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異世界交差地点喫茶・スケルトン  作者: 眠理葉ねむり
第一部
21/22

21:追憶-6 取り除かんとする者(後編)

 嫌な予感が具体的な形として現れたのは、クロウが声を掛けてから二日後の金曜。午後四時頃のことだった。


『――すみません。「弊社の捨て駒」の知人の方ですか?』


 クロウがメモリアワールドにログインした直後、それ(、、)は唐突に送られてきた。他ならぬ彼のアカウントから。


 もしも二日以上前にこのメッセージを送られていれば、あまり面白くない冗談だと思ったかもしれない。

 だが、今は状況が違う。

 クロウには、このメッセージを書いたのが彼以外の人間である確信があった。


 ――この三日間、彼は一度もログアウトしなかったのだから。


『そうですが、あなたは?』

『「弊社の捨て駒」の兄です。数日前に声を掛けてくださっていたようなので、ご連絡したほうが良いかと思いまして。今そちらに向かいます』


 彼の兄だと名乗る人物はクロウに劣らないタイピングの速さで文章を打ち込むと、言葉通りクロウがいる場所へと移動した。MMORPGのチャット機能についても理解しているようだし、ある程度ゲーム慣れしている人物のようだ。


 彼が何を伝えるつもりなのか、クロウには見当がついていた。――見当はついているのに、知りたくないと思った。このまま知らずにいるほうが幸せだと。



『――弟は、三日前に亡くなりました』



 知らずにいたかったのに、兄を名乗る人物は容赦なく現実を告げた。

 彼が――ポーンが、既に亡くなっているという現実を。


 彼の兄によると、ポーンは二日前の朝に自室のパソコン前で倒れているところを彼に発見されたのだという。死因は心臓発作で、推定死亡時刻は明け方。クロウが声を掛けた時点で既に亡くなっており、予見しようのない急死だったそうだ。


『見つけた時は気が動転していて……パソコンが付きっぱなしになっているのは知っていたのですが、ショックが大きかったのと諸手続きに追われていたのとで三日もそのままに……』

『……そうでしたか』


 クロウはそれだけ打ち込んで黙り込んだ。彼に何を言えば良いのか分からなかったし、想像していたよりも冷静でいる自分に動揺して頭と心が訳の分からない状態になっていた。


『――オンラインゲームで遊んでいることは弟から聞いていました』


 クロウが押し黙ったことで出来てしまった()を打ち消すように、彼は話し掛ける。


『プレイヤーネームの通り、弟は会社の捨て駒だったんです。弟が勤めていた会社は所謂ブラック企業で、元来生真面目で人付き合いが苦手な弟は誰かに相談することも辞めることも出来ず働き続けて……半年前、心を病んで出社出来なくなりました』


 彼の話によると、ポーンがメモリアワールドをプレイし始めたのは丁度クロウがソロプレイを始めた頃だったようだ。

 ポーンが心を病んでいることに気付いた家族は労働基準監督署に連絡を取るなど適切な処置を施してから彼を退職させ、アパートから実家に呼び戻した。


 それから三か月後、僅かながら気力を取り戻したポーンはメモリアワールドのプレイを開始した。学生の頃に別のMMORPGをプレイしていて、MMORPG特有の雰囲気や就職前の自分が懐かしくなったのだそうだ。


 そして、ポーンはクロウに出会う。


 クロウにとってポーンとの協力プレイが楽しいものであったように、ポーンにとってもクロウと過ごす時間は楽しいものだった。自虐的なプレイヤーネームを付け、平日の昼間からログインしている自分について何も聞かないでいてくれるクロウは捨て駒にされた自分を哀れまない数少ない存在で、ただそれだけのことがどうしようもなく救いになったのだ。


 クロウと出会ってからのポーンは少しずつ明るくなり、元々実家で暮らしていた兄とも頻繁に話すようになった。メモリアワールドのことを話すこともあり、クロウの名前こそ出さなかったものの、ゲーム内で友達が出来たのだと楽しそうに言っていたそうだ。


 クロウと出会って二か月が経った頃、ポーンは新たなスキルを習得する為に勉強をしたり公共職業安定所(ハローワーク)に通い始めたりするようになった。ブラック企業に対する深いトラウマを抱えていたポーンにとって、にわかには信じられないほど前向きな行動だった。


