気遣い
どうもココアです!
本日更新でございます。
それではご覧ください。
「くそっ!こんな時に限って冷蔵庫が空っぽなんて」
まるで作られたような状況に、俺は完全に動揺してしまった。蜜柑ちゃんに早く栄養のあるものを与えなければ……そのことにしか意識が向かなかった。
俺はドタドタと大きな音を立てながら財布を片手に表で飛び出した。家から一番近いスーパーまでは歩いて15分。運動神経に自信がない俺でも、走って行けば10分で着けるだろう。
「……」
ここまで動揺したのはいつぶりだっただろうか。ここまで心臓の鼓動が早くなったのはいつぶりだっただろうか。正直に言って、俺はあの日を境に感情の揺れ動きが小さくなった。人にとっては大きな動揺でも、自分にとっては些細なことにしか感じなくなってしまったのだ。
心が廃れているという表現が正しいのか、とにかくここまで動揺したのは久しぶりのことだった。
今は夕方で、夕日が綺麗などと思っている暇などなく、一心不乱に住宅街を走っていた。近所の人には普段、表情を変えない俺が血相を変えて走っていることに、「何かあったのかな?」というような顔をしていた。
「はあ……はあ……」
汗を流し、鼓動が暴れるように動いている中スーパーに着いた。店内は冷房がきいていて、汗で熱くなった体を良い感じに冷やしてくれる。
「取りあえずスポドリとあとは……」
かごを片手に早歩きで進む。このスーパーには長い間通ってたので、商品がどこにあるのかは店員に聞かなくても分かる。俺はドリンクコーナーのスポドリを3本ほどかごに入れ、今度はお菓子コーナーに向かい、のど飴をかごに入れる。
「……」
本当なら蜜柑ちゃんに『何が欲しい?』と聞くべきだったけれど、その選択肢が視えなくなってしまうほど俺は動揺していた。
取り合えず最低限……不正解にならないようなものをかごに入れていった。
「あとは……」
うどんと顆粒のかつおだし。風邪でもうどんくらいなら食べられるだろう。あとは……あとは――
「あっ……」
レジに向かおうとしたところで、一つの商品に目が止まる。そう。それは、“ミカンゼリー”。その商品を見た瞬間、ある光景が目の前に映った。
まだ林檎がいた日。風邪を引いた林檎に母がミカンゼリーを食べさせていたことを。そして、林檎はそれを嬉しそうに食べていたことを。
「これも買っていくか」
俺はミカンゼリーをかごに入れて、レジへ向かった。
「全部で1189円になります」
レジ袋を片手に持ち、家まで走る。外はすっかり暗くなっていて、月が世界を照らす時間になっていた。街頭があるから少しは先が見えるけれど、昼間と比べると少しばかり気味が悪い。
「きゃあ!」
「うわっ!?」
いつもより気を使って走っていたつもりだったけれど、やっぱり夜で見通しが悪かったせいか誰かとぶつかってしまった。声からして女性だろう。
「す、すみません。大丈夫ですか?」
結構強くぶつかってしまい、女性は倒れてしまった。俺は袋を置いて倒れた女性に手を差し伸べると、女性は手の平ではなく手首を強く引っ張った。俺に対する仕返しのつもりだろうか。
「……何をそんなに急いでるの優人」
「えっ……」
立ち上がった女性は、小さな声でそう言った。
「あれ?もしかして……桜か?」
いきなり名前を呼ばれたことに驚いたけど、思い返してみればどこか聞き覚えのある声だった。そして何よりも、特徴的過ぎるピンク色の髪が見えた。
「そうよ。久しぶりね」
相変わらずのジト目。何を考えているのか分からない表情を浮かべる彼女は、鴛桜。俺の家の隣に住んでいる。
幼稚園、小学校とずっと一緒だったけど中学から別々になってしまった。それでも会えば話すし、たまに家に来ることもあった。
昔からよく知る幼馴染というのが正しい表現かもしれない。
「こんなに急いでどうしたの?」
「ああ!忘れてた。悪い桜、俺はもう行くからお詫びならまた今度な」
本来の目的を思い出した俺は乱暴に袋を握り、再び走り出す。
「ちょっと……行っちゃった。あんな優人を見たのは久しぶりだけど」
まだもう少し話たかったなんてことを思った時には、もう姿が見えなくなっていた。何か、昔の優人に戻っているような気がするけど……何かあったのかな?
