~プロローグ~
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常識に囚われてはいけない。それらはあなたの全てを制限するだろう。
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ピピピと鳴る目覚まし時計を慣れた手付きで止め、冷たい空気に邪魔されながらも僕は身体を起こした。手早く着替えたら朝のトレーニングのためにまだ薄暗い庭先へと向かう。体操で軽く身体をほぐしたら朝の魔力操作のトレーニングを開始する。まだ眠っている魔力炉心を少しずつ稼働させるイメージで体の内にある魔力を体の外へと解放していく。「魔術師は朝一が命だ」とは師匠の言葉で、魔力炉心を目覚めさせることに失敗した魔術師は1日中調子がでない、らしい。
「うしっ」
上手く炉心を稼働できたので次に体の外へと解放されていくはずの魔力を逃がさずに身体に纏わせ、更にそれらを集中させて手の方へ、足の方へと身体中を移動させる。これで朝の魔力操作トレーニングは終了だ。
「そろそろ朝食の準備をして師匠を起こさないとな」
日の入りとともにだんだんと明るくなる空を見て、僕は家の中へ戻った。
-3-
ばしゃばしゃと顔を洗ってから台所へ行き、朝食の準備に取り掛かる。昨日のシチューが入った鍋を火に掛けるために魔力を纏った右手でコンロに触れる。
「フレイ!」
言葉と同時に火が点いた。火炎魔術フレイではなく、コンロに組み込まれた魔術回路による点火。このコンロのように魔力とリレー制御によって動作する魔術回路を用いたものを魔道具と呼んで、僕が暮らしているイーリス聖王国では一般家庭にも普及されている便利なものだ。
コンロのハンドルを回して中火にしてコトコトと昨日のシチューを温めていく。テーブルに二人分のパンとお皿を出したら、まだ寝ているだろう師匠を起こしに2階の書斎へ行く。
書斎のドアをとんとんとノックして中に入ると机の上に腕を枕にして眠っている師匠が居た。
「ししょー、おきてくださーい」と3回ほど。起きる様子はないので仕方なく右手に魔力を集中させ、放出する。僕の手から飛び出たドッジボールくらいの魔力球は、ふわふわと師匠の方へと飛んでいき、師匠の頭に当たる。「あいったー!」と師匠の言葉と共に魔力球は弾けて消えた。僕と同じ銀色の髪に、夜街へ出向くと必ず朝に帰ってくるほどの整った顔立ちの師匠は、魔力球の当たった場所を手で押さえながら僕の方を睨んだ。
「アリス、私としてはもっと優しく起こしてほしいのだけれど!」
「優しくですか……。あっ、拳の方がよかったです?」
にこやかに右手をぐっぱーとする僕を見て、師匠は「それは大丈夫です」と言い、大きく欠伸をしてから立ち上がった。
「今日のご飯は?」
「昨日のシチューと頂き物のパンです」
-4-
温まったシチューとパンを頬張りながら師匠はなにか思い出したように僕に問いかけた。
「今日は士官学校の入学試験だっけ?」
「ええ、そうです」
今日はイーリス聖王国教会立ネコルラト士官学校の入学試験日で、僕はここ1ヶ月ほど受験勉強ばかりに勤しんでいたのだ。
「自信のほどは?」
「そうですね……。落ちることはまずないと思ってますけど、魔術試験の内容と模擬戦の相手次第じゃわかんないですね」
「模擬戦の相手か……。そうそう!今年は勇者くんが入学するからね、王宮じゃもう大騒ぎさ!私もあれやこれやと雑用を押し付けられてね…。まったくあの王ったら人遣いが荒いんだから!ったくもー……」
少し長くなりそうなので適当に相槌を打って食後のコーヒーを淹れ、熱いのは少し苦手なのでふーふーとしながら飲んでいく。
それにしても、勇者か。勇者についてはほとんど知らされていないが、噂によると王国軍最強と謳われる聖騎士団に所属し、光の加護というものであらゆる魔術が扱え、更には無限の魔力を持つんだとか。もし模擬戦の内容が勝敗で合格者を決めるようなものならば、絶対に勇者とは当たりたくないな。
「……ということがあってね!いやー!あのときは回避に回るだけで手一杯だったよ!もしアリスも勇者と手合わ……あれ?聞いてるかい、アリス?」
「いえ全然」
言って、飲み終えたコーヒーカップとともに食器を洗い始める。王宮や勇者の話をしてくれてたみたいだけれど、僕みたいな庶民には遠い世界の話なのであまり聞く耳が持てなかった。
「そろそろ出掛けるんで師匠も早く食べちゃってくださいね」
-5-
家事洗濯を済ませ、昨日のうちに入学試験の準備をしておいたカバンの中身も再確認したくらいでカーンカーン、と呼び鈴が来客を知らせた。「アリスー!」、と聞き慣れた女の子の声。この声は幼馴染みのサクラコだ。
「いまいくー」
返して、カバンを手に取り部屋を出て階段を下り玄関の扉を開けたらやはりサクラコが居
た。
「息切らすほど焦らなくても良いのに」
くすくすと笑うサクラコ。それに僕もつられ苦笑する。サクラコの珍しい黒い髪は前から見ても肩より長いことがわかり、端麗な顔立ちは僕よりも少し高い身長と相まってお姉さん感さえ覚えさせる。というかサクラコと僕を姉弟扱いしてくる人がこの街ではほとんどだ。
「準備は……できてるよね。寝癖もないし、魔力の方も良さそう、さすがアリスだね!」
「いつも通りだよ」
「いやいや、こんな日でもいつも通りにやれるってのがすごいことなんだよ!」
サクラコはすこし自慢気に僕を褒めてくれる。嬉しいけれど、大袈裟なんだよな。僕は師匠に教わったことをやってるだけなんだから。
「そういえばマーリンさんは?弟子の受験日なんだから何かないのかな」
確かに。かわいい弟子に激励の言葉くらいないのだろうか、あの師匠は。呼びに行くか迷っていると、やっと朝食を食べ終えたのかコーヒーを飲みながらやって来た。
「やあサクラコちゃん、おはよう」
「おはようございます」
ぺこりと頭を下げるサクラコ。
「入学試験なんだってね、まあ頑張っておくれ」
「はい!ありがとうございます!」
それだけだった。今日も実は朝帰りだった師匠に激励の言葉を期待する方がアレだった。それでもサクラコは嬉しそうにしてるから何も言うまい。
「じゃあ師匠、行ってきます。終わったら真っ直ぐ帰ってきますから」
「はいはい、まあ今日は君たちの話を肴にして飲むことにしよう、あはは!」
師匠の笑い声を背にして、僕とサクラコは王都の外れにあるネコルラト士官学校に向けて歩き出した。少し歩いたくらいで背中の方から大きな声が聞こえてきた。
「君は私の、賢者マーリンの一番弟子なんだから自信を持って挑んでいきなさい!」
……なんだよ師匠。たまにはやるじゃん。その声に僕とサクラコ、二人で振り向いてお辞儀をした。頭を上げてサクラコと顔を見合わせると少し可笑しそうにして、僕たちはまたネコルラト士官学校に向けて、世間話をしたり、魔力放出で加速したりしながら進んで行った。