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何事かと、蜜柑たちは奇妙斎の顔を見つめる。
真紅郎は入口側を向き、右の眉を吊り上げた。
燐子は敵と向かい合い、勝負の開始を告げぬ蜜柑を怪訝そうに見ている。
果たし合う二人のさらに外側、陣幕の辺りには蜜柑の護衛の侍二人が、それぞれ緊迫した面持ちで様子を窺っていた。
「あ!」
陽炎が気づいた。
道場の入口、すなわち左側へと視線を向ける。
ここに至って、蜜柑と春馬も奇妙斎が皆を黙らせた理由に思い当たった。
聞こえてくるのだ。
馬の鳴き声、そして蹄が地を蹴り近づいてくる音が。
蜜柑と春馬の顔が、ぱっと明るくなった。
待ち人、ついに来たる。
馬蹄の音は、さらに接近し、道場の外をぐるりと回り、こちらへ向かう。
庭に張られた陣幕の一部が、何者かによって切断された。
落ちた陣幕を踏みつけ、逞しい馬が一頭、庭へと走り込んでくる。
「どう、どう!」
馬上の人物が馬の手綱を引き、落ち着かせた。
馬の近くに居た真紅郎が、後方へと跳ぶ。
馬上の者は陣幕を切り落とした右手の刀を鞘に納めた。
そして、溌剌と声を発した。
「美剣隼人、見参っ!!」
隻眼にて現状をつぶさに見てとった隼人は馬より地に立った。
蜜柑の護衛の一人に、馬の手綱を預ける。
獅子真紅郎の前を通りすぎ、燐子の元へ進んだ。
真紅郎の視線が、それを追う。
隼人の気配は「ネコノミコン」の魔力で分かってはいたが。
しかし、自らが殺したはずの相手を直に見るのは、やはり驚きがある。
「兄上!!」
燐子が隼人に駆け寄った。
その双眸には涙が、にじんでいる。
隼人が、にかっと笑う。
「良かった。間に合ったな」
燐子が頷く。
死を覚悟し、張り詰めていた緊張の糸が、久しぶりに見る兄の笑顔で、あっという間に切れた。
隼人に両肩を抱かれ、涙で頬を濡らす。
隼人が指で、その涙を拭ってやる。
それから、首を蜜柑たちに向けた。
隼人と蜜柑の眼が合う。
「隼人!!」
蜜柑が呼ぶ。
隼人が頷く。
春馬も隼人に手を振った。
「遅いぞ、隼人!!」
奇妙斎が大声で怒った。
「もうちょっとで、わしが戦わされるところじゃ!!」
隼人が苦笑する。
「美剣隼人…」
真紅郎の低い声が響いた。
隼人が燐子から離れ、真紅郎に向きを変える。
「俺は、まだ生きてる」
隼人が言った。
「お前との勝負は終わってない」
隻眼が、ぎらりと光った。
「妹と戦うのは、俺との決着が着いてからにしてもらう」
真紅郎も火を噴くような眼差しで、隼人に応じた。
「黄魔と蒼百合を斬ったか?」
真紅郎の問いに隼人が頷く。
「ああ、俺が斬った」
「姫様」
真紅郎が柊姫に許しを求める。
「良いぞ。今度こそ、美剣隼人を地獄へ落として見せよ!!」
柊姫が叫ぶ。
隼人が蜜柑へ顔を向ける。
二人の眼が、再び合った。
蜜柑が頷き、さっと右手を挙げた。
「これより、八神家、獅子真紅郎と」
声高らかに告げる。
「美剣家、美剣隼人の真剣勝負を執り行う!! 見届け人は、この小諸蜜柑が務める!! 両者、前へ!!」
獅子真紅郎、そして美剣隼人。
二匹の虎は今、雌雄を決すべく向かい合う。
「始めっ!!」
蜜柑が右手を勢いよく、振り下ろした。




