11:「らしくない」お客様
ドアベルというものは、どうにも苦手だ。
ドアハンドルが二つ取り付けられた扉を見つめ、カインはふうとため息を吐いた。
カインにとって、異世界交差地点に居を構える喫茶・ノードはお気に入りの喫茶店だった。店主のスケルトンは感じがいいし、母国では浮いてしまうカインを見ても表情一つ変えない。――スケルトンだから表情が変えられないのは当然として、不審者扱いするわけでも腫物扱いするわけでもない対応がカインには有難かったのだ。
ある一点を除けば、カインはごく一般的な男だ。首筋の辺りで纏めた色味の明るい銀髪もグレーの瞳も母国ではまったく珍しいものではないし、顔立ちは母国基準で可もなく不可もなく、薄手のシャツの上に羽織った明るいグレーのカーディガンこそ女物ながら、そうと言われなければ分からないほどカインに馴染んでいる。
――りりん。
上側のドアハンドルを握り、そっと開けると、ドア上部のドアベルは遠慮がちに鳴った。直後、カウンターの中にいた店主が「いらっしゃいませ」といつも通りの挨拶をする。
カインはスケルトンという生き物があまり得意ではないが、『笑顔のマーク』が書かれた木札を掲げている姿は微笑ましいと思う。もしも彼がカインのように表情を持ち得たら、きっと柔和に微笑んでいるのだろう。
口元を僅かに緩めたカインは入り口付近で立ち止まり、店内を見回す。――喫茶・ノードは相も変わらず閑古鳥が鳴いている状態で、自分以外の客はいない。つまり、どの席にも座れるということだ。
(どうしようかな……)
普通、座席を自由に選べる状態というのは喜ばしいことだ。しかし、カインのように優柔不断な者にとっては「選択肢が多い中、自分の意思だけで決定しなければならない」ということに繋がり、ちょっとしたストレスになる。
迷った末、カインはカウンター席の端に腰掛けた。これまで二人掛けのテーブル席にしか座ったことがなかったから、少し冒険してみたのだ。
内心どきどきしながらサービスの水とおしぼりを受け取り、メニュー表をチェックする。飲み物はホットティーに決めているものの、来店目的の一つであるデザートをどれにするかはまだ決めていない。
メニュー表をぱらぱらと捲っていたカインは、前回の来店時にはなかった料理が追加されていることに気付いた。『プレーンワッフル(バニラアイス付き)』という名のそれはほんのり甘い生地を凸凹に焼くデザートらしく、提供されるメープルシロップをお好みで掛けて食べてほしいとの説明文が併記されている。
食べたことのないデザートだが、この説明文を見る限りなかなか美味しそうだ。一人頷いたカインは手を挙げて店主を呼び、ホットティーとワッフルを注文した。店主はいつも通り丁寧に返事をしてカウンターへ戻り、ホットティーを準備する。
自分以外の客がいない店というのは気楽な反面、何となく落ち着かない気分になるものだ。しかし、喫茶・ノードにいる時は違う。まだ五回しか来店したことがないのに、まるで十数年通った店のような心地良さを感じずにはいられない。
そう感じるのはきっと、表情の変わらない店主が若干の親しみを見せながらも決して干渉せず、母国では白い目で見られる状態のカインを優しく許容しているからなのだろう。店主がそこにいても〝見張られている〟と感じないからリラックス出来るのだ。
そんなことを考えているカインのもとにホットティーが運ばれ、それから数分後に件のワッフルが運ばれた。
プレーンワッフルは、想像していた以上に美味しそうなデザートだった。やや大きめの皿の中央にワッフルが二枚、端にはバニラアイスが載せられており、甘い匂いがほんのり漂っている。凸凹ながら厚めの生地にデザートナイフを入れると、焼き立てのワッフルは、サク、と軽い音を立てて切れた。
(――美味しい!)
