しばらく二人で
どうもココアです。
一か月ほど空いてしまいましたが、まだまだ続きます。よろしくお願い致します。
「じゃあ行ってくるけど、父さんが居ないからって蜜柑ちゃんに変なことするなよ?」
「やかましい。少しは普通のことを言って家を出たらどうなんだよ」
少し大きめの溜息をつきながら言った。この極限まで無駄なやり取りを、智子さんは微笑ましい光景を見るような目で見ていて、俺の隣に立っている蜜柑ちゃんの方を向いた。
そう。今日が先日言われた新婚旅行の出発日なのだ。最近は父もどこかそわそわしていて、毎日のように旅行グッズを買ってきていたほどだ。
「それじゃあ優人君。蜜柑のことをよろしくね」
ニコッと、笑いながらそう言う智子さんだけれどいつもの笑顔よりも少し固い気がした。きっと蜜柑ちゃんのことが心配なのだろう。
それは至極当然である。男性恐怖症である蜜柑ちゃんと置いていくというのは、親目線で考えると不安で仕方が無い。心配と罪悪感で笑顔が固くなってしまうのは仕方が無い。
「……」
そして、蜜柑ちゃんが俺の服を掴む力が強くなってしまうのも仕方のないことなのだ。
「蜜柑。良い子で待っててね」
まるで幼稚園児でもあやすかのような手つきで蜜柑ちゃんのことを撫でると、智子さんは父と共に家を出た。車の音が聞こえたから、きっとタクシーに乗ったのだろう。
「さて!二人とも行ったし、暫く二人か」
「……」
何となく呟いても蜜柑ちゃんは何も言葉を返してくれない。ずっと俯いたまま、俺の服を強く握っているままだった。
この間から少し元気がないように見えるけど、二人が新婚旅行に行くという提案をされてからはさらに落ち込んでいるような気がした。
「まあ一週間だけだし、直ぐに帰ってくるよ」
「そう……ですよね。ちょっとしばらく部屋にいます」
ようやく応えてくれた蜜柑ちゃんだけれど、いつもより弱々しい声色でまるで何かに怯えているようだった。そして、言葉通り蜜柑ちゃんは重い足取りで部屋に戻った。
――バタンとドアが閉じられる。日常的に聞いている、何の変哲もない音。そのはずなのに、何故かその時は少し寂しそうに聞こえてしまった。
「……勉強でもするか」
蜜柑ちゃんが部屋に行ってしまったので、俺も自分の部屋に戻る。今日は土曜日で、最近の土日は旅行の買い出しに付き合わされていたので休日にあんまり勉強ができなかった。
だから今日は心置きなく勉強することができると、取りあえず数学の教科書を広げる。
「この応用問題は……どうやって解くんだったかな?」
白紙のノートにシャーペンの先でつつきながらうなる。ちょうどこの前授業で習ったところだが、復習するのを忘れてしまい記憶が曖昧になってしまっていた。
「えっと、参考書あったかな」
頑張って思い出そうとしたけど、さすがに時間の無駄だと考えて机の引き出しから参考書を取り出す。
「これが……そうか。それでここに代入して……」
段々と問題を解きほぐしていき、応用問題を解いていく。数学はとにかく反復練習するのが大切だと思っているので、片っ端から問題を解いていく。
数式が頭に入ってることは大前提であり、基本に忠実な問題は数式に当てはめるだけで解くことができる。結論を言えば応用問題もそうなのだが、ただ当てはめるだけでは解けないから“応用問題”と言われるのだ。
――勉強を始め、どんどん問題を解いていく。一番最初につまずいていた応用問題も、いまや5分で解くことができるほど慣れ始めた
気づけば時計は進んでいて、午後5時を示していた。
「おっ、もうこんな時間か」
ここまで集中して勉強をしたのは久しぶりだと、少しご機嫌な気分になりながら階段を下りてリビングのドアを開ける。
しかし、そこに蜜柑ちゃんの姿はなかった。
「あれ?」
まだ部屋にいるということなのだろうか。しかし、部屋に行くと言ってから随分と時間が経っている。
「……何かあったのかな」
いつもより元気が無いことは知っていた。しかし、軽率に踏み込んだら余計に追い詰めてしまうことがあるので、あえてそっとしていた。けど、さすがにここまでとなると口を挟みたくなってしまう。
「取りあえず部屋に行ってみるか」
その言葉を放つ前に体が動ていて、言い終えた時点で階段を上がっていた。
「蜜柑ちゃん?まだ部屋から出てきてないみたいだけど、大丈夫か?そろそろ夕飯を作ろうと思るんだけど」
数回ノックをしてから問いかける。
「……」
しばらく返事を待ってみるが、何一つ言葉が返ってこない。
「蜜柑ちゃーん」
もう一度声をかけてみるが、どんなに待っても何か返ってくることは無かった。
「……寝てるのか?」
そう思った俺は、怒られることを承知の上で部屋に入ることにした。
「入るぞ……」
ドアの前で言っていた時よりも数段ボリュームが小さくなってしまったけど、一応断りを入れたという事実を作った。
この部屋は前までは母さんの部屋だったので、居なくなってからは入るのは久しぶりだ。少々と懐かしさに浸りたかったけど、そんなことをしている余裕がないことは入った瞬間に悟った。
「蜜柑ちゃん!」
なぜなら、蜜柑ちゃんが倒れていたからだ。薄暗い部屋で、粗い息遣いで倒れていたからだ。
「熱が!!」
軽く抱えながら仰向けにし、おでこ手を当てると信じられないほどの熱を感じた。これほどの高熱なら、この激しい呼吸も納得がいく。
「そうか……だから」
取りあえずベッドに寝かせようと、蜜柑ちゃんを持ち上げてベッドに寝かせる。そして、朝から元気がなかった理由に納得がいった。ギリギリまで声を出さなかったのは風邪を引いていることを悟らせないようにするため。
重たい足取りは高熱で朦朧としていたため。自分の部屋に戻ったのは、俺に心配をかけないため。
「……お兄さん?」
「蜜柑ちゃん!大丈夫か?」
ベッドに寝かせて少しすると、朧気な意識のなか蜜柑ちゃんが目を覚ました。
「ごめんなさい……。風邪引いてることを黙っていて」
「謝らなくていい。そうだ、何か持ってくるから。ちょっと待っててくれ」
取りあえず飲み物だけでもと、俺は走ってリビングへ行った。きっとこの時は、激しく動揺していたんだろう。
「あっ……お兄さん」
――なぜなら。
「待ってください……。どこにも行かないでください」
――少しは分かったつもりでいた蜜柑ちゃんのことを、全く分かっていなかったから。
読んでいただきありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。