9:元・○○なお客様(後編)
「マスター! ホットココアとチーズケーキお願いしまーす!」
ドアベルをけたたましく鳴らし、尋常じゃない勢いでドアを開けたのは、人間種系統の少年だった。
外見通りの年齢ならせいぜい十五歳程度だろうか。百五十センチもないだろう身体は細く華奢で、殆ど白に近い銀髪のショートヘアが中性的な顔立ちによく似合っている。瞳は黄色というより金色で、どこか目力を感じさせる目をしている。深いブルーと白を基調とした服はシンプルながらデザインが良く、上等な品であることがミオにも分かった。
「……あ、今日はお客さんいるんですね」
四人掛けテーブルのほうに目を遣った少年は「珍しい」と言って微笑んだ。整った顔立ちが映える、美しい笑みだった。
「――いらっしゃいませ、お好きなお席にどうぞ」
少年の来店は、クロスにちょっかいを掛けていた先客を黙らせるには充分なきっかけだったようだ。
四人掛けテーブルの傍に控えていたクロスは来店者の少年に普段通りの挨拶をすると男二人に「では、私はオーダーの準備がありますので……」と言い、深々とお辞儀をした。
クロスの振る舞いは実に自然で、失礼な先客――男・一と男・二への対応としても何ら失礼のないものだった。
だが、クロスを侍らせようとしていた男・二はしつこかった。「注文と接客ならそっちの兄ちゃんに任せときゃあいいだろ?」とミオに目を遣った男・二はカウンターに戻ろうとしたクロスの右手首を掴み、強引に引き留めようとしたのだ。
「申し訳ございませんが、出来かねます。お客様三人に対し一人での対応ではスムーズな提供の妨げになりますので……」
「いいだろ、ちょっとくらい待たせたって。っていうかアンタもさあ、さっさと座って接客しろよ。俺たち客なんだから」
「そうそう、俺ら客だぜ? 客の頼みを無下にするのかよ」
自分たちは客なのだと、だから店主であるクロスは自分たちの望みを叶えるべきなのだと男二人は主張する。
恐らく、二人の目標は『クロスを侍らせてちょっかいを出したい』から『クロスを屈服させて言いなりにさせたい』へとスライドしたのだろう。スケルトンであるクロスをオモチャにして遊ぶつもりだったのに、当のオモチャがあまりに頑なだから腹を立てたのだ。
(一体どこまでクソ客なんだ、あいつら)
少年の来店に毒気を抜かれていたミオも、こうなっては黙っていられない。
カウンターを出て文句を言おうとしたミオは――またしても悪態を吐くことが出来なかった。
「――ちょっといいですか」
二人掛けのテーブルに座っていた件の少年が、あろうことか、男二人に物申したのだ。
「なんだ? お前。俺らに何か用かよ」
「先程から様子を窺っていれば……貴方たち、一体何様のつもりなんですか? マスターが困ってるじゃないですか」
「ああ?」
正面を切っての注意に、男・一が眼を飛ばす。クロスの手首を掴んだままの男・二も「なんだテメー」と睨みを利かせながら応戦した。
「俺らはなあ、マスターにサービスしてもらおうとしてるだけだよ。なんたって俺ら客だから」
「サービス?」
「ああ。隣に座って、いろんな話聞かせてもらうんだよ。服着る必要があるのかとか、イイコトしたいと思うのかとかよォ。場合によっちゃ服の下を見せてもらうことになるかもしんねえが……別に構わねえだろ? 俺らは客で、こいつは人外なんだから」
下卑た笑みを浮かべて言った男・一は、ふと少年の顔を見遣り――口元を歪めた。
「ああ、そうだ。お前も混ぜてやろうか? 女みてえな顔してるから、まあイケないこともない――」
「お前らいい加減にしろよ!」
声を張り上げたミオはカウンターを飛び出し、少年の前に立ち塞がる。下手に割り込むことで男二人を逆上させてはまずいと様子を窺っていたが、流石にこれは看過出来ない。
「何が客だよ。客だからって何でも許されると思ったら大間違いだ」
男・二に手首を掴まれたままのクロスを視界の端に入れながら、ミオはずっと我慢していた内容を告げた。
どんな客でも〝お客様〟として接したいというクロスのスタンスは理解しているし、尊敬もしている。ただ、一部の理不尽な客には毅然とした対応を取ることも店主としての務めだと、ミオは思うのだ。客が〝お客様〟でいられるのは〝お客様〟としてのルールを守っている時だけ。そのルールを破った客は最早〝お客様〟ではなく、ただの害悪だ。
「第一、いい歳した大人が子供を脅して恥ずかしいと思わねえのか! このクソ野郎が!」