一口大に切ったワッフルにバニラアイスを添えて食べたカインは、温かさと冷たさが交じった味わいにグレーの目を細めた。ワッフル自体があまり甘くない為にバニラアイスと一緒に食べても味がくどすぎず、実に美味しい。
今度はメープルシロップを掛けて食べてみよう――。内心うきうきしたカインがホットティーを飲んでいると、背後でドアベルが鳴った。どうやら客らしく、カウンター内の店主が「いらっしゃいませ」と木札を顔の横に掲げている。
「わー! ほんとにスケルトンだ! スケルトンのカフェとか凄いレア!」
弾んだ声で言った来店客の女に、店主は気を悪くした様子もなく「よく言われます」と穏やかな声で答えた。きっと普段から心無いことを言われて苦労しているのだろう。表の立て看板に『スケルトンが経営しています』と書いてあるのは一見客を驚かせない為だけではないはずだ。
店主の苦労を想像してしんみりとしたカインがワッフルにメープルシロップを掛けていると、来店客の女はカウンター席に座った。カインから見て二つ隣の席だ。
(気まずい……)
せめてもう少し離れた席に座ってくれればいいのに、微妙に近い席のせいで気が気ではない。
一方、女のほうはカインが気まずい思いをしていることなど一切気付いていない様子でメニュー表を見ていた。
一席空けて座った彼女は若く、座っていてもそうと分かるほど背の高い女だった。赤紫が交じったアッシュグレーの髪はベリーショートとかなり短く、肌は少し日に焼けたような色で、合間から覗く耳は一般的な人間種のものより尖っている。両のこめかみからはくるんと曲がったツノが、背中からは天鼠のような黒い翼が生えており、カインが知っている悪魔に似た容貌をしていた。ただ、服装は現代的で、所謂半袖Tシャツにショートパンツとカインが住む世界でも普段着として着用しているものにかなり近い。右腕に付けた腕時計もカインが知っているものと殆ど変わらないし、容姿こそ一部違うものの、案外隣接した世界の出身なのだろうか。
「すみませーん!」
注文が決まったのか、彼女は手を挙げながら店主を呼んだ。誰かを呼ぶことに抵抗を感じないタイプなのか、躊躇う様子が一切ない。
「えーっと、ノード特製ピザトースト一つと若蛙の唐揚げ一つ、ハムとチーズのホットサンド一つにフライドポテト一つ。あとホットティー一つお願いします!」
一人で食べるとは思えない注文量に、カインは思わず彼女のほうを見た。確かに背は高いが、そこまで大食いであるようには見えない。
「かしこまりました。――よろしければ一品ずつお持ちいたしましょうか?」
驚くカインとは違い、店主は特に驚く様子もなくオーダーを確認し、その上で店員らしい気遣いを見せた。こんな場所で喫茶店を経営しているだけあって外見からは考えられないほど肝が据わっているのだろうか。勿論肝はないが……。
「うーん、そうねえ……二つずつ持ってきてもらえます? 順番は気にしないんで」
「承知いたしました。それでは少々お待ちくださいませ」
礼儀正しく一礼した店主がカウンターへ戻り、ピザトーストとホットサンドを準備してからホットティーを入れる。品目数が多い上に地味に手間が掛かりそうなメニューだから店主の手腕が問われそうだ。
そういえば、今日は黒髪の店員がいない。単に休みなのか、それとも客が少なすぎて給料が払えず辞めさせざるを得なかったのか……。どちらかは分からないにせよ、こういう時こそ彼の手を借りたいところだろう。
心配になったカインはワッフルを食べながら様子を窺っていたが、店主は実に手際良く調理を行っていた。一人で切り盛りすることに慣れているようで、動きに無駄がない。慌てている様子もなさそうだ。
「お待たせいたしました。ノード特製ピザトーストとホットサンド、ホットティーでございます」
「わ、美味しそう!」
左程待たされることなく運ばれてきた料理に、彼女は明るい笑みを浮かべた。直後、店主に「手間掛けてごめんねえ」と謝罪する。
「あたし燃費悪くて沢山食べなきゃいけないの」
「とんでもございません。店員として当然のことですので、どうかお気になさらず」
