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陽炎が奇妙斎の奥襟を掴んだまま、前方に跳躍する。
燐子も同時に跳んだ。
それでも三人に追いすがる影の槍をいつの間に抜いたのか、奇妙斎の長刀が素早く弾き返した。
影の動きが停まる。
「ええい、小癪な!!」
柊姫の怒号。
陽炎はつぶさに前後の様子を確認した。
「退路を断たれました」
他人事のように冷静だ。
「だから言ったじゃろ! 帰ろうと!」と奇妙斎。
柊姫が、ゆらりと立ち上がった。
その全身から異常な邪気が立ち昇っている。
柊姫の顔の側には、後藤の青白い顔が浮かんでいた。
「逃がしはせぬ」
柊姫が宣言した。
後藤との戦いで覚悟していたとはいえ、改めて今回の敵が持つ「魔」の力に慄然とした燐子は、恐怖を振り払うように頭を振った。
右手に長刀を抜き、正眼に構える。
(お二方を殺させるものか! 私が活路を開く!!)
半ば、死の決意を持って、一歩を踏み出した。
が。
奇妙斎を離した陽炎の左手が、燐子の肩に置かれた。
燐子が想像していたよりも、陽炎の手は力強かった。
これでは前進できない。
「待って」
陽炎が言った。
「私に考えがあります」
燐子の顔が曇る。
蜜柑の降霊の技ならともかく、陽炎と奇妙斎に策があるのか?
とても、そうは思えない。
「大丈夫」
陽炎の眼は真剣だ。
そこに怯えや捨て鉢な色はなかった。
「奇妙斎様」
陽炎が呼びかける。
「嫌な予感しかせんのう」と奇妙斎。
「私が柊姫に魔祓いの首飾りをかけます。ご助力を」
「わしもまだ死にたくはない」
奇妙斎が頷く。
「ただ、この歳には少々きつい。あと二十年、若けりゃのう」
陽炎が、くすりと笑った。
「燐子様」
呼びかける。
「私たちは前に集中するので、後ろをお任せ出来ますか?」
「はい!!」
燐子が頷く。
さすがは美剣の剣士。
腹を括った。
「美剣、死すべし!!」
柊姫の叫びと共に、身体の前面より新しい無数の影の槍が疾った。
同時に後方に回り込んだ影たちも、再び突進してくる。
「行きます!!」
陽炎のかけ声で、奇妙斎が柊姫へと跳んだ。
すぐ後ろに陽炎が続く。
そして陽炎と背中合わせになった燐子が、後ろ向きに跳ぶ。
正面の影槍が奇妙斎に突っ込む。
しかし、その槍先は敵の頭と胴体を避け、四肢を狙う動きを見せた。
柊姫は燐子以外の二人を捕らえようとしている。
「ほう」
奇妙斎が言った。
口調は軽い。
「殺す気ではないのか。それなら」
奇妙斎の白刃が、きらめく。
影槍は弾き返された。
「何とかなりそうじゃな」




