おまけ(イラストあり)
加純様が描いてくださったイラストへの御礼SSです!
エリザベスが王都からいなくなってしまった後の宰相様にスポットを当てています。
加純様、このたびはありがとうございましたm(_ _)m
城内のとある一室。
長机を縦に一列に繋げたその先、上座にて眼光鋭く参集者を伺っているのはこの国の宰相だ。
三十半ば、若くしてこれほどの重役に就く彼は、年齢故のエネルギッシュさと健やかさを有している。これに肩書にふさわしい貫禄と利発さ、リーダーシップまで備えているのだから、天は彼に二物どころか無数の才能を与えていることになる。しかも比類なき美貌まで有しているときたら、その存在自体が完璧といえるだろう。特にアメジストを彷彿させる切れ長の双眸には、男女問わず魅了する魔法でもこめられているかのようだった。
そんな彼であるが、自分の美貌にはあまり関心をもっていなかった。勤務中はその職位にふさわしく至極真面目でもある。だから彼に近しい人間であればあるほど、彼の瞳に見つめられると恐怖を覚えることになる――いろいろな意味で。
とにかく隙がないし、嘘が通用しない。
誇張もおべっかも通用しない。
それが彼という男だった。
当然色恋について問いかける隙もない。
これほどの人物であるからきっと素晴らしい恋人がいるのだろうと推測されてはいるが。
*
さて、そんな彼であるが、なぜかこの日はやや注意力散漫であった。誰も気づいてはいないが、時折ため息をついたりあらぬ方に視線をやったり。そしていつしかその目は現実の光景ではなく過去の想い出を映し出していた。
やがて眼鏡の奥で幾度も目をしばたきだした。
その仕草には困惑が見て取れる。
あの冷静沈着な彼が、である。
だが机を挟み論じ合う参集者らは彼の異変に気づいていない。
先程から熱のこもった意見を飛ばし合う様は彼の存在を忘れたかのようだ。
「そんなことを言っていては国民を守ることはできないではないか……!」
「誰もそんなことは言っておりませんぞ!」
左右にずらりと並ぶ各部署の重鎮、責任者らを彼は信じられない思いで眺めている。
だが彼の困惑する理由は参集者らの白熱する様にあるわけではなかった。
――幻聴が聴こえるのだ。
この場にふさわしくない幻聴が。
「百年後もこの国が栄えているためには今こそ……!」
『ひゃあっ』
(なんだんだ、一体?)
「ぶわっかもん! そんな夢物語など誰だって言えるわ……!」
『ふわあっ』
(どうしてこうも話の端々にあの娘の声が追従して聞こえるんだ?)
彼の混乱をよそに喧々諤々(けんけんがくがく)とした議論は続けられている。
「ですが保衛」
『ほえっ?』
「……についてはより多くの予算を求めます」
「しかしまだ先だっての疫病」
『やあっ』
「……で医療面により多くの予算が必要なのです!」
(私はおかしくなってしまったのか――?)
議論されている内容の半分も頭に入ってこない。
肘をついて組んだ両手に顎を載せる彼の視線が段々下がっていく。
「……!」
はっと、彼の顔が上がった。
エリザベス・ウォーレン。
その名が聞こえた気がしたからだ。
実年齢は二十二歳だというが、十六、七歳にしか見えない幼な顔が特徴的なあの娘。
一回り以上年下の、子供のようなあの娘の名前が。
ああ……でも。
あの緊張で身を震わせる様子も、すぐにどもって裏返る声も、涙目も。愛らしく首を傾ける仕草も。
ほんのりと肉がついた柔らかそうな二の腕も。
爽やかな石鹸の香りがするうなじも。
どれもそそられたことを流れるように思い出す。
キスされるのを待つエリザベスはとてもかわいそうだった。
けれど――とても可愛らしかった。
ああいう表情をする女は、あざとい。
信用するに足らない。
彼はずっとそう思っていた。
男をたくみに誘う方法を熟知しているがゆえのものであるからして騙されてはならない、と。
だがあの娘は違った。
あの娘には一切の汚れも打算も経験もなさそうだった。
少なくとも彼にはそう見えた。そう思えた。
自分のような高位の男を相手にして、相当怖かっただろうに。
あのような不埒なことをしたのも、させられたのも、初めてのことだったろうに。
なのに逃げだすことなく耐えているその姿が……かわいそうで、可愛らしくて。
(やはり私はおかしいのだろうか――?)