謝罪した彼女に、店主は優しく謙虚に答え、一礼した。骸骨の顔に変化はないものの、カインには微笑んでいるように見える。
このご時世信じられないくらい優しい世界だ。アツアツのピザトーストを頬張って「美味しい」と笑う彼女を視界の端に入れたカインは心穏やかにホットティーを口にした。料理は美味しいし、店主は良いスケルトンだし、他の来店客も出身世界は違えどそれなりに礼儀正しい。
「――あっ!」
今後も定期的に訪れよう。そして『スイーツ男子』だとか何だとか余計なことを言われることなく甘いものを食べよう――。そんなことを考えていたカインの耳に、驚く彼女の声が届いた。その声に思わず彼女のほうを見ると――琥珀色の目は何故か、カインを見つめている。
「お兄さんのアイシャドウ、髪色に合ってて綺麗!」
「あ……」
彼女の視線が自らの目元に注がれていることに気付き、カインは咄嗟に顔を背ける。
その様子を見て、彼女はハッと気付いたように「ごめんなさい」と謝った。「嫌だった?」とも。
もう少し考えてから物を言ったほうがいい。内心そう思ったカインだったが、沈黙ののち「別に嫌じゃないですけど」と返事をした。彼女に悪気がないだろうことはカインにも分かっていたし、素直過ぎるきらいのある彼女の人間性を――人間かどうかは分からないにしろ、憎からず思っていたからだ。
「……男が化粧するのはおかしい世界に住んでるので、そういう話はあんまり……したことがなくて」
だからどう反応していいか分からず警戒してしまったのだと、ぼそぼそと答える。
二重の目に塗った、髪色に合わせた明るいシルバーのアイシャドウ。髪色よりやや暗い色合いの睫毛を美しく見せる為のマスカラと、色白い肌に似合う青みピンクのチーク、ややラフに引いた色付きの薄いルージュ。
カインは男だ。心と身体の性別は一致しているし、女という性別に憧れているわけでもない。
ただ、カインは自身の顔に化粧を施している。化粧がしたいと――自分の顔に化粧を施したいと、物心ついた頃から思っていたから。
化粧が持つ意味は各人によって変わる。ある者にとっては違う自分に変身する為の行為であっても、別の者にとっては社会的ルールで渋々行っている義務でしかないこともあるだろう。
カインにとっての化粧は、自分を一層好きになる為の行為だった。
化粧を施さない自分より化粧を施している自分のほうが好きで、化粧自体も楽しいから苦ではない。だから化粧をする……。ただそれだけだ。そこに性別は関係なく、誰かの為に行っている行為でもない。
だが、カインの母国は男のカインが化粧することを良しとしなかった。芸能関係者や女装を売りにしている者などを除いた「商売柄化粧を必要としない男」が化粧を施すのは〝普通ではない〟と――普通ではない気持ち悪い男だから社会から除外しても良いのだと、そういう風潮を作り上げたのだ。
勿論、化粧をしているだけで差別を受けることはない。カインの母国は建前上差別を許さない国だから、化粧をしているから村八分扱いされるということはない。
それでも、化粧をした状態で出歩けば老若男女から白い目で見られ、ひとたび店に入れば怪訝な顔をされて「不審な客」のブラックリストに入れられる。でも、仕方がない。男なのに化粧をしているカインが悪いのだから。
「へえ……やっぱりどこの世界でもそういうことあるんだねえ」
ピザトーストを平らげ、ホットサンドを食べ始めた彼女は頷きながら答えた。どうやら彼女の出身世界でも似たような風潮はあるらしい。
「……貴方の国でも男は化粧しないんですか」
「うーん、そうねえ。テレビに出てる芸能人とか女装家の人はしてても何も言われないけど、そうじゃない男の人がしてたらひそひそ言われる感じ?」
「ああ……やっぱりそうなんですね」
彼女の服装から隣接した世界なのではと考えていたが、その考えは当たっていたようだ。隣接した世界は〝同一世界がある時点で分岐したもの〟と考えられており、事実、カインが暮らす世界に隣接する世界では文明や言語の類似が認められている。〝化粧は女のもの〟という文化や服装に類似点がある以上、カインが住む世界と彼女の出身世界は隣接世界と考えるのが妥当だろう。