『弟が亡くなる数日前、弟は言っていました。就職活動が実を結んだら今までの経緯を話したい、プレイ時間が減ってレベル差が開くかもしれないけど、それでも良ければ今まで通り時々一緒に遊んでほしいって』


 チャット画面に表示された文章に、クロウは知らず知らず息を吞む。


 ポーンのプレイ時間が減ったのは新たな人生を歩む為。

 クロウがポーンによって変わったように、前向きな方向に変化したが為だったのだ。


『結局、弟は急逝して再就職は叶いませんでしたが……この数か月間、弟が前向きに過ごせたのはクロウさんのおかげです。弟を助けてくださってありがとうございます』

『いえ……助けられたのは僕のほうなので』


 そう返信した直後、目頭が熱くなった。あれ、と目を瞬かせた途端、視界が滲む。


 ――クロウがポーンを助けたのではない。ポーンがクロウを助けたのだ。

 見て見ぬふりをして通り過ぎても良かったのに――何の見返りも助ける義理なかったのに、ポーンは戦闘不能になる危険を冒してまでクロウに加勢した。クロウにはそれが嬉しかったのだ。自分が思っていたよりもずっと。


(……伝えるべきだったのに)


 助けてもらえて嬉しかったこと、協力プレイが楽しいこと、他人に興味を持てないのにポーンがいなくなるのではと恐れたこと。――こんな自分でも良ければ友達になってほしいと思っていたことを、率直に伝えるべきだった。二度と会えなくなる前に。


 ポーンの兄から装備品の一部を受け取ったクロウは、《弊社の捨て駒(ポーン)》にとって最期のログアウトを見届けたあともその場に留まり続けていた。


 クロウは――烏丸(からすま)賢人(けんと)は、他人に興味を持てない人間だ。ポーンの場合はごく限られた例外で、今後の人生、ポーンのように友人になりたいと思う者が現れる保証はどこにもない。

 それでも。

 ――それでも、これまで避け続けていた対人問題に向き合いたいと思った。ポーンのように前に進む努力をしたいと。

 そして、もしも出来るなら誰かの力になりたいと思った。ポーンがクロウを助けたように、今後出会う誰かの力になりたいと。



 賢人の想いが具現化したのは、メモリアワールドをログアウトした直後のことだった。

 〝神様〟の手によって異世界交差地点に転移させられ、治癒(ヒール)修復(レストア)のスキルを授けられたのだ。


 悪趣味な神様が自分のことをどこまで知った上で回復系のスキルを授けたのかは分からないし、興味もない。だが、抵抗する術がない以上、与えられた能力と機会を利用するしかない。神様の要求を受け入れた賢人は『ポーンに助けられたクロウ』として生きることを決め、新たな人生の為にスキルの練習に励んだ。


 真面目な反復練習の甲斐あって二種類あるスキルのうち基礎的な術を無事習得したクロウだったが、生まれ持った性質を変えることは容易ではない。共同生活を余儀なくされた結菜やクロスに興味を持つことはおろか、本心から人助けを行おうとしているクロスの心境を理解することも叶わなかった。

 理解が及ばずともスキルを使えば誰かの力になることは出来るかもしれない。だが、形を真似ただけの行為を「前に進む努力をしている」と言って良いのか微妙なところだろう。


「――他人に興味を持てないかもしれないけど」


 自分にはやはり無理なのか。

 クロウが諦めかけた時、クロスが口を開いた。


「それでも人助けは出来ると思うよ」

「……なんでそう思うわけ?」

「なんでって……相手に興味を持っていてもいなくても、人助けは人助けでしょう」


 眉を顰めて尋ねたクロウに、クロスは首を傾げて答えた。


「クロウは僕じゃない。だから誰かに手を差し伸べる理由が違ったっていいんじゃないかな」

「……クロスはそう思うかもしれないけど、世間では僕みたいなのを偽善者って言うんだ」

「まあ、それはそうかもしれないけど……」


 偽善者だという言葉を、クロスは否定しなかった。その上で、「でも」と言葉を続ける。――「偽善(それ)じゃいけないの?」と。


「分類上は偽善になるのかもしれない。だけど、クロウに助けてもらった人は感謝するんじゃないかな。偽善だろうと何だろうと、助けてもらった事実は変わらないんだから」

「…………」

「それに、クロウは〝誰かを助けるなら真心が伴ってなきゃ〟って思ってるみたいだけど、誰かの力になれた人全員がそうだったわけじゃないと思うんだ。たまたま精神的に余裕があって声を掛けたとか、困ってる人が自分と重なって見えたとか……心に引っかかる何かを取り除く為に行動を起こしただけかもしれないよ」