「別にいっか。私も帰ろう」
深くは考えないようにして、優人と同じ方向に歩こうとしたところで地面に視線を奪われる。
「これは……?」
何かが落ちてると座ってみると……
「ミカンゼリー?」
◆◆◆
「――ただいま!」
“おかえり”という言葉が返ってこないことは分かっていても、何故かそう口にしてしまう。何てこんなことをしている場合ではない。
俺は帰って直ぐに蜜柑ちゃんがいる部屋に走っていた。いつもしているノックもせず、蜜柑ちゃんの部屋に入る。
「具合はどうだ?」
「お、お兄さん……」
俺が傍に駆け寄ると、うっすらと目を開けた蜜柑ちゃんが朦朧としている意識のまま声をかけてくる。
「もう、行かないでください……お願いだから、もう一人にしないでください」
「蜜柑ちゃん……」
その言葉は俺の胸に……それも、とても深く突き刺さった。“一人にしないで”という言葉は、一人を経験した人間にしか言えないからだ。
そして俺は、その“一人”というものを経験している。だからこそ、今蜜柑ちゃんがどういう心境なのか、理解することができた。
「ごめん……」
恐らく無意識だろうが、伸ばしてきた蜜柑ちゃんの手を優しく握る。
「蜜柑ちゃん。まだ意識がしっかりしてないと思うけど、何か口に入れた方がいい。取りあえずスポドリを飲んで」
「はい……」
手を握った途端に大人しくなった蜜柑ちゃん。スポドリを数口飲むと、安心したように眠りについた。
暫くの間、その寝顔を見つめているとインターホンが鳴った。
「誰だ?こんな時間に」
チラッと蜜柑ちゃんの方を見て、ちゃんと寝ていることを確認してから玄関を開ける。するとそこには、さっき別れたばかりの桜が立っていた。
「桜?何か用か?」
「……これ」
「えっ?」
何も言わずにミカンゼリーを出してきた桜。状況が分からず、少し首を傾げているところで桜が口を開いた。
「さっきぶつかったところに落ちてた。落としたんじゃないの?」
「ああ~。さっき急いでいたからか。ありがとう桜」
落とした記憶はないけど、落とさなかった記憶もない。ならきっと桜が言ったことが真実なのだろう。
「……やっぱり変わったね優人」
「えっ?」
ただミカンゼリーを受け取っただけで何を言っているのやら。いくら久しぶりに会ったからと言っても、そこまで変わった要素はないだろう。
「前よりも笑うようになった」
「笑う?俺ってそんなに笑わないキャラだったっけ?」
そんなクールキャラ設定は聞いていないが。
「そうじゃない。ただ、昔とは違うと思っただけ」
「そうか?」
桜には一体、どんな俺が映っているのだろうか。それを想像できないとなると、今と昔の区別などつくわけがあい。もちろん俺自身、変わったつもりは一切ないからだ。
「じゃあありがとうな桜。わざわざ届けてくれて」
「別に……隣だし」
「んじゃ、温かくして寝て風邪ひかないように寝ろよ」
「えっ?」
優人はそう言って玄関を閉めた。別に他愛もない挨拶に聞こえるけど、私にとってはそうではなかった。だって……そんな言葉は、あの日以来聞いたことがなかったから。
林檎ちゃんが居なくなったその日から、誰かを気遣ったりしなくなったのに。
「……やっぱり変わったよ優人は」
でも、どうして変わったのかは分からない。今日は忙しそうだったから聞かなかったけど、また今度家に行って聞くことにしよう。
読んでいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願い致します。