だがあの娘は……もういない。
その事実を知ったのは今日の昼前のことだった。
すでにメイドを辞し、王都から実家のある地方へと戻ってしまったらしい。しかもそれはハニートラップを仕掛けた次の日のことだったそうだ。
それを知った瞬間、彼は足元をすくわれたかのような心もとなさを覚えた。
「それはそうと」
ある程度場が収束したところで、誰かがこほんと咳をして話題を転換する。
「ルカ王子とエミリー王女の結婚の儀についてですが」
その男の名を耳にした瞬間――男が手にしていた羽ペンがぼきりと折れた。
それはもう簡単に。
枯れ木のように。
だが誰もこれに気づかない。
新しい話題――将来この国を統べることになる二人に関する議論が始まった。
「式は豪華絢爛にすべきでしょうね」
「それはもう! このような晴れがましくも尊い婚姻ですから!」
あれほど唾を飛ばし合って議論していた者達だが、これについては完全に意見が一致しているようだ。誰もの表情が幸せそうに綻んでいるし、声音からもはずむ気持ちを抑えきれずにいる。
「ルカ王子がエミリー王女をお選びになって、家臣一同これほど嬉しいことはありませんな」
「ええ!」
「早く占者に良き日を選んでもらわねば」
「おやおや、気がせいておりますな。すっかり浮かれておる」
「いやいや。我々だけではなく市井の誰もがその日を心待ちにしておりますぞ」
「ですな」
はっはっはっ、と高らかな笑い声があがる。
「宰相殿もこれで一安心でしょう」
満面の笑みで話題を振られ、彼は「ええ」とうなずいてみせた。
組んでいた両手を下ろし、折れた羽根ペンを一瞬で隠しながら。
「王子には滞在を早めに切り上げて帰国していただきましょう」
彼の提案に「ですな」と誰もが深くうなずく。
「使者を同伴させ、あちらの国の方でも今後のことについて早急に考えていただくとしましょう」
「それがいい!」
まだまだこの話題で盛り上がりそうだ。
彼の眉間がさらに寄ったことに気づく者も誰もいなかった。
*
その夜、仕事を終えた彼は机上に便せんを広げた。
一寸迷ったものの、そこに流れるように文章をしたためていく。
ためらいなど一切なく。
「……早く会いたいものだ」
この部屋であの娘に恋の手ほどきをしたことを思い出す。
初心で健気で、まるで小兎のようなあの娘に。
ルカ王子の好みどおりの娘を見つけたのは偶然だったが、まさかその娘に自分が恋をするとは……。
そう、これは恋だ。
こうして手紙を書いている今も、あの娘に会いたくてたまらない。
会いたくて……触れたくてたまらない。
あの日の出来事を思い出すたびに愉快で心がはずんだ。一輪の花が添えられたかのように、甘い菓子が供されたかのように、あの娘との想い出は仕事ばかりの日々に彩りを与えた。自然と口角が上がり頬が緩んだ。
だが……あの娘がメイドを辞したと聞いた今は違う。思い出すたびに思春期めいた切ない想いで胸を締めつけられる。まるで熟しきっていないラズベリーを口に含んだかのように。
あの腰にもう一度手を回したい。
頬に触れ、髪に指を入れ、その唇を奪いたい。
他人に初めて触れられるそこは、きっと最初は震えるはずだ。
だがどんな果実、どんな菓子よりも甘いだろう……。
しかし今はダメだ。
彼の理性はそう断じている。
まだ時は満ちていないからだ。
今追いかければ……あの娘は逃げる。
罪悪感からあの娘が解放されるその日までは――絶対に追い求めてはいけない。
ならば今できること、それは――。
「……早くここに戻ってきなさい。ミス・ウォーレン」
書き上げたばかりの手紙から匂い立つインクの香りが夜気に溶けていく。
「戻ってきたらあなたに捧げましょう。このパーフェクトな愛を。……私を」
だが強気な言葉とは裏腹に、彼の顔はどこか頼りなく、ともすれば泣き出しそうにも見えた。手紙にしたためられた文章にも切実にゆるしを乞う男の心が率直に表されていた。
夜は――長い。