「従業員のくせによくも客をクソ野郎呼ばわりしやがったな! だったらお前からひん剥いてやるよ。言うこと聞かねえマスターと女みてえなクソガキが泣いて許しを請うようになあ!」
逆上した男・一が立ち上がり、その手をミオへと伸ばす。男・一は図体が大きいから、もし掴まれば神力を持たない神様が抵抗するのはほぼ不可能だ。
視界の端で、クロスが叫ぶ。それでも、ミオは一歩も退かなかった。今自分が逃げたらクロスや少年がどうなるか分からない。たとえ護りたいものを護り抜くだけの力は持ち合わせていなくても、抗うのをやめる理由にはならないだろう。
男・一に首を掴まれる直前、ミオは目を閉じた。目を閉じてしまえば状況が判断出来なくなると理解していても、本能的に目を瞑ることを止められなかったのだ。
何か分厚いもので身体が後ろに押され、ミオはよろめく。想像していたよりずっと軽い衝撃に、ミオは目を開いた。
「……え?」
何が起こったのか、ミオには分からなかった。背後に護っていたはずの小さな少年は跡形もなく姿をくらませ、ミオと男・一の間に巨大な狼獣人が立ちはだかっていたのだから。
「な、んだ……?」
状況が理解出来ないのは、男二人も同じらしい。ゆったりとしたマントを身に着けた二メートル超えの狼獣人を見上げた男・一は、訳が分からないと言いたげな声を上げて呆然としている。男・二など驚きのあまり掴んでいた手を離していた。
「こちらが下出に出ていれば際限なく調子に乗りおって。どの惑星の出身だ?」
自由になったクロスをミオの隣へ匿い、男二人を見下ろした狼獣人は地を這うような低い声で尋ねた。
男二人は、答えない。――否、答えられないというのが正しいのだろう。強気に振る舞ってこそいても、二人の目には突如現れた狼獣人に対する不安と恐怖が確かに滲んでいた。
「我が忠告を聞き入れんばかりか、弱者を傷付けようとは。最早申し開きは出来んぞ」
「我が忠告……」
その言葉に、ミオはようやく気付く。
自分の前に立ち塞がっているその男こそ、ミオが庇おうとした少年なのだと。
「私はこの店の客だ。つまり、お前たちとは対等の立場にある……そうだな?」
「……誰だ、てめえ……」
「ああ……まだ名乗っていなかったな」
怯えて尚強気な振る舞いをする男・一に、狼獣人はふっと笑って答える。
「私は惑星・ギルノアーツを統べる魔王、ノーヴァ=マキシ・ドン・オーブ。以後お見知りおきを」
自己紹介をした彼――ノーヴァは、恭しく一礼した。
その一方、男たちはノーヴァを見上げたまま凍り付いたように動かなくなった。名のある魔王なのか肩書きに恐れをなしたのかは分からないものの、とんでもない相手を敵にしてしまったと考えているだろうことははっきりと分かる。
「す、っ……すみませんでした!」
「申し訳ありません!」
男・一が頭を下げたことをきっかけに男・二も立ち上がり、先程までの強気な態度がまるで嘘のように謝罪した。三人への無礼な態度を謝罪しているというより、魔王であるノーヴァに楯突いたことへの謝罪のようだった。
ノーヴァもそのことに気付いているのだろう。低い声に優しさを滲ませたノーヴァは頭を下げたままの二人に「何故謝る?」と尋ねた。
「先程私が忠告した際は聞き入れて謝罪するどころか恐怖と暴力で捻じ伏せようとしていたではないか。自らが悪いことをしたと思っていないのなら、相手がいくら自分より巨体でも――そう、たとえば相手がどこかの惑星の魔王でも、謝る必要はないのだぞ? 上辺だけの謝罪に価値はないのだから」
「っ……」
優しい声に――だからこそ恐ろしい言葉に、頭を下げたままの二人は声もなく震え上がった。
だが、ノーヴァの反撃はそれだけに留まらなかった。人間種に近い手を男二人の肩に置き、顔を近付けて囁いたのだ。
「さて……。確か君たちは、楽しいお遊びに私を混ぜてくれると言っていたな?」
「え……」
「では早速我が住居で一緒に遊んでもらおうか。――そうだ、私の可愛い臣下を数百人ほど混ぜてやっても良いかな?」
「ひっ!」
悪夢のような光景が頭を過ぎったのだろう。悲鳴を上げた男二人はノーヴァが手を退けるなり顔を見合わせ、ノーヴァの脇をすり抜けるようにして逃げ出した。怯えからよろめいている二人の走りは遅く、ノーヴァが全力を出せば捕まえられそうだったが、当のノーヴァは「行ったか」と呟きながらただ見送るだけだ。
