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3.レッスン(後半)

「さあ。ここまではただの序盤です。あなたの任務はここからなのですから」

「は、はい」

「では始めますよ。王子に名前を訊ねられたらなんて応えるんでしたっけ?」

「エリザベス……です」


 自分に興味をもってもらえたら第一関門突破、らしい。


「年齢は?」

「十六……です」

「今の『です』はもう少し遅く言ってください。答えのあとに一秒の間、そのあとに『です』をつけること。そう教えましたよね」

「は、はいっ」


 年齢を若く偽る恥ずかしさは宰相様には一生分からないだろう。……なんだか悔しくなってきた。


「こら。ミス・ウォーレン。王子を睨むなど、絶対にしてはいけませんよ」


 ちょっと睨んだだけなのに、と思ったら。


「あなたは素直な人ですから、顔に思ったことが出やすいのでしょう。ですが本番では絶対にしてはいけません。命が惜しければ」


 背中にひやりとしたものが伝った。


「……はい」


 これは遊びではないのだ、とあらためて実感する。


「はい。では時間がないので確認します。王子と会話ができるようになったら何をすべきでしたか?」

「どのような女性が好みなのか……訊きます」

「パーフェクト。そのとおりです」


 そうなのだ。実はルカ王子は今回、この国の王女三人のいずれかと婚約するために訪れているそうで、滞在期間中にそれぞれの王女と交流を深めて、最終的には王子の意志を尊重して婚約相手を決めることになっているのだとか。それが王子にこの国に婿入りしてもらうための条件の一つなんだって。


 王子は子兎ちゃんみたいな女性が好みだけど、実は無類の女好きなのだそうだ。国同士の思惑のからむ王族間の婚姻だから、一番の好みである子兎ちゃんと結婚するつもりははなからないだろう、と言うのは宰相様。そういう人は愛人にすればいいわけで、つまるところ、宰相様が知りたいのは妃としたい女性のタイプなのだそうだ。


「さ、会話の最中にもどんどんお酒を注いでいくのですよ。どんどん注いで酔わせるのです」

「はいっ」


 と、さらにワインを注ごうとしたところで、また懐中時計を取り出した宰相様に唐突に手首を握られてしまった。


「では時間もないのでここから次の段階に進みますね」

「……へ? ひゃあっ」


 思わず小さく叫んでいた。


「そ、それ……!」


 宰相様の親指の腹が私の手首の上で動いている。そのじんわりとした動きはまるで舌で舐められているようで、声を出さずにはいられなかったのだ。……実際には他人に舐められたことなんて一度もないけど。


 けれど宰相様は私の動揺なんて気にもとめず、


「宴も半ばになれば、自然とこういった雰囲気になるものです」


 淡々と語っていく。


「こうされたらどうするんでしたか」


 問われ、見つめ合ったままで小さく首をかしげて笑ってみせた。先ほど教えてもらったとおりに。……いつになく速い鼓動を感じながら。


 ふ、と宰相様の瞳が眼鏡越しに優しく細められた。


「パーフェクトです」


 どうしよう。どきどきしすぎておかしくなりそうだ。


 その目に見つめられると、演技ではなく恥ずかしい。すごく恥ずかしくて、うつむきたくなる。


 これって一体どうして……?


「……パーフェクト」


 宰相様が吐息をついた。


「その表情はいいですね。……捕食したくなる」

「ほしょく?」


 聴き慣れない単語をうまく脳内で変化できず、おうむ返しをしてしまったところ。


「いけません、ミス・ウォーレン」


 案の定叱られてしまった。


「そういう時は聞き流すのですよ」

「……すみません」

「さて。では次に行きましょう。あなたの苦手な――キスの練習です」


 眼鏡越しに熱のこもった紫の瞳で見つめられ、頬に手が添えられた。


 その手が頬から顎へと流れるように移動し、鼻と鼻が触れそうな距離にまで近づいた。


「さっきのように逃げてはいけませんよ」

「ひゃ……」

「この後、どうするんでしたっけ」

「目、目を……」

「目を?」

「目を、つむります」

「ではそうしなさい」


 命じられ、ぎゅっときつく目を閉じる。


「いい子です。そう、そのまま……」

「ふわあ……」


 胸の奥底でどきどきを超えた何かが生まれかけている。


「ああ、いいですね。ほんのりと開いた唇、上気した頬、震える瞼、どれもパーフェクトです……」


 本当にこのまま宰相様とキス、するの――?




 その時だった。ドアがノックされたのは。


「宰相。お時間です」

「ん? ああ、もう時間ですね。……残念です」


 懐中時計を懐にしまい、ドアの向こうにいる方に「行きます」と声をかけた宰相様が立ち上がった。もうすっかり平常に戻っている。


「では頑張ってくださいね」

「ほえ?」


 さっきからやけに時間を気にされていたけれど、酒宴が始まるまであと三時間もあるのに……と思ったら、宰相様に痛ましそうな目で見下ろされた。


「ミス・ウォーレン。私は常にパーフェクトな結果を求めています」

「は、はあ」

「ですが今のあなたではちんちくりんすぎる。いくら言動を矯正しようと、これでは勝機は低い」

「え?」

「さあ。残る時間で磨きをかけてきなさい」

「……ほえ?」


 それからあっという間に怒涛の時間が過ぎた。


 明るい時分からお湯を使わせてもらい、いい香りのする石鹸で全身を洗わされ、髪は逆に香りのしない油で艶を出し。最後に、薄く見えて実は凝った化粧を施され、うなじが見える高い位置に髪をまとめられ、仕上げに夏物のメイド服を着せられた。


 終わったころにはすっかり夜になっていた。


「ふむ。いいですね。パーフェクトです」


 私を一目見るや、宰相様は満足気にうなずいた。


「……あの。まだこの時期、半袖は寒いんですけど」


 しかもちょっと生地が薄いのだ。


「首もすーすーしますし」


 さっきまでハイネックかつ長袖のブラウスを着ていたのに。


 これに宰相様が意地悪い笑みを浮かべた。


「いいのですよ、それで。そのぽちゃっとした二の腕も、うっすら体のラインが透ける生地も、まるで今夜のあなたの任務のためにあつらえたようじゃないですか」

「は、はあ」

「湯上りのうなじから香る石鹸……そういった趣向の方が王子は好まれると思うのでそうしてもらったんですが、できればそのあたりも本人に訊いてきてくださいね」

「わ、分かりました」


 顔をひくつかせながらもうなずくと、「さあ。いざ本番ですよ。ミス・ウォーレン」と宰相様が至極真面目に言い放った。


「王子の攻略、頼みましたよ。この国の未来はあなたにかかっているのですから」

残り三話は明日公開します!

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