「……でも、それなら化粧している私を気持ち悪いと思うんじゃないですか?」
「あたしはそういうの気にしないの。誰かに迷惑を掛けてるわけでもないし、それにあたしも生まれた国じゃそれなりにイレギュラーだったから」
あははと笑いながら、彼女はホットサンドを食べ終えた。直後、カウンターに控えていた店主が空の皿を下げ、程なくして若蛙の唐揚げとフライドポテトを彼女のもとに運ぶ。どちらも揚げたてで美味しそうだ。
「これも美味しそう! マスター、ありがとう。――あなたもどうぞ」
「どうも……あ、美味しい」
自身のほうに寄せられたフライドポテトを一つ貰い、セットのケチャップに付けて食べる。――フライドポテトは左程好きではなかったが、なかなか美味しかった。次回はデザートの前にフライドポテトというのもありかもしれない。
「あたしもさあ、生まれた国では散々言われてたの」
衣少なめながらカリカリの唐揚げを頬張り、彼女はふうとため息を吐く。今まで気付かなかったが、愁いを帯びた横顔が実に美しかった。
「成人した女の子は他人の前に出る時必ず化粧してないといけないとか、不必要に肌を露出しちゃいけないとか、でも最新のファッションを取り入れなきゃいけないとか、早く嫁いで旦那さんを支えつつ子供を産んで納税しなきゃいけないとか……。色々うるさくてさあ。それに、あたしみたいに跳ねっ返りで背が高くて大食いの女は可愛くないからダメだって言うの。だから成人して早々国を捨てて全然違う世界に行っちゃった。強要されるのだいっきらいだから。ついでに移住先の国に帰化して種族も変えちゃったの」
仕方ないよね。そう言葉を続けた彼女は唐揚げを立て続けに食べ、フライドポテトに手を伸ばした。ケチャップはあまり好きではないのか、ポテトの塩味を楽しんでいる。
(――眩しい)
何でもないことのように言う彼女に、カインは思わず目を細めた。
カインは、母国があまり好きではなかった。自分が生まれた国だからそれなりの愛着はあったが、性別という自分ではどうしようもない要素だけで〝常識〟を作る在り方だけは受け入れられなかったのだ。
だが――カインは、何もしなかった。母国の風潮が嫌いだと思いながら変革を促すことも変革のリーダーになることもせず、肩身の狭い思いをしながら生きているだけ。喫茶・ノードなら何も言われないからと化粧をして好物の甘い物を食べているだけだ。
それ比べて、彼女はどうだろう。自分らしく生きる為に自ら異世界へ移住し、果てには種族まで変えている。不満があっても何も出来なかったカインとは大違いだ。
「ねえ、マスター。今の私かっこいいでしょ?」
「ええ。とても素敵です」
「ありがとう! マスターもスケルトン一エプロンが似合うスケルトンだよ」
『笑顔のマーク』の木札を掲げながら答えた店主に、彼女は無邪気な笑みを浮かべて答えた。別種族として生まれ変わった〝今の自分〟を気に入っているのだろう。その笑顔はどこまでも明るく、自信に満ちている。
「――あなたもだよ、お兄さん」
「え?」
憧憬とも羨望ともつかない感情を抱いたカインに、微笑んだ彼女が告げる。「お兄さんもかっこいいよ」と。
「私は……」
格好良くなどないし、彼女に褒めてもらう資格もない。母国の風潮に抗うことも異世界に移住することも出来ない腰抜けなのだから。
「……貴方ともマスターとも違います」
「そんなことないと思うけどな」
「何故、そう思うのです?」
「だって、誰にも味方してもらえないのにお化粧してるじゃない」
カインの問いに、琥珀色の目を優しく細めた彼女が答える。
「お化粧でも何でも『あいつは自分たちと違うからダメだ』って不適合者の烙印を押されるのはすっごく苦しくてつらいことでしょ。だからみんな本当の自分を隠して周囲の基準に合わせちゃう。でも、お兄さんはこうやってお化粧してる。周りの人には理解されないかもしれないけど、本当の自分を大事にする為にお化粧してる。それってすっごく素敵でかっこいいことじゃない?」
ねえ、そうでしょ?