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「先程は庇っていただきありがとうございました。私はクロスさんの友人で、惑星・ギルノアーツ出身のノーヴァ=マキシ・ドン・オーブと申します。先程はああ言いましたが……正しくは〝元・魔王〟ですね」
カウンター席の真ん中に腰掛けて、狼獣人に変身したノーヴァはミオに自己紹介する。
否、変身したのではない。ノーヴァにとって人型美少年の姿は仮の姿で、真の姿は狼獣人の姿なのだ。
犬の頭を持つノーヴァの顔は、ミオが元居た世界で『シベリアンハスキー』と呼ばれる大型犬に似ていた。灰色に近いシルバーと綿のように白い体毛を持つ筋肉質な巨体は深いブルーとシルバーを基調にしたマント付きの衣服に隠されており、いかにも王という風格が漂っている。瞳の色は少年時と同じく金色で、どこか心の内を覗き込まれるような感覚を覚える目だった。
「それにしても、クロスの知り合いだったなんて……」
それなら教えてくれても良かったのにと、ミオはため息を吐いた。
結論から言って、元・魔王のノーヴァとクロスは知り合いだった。クロスが内線で言っていた「最悪の事態に備えて対策をとる」というのがノーヴァのことで、ミオに危害が及ばないよう応援要請をしたらしい。
(まあ、クロスは〝お客様〟に危害が及ぶ危険があったら何に代えても阻止しようとするか……)
少年のノーヴァが男二人に物申した時、クロスは大人しくしていた。クロスの性格を鑑みれば客に危害が及ぶことだけは絶対に避けたいはずで、それを避ける為なら「どんな客も同等に接する」という自身のルールを捻じ曲げてでも男二人に接待していただろう。クロスには策があるのだと、あの時点で気付くべきだったのかもしれない。
「……あの、うちのマスターと知り合ったきっかけを窺っても?」
新たにオーダーされたホットコーヒーとベジタブルケーキを提供しながら、ノーヴァに尋ねる。
クロスは「作業を終わらせて戻ってきます」と二階に戻っていった。いくら友人とはいえ窮地を救ってくれた相手がいるのだから作業など後回しにしそうなものだが、当初の予定通りミオに任せたいのだろうか。
「構いませんよ。隠し立てするようなことではありませんし」
カップを傾けたノーヴァはシベリアンハスキー似の顔に穏やかな笑みを浮かべ、鷹揚に頷いた。
「クロスさんに初めて会ったのは十年前――と言っても私が住む惑星の時間換算ですが、十年前でした。当時魔王だった私は魔王らしく畏怖の念を抱かせることでギルノアーツを統べていたのですが、如何せん成り上がりで王の座に着いたもので、すべてを上手くやり遂せることは出来ず……。苛々しながら異世界を視察していた時、偶然異世界交差地点の存在を知ったのです。異世界交差地点は世界と世界の架け橋……。転移魔法を自在に扱える私には不要な場所でしたが、利用している者がいる以上現地を確かめる必要があるだろうと訪れることにしました。そこで目にしたのが喫茶・ノードです」
霧の先から先へと伸びる石畳と無数のモニュメントクロックしかない真っ白な世界の中、唯一建てられた喫茶店。店名や看板の文字が読めた為、試しに入店してみると、エプロンを付けたスケルトンに「いらっしゃいませ」と挨拶され――ノーヴァは相当驚いた。ノーヴァが生まれた惑星・ギルノアーツにもスケルトン種のアンデッドはいるものの、言語を自在に操り接客が出来るレベルのスケルトン種はそう多くなく、視察した他の世界でもクロスのようなスケルトンは左程多くなかったのだ。
内心驚きつつもオーダーし、注文した料理を待っていたノーヴァのもとに、部下から通信連絡が入った。確認漏れからミスをしてしまい、しかもミスの発覚を恐れて報告を怠っていた為に大事に至ってしまったとのことだった。
何故もっと早い段階で報告しなかったのか。激怒したノーヴァは通信を切ってからも苛立ちが収まらず、丁度料理を運んできたクロスに矛先を向けた。怒りのままに理不尽な言いがかりをつけ、自分が惑星・ギルノアーツの魔王だと知らないのかと言って畏怖の念で従わせようとしたのだ。
何も悪くないクロスは「申し訳ございません」と頭を下げ――けれど、と申し出た。たとえノーヴァが高名な魔王でも対応は一切変えられない、対応を変えないことこそがお客様に対する最大限の敬意だと考えている、と。
「その言葉に私がどれだけ驚いたか想像出来ますか?」
そう言って、ノーヴァは笑った。低い声は楽しげに弾んでいる。
