8:元・○○なお客様(前編)
※クソ客が登場します。
一人で店番、というのはなかなか緊張するものだ。
カウンターから店の外を眺めるミオは手持ち無沙汰に立っていた。
ガラス窓から見える異世界交差地点は相変わらず真っ白だ。太陽というものが存在しないせいで時間の経過は分かりにくく、この世界の性質上、人も滅多に通り掛からない。
時刻は午後五時半過ぎ。閉店時間まで残り二時間半だから、今日は誰も来ないかもしれない。
(俺としてはそのほうが助かるんだけど)
二階にいるクロスが物品の整理を終えるまで、ミオが一人で対応に当たることになっている。研修期間を終えたミオは接客から飲食物の提供までこなせる状況になっているとはいえ、一人というのはやはり心許ない。
とはいえ、喫茶・ノードの経営状況を鑑みると、一人でも多くの来店を望むべきなのだろう。
経理関係の業務に携わっていないミオには分からないことも多いが、喫茶・ノードの経営状態がお世辞にも順調とは言えないことは確かだ。いくら家賃不要で建物自体が自動修復機能を備えている喫茶店を経営しているとはいえ、一日当たりの来店者数が少なすぎる。ミオという従業員も増えたのだし、もう少し利益重視の経営方法を考えるべきだ。――店主であるクロスはあまり気にしていないようだが。
(謎解きの報酬だってまだ換金してないしな……)
喫茶・ノードでは客から貰った通貨を<異世界対応金銭登録機>と呼ばれる機械――通称<異世界用レジ>に入れることで当該通貨へと変換する方法を用いている。先日謎解きの報酬としてリンデールから貰った金貨も<異世界用レジ>で変換しようとしたのだが――ディスプレイに表示された変換後の金額があまりにも高額であった為、「こんなに貰えない」と変換せず保管してあるのだ。ミオとしては正当な報酬である以上さっさと変換して経営資金に充てるべきだと思うのだが、クロスにはそう思えないらしい。
何の役にも立たない神様を殆ど見返りなく居候させていることといい、喫茶店の経営状況といい、クロスのお人好しぶりを考えるとため息を吐きたくなる。自分にかつての力があれば繁盛させることも出来るのに、今ではそれも叶わない。もっとも、力があったところでクロスはそんなことを望まないだろうが……。
世の中ままならないものだ。そんなことを考えていると、店の前を人影が通った。何が楽しいのか必要以上の大声で話している、人間系種族の男二人組だった。
(――来店しないといいけど)
自身が働きたくないからではなく、男たちの雰囲気からそう考えたミオが祈る。元居た世界で様々な会社を見てきたミオには「一般客」と「客とは呼べない客」の区別が何となくつくのだ。
だが、無情にもドアベルは鳴り、今しがた通った男二人は店内に足を踏み入れる。
「……いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
なんで来店するんだ。帰れよ。
クロスに聞かれたら咎められそうな言葉を心の中で呟いたミオは、教えられたとおりに笑みを浮かべて一礼した。どうせろくな客ではないと思うが、神様ではなく一介の従業員として喫茶・ノードに存在しているミオに追い返す権利はない。
「あれ? スケルトンいないじゃん」
「何だよ、虚偽宣伝かよ」
店内を見回した背が低いほうの男――虚偽宣伝だと言ったほうが「つまんねえ」と吐き捨てる。直後、四人掛けのテーブル席に腰掛けた二人は「おーい」とミオを呼んだ。
(なんだこいつ。ぶん殴られたいのか)
不遜も甚だしい態度に、思わず神様らしからぬ衝動を抱く。
ミオは店主の心根に応じて店を繁盛させたり衰退させたりする神様だ。生憎その力は失われ、他にこれといった能力もないから、無礼な輩に罰を与えるには物理面に頼るしかない。――客二人はミオより背が高く、体格もそれなりに良いから物理面で客の男に勝てるとは到底思えなかったし、何より無礼だからといって客を殴っていい道理はないのだが。
荒ぶる気持ちを静めようと、ミオはゆっくり息を吐いた。無礼な客だが、騒ぎを起こしてクロスに迷惑を掛けることだけは避けなければならない。
「いらっしゃいませ。注文がお決まりでしょうか」
「この店を切り盛りしてるってスケルトンは?」
「店長は現在席を外しておりますが……」
「ふーん。だったら呼んでくれよ。こいつ、スケルトンもイケるかもしんねえ変態だから会いたいんだって」
「うっせーな」
下卑た笑い声を上げながら、背が低いほうの男は「けど一回見てみたいんだよな」と言葉を続ける。
短く切った青紫色の髪と薄いピンク色の瞳、やや浅黒い肌。タンクトップに類する白いインナーの上に羽織った派手な柄の半袖シャツ。外見や衣服よりも、言動からヤンチャそうな印象を受ける男二人は、顔と体格の違いはあれ、似たような容貌をしていた。ミオが元居た世界では女性の間で『双子コーデ』なるものが流行っていたが、それの男性版とでも呼ぶべきだろうか。髪色から衣服まで統一した彼らを適切に呼び分けるとすれば「背の高いほうと低いほう」か「スケルトンに興味がないほうとあるほう」、もしくは「声の低いほうと若干高いほう」しかない。
「そういうわけだからさあ、店長呼んでくれよ。いいだろ?」
背が高くてスケルトンには興味がなく声の低い男――男・一は、にやにやと笑いながら尋ね、言葉を続けた。「俺だったらスケルトンよりお兄さんのほうがまだいいけどな」と。
(マジでなんだこいつ。今すぐ消えてくれ)