 心に引っかかる何かを取り除く為。

 その言葉に、クロウはポーンと出会った時のことを思い出す。

 ――高レベルエネミーに囲まれ、その場を凌ぐことしか出来ない戦闘不能寸前のプレイヤー。ダンジョンの深部で為す術もなく袋叩きに遭っているクロウの姿は、数か月前の自分と重なって見えたのかもしれない。


「……クロスを作ったのは僕たちなのに、僕たち以上に悟らないでよね」


 クロスの説明を聞いた今尚、クロウは『ポーンがクロウを助けたのは彼の人柄が良かったから』だと信じている。それでも、『真心がなくても人助けは出来る』というクロスの言い分はあながち間違いではないと認めるだけの余裕が出来ていた。



  ✦✦



「ありがとうございました」


 ドア上部に取り付けたドアベルが軽やかに鳴る正午過ぎ。

 喫茶・ノードを出たクロウは向かって右側方向へと歩き出す。まっすぐ伸びる石畳の先には白い霧が立ち込めており、向こう側は依然として見えない。


 霧の直前まで一歩も振り返ることなく歩いたクロウは、不意に立ち止まると後ろを向き――ふうと息を吐いた。


「別に見送らなくていいのに」

「ごめん。寂しくて……」


 クロウの言葉に、二歩後ろをついてきていた人物――クロスは、申し訳なさそうに答えた。見送りは求められていなかったのだが、クロウの旅立ちが寂しくてついてきてしまったのだ。


「……寂しいと思うのはそっちの勝手だから別にいいけど」


 無言でついてくるのはやめてよねと言ったクロウに、クロスはもう一度「ごめん」と謝罪する。どうやらクロウが想像しているより寂しがっているようで、謝る声には普段よりも力が籠もっていなかった。――それでもこの地に留まり続けるのだから、心優しいスケルトンも楽ではない。


 それきり会話は途絶え、二人の間に沈黙が落ちる。結菜は別れの挨拶をしていたが、クロウの場合は特に話したいこともない――というよりも「何を話したら良いのか分からない」というのが本音だった。


 クロウにとってのクロスは〝特別であって特別でない〟という複雑な立ち位置のスケルトンだ。その他大勢と同じく興味は持てないが、世間一般的に見てまとも(、、、)ではない自分を受け入れた上で「それでも人助けは出来る」と未来を示してくれたことには――口にはしないものの――感謝している。だからこそ、何を話せば良いのか分からなかったのだ。


 会話を見つけられないクロウが黙っていると、クロスは不意に腕を広げた。結菜がハグを求めたからか、それとも「会話がないならせめて」と思ったからなのかは分からないが、お別れのハグを求めているようだ。


 まさか自分にハグを求めるとは。想定外の行動に驚いたクロウが目を丸くしていると、クロスは表情がないなりにハッとした様子を見せた。


「――もしかしてセクハラになる?」


 恐る恐ると言った様子で、クロスは尋ねる。クロウの反応を見て「ハグを嫌がっている」と思ったのだろう。


「どっちも男でしょ」

「同性でも嫌だって感じたらセクハラだよ」


 思わず苦笑を浮かべて答えたクロウに、クロスは至って真剣な面持ちで――そう見えるような雰囲気を纏って――正論を告げる。ごく最近実体化したばかりのスケルトンだからか、その価値観はしっかりアップデートされているようだ。


「その辺の人間よりモラルのあるスケルトン……」


 スケルトンらしからぬスケルトンとして実体化したのは自分たちだが、クロスの徹底ぶりを見ていると「とんでもないものを実体化してしまった」と思わざるを得ない。自分が創ったAIが人間以上に立派で素晴らしい存在になる様を目の当たりにしたような、そんな感じだ。


 もしも自分が〝神様〟に匹敵する能力を得たとしても、生命体を創造したいなんて絶対に思わない……。内心そんなことを考えながら、クロウはモラルあるスケルトンをそっとハグした。骨だけの身体はクロウが想像していたよりもずっとしっかりしていて、服を着用して尚人間とは違う硬質な感触ながら嫌な感じはしない。