「魔王の座についてから、国民はおろか臣下ですら私に異を唱えた者はいませんでした。皆私を恐れていましたからね。部下がミスを報告しなかったのだって私に叱責されるのが怖くて言い出せなかったからだった。それなのにクロスさんは一切恐れることなく言い切ったんです」
「それは……クロスらしいっていうか……怖いもの知らずですね」
「ははは、本当にそう思いますよ」
半ば呆れながら答えたミオに、ノーヴァも同意する。
「でも、そのおかげで私は気付いたのです。畏怖の念で統治しようとするから上手くいかないのだと。その事実に気付いた私は魔王に就任してから初めて頭を下げ、側近として我が国に来てほしいと頼みました。生憎『自分に側近としての能力があるとは思わないし、この場所を離れることもしたくない』と断られたのですが……友人として話を聞くことなら出来ると言ってくれましてね。それ以来、友人として仲良くしてもらっているのです。最近は新たな王の補佐に専念してギルノアーツに籠もりきりだったのであまり来店出来ませんでしたが」
「なるほど。今日はわざわざ来てくれた――くださったんですね。ありがとうございます」
「いやいや、とんでもない。元々私がクロスさんに言っていたんですよ。『相談に乗ってもらうお礼にボディーガードをしますから、もし暴力や脅迫でクロスさんを従わせようとする客が現れたら絶対に呼んでください』とね。間違っていることを間違っていると言えるクロスさんは素晴らしい方ですが……魔法や武術といった身を護る術を持ち合わせていませんでしたし、何より骨身では相手がナメてかかるでしょう。そういう輩には図体が大きくて分かりやすい身分の者をぶつけるのが一番効くんですよ。――実際、効いたでしょう?」
まあ私としては逃がしたくなかったのですが。
金色の目を青く輝かせて、ノーヴァは真情を吐露した。
――恐らく、クロスから「危害は加えないで」と言われていたのだろう。そうでなければクロスにちょっかいを出したことを激しく後悔させていたに違いない。勿論、楽しいお遊びをするかどうかは別として。
「けど……復讐しに来ませんかね、あいつら。ああいう小物って結構執念深いし逆恨みで復讐するじゃないですか」
「ああ、その点に関してはご心配なく。後程通信魔法で念を押しておきますから」
「え?」
「先程あの男たちの身体に触れた際、通信魔法を発動させる術式を仕込んでおいたのです。この先喫茶・ノードに足を踏み入れることはおろかクロスさんやミオさんに指一本触れようものなら一生後悔し続けることになる、と伝えておきますよ」
「……まだ魔王だな」
「魔王は辞しましたし畏怖の念で支配するのもやめましたが、自分より弱い立場の者にしか手を出さない身の程知らずのクソ野郎にまで優しくするつもりはありません」
思わず呟いてしまったミオに、はははと笑ったノーヴァは「クロスさんには内緒にしてください」とウインクしてベジタブルケーキを口にした。――成程、敵に回すのは恐ろしいがボディーガードとしては最高の人材だ。
「――すみません、遅くなって」
「あ、お帰りなさい」
カウンター内の扉から姿を現したクロスに、ふさふさの尾を揺らしたノーヴァが弾んだ声を出す。直後、美少年の姿に変身したノーヴァは格段に高くなった声で「ゆっくりしていっても構いませんか?」と尋ねた。
「ええ、勿論。ノーヴァさんと話すの久しぶりだから嬉しいです。――ミオとは仲良くなれましたか?」
『笑顔のマーク』が書かれた木札を顔の横に掲げたクロスが尋ねる。ミオに接客を任せたのは、自身の友人とミオを引き合わせたかったからでもあったようだ。
「どうでしょう。仲良くなれたといいんですけど」
「……面白い人だと思うよ」
ちらっとミオを見たノーヴァに、ミオは率直な感想を述べた。クロスに対しては若干二面性があるものの、敵に回していない今は別段怖いとは思わない。――それに、あの男たち二人を「クソ野郎」と称する感性は一致しているのだし。
「良かった! ではこれからもよろしくお願いしますね、ミオさん」
整った顔に安堵の笑みを浮かべたノーヴァがミオに手を差し出す。握手のつもりなのだろう。
「……よろしくお願いします」
色々な意味で変わった喫茶店に来たとは思っていたが、もしかしたらとんでもない店に来てしまったのかもしれない。
にこにこしているノーヴァと木札を掲げたままのクロスを視界に入れたミオは、内心そんなことを考えながらノーヴァの手を取ったのだった。