神が与えた奇跡を信じられなくなっていた私は、人が作り出した奇跡を探し求め続けた。
そしてついに、一つの希望が見つかった。
とある商店で、母の病に効く可能性のある薬の話を持ち掛けられた。
藁をも掴む勢いでしがみ付いた。金額の話もされたが、覚えていない。よほど切羽詰まっていたのだと思う。
高額な薬を購入し、母に投与する日々が始まった。
効果が現れるまでは時間がかかると言う言葉を信じ、薬を買い続けた。
しかし母の状態は変わらない。お金だって無限じゃない、せっかく掴んだ希望を手放したくはない。
そんな事を思い、暗い顔をしていたせいだろうか。先日、いつも薬を売ってくれる商人から新たな薬の話を聞かされた。
かなり高額だが、効く可能性のある薬を見つけた。
即答できなかった。
その薬を買うには、サージェスから貰った輝石を売って、尚且つ生活費の全てを充ててギリギリの額だったから。
悩んだ。今後の生活をどうすればいいのか、サージェスの無償の善意を受け取ってしまっていいのか。
悩んだ末、私は決断した――――
「――――こんにちは、ラリッツさん」
「お待ちしていましたよ、エミレア様。ささ、こちらへ……」
不思議な安心感をくれるサージェスの事を信じ、彼の善意に縋る事を。
無償の善意ではなく、サージェス・コールマンの善意を信じる事を。
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