「……もう行くから」

「うん……分かった」


 名残惜しげな声を出したクロスは「僕を実体化してくれてありがとう」と優しい声で言い、そっと身体を離した。元・非実在スケルトンにとっては、たとえ自分に興味を持ってくれない人間であっても〝自分を実体化してくれたかけがえのない人間〟なのだろう。カルガモの刷り込みのようなものだ。


「それじゃあクロウ、行ってらっしゃい。気を付けてね」

「…………」

「クロウ?」

「――<オート・リジェネレイト>」


 クロスの胸部付近に右手を翳し、クロウはスキルを発動させる。


 オート・リジェネレイト――。対象が一定以上の怪我を負った際、一度だけ自動的に傷を治癒・修復するそれは、喫茶・ノードの建物に使用した〝自動修復〟を応用して創り出した固有技術である。


 クロウに授けられた回復スキルは治癒(ヒール)修復(レストア)の二種類。前者は生物に、後者は無生物に使用するスキルだ。

 しかし、だ。――不死者(アンデッド)であるクロスの怪我を治す場合、どちらを使用するのが正解なのだろうと、クロウはふと思った。クロスから「練習台にしていい」と申し出があった直後のことだった。


 いくら痛覚がないとはいえ、自我のある者(クロス)を練習台にすることはクロウの倫理に反する。だが、実際にスキルを使用しないことにはどちらが適しているのか分からない。

 どうすれば良いか考えていたクロウは、一つの結論に辿り着いた。――分からないのなら確実に効果を発揮するスキルを創ってしまえばいい、と。


 地道な練習と研究の末、クロウは治癒(ヒール)修復(レストア)スキルを融合させた固有技術を会得した。そのうちの一つが<オート・リジェネレイト>だ。


「……大怪我した時一回だけ治してくれる魔法を掛けておいたけど、だからって無茶しないでよ。クロスを治せるスキル持ちなんてしばらく見つからないだろうから」


 何の魔法を掛けられたのかと不思議がっているスケルトンの顔を見ないように俯きながら説明したクロウは霧の中へと進もうとした。が、出来なかった。物言わぬスケルトンに、ぎゅっと抱きしめられたから。


「ありがとう、クロウ。気を付けるよ」

「……別にお礼を言われる筋合いはないけど」

「でも、僕は嬉しいから」


 感極まったようなスケルトンから努めて目を逸らし、クロウは唇を固く結ぶ。

 クロウがスキルを発動させたのは〝心に引っかかった何か〟を取り除きたかったから。それだけだ。

 ただ――〝心に引っかかった何か〟を取り除いただけの行為を「人助け」と呼ぶのは、クロスの勝手だ。


「ねえ」

「……何? いい加減離してほしいんだけど」

「いつか喫茶・ノードにお客さんが来て、知り合いが出来たら――クロウのこと、大事な友達だって紹介してもいいかな」

「……勝手にしたら」


 クロスが自分のことを何と紹介しようと、自分には関係のないことだ。好きにすればいい。

 素っ気なく答えたクロウに、クロスは弾んだ声で「そうする」と答えて身体を離した。


「じゃあ……またいつか」

「……約束はしない」


 もう二度と戻ってこないかもしれないと暗に示しながら、クロウはクロスに背を向ける。中途半端なことを言って気を持たせるよりずっと良いだろう。――クロスのことだから、クロウが何と言おうと勝手に待っているだろうが。


 そんなクロウの予想は当たっていたらしい。身体の前面部が白い霧に包まれ始めた時、背後から「僕が待つのは勝手だから、勝手にするよ」との声が聞こえてきた。嫌味を感じさせない、明るい声だった。


(……まあ、気が向いたら帰ってもいいけど)


 いつかすべてを成し遂げた時、気が向いたら――クロウを勝手に待つスケルトンの存在が心に引っかかっていたら、オート・リジェネレイトを掛け直しがてら戻るのも悪くないかもしれない。


 そんなことを考えながら、クロウは一歩、二歩、と足を踏み出す。

 視界が白一色に呑み込まれる中、手を振るモーションをするポーンの姿が一瞬見えた気がした。





次回、第一部最終話です。

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