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第1話 1993年(平成5年)8月7日①

 1993年8月7日、土曜日。

 東横線終点、桜木町駅。


 この地に来るのは、何年振りのことだろう。

 時田謙一郎はふとそんなことを考えて立ち止まった。


 時刻は夕方4時を少し回った頃。例年なら外はうだるような暑さだが、今年は冷夏とあってか、薄手のジャケットを着ていても苦にはならない気温だ。

 駅から出ると、薄曇りの空の下、見上げるほど高い変わった形のビルが目に入る。先月開業したランドマークタワーだ。

「あれが今日本一高いビルか。せっかくだし、少し見てくるか」

 そう独り言つと、謙一郎はブラブラとビルに向かって歩き出した。

 駅を出てすぐにエスカレーターがあり、そのまま動く歩道に乗ってぼんやりと観覧車や日本丸を眺める。

 帆船なら帆が開いてるときに見たかったなと、少し残念に思う。こういう洒落た風景はデートで来ているならともかく、野郎一人ではどうにも様にならない。誰か誘えばよかったか、と思いつつ、こんな奇妙なことに付き合わせる相手も思い浮かばないのも確かだ。


 謙一郎は目の前のランドマークプラザに入り、出来立てでピカピカのビルの中を見るともなしにブラブラと歩く。突き抜ける大きな白い柱が立ち並ぶ姿は、なんというか、どこかの神殿に迷い込んだような奇妙な気分になる。そんな変な気分になるのも、きっとここに来たきっかけのせいだ。

 そんなことを思い、謙一郎は休憩用の椅子の一つに腰を下ろした。


「探してるものが見つかるよ、か」


   ☆


 事の起こりは二日前のことだ。

 仕事で渋谷に行った帰り道、謙一郎は目の前で転んだ子どもを助け起こした。白地に紺の水玉のような模様の浴衣を着た5~6才の子どもで、ぱっと見には男の子なのか女の子なのかよく分からない。浴衣の色から男の子だろうと思ったが、おかっぱ頭なので女の子かもしれないなとも思う。

「大丈夫か?」

 人ごみに踏まれないよう素早く歩道の端に立たせ顔をのぞき込むと、子どもは謙一郎にふにゃっと笑って見せた。

「ありがとう、お兄さん!」

「どういたしまして。お父さんかお母さんは? 迷子か?」


 こんな小さい子供が、渋谷の駅前を一人で歩いているなどありえない。

 誰もかれもが子供など見えないかのように歩いていくのだ。放っておいたらあっというまにつぶされてしまいそうだ。だが謙一郎があたりを見回しても、親らしき大人も、子どもを気にしてる人も、見当たらなかった。


「迷子じゃないよ」

 交番に連れて行くべきかと考えたのを見透かしたように、子どもははっきりとそう言った。

「そうなのか?」

「うん。迷子じゃない」

 そう言って笑う子どもに、不安そうな様子は全くない。

「そうか。じゃあ、もう転ばないようにな」

 怪我がないかだけ確認すると、謙一郎は子どもの頭をひと撫でし、そこから立ち去ろうと立ち上がった。

「お兄さん!」

 子どもにスーツの裾をつかまれ立ち止まると、子どもは1つの小箱を謙一郎に渡した。

「これ上げる。ここで、きっと探してるものが見つかるよ」

 それはマッチ箱だった。シルエット風のデザインで猫とバラが描かれ、しゃれたフォントで「カフェー・薔薇と黒猫亭」と書いてある。住所を見ると横浜だ。

 少し懐かしい気持ちになりながら顔を上げると、すでに子どもはどこかに消えていた。

「帰ったのか」

 謙一郎はマッチ箱をポケットに入れ、そのまま駅へと歩き出した。

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和語り企画
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