ミオは内心ドン引きした。――好みのタイプに引いたわけではない。クロスやミオを面白半分で〝そういう対象〟にした挙句、自分の思い通りにしようとしていることに引いたのだ。
たとえどのような指向を持っていようと、誰かに迷惑を掛けない限り自由だとミオは考えている。しかし、男・一と男・二は違う。本人にとっては笑える冗談のつもりかもしれないが、現在進行形で迷惑を掛け、その上ミオを不快な気分にさせたのだ。客としても一個人としても決して許されることではない。
男二人に神罰を与えたい気持ちで一杯になったミオは、「確認いたしますので少々お待ちください」と一礼してからカウンター内に戻った。どんな些細なことでも独断しないとクロスに約束していたのだ。
壁に備え付けられた電話で二階に内線を掛け、クロスが出るのを待つ。――クロスは、十コールも経たないうちに電話に出た。
《ミオ? 何かあった?》
「店長を呼んでほしいって言ってる初来店の客――様が来てます」
《え?》
小声で伝えると、受話器の向こうのクロスは面食らったような声を出した。何かあったら連絡するよう伝えていたクロスも、初来店で自分を呼びつける客が現れるとは思っていなかったのだろう。
男たちの様子をちらりと窺ったミオは、小声のまま事の顛末を伝えた。流石に手を出してくるとは思わないが、かなり面倒そうな客であるとも。
《――分かった。最悪の事態に備えて対策をとるよ》
すぐに事態を呑み込んだクロスは、何かの対策をとると告げ、ミオに指示を与えた。
《それが終わったらすぐ行くから、もう少し待ってもらえるよう伝えてくれる? お客様として、ね》
「……大丈夫。ちゃんとやるから」
喫茶・ノードはクロスの店で、ミオの新しい居場所だ。内心神罰を与えてやりたいと思っていても、最低限店員として振る舞うことは出来る。
まだ提供していなかったサービスの水とおしぼりを提供がてら店長が来ることを伝えたミオはカウンターに戻った。極力男たちの姿を視界に入れないよう努めながらゆっくり息を吐き、クロスが現れるのを待つ。
エプロン姿のクロスがカウンター内のドアから姿を現したのは、通話を切ってから数分後のことだ。
ミオに向かって軽く頷いてみせたクロスがカウンターを出て四人掛けテーブルに向かう。
クロスの登場に気付いた男・一は「おい来たぞ!」と男・二に声を掛けた。メニューを眺めていた男・二は「うお!」と声を上げ、エプロン姿のクロスに視線を向けた。
「お客様、大変お待たせして申し訳ございません。当店の店長を務めております、クロスと申します」
謝罪と自己紹介をして、クロスは深々と頭を下げる。本当に申し訳ないと思っているような丁寧な所作だった。
「うわ、マジで本物のスケルトンだ! しかも礼儀正しー!」
店長として相応しい対応をしたクロスを見てげらげら笑った男・二がねっとりとした眼差しでクロスを上から下までチェックする。
そんな男・二の様子を見た男・一は下卑た笑みを浮かべながら「で?」と尋ねた。
「どうなんだよ? イケそうなのか?」
「ああ、思ってた以上にイケそうだわ。骨も声も綺麗だし?」
「マジかよ! お前本当変態だな」
男・二とクロスに目を遣って、男・一は大笑いした。男・二も「だからうっせーって」と言いながらにやにや笑う。
一方、クロスは酷い扱いを受けているにもかかわらず不快さの欠片も示さずテーブルの傍に控えていた。勿論、スケルトンであるクロスは嫌そうな声でも発さない限り初対面の相手に感情が伝わることなどないのだが、ミオから見ても感情の揺れというものが感じられなかった。寧ろ、柔和な微笑みを湛えているようにすら思えたくらいだ。
「――お客様、私に何のご用でしょうか?」
静かに、クロスは尋ねる。ミオだったら絶対出せないような優しい声だった。
「そうそう、聞いてくれよマスター。こいつヒュノマなのにスケルトンもオッケーなド変態でさあ。可哀想だから隣に座ってやってくれよ」
男・二の隣を指し示しながら、男・一が提案した。荷物らしい荷物もなく二人掛けのテーブルだって空いているのに普通四人掛けテーブルには座らないだろうとミオは思っていたが、クロスとの相席を求める為にそうしていたらしい。
「申し訳ございません。当店は喫茶店で、指名制の店ではありませんので……」
「そんなカタイこと言うなよ。……あ、じゃあさー、指名料上乗せするから。これなら問題ないだろ? マスターだって仕事してるより俺らと話してるほうが楽しいだろうし」
へらへらと笑い、頬杖をついた男・二が提案する。――何様だよ消え失せろ、と呟きかけたのはミオで、クロスは依然態度を変えることなく「申し訳ございません……」と謝るだけだ。
「マスターはおカタイなー。でもそういうとこが逆にそそるか……。ってかさー、服着てるけどスケルトンに羞恥心とかあるの? 見られて困るとこないじゃん」
「――わっ」
「『わっ』だって! かわいー!」
何の前触れもなくエプロンのポケットを引っ張った男・二に、クロスの口から無防備な声が漏れる。
その声を聞いた男・二は薄ピンクの目を細めて笑った。店主としての対応を崩せて嬉しかったのだろう。男・二とのやりとりを眺めていた男・一も「確かに意外とイケるかも」と呟いている。
「てめえ――」
よくもクロスにちょっかい出しやがったな。
怒りのあまり店員としての対応を忘れ、ミオは口汚く罵りながらカウンターを出ようとする。
しかし、ミオの悪態がクロスや男二人に届くことはなかった。
――ミオが発した言葉を遮るようなけたたましい音で、ドアベルが鳴ったのである。