とびきり明るい笑顔で、彼女は笑う。
だから、カインはどうしようもなく泣きたい気持ちになった。泣いたら化粧が崩れてしまうのに。
「……あ、そろそろ戻らなきゃ」
「え?」
「実は外回り中なの。あんまり長い時間休憩取ってちゃ上司に怒られちゃう」
自らの腕時計に目を遣った彼女は「鬼上司なんだよねえ」と言い、残っていたフライドポテトを口の中に放り込んでいく。
まさかその格好で営業の仕事中とは……。目を丸くしたカインは、ふっと苦笑を浮かべた。『営業職はスーツでなければ』という固定観念に縛られている自分に気付いたのだ。
(――また会えるかな)
二杯目のホットティーを飲む彼女から目を逸らし、カインは心の中で呟く。
また会いたい。また会って、今度は彼女の話をもっと聞きたい。彼女が自ら選んだ国はどんな国なのか、どういう仕事をしているのか、名前はなんというのか……。彼女に聞いてみたいことが、沢山あった。
だが、カインには約束を取り付ける度胸がなかった。他人の目を気にしながら生きてきたカインは自分に自信がなく、自らの行いを拒絶されることを最も恐れていた。
カインが躊躇っている間に、彼女は料理を平らげてしまった。手を拭いた彼女は膝の上に抱えていたショルダーバッグを抱え、椅子を降りる。
言わなければ。今言わなければ二度と会えなくなるかもしれないのに、そう思えば思うほど緊張して声が出なくなる。
「あ、の……」
何とか振り絞った声は、自分でも信じられないほど小さく掠れていた。レジに向かおうとする彼女に聞こえたかどうかさえ定かではない。――やはり自分は格好良くなどない。
彼女は、何の反応もなくカインの傍を通りすぎて会計を始めた。やはり聞こえなかったのだろう。だが、今のカインに先程以上の声量が出せるとは思えない。
「――ねえ」
諦めたカインがワッフルに視線を落とした時、明るい声が飛んできた。次いで、会計を終えた彼女がカインのもとへと移動する。
「また会える?」
「え……」
何を言われたか分からなくて、カインはグレーの目を瞬かせる。――彼女から見た自分は随分と間抜けな顔をしていただろう。だが、カインにはそんなことを考える余裕すらなかった。
「女の子から聞いちゃダメってルールも、男の人が聞かなきゃいけないってルールもないはずでしょ。――会える?」
彼女の問いに、カインは声もなく頷いた。彼女があまりにも格好良くて言葉が出なかったのだ。
「良かった。あたしニーナ。あなたは?」
「……カイン」
何とか出るようになった、それでも自己紹介するには相応しくないほど小さな声で、カインは名乗る。
「カイン・セロフ……」
「オッケー、カインね。じゃあカイン、今度ここでごはん食べてから遊びに行こうよ。日付は……そうねえ、この日の正午はどう?」
そう言った彼女――ニーナは、ショルダーバッグから端末を取り出し、スケジュールソフトを立ち上げた。異なる世界間でも日付を簡単に確認出来る機能付きで、カインも使用したことがあるソフトだ。
示された日時に応じると、ニーナは「決まりね!」と言って慌ただしく端末をバッグにしまった。早く戻らないと鬼上司に叱られるのだろう。
「じゃあまたね、カイン。マスターも! ……あ、普段通りお化粧してきてよ!」
出入り口ドアの前で手を振ったニーナがふと思い出したように言う。「あたし化粧するのは嫌いだけど、化粧してる人を見るのは好きだから!」と。
りりん。ドアベルを軽やかに鳴らして、ニーナは喫茶・ノードをあとにする。
「確固たるものを持っておられる方は、とても魅力的ですね」
「……ええ、そうですね」
出入り口ドアを見つめながら言った店主に答え、カインは微笑んだ。
自分もそうなれたらと――少し時間は掛かるかもしれないけれどいつか必ずそうなりたいと、心の中で呟きながら。




