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左側の陣幕より、獅子真紅郎が現れた。
庭の中央で待つ燐子に、落ち着いた様子で近づいてくる。
剣気も邪気も抑えられ、それがかえって不気味であった。
二人が四間(約7.2m)ほどの間合いで向かい合う。
燐子の顔色は白装束に負けず劣らず真っ白で、血の気が無かった。
燐子も一介の剣士。
敵とこうして相対し、自らに万にひとつも勝ち目がないと再認識した。
(兄上と父上のため、せめてひと太刀)
悲壮な覚悟である。
真紅郎の背後に黒煙が立ち昇り、揺らいだ。
柊姫の顔が浮かぶ。
「小諸の姫よ!」
蜜柑に呼びかけた。
「約束は守ってもらう! 真紅郎が美剣燐子に勝てば『大剣豪』美剣を降霊するのじゃぞ!!」
柊姫の、もはや人ではない異様な迫力を放つ双眸が、てらてらと輝き、蜜柑をにらみつける。
柊姫の様子は美剣家への憎しみに、否、復讐を果たすために頼った魔力に呑み込まれ、完全に常軌を逸しているように見えた。
もしも、蜜柑が「大剣豪」美剣を呼べないと知ったなら。
怒り狂った柊姫は、この場の全員を皆殺しにするに違いない。
今すぐに戦端を開くべきではないか?
蜜柑は迷った。
主の緊張を素早く察知した陽炎も、同様に身体を強ばらせる。
「柊姫!!」
燐子が蜜柑の返事を待たず、割って入った。
「蜜柑様は、この度の件とは関係ない!! 私と美剣家のみと戦え!! 祖父はすでに死んでいるのだから、呼び出しなど無用!!」
昨夜、蜜柑は燐子と二人きりで話し合いの席を持った。
燐子は、あくまでも一対一で真紅郎と戦いたいと主張した。
そこを譲るつもりは一切なかった。
その上で燐子は安全を考え、蜜柑たちに秘かに逃亡するようにと頼んだ。
当然、蜜柑はそれを断り、話し合いは結論が出ぬまま終わったのだった。
燐子は蜜柑の瞳を見つめている。
自分が真紅郎と戦っている隙に、逃げろという意思表示か?
蜜柑は首を横に振った。
燐子が眉をしかめる。
「真紅郎!!」
柊姫が呼んだ。
「その美剣の小娘をさっさと片づけて、黙らせよ!!」
「御意」
真紅郎が一歩前に進んだ。
空気が、ざわりと変わった。
真紅郎の全身から異常な闘気と邪気が発散されたのだ。
そのすさまじき力場に燐子は絡みつかれ、押さえつけられるのを感じた。
剣士としての本能が、肉体の細胞ひとつひとつが、最大級の危険を告げていた。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
燐子は一歩前へと踏み出した。
その双眸は澄みきって、恐れの色は微塵もない。
雑念は消えていた。
ただ一剣を持って戦うのみ。
蜜柑は唇を噛んだ。
時は尽きた。
隼人は、まだ現れない。
皆で戦うしか、もう道はなかった。
蜜柑が陽炎と春馬に攻撃の合図を出そうとした、そのとき。
「待て!!」
それまで、ぶつぶつと不平を呟き続けていた奇妙斎が突如、声を上げた。
左手を前に出し、蜜柑たちの動きを制する。
眼を細め、黙った。




